心合いの空 (2)
  ボース出身の正遊撃士アネラス・エルフィードは先輩のアガット・クロスナーやシェラザード・ハーヴェイが国外から依頼を名指しで請け負うことが多くなったため、リベール王国各地を飛び回る日々が続いていた。リベール全土を揺るがした『動力停止現象』の被害は、ほどなく落ち着いてきたものの、まだ人々の記憶に新しい。とりわけ直接市街地に攻撃を受けた王都グランセルは急ピッチで復興が進められているが、都民たちの心に深い傷跡を残していた。王国の歴史が深いほどに王都の都市としての機能も古く、全面復興のためには、グランセル全下に張り巡らされた地下水路から整備しなければならない有様である。そのため、アネラスは月の三分の一は王都に留まり、工事前の魔獣退治に狩り出されていた。
  その日も応援要請のあったルーアン地方で依頼をこなし、ほとんどとんぼ返りでグランセルに戻ってきたところだった。
「あれは…もしかしなくても、ティータちゃん?」
  定期船から下りた時、反対側の国際線に向かう桟橋にアネラスの心の潤いである、「お持ち帰りしたいほどかわいいティータちゃん」を見つけ、観声を上げた。ティータとはそれほど親しい間柄ではないが、戦友のエステル・ブライトを通じて紹介してもらっており、あまつさえ先の混乱に際しては、ジェニス王立学園占拠事件で一緒に戦った仲である。礼儀正しいティータは、アネラスがツァイスの中央工房を訪れた時には、忙しくても必ず手を止めて心が温かくなるような笑顔で挨拶を返してくれた。
「ティータちゃーん!」
  周りの喧噪とした飛行船の音が邪魔ではあるけれど、遊撃士のよく鍛えられた声が通らないほどに、アネラスとティータの距離は離れていないはずだった。が、しかし、いつもなら返ってくる笑顔満面の挨拶はおろか、アネラスに気付きもしない様子でティータの姿は雑踏の中に消えてしまった。
「……そんな〜。あたしのティータちゃんが、冷たい」
  忙しく依頼に追われ、疲れて帰ってきたところへティータの冷たい仕打ちにあったアネラスはガックリと気力を失った。とてもではないが、このままグランセル支部へ顔を出す気にはなれない。アネラスはそのままふらふらと東区のエーデル百貨店に入っていった。

  半日をエーデル百貨店のかわいいものコーナーで過ごし、どうにか気力を回復したアネラスは午後も遅くなった道をグランセル支部へ帰着した。
「遅くなりました〜。あれ?」
  いつもならにこやかに出迎えてくれる受付のエルナンが不在である。しかし、階上からは複数の声が漏れてきていた。
「エルナンさーん、クルツ先輩、いるんですか?」
  タッタと階段を上がり、三階へ差し掛かったとき、エルナンと話しているのがクルツではなく、部屋の奥に設置されている非常通信機だということに気が付いた。一階の受付ではなく、わざわざ三階の通信機を使っての会話という事実にアネラスは反射的に身体を強張らせた。
「両親のところにも到着してない。だから、急ぐんだよ!」
  エルナンは通信機の音量をかなり絞っているようだが、相手の怒鳴り声はよく響く。
「アガット先輩?」
  彼の声を聞いた瞬間、ティータに無視された記憶が蘇り、アネラスの気分はまたまた落ち込んでしまった。漠然と耳に入ってくるアガットの声には、何度も「ティータ」の名前が入っており、更にアネラスの気力を奪っていく。
「アガットせんぱーい。ティータちゃんが冷たかったんですよぉ」
  突然割り込んできた、今にもグダを巻きそうなほどに暗いアネラスの声に、エルナンの方が早く反応した。
「アネラスさん、ティータさんと王都で会ったんですか?」
「あんなの、会えたなんで言わないですよ」
  エルナンの質問にアネラスはちぐはぐな応えを返した。が、その程度のことに対処できないエルナンではない。彼は巧みに質問を切り替え、アネラスが早朝のグランセル空港でティータの姿を目撃したことを聞き出した。
「そいつだ!」
