手を繋ごう−アガット&ティータ−
 それはアリシア女王の生誕祭の昼下がりのことだった。ティータは祖父のラッセルと一緒に遅めの昼食をグランセルの西街区にあるコーヒーハウス・バラルの匠風カレーライスで済ませたあと、本命のスペシャルアイスクリームをアイスクリーム屋ソルベに食べに行こうと席を立った。だが、人混みでいい加減うんざりしていたラッセルはコーヒーカップを片手にテコでも動きそうにない。
「いいもん。ひとりで食べに行くもん」
 そしてティータはひとりでコーヒーハウス・バラルから街の通りへと繰り出した。
 ところが、聞いていたのと実際歩いてみるのとでは大違い。階段を登ってまっすぐ道なりに歩けばエーデル百貨店に突き当たるので、それを目印に行けばいいと聞いたはずなのに、それらしき建物が見えてこないのだ。代わりにホテル・ローエンバウムに行き当たった。
「どこで道を間違えたのかな」
 ティータはもう一度回りを大きく見渡してみた。北の林の向こう側に遙かグランセル城が見える。ほうっと軽く息を吸い込むとくるりと方向を変えた。
「こっちにはお城しかないんだから、反対に行ってみるしかないよね。もしかしたら別の道へ出られるかも知れないし」
 ティータは北街区の大通りを南へと下って行った。
 ツアイスと比べるとグランセルはかなり大きな街だ。それでなくても勝手のわからない街並みは、ティータの方向感覚を大いに狂わせてしまったらしい。
 そんなティータの様子を窺い見る複数の目があった。
「おい、あれを見ろよ」
「ほう、迷い子か」
「そうらしいな」
 彼らはティータがあちらこちらを見回しながら歩いている様子を見て目配せしあった。ツアイスの街では珍しくもないキュロットのツナギもグランセルでは物珍しく映るため、一目で迷子の旅行者と見抜かれてしまったようだ。ただの迷子の女の子というだけでも十分彼らにはカモなのに、帽子から金色に細くたなびいている横髪がティータのかわいらしさに一層の華を添えて、彼らの食指を誘っている。

 グランセルの南街区には、通好みの洒落た居酒屋サニーベル・インがあった。そこのテーブルの一角でアガットはカルバート共和国からやってきた遊撃士ジンとのんびり酒を酌み交わしていた。ふたりとも見かけが大柄なだけでなく、まんま酒にも強い。だが、決して酒に飲まれるようなことはなく、ほどよい加減で話も弾んでいた。
「ん?あれは、ラッセル博士のお孫さんじゃなかったかな」
 ふと窓辺に視線を向けたジンが声をあげた。その声に誘われるようにアガットも目を向ける。彼の目には、ティータはもちろんのこと、その後に付いてくるうさんくさげな男どもの姿をも捉えていた。
「あのチビ!」
 ジンが何か言おうとしたが、それより早くアガットは席を蹴っていた。既にその身体の半分は外に向かっている。
「まあ、いいか」
 残された請求書にチラリと視線を走らせ、ジンは再びグラスを傾けた。

