■青春の恋人たち
エキュルのロゼット工房でアイーダはいつもより一回り大きな鞄にせっせと荷物を詰め込んでいる。
「えーと、念のため余分にひとつ用意して・・・。うん、これで完璧。」
ポンポンと鞄の口を締め、颯爽と祖父に出がけの挨拶にやってくる。
「じゃ、おじいちゃん、行ってきます。」
「ああ、気を付けてな。」
心なしかロゼットの表情が冴えない。
もっとも、ボーフレンドとバカンスに出かける愛孫娘をにこやかに送り出せという方が無理な話なのであるが・・・。
対するアイーダは当然のごとく元気いっぱいである。
「トーマスが一緒だもん。大丈夫!」
だから心配なんだとロゼットは密やかな溜め息を吐いた。
「それに、ミッシェルさんも一緒だし。」
「ほう、そうか。」
途端にロゼットの表情が変化した。
「なら、心配いらんな。」
「ヘンなおじいちゃん。」
クスクス笑いながらアイーダはロゼットの頬に「行ってきます」とキスをした。
「ああ、気を付けてな。」
先刻までの不満顔はどこへやら、ロゼットはにこにことアイーダを送り出したのであった。

アイーダはプラネトス2世号をジラフの灯台で待っていた。
このあたりでプラネトス2世号が停泊できるような大きな港はないので、灯台がその代わりを務めているのだ。
水平線から白い勇姿を見せたプラネトス2世号をアイーダは嬉しそうに迎えている。
「あ、トーマス!」
その人の姿が見えたとたん、アイーダはぴょんぴょん飛び跳ねて大きく手を振り上げた。

「迎えに来たぜ。」
「うん!」
舳先から飛び降りたトーマスの広げられたその腕の中にアイーダはすっぽりと収まった。
世間一般でいうところの熱烈な挨拶をひとしきり済ませたところで、トーマスはアイーダの足元に用意されている大きな鞄に気が付いた。
「・・・えらく大きな鞄だな。」
「自分の荷物くらい自分で持つわよ。それにここまで運べたんだもん。大丈夫。」
しかし、いくら泊まりがけとはいえ、えらく荷物が多いような気がする。
訝しげなトーマスを尻目にアイーダはすでにプラネトス2世号に乗り移っていた。
「トーマス、いくら本人が大丈夫と言っても、荷物くらい運んであげたらどうです?」
「そうですよ、キャプテン。はい、アイーダさん、これで全部ですね。」
「あー、ミッシェルさん、お久しぶりです。ルカさん、ありがとう。」
「しかし、本当に大きな荷物ですね。いったい何が入ってるんですか?」
何気なく尋ねたルカにアイーダは、少し遅れて甲板に上がってきたトーマスを振り返った。
「あのね、トーマス。」
上目遣いのアイーダにトーマスは嫌な予感が脳裏を掠めた。
アイーダの「お願い」は大抵のことなら叶えてやれる類のものだが、こういう視線を向けた時の「お願い」はろくでもないものであることをトーマスは経験から知っている。
「・・・なんだ?」
自然と尋ねる声が少しばかり警戒気味になった。
「ちょっと海は荒いけど、きれいな島へ連れてってくれるのよね。」
「そのつもりだが?」
「次の休みにはウーナ達のところへ遊びに行くの。」
「ああ、聞いている。」
「ラコスパルマではみんな素潜りがうまいの。」
「そりゃ、そうだろう。」
「・・・あたしだけ、いつも岬でお留守番なの。」
それがあの荷物とどういう関係があるんだとトーマスは首を傾げた。
「プラトネス2世号の人って、みんな泳ぎは上手いよね。」
「当然だろ。」
何を当たり前のことを今更と言いかけて、ふと記憶の片隅にひっかかるものがある。
ラコスパルマの海岸は波が荒い。
そこで海に入るには、それなりに泳ぎの技術が必要とされるのだ。
「まさか、その鞄の中味は・・。」
「えへへ、着替え。」
「水着じゃないんですか?」
思わず聞き返したルカをトーマスはギロリと睨んだ。
「ラコスパルマではみんなそのまま潜るんだもの。だから着泳ぎだっけ?服を着たままの遊泳法を教えてもらいたいなーって。」
「・・・つまり遊泳用の服が入ってるんですね。」
「水着ならもうちょっと荷物が少なくて済んだんだけど。」
泳ぎやすいように薄地の服を選ぶのも大変だったのよ、とアイーダは笑っている。

