心合いの空 (10)

かつて「身喰らう蛇」に属する凄腕の執行者・漆黒の牙として闇の世界に生きていたヨシュアにとって、小心者の集団にすぎないグロースター一味を閉じられた飛行艇の中で制圧するのは赤子の手をひねるがごとくたやすいことだった。非戦闘要員であるティータを背後に庇ってというハンデはあったが、彼らは到底ヨシュアの敵にはなり得なかった。コクピットに入ったヨシュアは、グロースター達が第三の外敵から飛行艇に攻撃を受けていて内部への警戒を全くしていなかったこともあり、ものの数分と経たないうちに全員を取り押さえ、主導権を手に入れた。
「ヨシュアお兄ちゃん、スゴイ」
  それはヨシュアにとって、ティータにあまり見せたくない姿だった。しかし、ティータは素直に感心しただけで余計な詮索をすることもなく、むしろ積極的にヨシュアに協力して気を失って倒れたグロースター一味をコクピットから排除するのを手伝った。
「ごめんね、ティータ」
「ヨシュアお兄ちゃん、わたしは大丈夫。それより、この船の方が気になるんだけど」
「うん、今のところ自動操縦で無抵抗になってるから、威嚇射撃ですんでるようだね」
  外敵からの交信要求はなく、まさに一方的な攻撃らしい。
「いったい何が目的なんだか」
  その答えを知るためにもヨシュアがマニュアルモードで操縦する必要があった。この状況に変化がなければラインフォルト社製の最新型という性能を活かして振り切ることも不可能ではない。幸いにして追っ手は一機。いずれエステル達の飛行艇も追いついてくるだろうから、それまで無事ならなんとか切り抜けられるだろう。ヨシュアは気を引き締めて操縦を切り替えた。
  その次の攻撃は、当然回避した。できるだけ敵を刺激しないよう、ギリギリの回避運動で避けたつもりだった。それは確かに功を為したが、その次の攻撃に劇的な変化をもたらした。それまでの威嚇射撃からあからさまな掃討攻撃へと変化したのだ。ヨシュアは敵機から明確な殺意を感じ取った。
(この船に武器は搭載されてない)
  エステルとグロリアスから脱出した時も似たような状況だったが、あのときは追っ手が何者であるかわかっていた。今回は、その点で明らかに不利である。だが、敵は一機だ。
(絶対、逃げ切ってみせる)
  ヨシュアは努めて穏やかに、ティータに座席についてベルトをしっかり締めるよう指示した。
  敵機から追尾型のミサイルが発射されたのはその直後のことだった。

ヨシュアは戦闘のプロとして、大抵のことは訓練されており、こなすことができた。それでも得手不得手はある。戦闘機による空中戦は、互いに姿を現しての戦闘ということもあり、戦略よりも戦術の方がものをいう。追尾型ミサイルを認識した時、ヨシュアは負けを覚悟した。だが、同時に目の前に飛び込んできた地理的状況が彼に希望を与えた。
  通常、飛行船はかなりの高度を保って航行している。しかし、ヨシュアは追っ手を振り切るためにかなりの低空で飛行していた。今、ヨシュアの目の前にはゴツゴツした岩山のそびえ立つ峡谷がひらけている。
(ミサイルと追っ手と同時に振り切るチャンスだ)
  ヨシュアは迷わず峡谷へ飛び込んだ。
  速度を落とさず、岩山の競り経つ峡谷を走り抜けることは、ヨシュアにとってもかなりの冒険だった。ハッキリ言ってハイリスク・ハイリターン以外のなにものでもない。だが、それ以外、この状況を打開し、ティータの安全を確保する道はなかった。自分一人なら、飛行艇はミサイルにくれてやって、爆発と同時に船から飛び降り敵の目をくらますことができる。漆黒の牙なら迷わずその方法を選んだ。けれども、ヨシュアは民間人の安全保護を第一とする遊撃士だ。ティータの安全を第一に考え、それに則した行動を取らなければならない。幾度となく、錐揉み、急降下、反転といった過激な航法を経て、ヨシュアはミサイルと敵機を振り切ったのだった。

