■夏の残像 -after image-
ACT3

 夏期講習の最終日、模擬試験の結果が発表された。
「こりゃまた、涙が出るくらいうれしい結果だねえ」
 お調子者の岩崎克巳が、結果表をぴらぴらさせている。
「夏休みの残り全部バイトせにゃ。親に受講料返せって言われるかも」
 どうやら希望大学に合格する可能性が十パーセント未満だったらしい。
「小泉はどうだった。今回もランクA?」
「いや。落ちたよ」
「そりゃめずらしい。おれの見てないところで、なんか悪いことしてたのか」
「なんかって、なんだよ」
「酒とかたばことか、まさか女とか」
「おまえと一緒にしないでくれよ」
「へいへい。やぶ蛇でございました」
 岩崎は茶目っ気たっぷりにおじぎして、じゃあまた学校でな、と手を上げて出ていった。来るのは遅いが、帰るのは早い。穂高とは正反対だ。
「ランクC・・・・・・か」
 いつもより調子は悪かったものの、ここまで落ちるとは思わなかった。穂高はうつむいたまま教室を出た。
 正面玄関の近くで、八雲が缶ジュースを飲んでいた。そのまま通りすぎようとした穂高を、八雲は呼び止めた。
「つれないなあ。あいさつぐらいしてくれよ」
「すみません。さようなら」
「・・・・・・ほんとにあいさつだけなんだな。どうした? 模試の結果を気にしてるのか」
「まあ、そんなとこです」
「おれも今日でここの仕事は終わりだから、ボランティアで家庭教師でもしてやろうか」
「いいです」
「遠慮するな。おれとおまえの仲じゃないか」
 だれとだれの仲だって?
 穂高は八雲を見上げた。
 なにも知らない八雲。やさしくてあたたかくて、でも残酷な八雲。
「急ぎますから・・・・・・失礼します」
 やっとそれだけ言って、穂高は踵を返した。
 あきらめている。そうさ。もう見ない。
 ぼくは、ぼくの八雲を殺す。

 玄関先で、何度もあやまっている声が聞こえる。
 講習が終わって、今日で七日目だ。あれから八雲は連日小泉家を訪れている。
模試の結果が思わしくなかったのは、自分の教え方が悪かったのではないかと気にしているらしい。
「少しでも、穂高くんの勉強のお手伝いをしたいんですが」
 八雲は穂高の母親にそう言った。
「なに意地はってるのか知らないけど、こう毎日門前払いじゃ失礼ですよ」
 とうとう、母親は言った。
 彼女は一年ほど前にそれまで勤めていた生命保険会社を辞めで、いまでは趣味の世界に没頭している。
「今度、滝沢さんがみえたら、上がっていただきますからね。お断りするなら、自分でしなさい」
「会いたくないんだ」
「それが通用するのは『つ』の付くあいだだけですよ」
「なんだよ、それ」
「だだっ子みたいなことが言えるのは、九つまでってこと。あんたはもう十八なのよ。運転免許を取れるような年になってまで、親に尻ぬぐいさせないでちょうだい」
 ふだんはおっとりしているのだが、一度怒ると頑固である。
「わかったよ」
 穂高はしぶしぶうなずいた。

 翌日、八雲は久しぶりに小泉家の敷居をまたいだ。
 穂高の母親がアイスコーヒーを運んできた。
「あら、ごめんなさいね。滝沢さんはカフェインだめだったわね。替えてくるわ」
「いまはもう大丈夫です。イギリスじゃ紅茶三昧でしたし」
 にこやかに、八雲は言った。
「じゃあ、ごゆっくりね」
 六畳の洋間。穂高の部屋である。
 ふたりきりになり、穂高は視線を落とした。
「あーあ。やっと会えた」
 八雲はフローリングの床にあぐらをかいて、ベッドに腰掛けている穂高を見上げた。
「おれ、なんか悪いこと言ったのかな」
 穂高は黙っていた。
「模試のことなら、だれにでも波はあるし、心配することはないと思うよ」
 ぜんぜん、わかっていない。わかるはずもない。
「模試のことは、もういいんだ」
 なんとか、ことばをしぼりだす。
「じゃ、なんでおれを避けてんだ?」
 いきなり核心。それを、言えというのか。
「・・・・・・見たくないから」
「え?」
「八雲の顔なんか、見たくないんだよ」
 八雲はぽかんとしている。なにを言われたのか、よくわかっていないらしい。
「え−と、つまり、どういうことかな」
 穂高は顔を上げた。
「どうもこうもないよ。会いたくないって言ってるんだ。出ていけよ!」
 勢いよく立ち上がって、穂高はそう叫んだ。ひざがサイドテーブルにあたり、コーヒーを入れたグラスが飛んだ。ガラスの割れる音が響く。
「どうしたの? 入るわよ」
 穂高の母親がドアを開けた。
「あらまあ。なにやってるの、穂高」
 あわてて雑巾を持ってきて、床をふく。
「あの・・・・・・おばさん」
 八雲が遠慮がちに声をかけた。
「おれたち、ちょっと出てきていいですか」
「え? そりゃいいけど・・・・・・」
「じゃ、穂高くんをお借りします」
 八雲は穂高の腕をつかんで、なかば強引に外につれだした。

