心合いの空 (8)

耳鳴りが治まると、エステルは、破壊された窓から屋根に出てヨシュアの姿を探した。
「ヨシュア!」
  爆風に煽られて落ちたとも考えられるが、仮にそうだとしても彼の運動神経なら怪我の心配はないし、エステルの呼びかけに無反応とは思えない。だが、ヨシュアからの返事はなかった。
「まさかと思うけど、でも」
  飛行船が去る瞬間、ヨシュアは確かにその方向に向かって走っていた。
「ねぇ、アガット、ヨシュアはまさか」
「いないってことはうまく乗れたってことだろうな。ああいう潜入は得意だって言ってただろ?」
  アガットにあっさり肯定されて、エステルは二の句が告げなかった。
「どうして…」
  わかっていたのなら止めてくれなかったのか、とは言えない。事情があまりにも切迫していたし、ここであの飛行船を逃したらあとがないことも頭ではわかるのだ。それでも。
「あたしに一言もなく行っちゃうなんて、ルール違反でしょ!」
  びしりっと向けられた棒の先で、オリビエがまあまあと、とりなしている。アガットもオリビエもヨシュアの行動は予測の範囲内であったのに、一緒にいた自分が最後まで気が付かなかったことに何よりも腹が立った。
「とにかく、あの飛行船の行き先を調べるのが先だ。ギルドに戻るぞ」
  アガットに促され、エステルは渋々ながら帰路についた。

グロースター家の私道を出るとオリビエはエステル達とは別の方向へ進みかけた。
「コラ、今更どこへ行こうっていうんだ?」
「え?ボクの家はこっちだから」
  しれっと答えるオリビエにアガットはその襟首を掴んで引き戻した。
「せっかくだから、最後まで付き合わせてやる」
「イエ、ソレハ、エンリョシマス」
  オリビエはエステルに助けを求めたが、アガットはそれを無言で切って捨てた。
「世の中、ギブアンドテイクだろーが。とっとと行くぞ」
  オリビエを引き連れ、アガットは大股で歩き出す。
「アガットくん、ここは見逃してくれたまえっ」
  何事にも首を突っ込みたがるオリビエがなぜ同行することを嫌がるのか疑問に思いながらも、エステルはヨシュアのことがあるので敢えて聞こえないふりをした。