「冗談じゃない!」
「へ?」
きょとんとして目をパチクリさせているアイーダに、トーマスはがくんと顎が落ちるのを禁じ得なかった。
水に濡れれば身体のラインが自ずとくっきり出てしまうし、夏の服はそれでなくとも透けて見え易いものが多いのだ。
そっちの方が水着姿より、遙かに始末が悪いではないか。
ましてや大勢の乗組員の前で薄手の服を着て泳ぐなど言語道断。
「絶対にダメだ。」
いきなり怒り出したトーマスにアイーダもむっと頬を膨らませている。
「泳ぎを教えてもらうくらい、いいじゃない。」
「駄目な物はダメだ。」
「どうしてよ。みんな泳ぐの上手いって言った癖に、そんなのヘンじゃない。」
(まったく、どっちもどっちというか・・・。)
盛大な、とまではいわないが、聞かされる方としては、そこそこの溜め息くらいは出ようものだ。
助け船を求めて隣をみれば、ミッシェルも同じ思いを抱いていたらしい。
が、そこは年の功とでも言おうか、さりげなくふたりの間に割って入った。
「まあまあふたりとも。どのみち島に着いてからのことでしょう。これから行く予定の島は、幻の島と呼ばれてまして・・・。」
幻の島へ行くと言った覚えはないが、渡りに舟とばかりにすばやくトーマスはミッシェルのあとを引き継いだ。
乗組員へ航路の変更を告げる時の言い訳は、あとでどうとでもなるとトーマスは勝手に目的地の変更を決めた。
「幻の島は霧に覆われている方が多いんだ。当然、海で泳げるかどうかまでは保証の限りではない。」
「えー!?」
「でも、神秘的で美しい眺めであることは保証しますよ。」
ミッシェルから穏やかに言われると、アイーダもそれ以上反論するのを止めた。
ここに来たのは楽しい時間を過ごすためであって、喧嘩をするためではないのだ。
「その代わり晴れていたら泳ぎを教えてね。」
「ああ。約束するよ。」
かの島が晴れ渡る可能性は、限りなくゼロに近い。
はっきり言って、遠目にその神秘的な姿が見れれば運がいいくらいなのである。
「キャプテン、出航準備は整ってます。どこへなりとどうぞ。」
トーマスとミッシェルの会話からそれとなく行き先の見当を付けたルカは、すばやくそれようの準備に切り替えてプラネトス2世号の帆を広げた。

プラネトス2世号はつつがなく海原を越えて目的地に向かっている。
「面舵いっぱい!キャプテン、前方に島が見えてきました!」
「何だって!?」
言うまでもなく空は雲ひとつなく、見事なまでに晴れ渡っていた。
遠目に映る島の上空もしかり。
遊泳には絶好のコンディションである。
呆然と島を睨みつけているトーマスの隣にミッシェルが立ち並んだ。
「おや、知らなかったんですか?少し前でしたか、赤毛の青年があの幻の島にたどり着いてからというもの、天空の島共々、霧から解放されたんですよ。」
いつもとかわらぬ口調で淡々と話すミッシェルにトーマスはわなわなと打ち震えている。
「あー、晴れてる!」
甲板の後方からアイーダのはしゃいだ声が聞こえてきた。
「わあ、きれいな島。トーマスの話してくれたとおり、とっても神秘的でステキ。」
海の青と島の緑とをアイーダは眩しそうに見つめている。
しばらくはうっとりと眺めていたが、やがて思い出したかのようにトーマスを振り仰いだ。
「とってもいい天気。」
その先は言われなくともわかっているとトーマスは渋々頷いた。
「本当にいいの?」
珍しく強くトーマスが反対した後だけに、流石のアイーダも心配していたらしい。
「ああ、約束だからな。」
「やった!トーマス、大好きっ。」
ぱふっと抱きついてきたアイーダを慌ててトーマスは受け止めた。
「じゃ、あたし、着替えてくるね。」
軽く唇を合わせると、再びアイーダは離れていった。
「すぐ着替えてくるからねー!」
嬉しそうに船室へ消えていった無邪気で愛らしい少女を複数の苦笑混じりの瞳が追っている。
「先生が大勢いても仕方ありませんし、ここはキャプテンにお任せしますよ。」
「島の人気のない安全な海岸までは私がお送りしましょう。アイーダが泳ぎ疲れた頃にまた迎えに伺いますから。」
にこにこと人の良い笑顔を浮かべている副長と親友に、憮然としながらも言い返せないトーマスであった。



かつて幻の島と呼ばれていたその地で、トーマスはアイーダに着泳ぎを教えていた。
元が泳げる生徒に教えるのだから、さほど苦労することなく、和気藹々と目的は達せられつつある。
「アイーダ、そろそろ上がってきたらどうだ?」
岩場の上からトーマスが呼びかけた。
「うん。」
何気なく返事をして水面に浮かんだアイーダは、その澄んだ海に映った自分の姿に愕然となった。
水の中だからこそ着ている服が熱帯魚の尾鰭よろしくひらひら揺らめいて優雅な眺めですんでいるのだが、これが陸に上がったらどうなるか。
レースを基調としたその服は、身体にぴったりまとわりつくのは言うまでもなく、陽光の下では肌が透けて見えてしまうに違いないのだ。
(うっそぉ・・・。)
着替えは・・・瞬時に運んでもらうのだから必要ないと、船に置いてきてしまっていた。
いくらなんでもこのままトーマスの前に出るのはかなり勇気がいる・・・。
チラリと視線を走らせれば、彼の方はゆったり構えたものである。
ふわりふわりと漂うように、アイーダはトーマスの前を行ったり来たり泳ぎ続けた。