 どこまで行く気なのか。
 八雲は無言のまま、歩いていった。
「・・・・・・このへんでいいか」
 花火大会のあった河川敷まで来て、やっと足を止める。
「はなせよ」
 穂高は手を払って、横を向いた。
「さあて。白状してもらおうか」
「何を」
「おれの方には、おまえに三下り半をつきつけられる心当たりはないんだ。納得いくように説明してもらおうか」
「言っただろ。顔も見たくないって」
「それは結論。そこに至るまでの経緯を述べてもらわんと。おまえは昔から自己完結する癖があるからな。それじゃ、はたから見ててさっぱりわからないんだよ」
 自己完結するしかないじゃないか。
 この思いは、もう葬り去るしか。
「八雲がいると、勉強も何も手につかないんだよ。ベースがめちゃくちゃになるんだ。だから・・・・・・」
 だから、ぼくは八雲を殺す。ぼくの心の中から消すんだ。
「ぼくにかまわないでほしい」
「・・・・・・それができりゃあな」
 八雲は寂しげに笑った。
「なんでだろうな。おまえが境内にすわってるのを見たときから、放っておけなくてさ。友達らしい友達もいなくて、いつもひとりで。たまに何人かでいるのを見かけても、ほかの子供たちはわいわい楽しそうにやってるのに、おまえははじっこでそれをながめてるだけだし。おまえんち、共働きだっただろ。家に帰っても、またこいつはひとりなんだろうなって思ったら、ついかまいたくなって」
「ぼくはもう子供じゃないよ」
「そうだな。すまなかった。おれがおまえの重荷になってたなんて、知らなかったんだ」
 八雲のやさしさが穂高を突き刺す。
「おれ、おまえのこと好きだったからさ。ついちょっかい出しちまって」
「・・・・・・そんなこと、言うなよ」
「え?」
「そんなに簡単に、好きだなんて言うな。ぽくのこと、なにもわかってないくせに。なんにも見てないくせに!」
「穂高・・・・・・」
「そっちはそれでいいかもしれないけど、ぼくの方はたまったもんじゃないよ。ひとりぼっちでかわいそうな子供をあわれんでただけじゃないか。それで好きだなんて、よく言えたもんだね。ぼくが自己完結なら、八雲のはただの自己満足だよ」
 止まらない。
 一度あふれだした思いは、もう止めようがない。
「ぼくがどんな気持ちでいたかなんて、わからないだろ。八雲はずっとぼくを見下ろしてたんだから。ぼくは頭をなでてもらうだけで喜ぶ犬じゃない。生身の人間なんだ。八雲が好きで好きでたまらなくて、八雲のことしか考えられなくて、でもどうしようもなくて・・・・・・やっとあきらめるって決めたのに、どうしてほっといてくれないんだよ!」
 言ってしまった。
 封印したはずのことばを。
 でも、いいんだ。これで。これでやっと終わる。
 そのとき。
 ふわりと、穂高は八雲の両腕に包み込まれた。
「・・・・・苦しかっただろうな」
「八雲・・・・・・」
「いままで自分を押し殺してて、つらかっただろうな。すまん。なにも気づかなくて」
「・・・・・・同情してくれなくてもいいよ。ぼくがみっともなく、わめいただけなんだから」
「みっともなくない。おまえの本当の気持ちだ。みっともないなんて思わないよ」
 八雲は体をはなした。
「おれと一緒に来るか」
「え・・・・・・」
 穂高の思考が止まった。
 なにを言った? 八雲はいま・・・・・・。
「冗談・・・・・・だろ」
 声がふるえる。
「冗談が言える状況か」
 むすっとして、八雲は答えた。
「どうする」
 なにも考えられない。考えたくない。
「・・・・・・来い」
 八雲の手がさしだされた。穂高は、その手をとった。

 家具のない、八雲の部屋。
たんすや本棚などは、すでに大学近くのアパートに配送済みだという。
 がらんとした部屋にベッドだけがある。穂高はここに来た意味を認識せざるをえなかった。
「おばさんたちは?」
「北海道に行ってる。三泊四日の食べ歩きツアーだと」
 八雲はシャツを脱いでベッドに腰をおろした。同じように穂高も上だけ脱いで、八雲のとなりにすわった。
「断っておくが、おれは男と寝たことはないからな」
「・・・・・・ぼくだってないよ」
 八雲以外のやつなんて、考えただけで鳥肌がたつ。
「じゃ、いろいろ研究してみよう」
 八雲の唇が、穂高のそれにかさなった。