  くぐもって音割れしたアガットの怒鳴り声にアネラスは耳を覆った。
「アネラス、すぐにその足取りを追ってくれ!」
「えーっと、どういうことですか?」
「ティータさんが何者かに誘拐された可能性が高いということです」
  エルナンが説明もなしにいきなり結論めいた言を発したが、アガットから反論は返ってこなかった。その事実を一番認めたくなかったであろうに、真っ先に懸念したからこそわざわざ一階の受付でなく、三階の通信機を使って連絡を寄越したのだ。そしてアネラスの遭遇したティータの反応が普段のティータらしからぬものであることでその事実をより決定づけていった。
「でも、なんで…あ!」
  今まで気づきもしなかった方が不思議と言えば不思議だが、ティータは王国随一の天才科学者であるラッセル博士の孫娘なのだ。オーブメント技術に於いて他の追従を許さない天才博士の才能を欲する輩はいくらでもいる。博士を利用するには肉親の情に訴えることが有効な手段のひとつであることは想像に難くない。実際、先の王国クーデター事件ではティータの安全を条件に博士に研究を強要していた。
「だったら、ラッセル博士の安否も確認した方がよくないですか?」
  現実の事件性にアネラスにも遊撃士魂が復活した。
「エルナン、ツァイスから何か言ってきたか?」
「いいえ」
「だったらたぶん何も起こってない。というか、まだティータが行方不明になってることすら知らんだろう」
「その可能性は高そうですね。では、アネラスさんにツァイスに向かっていただきましょうか」
「いや、アネラスはグランセル空港だ。マードックが『両親が迎えの者を寄越した』と言ってたんだ。いくらなんでも全く知らない人間に同行を頼んだりはしないだろう」
「つまり、ツァイスからグランセルまでは問題なかったとアガット先輩は思ってるんですね」
「グランセルに着くまでに何かあった可能性も否定できないが、アネラスがティータの姿を空港で目撃してるってことは、少なくともそこから出発したのは間違いない。問題はそれがどこへ、だ」
  アガットはアネラスがティータの姿を見間違ったかもしれない可能性をバッサリ除外していた。遊撃士としての目撃情報もさることながら、アガットもアネラスの「かわいいもの」に掛ける情熱をよく知るひとりである。
「じゃ、さっそくグランセル空港に行って来ますね。念のため、正規の捜査依頼状を持ってった方がいいかなあ」
  ティータと出会ったあたりのことを思い出しながらアネラスはエルナンを振り返った。
「現段階では公にできない事件ですが、必要とあらば発行しますよ」
「あ、じゃあ、お願いしちゃおうかな」
「おい、アネラス、何かわかってることがあるならキッチリ白状していけ」
  通信機から凄味の増した声が割り込んだ。
「アガット先輩、コワイです」
「それによって、こっちも動きようがあるんだよ」
  アガットの苛立ちもわかるので、アネラスは素直に自説を説明した。
「あの位置だと、ティータちゃんが乗ったのは定期船ではないと思うんです。外国船のプライベートラインあたりだったような気がして」
「なるほど。それでしたら乗客名簿より、飛行船の運行計画表を見せてもらった方がよさそうですね」
  あっさりとエルナンは頷き、そのために必要な書状をしたためるべく降りていった。
「アガット先輩、こっちに戻って来るんですか?」
「いや、このままここでお前さんの連絡を待つ」
  アネラスの報告から、ティータがリベール国内にいる可能性はほぼ皆無だ。どこへ向かうにしろ、リベールに戻ってからより、直接に向かった方が早い。捜査の初期において時間は何にも増して重要事項だ。
「わかりました。じゃ、行ってきます」
  アネラスは通信を切ると、エルナンに用意してもらった依頼状を持ってグランセル空港に向かった。
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