「おい、そこのチビ」
 聞き覚えのある声に、ティータが振り向いた。その顔は、すぐあとを追っていた柄の悪そうな男達とまともに鉢合わせた格好になる。普通ならそれだけですくんでしまったかもしれないが、その後方に見知った赤毛の青年の姿を見つけてティータは安堵の笑顔を向けた。
「なんだ、こいつ?」
 まさか自分たちの後を更に追ってきた者がいるとは思っていない連中は、ティータの嬉しそうな笑顔に不振のまなざしを向けた。
「こんにちは、アガットさん」
 何気ない挨拶に、彼らは初めて自分たちを素通りしていく視線に気が付いたのだった。
「なんだ、おまえは」
 ティータの視線を追ったさきにいたのが一人だと知った男達は侮蔑の入り交じった声でアガットを迎えた。むろん、そんなことで怯むようなアガットではない。
「ほう、おまえら、遊撃士に喧嘩を売るとはいい度胸だな」
 反撃に出たアガットを一瞬いぶかるような雰囲気が流れ、消えていく。
「ゆ、遊撃士だとぉ」
 男達の間に驚愕の声が広がり、徐々に腰が引いていくのがわかった。
「そ、その赤毛…まさか重剣のアガット!?」
 複数とはいえ、一介のチンピラごときに遊撃士相手の喧嘩は荷が勝ちすぎることくらい彼らも承知している。ましてや相手は重剣のアガットという名の知れた遊撃士である。所詮彼らの敵ではなかった。男達がすごすごと去ったあと、その場には渋い顔をしたアガットと戸惑ったままのティータの姿が残された。二人の間には、なぜか気まずい沈黙が流れている。
 最初に沈黙を破ったのはアガットだった。
「なんでひとりで街中を歩くような真似をしたんだ」
 その声は明らかに怒気を含んでいた。
「だって」
「だってもクソもない。ったく、あの爺さんときた日には、大事な孫をひとり放り出して。何考えてんだよ」
「おじいちゃんは関係ないもん。わたしが一人で行くって言ったから」
「それで迷子になってりゃ、世話ないだろ。ああん?」
 怒られる、とティータは思わず身をすくめたが、それ以上の声は降ってこなかった。
「アガット…さん?」
 アガットの怒りは収まったわけではないが、それ以上怒鳴ることをよしとしない雰囲気があたりに充満している。そもそもアガットの声は普段鍛えているためよくとおるのだ。人通りの多い街並みでは十分すぎるほど注目を浴びてしまったのである。
「ちっ。これ以上、冗談じゃねえ」
 忌々しげに舌打ちすると、アガットはティータの腕を乱暴に引っ張って東街区へと歩き出したのだった。

 大股のアガットに引かれるようにしてティータは小走りに走っていた。
「あの、アガットさん?」
「なんだ、行かないのか?」
「え?」
 咬み合わない会話に思わず二人の足が止まる。
「ソルベに行くんじゃなかったのか」
 面倒くさそうなアガットにティータの驚いた声が被さった。
「覚えていてくれたんですか」
 ティータの驚きは、また喜びの色をもまとっていた。
「あんな連中がうろついてるところを一人歩きさせるわけにはいかないだろうが」
 相変わらず口調はぶっきらぼうだが、目指していたアイスクリーム屋へ何も言わずに向かってくれていたアガットにティータは嬉しさを隠せないでいた。なぜなら、最初、一緒にアイスクリームを食べに行こうとティータが誘ったとき、にべもなく断られていたからだ。それなのに、今、ティータが行きたかったことを覚えていてくれた上に連れて行ってくれようとしている。
「はい、アガットさん」
 憂いとは無縁の笑顔で答えたティータを後ろに、アガットは今度は歩幅を合わせて歩き出した。

 グランセルで一番人気のアイスクリーム屋ソルベは、予想通り、定番のスペシャルアイスを買う人でごった返していた。
「わあ、すごい人ですね」
「…だな」
 うんざりしたアガットの表情を素早く見取ったティータは、「ここからは、一人で大丈夫です」と人波の中へ入っていった。
 だが、その日の暑さと相まって混雑ぶりは想像を極め、遠慮がちなティータは列にもまれて右往左往している。このままでは、目的のアイスクリームを買うどころではなさそうだとアガットはため息をついた。もみくちゃにされても頑張って並んでいるティータをさすがに放っておくことができなくなったのだ。
 ふいに人波の圧力から解放されたティータは、自分の盾となってくれた人を見上げて愕然と固まった。
「ほら」
 アガットはぶっきらぼうに声を掛けると手だけ差し出してそっぽを向いた。そんな彼の様子にティータの目が真ん丸く見開かれている。
「いいんですか?」
おずおずと伺うティータにアガットは横を向いたままだ。しかし、差し出された手もそのままだった。
「これ以上、人混みン中で迷子になられたんじゃ敵わん」
 アガットの声にティータの顔がぱあっと輝いた。
「はい、アガットさん」
 うれしさ半分で、はにかんだティータの手がするりとアガットの手の中に吸い込まれていく。そのまま小さな手は大きな手の中にすっぽり収まった。
「アガットさんはやっぱり優しいです」
 赤毛の青年と金髪の少女は、徐々にアイスクリーム屋に並ぶ人波に飲み込まれていく。だが、ふたりの繋がれた手はそのままに移動していったのだった。

おわり
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