 男と寝たことがない、だって?
 八雲はうそつきだ。
 穂高はしぴれるような感覚の中で、そう思った。
 だったら、これはなんだ。このすみずみまで行き渡る快感は。どこをどうしたらどうなるか、全部知ってるじゃないか。
 八雲によって、自分はだんだん狂っていく。壊されていく。
 心地よい眩暈を感じながら、穂高はいっそう強く八雲を求めた。

 肩が冷たい。
 少しのあいだ眠ってしまったらしい.穂高は起き上がってシャツを着た。
 八雲はいなかった。外はもう真暗だ。
「八雲?」
 穂高は階段の下に向かって声をかけた。
「おう。起きたか」
「いま何時」
「八時。おふくろさんが心配するといけないから、おまえがおれんちにいるって電話しといたぞ」
 なんだか気恥ずかしい。これじゃまるで、女の子みたいじゃないか。
 穂高は階段を下りた。
「帰る」
「え?」
「今日は、帰る」
「そうか」
「あれ、うそだろ」
「なにが」
「男と・・・・・・したことないって」
「ほんとだよ」
「でも・・・・・・」
「友達がいたんだよ、ゲイの」
「だからって、あんなこと・・・・・・わかるわけないじゃないか」
「なぜかそいつに相談されることが多くてね。耳年増になっちまった」
「・・・・・・そういうことにしといてあげるよ」
「信用してないな」
「うん」
「まいったな。はじめてだって証明しようにも、こればっかりはなあ」
 八雲がそう言ってため息をついたとき、電話が鳴った。
「ちょっと待ってて」
 片手を上げて、リビングに走る。
「はい・・・・・・Hellow?」
 国際電話らしい。早口の英語で話している。よく聞き取れなかったが、なぜとかどこでとか訊いているようだった。
「Sure. Thank you」
 八雲は受話器を置いた。
 顔色が悪い。表情は凍りついて、いまにも倒れそうだ。
「八雲・・・・・・大丈夫?」
「穂高・・・・・・」
 八雲は穂高に抱きついた。
 ふるえている。鳴咽がもれている。
 八雲が泣いている・・・・・・?
 穂高は八雲の背に手をまわした。
「おれがそばにいれば・・・・・・」
「え?」
「おれがいれば、ピーターは死ななかったかもしれない」
「ピーターって・・・・・・」
 もしかして、さっきの話の・・・・・・。
「八雲の友達?」
 ピー夕ー・バーフォードは八雲の隣人だった。ゲイであったが、恋人ができてもなぜかすぐに裏切られてしまう。親兄弟とは絶縁状態で、よく八雲に相談事をしていたらしい。
「話しやすかったんだろうな。いつかはいなくなってしまう留学生だし、東洋人だし」
 そのピーターが、前後不覚になるまで酔っ払ったあげくに転落死したというのだ。
「ピ一夕ーの手帳にここの電話番号があったから、家主が連絡してくれたんだ。ピーターのやつ・・・・・・夜中でもなんでも、なにかあったら時差なんか考えないで電話しろって言っといたのに・・・・・・」
 一気に憔悴しきった顔になって、八雲はリビングにすわりこんでいた。
「ぼく、ここにいてもいいかな」
「え?」
「八雲の邪魔はしないから」
 イギリスでの生活の中で、ピーターがどれだけの比重を占めていたか、聞かなくてもわかる。八雲と彼のあいだでなにがあったかなんて、またはなかったかなんて、どうでもいい。
 八雲は大切な人を失ったんだ。
「・・・・・・そうだな。今夜は飲むか」
「ぼくはまだ飲めないけど」
「あたりまえだ。おまえは麦茶」
 その夜、八雲は留学中のことをいろいろ話してくれた。大学のこと、町のこと、休暇中に行った地方の美しい村々のこと。スコッチの水割りをなめるように飲みながら、静かに静かに、話しつづけた。


 翌日の夜の飛行機で、八雲はイギリスに発った。
 穂高は見送りに行かなかった。いつ、帰ってくるのかも訊かなかった。
 そんな必要はない。いつでもいいんだ。八雲がぼくを見てくれたから。
 もう、大丈夫。
 八雲に手を引いてもらわなくても、ぼくはひとりで歩けるはず。
 そしていつか、八雲のとなりに立てればいい。
 いつか。

 八雲のいた夏が、もうすぐ終わる。
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