■君への放物線(8)
あいつ、なにやってんだ.               、
 葛城圭佑が田代聖哉を意識したのは、入学式から約一カ月後.男子バスケット部の早朝練習のときだった。
 もちろん、それまでにも新入部員どうし顔を合わせてはいたが、おとなしくてめだたない存在の聖哉に対して、とくに注意を払うこともなかったのだ。しいて言えば、えらく小さいやつがいるな、ぐらいの印象だった。
「なにやってんだよ」
 圭佑は体育館のすみにすわっていた聖哉に声をかけた。
 まだ朝練開始には間がある。先輩たちは部室で着替えをしているはずだ。新入部員である圭佑たち一年生は、準備のためにひと足早く体育館に入る。 が、聖哉はそれよりもさらに早く来ていたらしい。
「おはよう、葛城。ウォーミングアップ、やってたんだ」
「こんな時間から?」
「僕は体があたたまるのがおそいんだよ。みんなの倍ぐらいかかるから」
 そう言って、聖哉は小さく笑った。
「もう先輩たち来てるの? じゃ、早く準備しなきゃね」
 柔軟体操を途中でやめて、聖哉は立ち上がった。
「いつもこんなに早くから来てたっけ」
「あさって、練習試合があるだろ。連敗してる相手だから、リキ入ってるんじゃないか」
「うわ一。 とばっちりがこなきゃいいけど」
 おどけた様子で、肩をすくめる。
「こないだ桜庭先輩に、相手校の主将をたらしこんでスパイしてこいなんて言われてさあ。もう、まいったよ」
「そりゃ、災難だったな」
 圭佑は三年生の桜庭国彦が聖哉につけたあだ名を思い出した。
「お嬢ちゃん」
 新入部員の歓迎会のときに、桜庭は聖哉をそう呼んだ。
「なんでバスケ部に来たんだ。 おまえなら文芸部とか演劇部とか、女どもが集まってるとこの方が似合いだがなあ」
 そのときはわからなかったが、桜庭は下級生を「かわいがる」のに情熱を燃やすタイプだった。これと目をつけた後輩を、徹底的にいたぶるのである。
 性格面ではかなりの問題児であったが、バスケ部にとっては貴重な得点源。監督も主将も、多少のことは大目に見ているらしい。
「中学のとき、やってましたから」
 聖哉はジュースの入った紙コップを机に置いて、答えた。
「中坊のは運動会の玉入れと大差ないぜ」
 桜庭はにんまりと笑った.
「マネージャーなら歓迎するんだがなあ、お嬢ちゃん」
 たしかに聖哉は身長が低かった。
 自称165センチだが、おそらくそれより少ないだろう。筋肉はそれなりについていたが、どちらかというと細身である。180センチを超える猛者どもがうようよいるバスケ部にあっては、異色の存在と言えた。
 こういうわけで、歓迎会の日以来、桜庭をはじめとする三年生たちは聖哉のことを「お嬢」と呼んでいる。
「まったく、僕にそんな真似できるかって」
「たらしこむったってなあ。女装でもするか」
「シャズナのイザムぐらい色気があったら、やってみてもいいけど」
 まじめな顔で、聖哉は言った。圭佑は吹き出した。
「おもしろいやつだったんだなあ、おまえ」
「きたえられたんだよ。みんな強烈な個性の持ち主だから」
「その強烈な皆様がお出ましになったぜ」
 圭佑は入り口を見て、言った。
「そうだね。戦闘開始」
 聖哉は唇をぎゅっと結んだ。
「これはこれは。今日も早くからご苦労だなあ、お嬢」
 一番乗りで入ってきた桜庭が、どかどかと聖哉の前にやってきた。ちらりと圭佑にも目をやる。
「ご親密なことだなあ。なんの話だ? おれも混ぜてくれよ」
「たいした話ではありません」
 聖哉が礼儀正しく答えた。
「それはおれが決める.お嬢が考えることじゃない」
「・・・・・・練習試合のことを話していました」
「おれたちが負けつづけてるってか」
「次は勝つだろうという話です」
「あたりまえだ。負けてたまるかよ」
 桜庭は聖哉の頭をがしがしとかき回した。
「桜庭。遊んでないで、体あっためとけよ」
 主将が声をかけた。
「わかってるよ」
 桜庭は聖哉から手をはなした。
「・・・・・・早めに言ってほしかったなあ」
 疫病神が去ってから、聖哉はぼそりとつぶやいた。
「主将のことか?」