ティータはヨシュアを信じていた。彼の過去からくる経験ではなく、本能的な直感による、まったく根拠のない信頼だった。天才的な科学者の卵でありながら、非現実的な第六感を信じる姿勢は、破天荒な祖父譲りなのかも知れない。そもそもラッセル博士の偉大な発明の数々がインスピレーションの成果なのだから、根拠のない直感を否定する理由こそ何もなかった。ヨシュアのとんでもない飛行術はティータの度肝を抜いたが、結果としてそれで助かったのだ。万事塞翁が馬。終わりよければ全て良し、というわけだ。
「ティータ、大丈夫かい?」
「えと、ちょっとまだ目が回ってるけど、でも、だいじょーぶです」
  自分ではそう答えたつもりだが、まだろれつがよくまわってないらしく、まるでちがう言葉に聞こえていた。しかし、ヨシュアはティータの意図を汲んで髪を撫でてくれた。アガットから頭を撫でられた時とはちがう手の感触にドキドキしながらまぶたを閉じた。それまでの緊張感が一気に抜けていく感じである。
「もう少ししたら、エステル達と会えるからね」
  ヨシュアの声にティータはこっくりと頷いた。
  ヨシュアの乱暴なまでの飛行は、ミサイルと敵を振り切るのに必要不可欠なものだったが、同時にあの飛行でティータが消耗することも計算に含めていた。ティータに聞かせたくない事実もヨシュアは知っている。目視で確認できた機体とミサイルの性能から、あの敵機が「身喰らう蛇」の息の掛かった帝国側のものであることに気が付いてしまった。自治州の空域で帝国の機体が共和国所属の機体に攻撃を仕掛けることが何を意味するのか。あとのことは、オリヴァルト皇子の裁量に委ねるしかないのだ。
「敵を無事に振り切りました。現在位置は…」
  ヨシュアはオリビエから託かったアーティファクトのスイッチを入れ、淡々と現状を報告した。
「…すでに織り込み済みだとは思いますが、くれぐれもあとのことはよろしくお願いします」
「はっはっはっ。愛しいヨシュア君からのお願いを無視するだなんて、そんな無粋なことをこのボクがするはずないだろう?」
  いつもながらの調子のよい返事にヨシュアは人知れずため息をついた。だが、「彼」はそういう人物なのだ。そして、「彼ら」の手際のよさは十二分に信頼できる。ヨシュアはもう一度「お願い」してから通信を切った。

散々やきもきさせられた上に、あっさりヨシュアと再会の目処が立ったエステルは、怒りの矛先をどこに向けていいのやら、フレデリックにキツイ視線を送っていた。本当ならオリビエに喰ってかかりたいところなのだが、彼は自治州の辺境警備隊に状況説明で忙しい。理由はどうあれ、エステル達の乗った飛行船は紛れもなく、帝国からの不法侵入機なのだ。フレデリックが危惧したとおり、彼らの飛行船は自治州の警備艇の警戒網にひっかかり、最寄りの関所に降下させられた。待ち受けているのは、法的根拠と状況説明と国際情勢と三つ巴の難問である。
「ま、ここはボクらに任せてくれたまえ」
  不安で真っ青になっているフレデリックと訳がわからず怒っているエステルを残し、オリビエは仏頂面のアガットを伴って飄々と関所へ消えていった。
「いったい何がどうなってるわけ!?」
  フレデリックにできたのは、帝国と共和国と自治州の微妙な関係をエステルに説明することだけであった。

傍若無人な漂泊の詩人オリビエ・レンハイムことエレボニア帝国のオリヴァルト皇子を制することができるのは、幼馴染みにして武門の名家ヴァンダール家のミュラー少佐だけだが、耐性を持って接することのできる人物にまで範囲を広げると、少ないながらも皆無ではないことが判明している。アガット・クロスナーはその数少ない中に入れられていることに衝撃を受けながらも、そこに居合わせた面子の中でオリビエに同行できるのは自分しかいないことを認めていた。付き合いの長さから行けばエステルだろうが、遊撃士としての経験は自分の方に分がある。そして、オリビエの関与している件が、きれいごとだけではすまない問題であることもアガットにはわかっていた。エステルは確かに成長著しい遊撃士だが、こういった類の事件に関わるのはまだ早い。できないとは言わないが、先延ばしできるならその方が彼女のためだ。だからアガットはオリビエに付き合って、自治州の役人と顔を合わせた。
  アガットの予想に違わず、そこで待っていたのは、狐と狸の化かし合いならぬ、国際政治の表と裏、建前と本音の行き交う腹の探り合いだった。
  オリビエはどこまでも「オリビエ・レンハイム」で通したが、同時に帝国のオリヴァルト皇子の権限で弁明した。彼の切り札は、リベール王国の王太女クローディア姫の同意の下で、リベール国民ティータ・ラッセルの保護に来たというものだった。どうやら飛行艇の発進準備の傍らでそういった同意を「クローゼ」に取り付けていたらしい。帝国貴族の対面に拘る風習とティータがリベール王国きっての天才ラッセル博士の身内という事実を巧みに抱き合わせて、よくぞここまでしらじらしいとアガットが感嘆するほどに正当化した理由を並べ立てた。針小棒大な誇張ではあるが、オリビエは事実を述べている。アガットは呆れながらもイエスマンに徹し、疲労困憊した自治州の役人は、オリビエの言い分を認めてアガット達を解放した。
「さてと、これで堂々とティータ君を迎えに行けるねえ」
「おい、まさか本当にティータを帝国に連れていくつもりか!?」
「これだけ大見得切って来たからには、そのまま追い返すわけにはいかないだろ?フフフ、スイートルームは是非とも期待していてくれたまえっ」
「はあ?オイ、こら」
  その時アガットの脳裏に浮かんだのは「毒を喰らわば皿まで」だったか「人を呪わば穴ふたつ」だったか。どちらにしても最後までオリビエに仕切られる不運を嘆くことになったには違いなかった。

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