心合いの空 (11)

ヨシュアに髪を撫でてもらい、間近に声を聞きながら、いつしかティータは深い眠りに落ちていった。覚えている最後の言葉は、「目が覚めたときにはアガットさんがいるからね」だったような気がする。
  果たして、次に意識が戻ったとき、ティータの目に最初に映ったのは、アガットの赤い前髪だった。もう少しで自分の顔に触れる…そう感じて理由もなく硬直した時、ばさりと前髪がかき分けられ、アガットの気配が遠ざかった。
「おう、目が覚めたか」
  低く柔らかい声にティータの硬直はほどけ、ぱっちり見開いた瞳にアガットの心配そうな顔が映し出された。
「えと、あのー」
  会えて最初に掛ける言葉が「ごめんなさい」というのは変だろうか。かといってアガットの表情からものすごく心配を掛けた様子が手に取るようにわかるので、やっぱり謝った方がいいような気がする。でも、ヨシュアお兄ちゃんは「ティータは絶対に謝っちゃ駄目だよ」と言っていたような記憶があった。
  だったら最初に言う言葉はこれしかない。
「アガットさんにまた会えて嬉しいです」
  アガットの目が大きく見開かれ、なんとも形容しがたい複雑な表情を浮かべた。笑っていいのか、喜んでいいのか、それとも怒るべきなのか。そのどれでもあり、どれでもない感情を交差させているアガットにティータは、「ヨシュアお兄ちゃんは、髪を撫でてくれたんです」とはにかんだ。

思えば、最初に両親から「こちらに少しの間来て欲しい」と連絡をもらったとき、両親の出張先がクロスベル自治州だったから行く気になったのである。その少し前、アガットが国外に出る依頼を受けたのでしばらく会えないと言われたばかりだった。気落ちしていたティータにツァイスでギルドの受付をしているキリカが、アガットはクロスベル自治州で長期の依頼を請け負っているとさりげなく教えてくれたところへ両親からの連絡があったのだ。
  考えるより先に身体が動いて、一時帰国していた両親の技師仲間が渡航するのに同行する形で飛行船に乗った。マードック工房長がティータの出発に驚き、大急ぎで迎えの遊撃士を手配したと連絡が入ったのがグランセルに着いたときだった。
  それから先のことはよく覚えていない。気が付くと見知らぬ部屋で、壊れた時計が工具と一緒に置かれていた。見えない先行きに不安を感じるより、目の前の旧式で複雑な飾り時計を動かしてみたい衝動が強かった。
「おまえ、機械を見ると、ホント、目の色変わるのな」
  初めは呆れたそぶりしかみせなかったアガットだが、決してけなすようなことはなく、やがてそれをティータの個性として認めてくれた。
「ティータは、ティータらしくしてるのが一番よ」
  落ち込んでいるのはティータらしくないとエステルにも何度か言われている。だからティータは落ち込まない方法を選んだ。結果としてティータの取った行動が、ティータを助けることになったのだ。

しっとりとしたぬくもりがティータの両頬を包んだ。
「本当に無事でよかった」
  朴訥に呟かれた言葉がティータの胸に響いた。そのひとことに、アガットがどれほど自分のことを心配してくれたのか痛いほどに伝わってくる。
「ひとりでよく頑張ったな」
  同時にどれだけ自分が危険にさらされていたのか思い出し、今更のように恐怖が襲いかかってきた。意識の奥底にしまい込んでいた感情が、アガットに会えた安心感から一気に吹き出してきたようである。
「っく…ひっく」
  一旦表に出てしまった感情は、幼いティータの理性で抑えきれるような穏やかなものではなかった。感情の爆発は、素直な子供にのみ許された特権である。
「うわあああああああん」
  溢れ出た想いを言葉にならない嗚咽が支配し、ティータは声をあげて泣いたのだった。涙の雫が次から次へと流れ、頬を伝ってアガットの手を濡らしていく。それは不思議なほどに暖かい涙だった。アガットはそのままの姿勢でティータの感情が収まるのを待った。

