心合いの空 (7)

グロースター家の私有地に一歩足を踏み入れたとたん、その場の空気が陰湿で猛々しいものに変わった。暁の中の爽やかさとは打って変わって邪悪な禍々しさに満ちている。深夜、ヨシュアが遭遇したブラックパンサーとは比較にならないほど猛り狂った魔獣の気配が敷地内に充満していた。
「番犬というより、狂犬に近い飼い方をしてるな」
「ペットというには優雅さの欠片もないところが、主の趣味の悪さを反映しているよ」
「鍾乳洞のヌシだってもう少しかわいげがあったわよ〜」
「来るよ!」
  4人は密集体形で陣を組み、一斉に牙を剥いてきたブラックパンサーに対応した。放されているブラックパンサーは凶暴度こそかなり上がっているが、個々の戦闘能力はそれほど高くない。エステルの打撃力でも一対多数に十分対抗できるレベルだった。数に押されなければ突破するのにそう難しい魔獣ではない。
「ま、このあたりがお坊ちゃま貴族と呼ばれている所以だがね」
「確かに。戦闘犬としては最低ランクだ。改造もされてないし、性格も矯正されてないようですね」
「となれば、掃討戦は無用だな。先を急ぐぞ」
「了解!」
  密集体形からアガットを先頭の紡錘陣に変え、4人は最短で屋敷を目指した。
「ここまで来たからにはこのまま正面から堂々と入った方が時間の短縮になるな」
「そうですね。番犬の数をあてにして、特段のトラップは仕掛けてなさそうです。ただ、屋敷の中はどうかわかりませんが」
「そうだねぇ。普段がほぼ無人に近いだろうし、この手の屋敷としては、隠し部屋、欺し回廊あたりが相場だろう」
「じゃあ、盗まれた時計を見つけるには隠し部屋を探した方がいいわね」
「うん。大がかりな改築もしていないようだから、当時のままだとすれば……」
  ヨシュアは屋敷の外観を見回し、中三階に目星を付けた。
「あのあたり、窓の配置が他の階と微妙に変わってる」
「決まりだな。行くぞっ!」
  言うが早いか、アガットは重剣を叩き付けて扉を食い破り、突入していった。

グロースター家の別宅は、かつて本宅だったというだけのことはあり、古めかしいトラップは確かにいくつか存在していた。だが、潜入訓練を受けている遊撃士にはいずれも使い古されたトラップであり、嵌り込むようなことはなかった。隠し部屋に繋がっていると思われる隠し扉付きの通路でさえ、ヨシュアの手に掛かるとあっさり所在を明らかにされてしまった。
「ここまで簡単すぎると、返って拍子抜けするね」
「屋敷の外は魔獣だらけなのに、中には何もいないだなんて、おかしくない?」
「いや、誰か人がいたとすればあり得ない事じゃない。うっかりその人間を傷つけでもしたらそっちの方が大変だからな。要は、ここから勝手に逃げ出せなければいいんだ」
「うわー。それってまるで人質を取った誘拐犯じゃない」
  何気ないエステルのひとことに、アガットの周りの空気が一瞬にして凍り付いた。後姿だけしか見えないので表情こそわからないが、もし顔を合わせていたら、間違いなく氷漬けにされていたにちがいない。冷ややかで間の悪い雰囲気にエステルは思わずヨシュアを振り返った。次いで、オリビエに視線を移す。どちらも微妙に目線をエステルと合わさないように背けた。
「……あの、まさかと思うけど」
「エステル、言いたいことはわかるけど、今は黙って。アガットさん、その扉が隠し部屋の扉です」
  凍てついた雰囲気の中、アガットの手が扉の丈に掛かった。躊躇わず押された先で、扉が開かれる。ここにも特別な仕掛けはされていなかったらしく、あっさり扉は全開し、隠し部屋の全貌が明らかになった。

そこは、平時であれば文化的香りのする極めて上品で趣味のよい私室といえる部屋だった。質のよい絨毯が敷き詰められ、木目調のアンティーク家具に重厚なシャンデリアとで豪奢な雰囲気を作り、お洒落な天窓と小窓とで隠れ家的なアクセントを演出している。人の気配はしないが、ベッドの枕周りが乱れていることから誰かが利用していたことはまちがいない。
「あたしたちがここに来るまで、誰にも会わなかったわよね?」
「こういう部屋の場合、性質から考えて入り口がひとつってことはありえねぇ」
「そうだね。往々にして、隠し通路と、どこかの部屋からと最低でも二箇所は入り口が設けられてるはずだよ」
「ほとんどカラクリ屋敷のノリなのねぇ」
「それを見破るのがプロってもんだ」
  アガットは隣の部屋との境にあたる壁をコンコンと叩き始めた。