オリビエの行動に対する疑問は、ギルドへ到着と同時に解明した。
「お調子者がまた迷惑をかけたようで申し訳ない」
  ギルドには怒り沸騰のミュラー・ヴァンダールが彼らの帰りを待ちかねていたのである。
「やあ、おはよう親友殿。相変わらず早起きだね」
「誰のせいで早起きさせられたと思ってる!あれほど言っておいたのに、貴様というヤツは」
  アガットから引き取ったオリビエに、ミュラーはガツンと一発拳固を見舞った。
「暴力、反対。ここは穏やかにっ。平常心だよ、平常心」
  本当ならもっと言いたいことはあるのだろうが、それ以上オリビエに構わず、ミュラーは別室を借りてアガットとエステルを招いた。
「ここに来たのはほかでもない。ヨシュアくんから連絡があった」
「ヨシュアから!?」
「位置を特定できたらまた連絡するそうだ」
  そう言ってミュラーは懐から小さな機械を取り出した。
「さすがはヨシュアくん、仕事が速いねぇ」
「まったく、貴様はコレを何だと思ってるんだ」
「悪いとは思ってるよ。でも、ホントに緊急事態だったんだ」
  オリビエの言にも一理あるが、事が事だけにミュラーの表情も険しい。
「えっと、よくわからないんだけど、ヨシュアからミュラーさんに連絡が入ったってどういうこと?」
「ああ、エステルくんは現物を見るのは初めてだったね」
  オリビエはミュラーの手にあった機械を自分の手にとって弄んだ。
「百聞は一見に如かず。つまりは、こういうことだよ」
  言い終わらないうちに、その機械からヨシュアの声が聞こえてきた。
「ヨシュア!無事なの!?」
  思わず駆け寄って叫んだエステルに、ヨシュアは声を潜めて答えた。
「心配かけてごめん。でも、僕もそれからティータも無事だから安心して」
  付け加えられたひとことにエステルはアガットを振り返った。無表情を装ってはいるが、アガットの眉間に寄っていたシワが消えている。
「ティータがそこにいるの?」
「ああ。今、計算中だから、ちょっと待って」
「計算?」
「グロースター家の別宅の座標がわかってるので、太陽の方角と雲の動きから、この船の進行方向や速度を計算してもらってるんだ」
「そ、そんなことできるの?」
  エステルが驚いていると、次に返ってきたのは紛れもなくティータの声だった。
「あの、あの、エステルお姉ちゃん?」
「ティータ?本当にティータなの?」
「えっと、心配かけてごめんなさい」
「ティータが謝ることじゃないわ。それより、怪我してない?ひどいこととかされなかった?」
「あ、大丈夫です。あの、それで計算の結果が出たんですけど、いいですか」
「ちょ、ちょっと待って?」
  あやふやなエステルに、横合いからヨシュアの声がミュラーかオリビエに変わるように言った。
「ああ、変わろう」
  事情のわかっているらしいミュラーが対応に出た。それからしばらくはミュラーとティータの間でいくつか数字のやり取りがあった。
「わかった。そのコースならカルバートに間違いない。速度からいって半日かそこらかかるだろう」
「カルバートって、共和国の?」
  驚くエステルにアガットは無言だった。最初のいきさつを知らないエステルには無理のないことだったが、アガットには十分予測できることであり、その対策は取ってある。だが、両者の距離を縮めることは難しい。
  ミュラーとティータとのやり取りが一段落した様子を見て、オリビエは横合いから機械を掠めてアガットに寄越した。
「お、おい」
  いきなり見知らぬ機械を渡されたアガットだが「アガットさん?」と漏れてきた声に自然と目が優しくなる。
「それだけ元気なら大丈夫だな、チビスケ」
「はい。ヨシュアお兄ちゃんもいっしょだから。それに時計もあるから大丈夫です」
「時計って…まさかそこで直してるのか?」
「えへへ、だから全然怖くないです」
「そうか。だが無理するんじゃねえぞ。絶対迎えに行ってやるから待ってろ」
「はい、アガットさん」
  そこで再びヨシュアと交代した。
「カルバートの方でグロースター家と関わりのあるヤツには当たりを付けてる。そっちから応援に行けるはずだ」
「わかりました。どちらにしても今は動けませんからここで様子をうかがってます」
「頼んだぞ」
  それからは事務的な短いやり取りで連絡は終わった。
「えー、アガットくん、それだけだなんてあまりにも彼女がかわいそうなんでは?」
「ティータにはヨシュアが付いている。ここで心配したってしかたないだろうが」
「それにしたってもうひとこと」
「本人が大丈夫だって言ってるんだ。それで十分だ」
「ああ、せっかくの逢瀬なのに仕事一筋とはなんて薄情な恋人なんだ」
  よよよと泣き崩れるオリビエを無視してアガットは既にカルバートへ向かう段取りを付け始めている。幸いにも帝都には飛行船の国際線が入っているのでカルバートの首都へ直行することは可能だ。しかし、そこから先は別の問題があった。リベールのように飛行船が国内各地を結んでいるのとは違って、カルバート国内での移動はバスになる。遠距離を気軽に行き来できる手段が限られるのだ。

「失礼します。アガットさんにカルバートのギルドから伝言です」
  遠慮がちに入ってきた受付のフレデリックがアガットに一枚のメモを渡した。
「リベールの正遊撃士アネラス・エルフィードさんからだそうです」
  アガットはメモを受け取ると素早く目を通した。
「よし」
「アネラスさんがカルバートからって…もしかして?」
「ああ、しっかり足取りを掴んでくれた」
「じゃあ、ヨシュアとティータの行き先もわかったのね?」
  アガットはエステルにもメモを見せてくれた。
  それによると、リベールからカルバートを出発した飛行船は、その飛行船の持ち主が所有する別荘地を拠点にしていることが判明していた。しかも現在その別荘を借りているのが帝国の貴族だという。名前はいうまでもなくグロースターだ。
「さすが、アネラスさん」
「あとは時間だな」
  ヨシュアとティータを乗せている飛行船と違ってアガットたちは定期船を待たねばならない。
「あの、それでしたら」
  それまで黙っていたフレデリックがひとつの提案をした。
「アルセス家の高速飛行艇を使ってください。今から最速で追えば、同じくらいに着けるのではないでしょうか。時計がそこにあるのであれば、否やはないと思います」
「だが、勝手に国外へ出発はできないだろ。ましてや行き先はカルバートだ。いくら貴族だからってそのあたりは許可がいったはずだが?」
「それはこちらでなんとかしよう」
  助け船を出したのはミュラーだった。
「さすがは我が親友。話がわかるねえ」
「バカモノっ。貴様がするに決まってるだろーが!」
「え…そんな面倒な」
  言いかけてミュラーに睨まれたオリビエは素直に「ハイ、ワカリマシタ」と首を縮めた。
「第5レーンを開けさせるからそこへ飛行艇を回すといい。1時間もあればこちらの手続きも終わるはずだ」
  ミュラーはこっそり離れかけていたオリビエの襟足を掴むとそのままギルドをあとにした。

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