ティータがアガットの前で感情のままに泣いたのは今回が初めてではない。ただ、前回は、アガットに非があった。今回は、誰が悪いのだろう?
「誰がなんと言おうと、アガット先輩が悪いです」
  突然背後に不穏な気配を感じたかと思うと、いきなり名指しで悪者呼ばわりされた。反射的にティータの側を弾かれたアガットに、凜とした声が更に追い打ちを掛ける。
「まったく、いつまでティータちゃんを泣かせてるんですか!」
  そこには、カルバート共和国に居たはずの後輩遊撃士アネラス・エルフィードが立っていた。
「っな、なんで…」
  ここにいるのかとアガットが言葉にする前に、アネラスはティータにも聞こえるように話した。
「エステルちゃん達とこの件について情報交換に来たんですよ。なにしろ共和国と帝国の双方で不法交易でしょ。証拠合わせがもう大変で。ティータちゃんもホント、災難だったわよね。たまたま古い技術を持ち合わせていたばっかりに帝国の貴族に目を付けられちゃって。でも、もう大丈夫だからね。エステルちゃん達と協力して悪い人達はみーんな捕まえたから」
  アガットがティータの側に付いている間にどうやらそういう方向で話がまとまったようだ。真相はもっと複雑なのだが、解決の見込みが薄い事情を説明して不安を煽る必要はどこにもない。アガットが目だけで了解したと合図すると、にこやかな笑顔でアネラスはティータの側にやってきて、どこから持ち出したのか濡れたハンカチをティータの目尻にそっと押し当てた。ひんやりした感触がティータの頬を包んだ。
「あー、本当にぷくぷくしてカワイーイ」
「ふぇ?」
  続いて柔らかなぬくもりがティータを抱きしめた。
「そのままほっといたらウサギさんお目々で顔がはれぼったくなっちゃうからね」
  耳元でささやかれ、ティータは大泣きしてしまった自分を思い出し恥ずかしさで真っ赤になった。濡れたハンカチのおかげで顔が見えないのがかえってありがたい。アネラスはティータに優しい心遣いを見せた反面、アガットには意地悪く問いかけた。
「アガット先輩、ティータちゃんの着替え、そんなに見たいですか?」
「なっ!?」
  ここは、そんなわけないと一蹴して出て行くべきなのか?だが、即決行動は更なる怒りを買いそうで怖い。
  アネラスは踏み出した足をドアに向けて静止しているアガットに、「ちゃんとドアの外で待っていて下さいね」と添えて送り出した。

アガットが出て行ったあと、アネラスは嬉々としてティータの世話を焼いた。
「もうしばらく、このまま目元を冷やした方がいいわね」
  泣き濡れたティータの顔を覗き込んでアネラスは換えのハンドタオルを渡した。顔がはれぼったくなるほどに泣いたことが今更のように恥ずかしく、ティータは小さく俯いている。
「大丈夫だよ、ティータちゃん。アガット先輩はちゃんと待っててくれるから」
  ピクリと反応して声もでないティータをアネラスはかわいくてたまらず、もう一度ぎゅっと抱きしめた。
「ふふ、こういうお仕事してるとどうしても会う機会が少なくなっちゃうから、ほんの少しでもチャンスを見つけたら、形振り構わず追いかけるくらいの覚悟がなきゃ駄目だもんね」
「えと、アネラスさんでもそーなんですか?」
「そりゃーもう、必死ですよ。だから外国にだってこうやって来れちゃうんです」
「ふえ?」
「大地はね、海だの関所だのに阻まれて、なかなか思い通りにいかないけど、空はどことでも繋がってるから、えいやっとひとっ飛び」
  まじまじと見つめられ、ティータは目をぱちくりさせていた。アネラスの言い分は、つい先刻の自分の行動にぴったり当てはまっているではないか。たまさかアネラスは自分のことを話したに過ぎないのだが、期せずしてティータを励ますことになったようだ。
「でもね、ティータちゃん。これ、シェラ先輩からの言付けなんだけど」
  一段と声を潜めてアネラスは言った。
「女はね、男に追いかけさせてこそ一人前だって」
  そして思い出し笑いを忍ばせた。
「ティータちゃんにも見せたかったわねぇ。アガット先輩の行動力。ホント、すごかったんだから」
  やがてティータの顔から涙のあとが消え、顔の腫れもおさまった。もう大丈夫と太鼓判を押されてティータはベッドから起きあがった。
  窓の外に青い空が見える。見慣れたはずの青い色だが、その下に広がる景色は見知らぬものだ。けれども、ドアひとつ隔てた向こうに大好きな人が待っている。
「アネラスさん、ありがとーございました」
  ぴょこんとベッドから降り立ち、ティータは深々と頭を下げた。
  会いたい気持ちが募って、ティータは一歩踏み出した。


おわり

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