 圭佑が小声で訊ねる。
「そう。どうせ助け船を出すなら、もっと早く出してほしいよ」
「主将も桜庭先輩には遠慮してるからな。人柄だけで主将になったクチだな、ありゃ」  
「きついね」
「事実だろ」
 圭佑はさらりと言った。
「ま、このうえ人柄まで悪かったら、目もあてられないけどな」
 さらにとどめをさすような台詞に、聖哉は苦笑した。

 翌々日の練習試合。
 光陰学園高校男子バスケ部は、宿敵ともいえる三星高校に約一年ぶりに勝った。これではずみがついたのか、その後の公式戦も上り調子で勝ち進み、地区大会の決勝戦まで駒を進めた。
 残念ながら決勝で敗れて準優勝に終わったが、三年生の引退を前に、大きな成果をあげることができたのだった。
 そして、夏休み直前。
 秋からの新レギュラーが発表された。


「おれは認めないぞ」
 桜庭は部員全員の前で宣言した。
「なに血迷ってんだ、大倉。一年坊主をレギュラーにしたうえに、副主将だと?ばかも休み休み言え」
「おれの一存じゃない。監督も部長の先生も承知して・・・・・・」
 主将の大倉政春が言うのをさえぎって、桜庭は圭佑の前に来た。
「辞退しろ」
 有無を言わせぬ迫力だった。
 桜庭は身長187センチだ.圭佑よりさらに6センチ高い。
「二年生の立場もある。辞退しろ」
「できません」
 圭佑は桜庭をにらんだ。
「二年生の先輩たちが言うならまだわかりますが、桜庭先輩にそんなことを言われる筋合いはありません」
「生意気な口きくじゃねえか」
「間違ったことを言ったつもりはありませんが」
「身の程を知れって言ってんだよ。このひよっこが」
 桜庭は圭佑の胸倉をつかんだ。
「落ち着け、桜庭。引退したって言っても、おまえはまだ部員なんだぞ」
 ここで暴力沙汰など起こされてはたいへんだ。大倉は二人のあいだに割って入った。
「ちっ」
 桜庭は圭佑をつきとばした。
「おまえにそんな力があるのかどうか、試してやろうじゃねえか」
「おい、桜庭。いいかげんに・・・・・・」
「黙ってろ。・・・・・・おい、ボール持ってこい」
 マネージャーの女子が二人で、カートに入ったボールを持ってきた。桜庭はさらにガムテープを持って来させて、コートに8カ所しるしを付けた。
「ここからシュートして、全部入ったらOKだ.ひとつでも外したら、レギュラーの話はなかったことにしてもらおう」
「僕だけですか」
「なんだと」
「僕だけがシュートするなんて、不公平です。これがレギュラーの条件だっていうなら、先輩はもちろん全部クリアできるんでしょうね」
「ぱか言ってんじゃねえ。 テストするのはおれの方だ」
「先輩がやらないのなら、僕もやりません」
「だったらレギュラーは没だ」
「桜庭。もうそのへんでいいだろう。今年は一年生の方が有望なんだよ。みんなもそれで納得してくれてるんだし」
「有望って・・・・・・え、なんだ、こりゃ」
 桜庭は名簿を見て、声を荒げた。
「なんで、お嬢が入ってんだよ」
 これには圭佑も驚いた。控えとはいえ、聖哉の名もメンバー表に載っていたのだ。
「紅白戦での動きを見て、決めた。相手をかきまわすにはもってこいだ」
「紅白戦なんて、あてになるかよ」
「仕方ないだろ。おまえが田代を公式戦に出すのに反対したんだから」
「あたりまえだ.お嬢になにができる」
 桜庭は聖哉の肩をつかんで、ひっぱった。
「こんなおとなしい、人形みたいなやつ。せいぜい観客の目を楽しませるだけのことだ。マスコットのかわりに立たしときゃいい」
 聖哉の目が、大きく見開かれた。唇がなにか言いたそうに動いたが、声は出なかった。
・・・・・・きさま、どこに目ェつけてやがる。
 圭佑は心の中で叫んだ。
 人より早く練習を始めて、人よりあとに帰る。人より努力をしなければ、身長のハンデは埋められない。・・・・・・いや、それでもまだ。
 どうにもならないことは、ある。
「そんなにむきにならなくても、いいじゃないか」
 いつだったか、圭佑は聖哉に言ったことがある。
「むきになんか、なってないよ。やりたいからやってるだけ」