ヨシュアは慎重にベッド周りを調べている。
「布団の使われ具合からみて、かなり小柄な人ですね。エステルよりも頭ひとつ分くらいは小さい」
「それに頭もいいようだ」
「え、そんなこともわかるの?」
  小窓の近くにいたオリビエの発言にエステルは首をひねった。寝相から頭の良し悪しがわかるなんて初めて聞いた話である。
「これをご覧」
  オリビエは窓に半分掛かっていたカーテンを開けて窓の全体を見せた。窓枠の作りがそのまま部屋の趣味に反映されて複雑な彫り物が施してある。
「まさか、その枠を彫った、なんて言わないわよね?」
「いくらなんでも考えすぎだよ、エステル。見るのはそこじゃなくて、ここだ」
  ヨシュアはカーテンの影に隠れてそれまで見えなかったペン軸を指さした。
「こんなとこになんでペンが挿してあるの?帝国の貴族って、窓枠にペン軸を飾る趣味でもあるわけ?」
「そんなわけないだろう。もちろん、ワザと挿したに決まっている。それもある目的を持ってね」
「あー、もーう!もったいぶってないで教えなさいっ」
  ヨシュアとオリビエの話題に入っていけないエステルは苛つき半分で詰め寄った。
「たぶん、太陽の動きをペン軸の影で測ってここの座標を割り出そうとしたんだと思う」
「そ、そんなこと、できるの?」
「普通は算術オーブメントを使うけど、昔は手計算だったから、計算式を知ってる人間なら時間は掛かっても計算すること自体は不可能じゃない」
「ここの座標をわざわざ計算してまで知る必要があったってことは、ここがどこかわからないから…よね?」
「ついでにいえば、その人物の髪は、長い金髪だ」
  光に透けてそれまでわからなかったが、オリビエ達の影が入ったことで、ペン軸の下に長い金色の髪が結びつけられているのが見えていた。
「昔の湿度計は女性の長い金髪を使ったという。ここまでくれば、本格的な天気予報もやぶさかではないね」
「ちょ、ちょっと待って」
  ここに来た目的は、貴族の権力争いに利用されている飾り時計を取り返すためではなかったのか?それなのに、途中から「傷つける」だの「逃げ出さないように」だの、明らかに誘拐事件とおぼしき言葉を聞いてきた。極めつけが、この部屋での3人の対応だ。時計を探すと言うより、そこに捕らわれていた人物の探索に終始している。
  はっきりしているのが、
  エステルより、頭ひとつ分背が低く、
  頭がよくて(それも普通に良いだけでなく専門的な知識を実践で使えるレベルだ)、
  長い金髪をしている
という三点だ。それに盗まれた時計がどう絡んでくるというのだ?
「オリビエさん、いつ気づいたんです?」
「アガット君が居たからだよ。それまで修理したのが誰かだなんて気にも留めてなかったからねぇ」
  その点については配慮が足りなかったと申し訳なさそうに言った。
「あの、それって、まさか…」
  さすがに符合する破片がここまで揃うとエステルにも事件の容貌が繋がった。

その瞬間だった。それまで静まりかえっていた屋敷がにわかに轟音に包まれたのだ。
「な、なに!?」
「しまったっ!ヤツら、その手があったか!」
  アガットは歯ぎしりすると、そのまま重剣を構えた。
「喰らいやがれっ!」
  斜めに走った火炎が爆音と共に小窓もろとも破壊した。破壊の余波は部屋の一角がそっくり吹き飛ぶにまで及んだ。直接に外気に触れたため、轟音の正体はすぐ判明した。飛行船のエンジン音だ。
「ど、どこから!?」
  轟音とともに爆風が下から吹き上げてくる。
「ごめんっ、エステル」
  爆風に混じってヨシュアの声がした。
「ヨシュアくん!」
  オリビエの声がヨシュアの影を追い、何かが一瞬だけ光った。
「アガットさん!」
  それが合図であったかのように、もう一度アガットの重剣が床に叩き付けられ、撃風が走った。空を切り裂く衝撃を追い風にして漆黒の影が飛び去ろうとしていた飛行船に足がかりを得た。全てが一瞬の出来事だった。轟音と爆風の収まったあと、無惨に破壊された小部屋にエステルとアガットとオリビエの3人だけが残されていた。

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