泳ぎ始めた時には、ほぼ真上にあった太陽が、かなり水面近くまで降りてきている。
いかに元気が取り柄のアイーダでも、流石に体力的限界が来ようとしていた。
「いい加減で休まないと、身体によくないぞ。」
「う・・・ん。」
ぱしゃりと水面に顔だけ出して、アイーダは迷っていた。
手を伸ばせばすぐ引き上げられるくらいの距離まで近づいてきたのに、上がる気配を見せないアイーダをトーマスはトーマスで不思議に思っている。
「どうしたんだ?」
アイーダと目が合った瞬間、彼女はふいと視線を外し、戸惑ったトーマスは空を仰いだ。
雲ひとつない、どこまでも澄んだ青が目に眩しい。

「ん?」
それが突然に一変した。
海の気候が変わりやすいことは、トーマスとてそれまでの経験からイヤと言うほど知っている。
が、沿岸でこれほどまでに急激に変化したのを目にしたのは、初めてだった。
幻の島の名に相応しく濃いもやが、トーマスとアイーダをふいに包み込んだのである。
しっとりとした湿気が、真昼の太陽に焦がされた皮膚にひんやりと心地よい。
「トーマス、どこ?」
心もとなげな声に、彼は一歩踏み込んで手を差し出した。
「ここだ。わかるか?」
小さな冷たい手がトーマスの指先に触れると、彼はそのまま手首を掴み、引き寄せるようにして水の中からアイーダを抱き上げた。
思っていたよりも遙かに軽く冷たい身体に触れ、無意識に抱き上げた腕に力が籠もる。
アイーダの身体は難なくトーマスの腕の中に収まった。
「トーマス、濡れちゃうよ。」
申し訳なさそうな声が聞こえたが、トーマスはアイーダを抱きしめたまま離す気にはならなかった。
「身体が冷え切ってる。」
間近で聞こえたトーマスの声にアイーダは甘えたように頬を寄せた。
「トーマスはあったかいね。」
濃いもやの中に互いの姿がぼんやりと浮かび、くぐもった声に少し不安が混じっている。
冷たく震えた唇にあたたかい唇が重なった。
はじめは無鉄砲な少女を戒めるように。
次は愛おしい少女に親しみと安心感を与えるように。
それが次第に強く求めるように変わっていった時、もたれかかっていただけの少女にも変化が訪れた。

「本当によかったのかしら・・・?」
少しばかり迷いのある声が自問している。
「でも、そうでもしなかったら、あの子、たぶんずっとあのままよ。」
もうひとりの幾分非難めいた口調に、確かにそうかもしれないと頷きかえす。
「目に映らないだけ逆に互いの心がよく見えたでしょうけど・・・。」
「せっかくのバカンスのお客様ですもの。ゆっくり過ごさせてあげたいわ。」
「そうね。」
悪戯な笑いを含んだその声に、一瞬緊張が走ったが、すぐに柔らかな微笑みに取って代わった。

「どうしました、ミッシェルさん。」
船の舳先に立ち尽くして島の一点を睨みつけているミッシェルにルカは控えめに声をかけた。
「いえ、なんでもありません。」
反射的にかぶりを振ったミッシェルだが、その瞳には困惑した色がありありと浮かんでいる。
「キャプテンに何かあったんですか?」
「別にそういうわけでは・・・。」
口ごもったものの、次の行動に移る気配のない様子に、ルカはある意味安心したようであった。
トーマスに何かあったのであれば、ミッシェルがここでじっとしているわけがないのである。
「予定時間にはもう少しありますが、そろそろ出かけられますか?」
「いえ、今は止めておきましょう。」
いつもと変わらない穏やかな口調であった。
だが、内心はひどく焦っていた。
トーマスとアイーダのいるあたりに魔法の痕跡を確かに感じるのだ。
未知の領域の魔法であるだけに、ミッシェルも手出しすることが適わず、ここは傍観するしかない。
救いといえば、そこにいるふたりに対してはひどく好意的な波長を発しているということか。
「なるようにしかならないということですかね。」
人知れず呟くとミッシェルは再び穏やかな海に目を向けた。

「あの子は大丈夫そうね。」
「愛する人の腕の中にいるんですもの。これ以上ないくらい安心してるんじゃないかしら。」
もやの中に映るただひとつのシルエットをふたりは優しく見守っていた。
「あの子の体力が回復したら、タイムストップをはずしましょうか。」
「そうね。永遠に留めておくわけにはいかないもの。」
不器用な恋人達の応援を自認する女神達はどちらからともなく微笑みを交わしたのであった。

「イースの女神様」by澪様


おわり
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