 聖哉は淡々と答えた。
「自分のためになにかするのって、気持ちいいからさ」
 それを聞いた瞬間、いままで自分が背負ってきたものが取り払われたような気がした。
 こいつは、なんてまっすぐな、透明なやつなんだろう。
 それを。
 マスコットだと? 言うにことかいて、なんてこと言いやがる。
「撤回してください」
 圭佑は言った。
「田代に、あやまってください」
「なんでおれが・・・・・・」
「やります。シュート。そのかわり、全部入れたら、いまのことばは撤回してください」
「ふ−ん。お嬢を餌にしたら、食いついてくれたわけか」
 桜庭は聖哉から手をはなして、ほくそえんだ。
「おもしろい。おれもやってやるよ。特別に、おれよりひとつでも多くゴールに入れたら、勝ちってことにしてやる。ま、おれはパーフェクトだがな」
「だったら僕も、パーフェクトをめざします」
「よし。始めよう」
 部員たちの見守る中、桜庭が一投目を投じた。
 右ななめからのミドルシュート。きれいに決まる。続いて左ななめから。吸い込まれるようにボールが落ちる。少し離れて、正面。これもストンと決まった。
 正確なシュートが次々と決まっていく。
「言うだけのことはあるよなあ」
 一年生たちのあいだから、ため息がもれた。
 右横、左横と進み、ロングシュートも難なくクリア。いよいよあとひとつだ。
「やめるんなら、いまのうちだぜ」
 桜庭は余裕たっぷりに笑った。
「やります」
 憮然とした表情で、圭佑は答えた。
「かわいげのねえやつ」
 舌打ちして、桜庭は最後の一投を投げた。
 ダン、と音がして、ボールは横に落ちた。
「あ・・・・・・!」
 どよめきが起きた。
 ボールははずみながら、壁ぎわまでころがった。
「くそっ」
 桜庭はゴールをにらみつけて、毒づいた。
 圭佑はそのボールを拾って、所定の位置についた。
「行きます」
 一投目、クリア。二投目、クリア。
 部員たち(とくに一年生たち)が食い入るように見つめる中で、圭佑は願調にシュートを決めていった。
「こりゃ思った以上かもなあ」
 大倉が言う。桜庭はふてくされて横を向いていた。
 いよいよ、ラスト。 
 これを入れれば、圭佑の勝ちだ。
 ゆっくりとドリブルする。ねらいを定めて、シュート。
「うわ−、惜しい・・・・・・」
 一年生のあいだから悲鳴に近い声がもれた。
 ボールはボードに当たって、横にころがっていった。
「決まりだな」
 桜庭はにんまりと笑って、圭佑の前にやってきた。
「辞退すると言え」
「ちょっと待てよ」
 大倉が、桜庭の腕をつかんだ。
「なんだよ」
「葛城はおまえと互角だったんだぜ。それをレギュラーから外されたら、来期のメンバーにとっては大損だ」
「だからなんだってんだ。こいつはひとつミスったんだぜ」
「おまえもだろ。葛城にもう一回やらせてみろよ」
「往生際が悪いな」
「次期レギュラーの決定は、主将として最後の仕事なんだよ。それをこんな形で終わらせたくない」
 いつになく激しい口調で、大倉は言った。桜庭は不承不承それに同意した。
「8番の位置から、もう一度やってくれ。おい、桜庭。おまえもだよ」
「え、おれも?」
「あたりまえだろ」
「仕方ねえな」
 桜庭はポールを手にした。
「今度は入れてやるからな」
 慎重にねらいを付ける。きたえぬかれた体が、大きくのびた。
 トン、とゴールの縁にあたって・・・・・・。
 ポールは無情にも床に落ちた。
「ちくしょう!」
 桜庭は唇をかんだ。
 圭佑はふたたびゆっくりとドリブルをしながら、位置に立った。一年生たちが並ぶあたりをちらりと見る。
 聖哉はかすかに笑みを浮かべていた。
 大丈夫。どうってことはない。
 そんな声が聞こえてきそうな。
 圭佑はボールを持った。
・・・・・・大丈夫。どうってこたあない。
 そう。たかが玉入れだ。
 圭佑の手から、ボールが離れた。

 スボン、と、なんの抵抗もなく、ボールはゴールに吸い込まれた。
「やったあ一っっ!!」
 一年生のみならず、上級生からも歓声が上がった。
 拍手する者、飛び上がる者、近くの者と肩をたたきあう者。みんな興奮している。
「ばかな・・・・・・」
 ただひとり、桜庭だけは呆然と立ちつくしていた。
「これでいいな」
 大倉が言った。桜庭は返事をすることもできずに、こぶしをにぎりしめた。
「先輩」
 圭佑が桜庭の前に立った。
「約束です。さっきのこと・・・・・・」
「・・・・・・ああ」
桜庭は短く答えた。にぎりこぶしのまま聖哉の前に行く。
「すまん。撤回する」
「はい」
 聖哉はきちっと背筋をのばして、礼をした。
「おまえもシュート、やってみるか」
「いいえ。僕には葛城ほどの力はありませんから」
「じゃ、おまえは辞退しろ」
「桜庭!」
「先輩!」
 大倉と圭佑が同時に叫んだ。
「もっとスタミナつけるんだな。でないとただの場つなぎにしかならんぞ」
「はい」
 聖哉は目を伏せたまま、答えた。
「そういうことだ、大倉。お嬢は外れるってよ。二年のやつから、だれか使えそうなのを入れとけよ」
 桜庭はそう言うと、すたすたと体育館を出ていった。
 だれともなく、ほうっとため息がもれた。
「今日はもう解散だ.レギュラーの件はあした発表する」
 大倉の声を合図に、部員たちは三々五々、引き上げていった。

「・・・・・・いいのかよ、それで」
 みんながいなくなってから、圭佑は聖哉に訊いた。
「いいんじゃないの。なんとか丸くおさまったし」
「せっかく レギュラーになれたのに」
「僕までレギュラーになったら、桜庭先輩の立つ瀬がないじゃんか」
「あいつに立つ瀬もすわる瀬もいるかよ」
「桜庭先輩は根にもつタイプだからね。あとあとのことを考えると、これでよかったんだよ」
「あいつがこわいから、あきらめたってのか」
「ちがうよ。僕はべつに、いまレギュラーにならなくてもいいんだ。先輩がいなくなってからでも遅くない」
「んな悠長な。あんなこと言われて、ちったあ見返してやろうって気はないのか」
「もめ事は嫌いでね」
 聖哉は圭佑を見上げた。
「目の前のにんじんを食べなくても、ゆっくりともっと広い牧草地をさがした方がいい」
 ああ、そうか。
 圭佑は納得した。
 こいつは、自分とは違う。
 力には力を。そう信じてきた自分とは、徹底的に違うのだ。
「で、僕は目の前のにんじんを追いかけてるってわけ?」
「そうだね。ひとくちは食べたみたいだけど」
「半分ぐらいは、いってるぜ」
「しょってるなあ」
 聖哉はくすくすと笑い出した.
「・・・・・・お取り込み中、申し訳ないんですが」
突然、話しかけられて、二人はあわててうしろを向いた。
「体育館の使用時間はもうすぎています。鍵をかけますから、外に出てください」
 入学早々、生徒会長に就任した西洞院狭霧だった。
 一年生が有望なのは、バスケ部にかぎったことではないようだ。圭佑は片手を上げて、それに従った。
「会長、ほかの教室の点検、終わりましたっ!」
 元気な声で入り口から叫んでいるのは、同じく一年生で副会長に当選した香取麻友美だった。
「あ一っ、聖哉! あんた、まだこんなとこでぐずぐずしてたの? 今日は久しぶりにおじさんが帰ってくる日だって言ってたじゃない。早いとこ帰って、おばさんの手伝いでもしたら?」
『・・・・・・知り合いか?」
 と、圭佑。
「うん。幼なじみ。姉貴みたいなもんかな。家も近いんだ」
「パワフルだな」
「相当ね」
 聖哉はにっこりと笑って、じゃあまた、と手を振った。
 圭佑も手を振り返し、麻友美に腕をひっぱられるようにして出ていく聖哉の背中を見送った。
「閉めますよ」
 西洞院の声にうながされ、圭佑も体育館を出た。


 きっと、あの日からなのだろう。
 僕の目が君を追うようになったのは。
 君が何を見て、何を感じているのか。僕は知りたくてたまらない。
 君は僕とは違いすぎて、僕はときどきわからなくなる。こうして君を抱いていても。たしかな温みを共有していても。
 まどろみの中で、君はどこにいるのだろう。
Edited by NARUMI.
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