■スプリングスターフラワー〜ラップからゲルドへ〜
春の花の季節が終わりに近づき、次の季節へと移り変わろうとしている頃、ラップはひとりの娘の旅支度を世話していた。
娘の名前はゲルドと言った。
彼女とラップとは、その昔、一度だけ面識がある。
その縁を頼ってきたのかどうかは定かでないが、ゲルドの訪問は、ラップの待っていた時の中でのひとつの区切りには違いなかった。
ゲルドはティラスイールの人間ではなく、その先の果ての世界の人間でもなかった。
彼女は異界と呼ばれる全く別の世界の住人だった。
異界はその名のとおり、全てに置いてこの世界と様相を異にしていた。
なにより、この世界で当然のように輝いている太陽が異界には存在していない。
訪れたばかりのゲルドには見るもの聞くもの全てが珍しい。
それ故、時にはとんでもない勘違いも起こり得たのである。
「えーとですね。それは食べる物ではないんですよ。」
ゲルドの手にした球根を指さし、ラップは言った。
困惑したまま球根を眺めているゲルドにラップは何と説明しようかと思案している。
ゲルドの世界では土から掘り起こした「芋」は食物としての対象でしかなかった。
「残念ながら、もう花の季節は終わってしまったのですが・・・。」
言いかけて、闇の太陽を頂くゲルドの居た世界には、この世界で当たり前のように咲いている色とりどりの花が存在していなかったことを思い出した。
球根から花が咲くことを知らないゲルドに、うまい説明方法が思い浮かばなくて、ラップは思わず空を仰いだ。
夕闇の迫る夜空には、いつしか春一番の星たちが瞬き始めていた。
その星の輝きを目に映した時、ラップは再び説明を試みた。
「空を見てご覧なさい。あの星が見えますか?」
ラップに誘われるままゲルドは夜空を見上げた。
故郷で見慣れた闇の世界とはまた異質の闇が地平線の彼方まで広がっている。
「夜の闇の中で輝いているのが、空の星です。」
言葉をひとつひとつ選ぶようにラップはゆっくり話し始めた。
「大地の中もまた闇であることはわかりますね。」
ラップの言葉にゲルドもまたゆっくり頷いた。
「大地の闇の中で星は球根という形で眠りに就くんです。そして、光の中で目覚めたとき、星と同じように輝きます。それを私達は『花』と呼んでいるのですよ。」
それからラップはおもむろに球根を手に取り、芽のでる部分を少しだけ広げるようにして見せた。
「ここから芽が出て、葉が広がり、やがて花が咲きます。ただ、花の咲く時期が決まっていて、この球根の花はもう咲いたあとなんです。」
そして再び星の輝く空を仰ぎ見た。
「この球根からは、ちょうどあの星が輝く姿をそのまま映したような白い花が咲くんですよ。」
ゲルドの視線が球根と夜空の星の間を幾たびか交差した。
「春の訪れを告げるあの星が輝き始めるのとほぼ時期を同じくして咲き始めるので、この花は『スプリングスターフラワー(春の星)』と呼ばれているんです。」
話し終わって、ゲルドの様子から、どうやら手にした球根が食べ物の芋ではないことをわかってくれたらしいとラップは感じた。
「来年の春には、大地に咲くこの星が見れるといいですね。」
さりげなく付け加えたラップのひとことに、ゲルドは微かに微笑んだだけであった。
ゲルドの浮かべた微笑みは、どこか曖昧で淋しそうであった。
これからの巡礼の旅の目的をゲルドは語らないが、それが深い意味を持ったものであることは、かつて異界を訪れたラップにはよくわかっている。
彼女の旅の終焉にあるものこそが、世界の未来へと繋がっていくのだから・・・。
それをどうしてラップに止めることができようか。
(この日が来ることはよくわかっていたはずなんですけどね。)
ゲルドを愛おしいと思うからこそ、ラップはその心に抱えた重荷を少しでも軽くしてやりたいと思う。
だが、そのためにしてやれることは、彼女の旅立ちをそっと見送ることぐらいしかないのだ。
ほどなく旅支度を調えたゲルドをラップは深い感慨を持って見送った。
「元気でお行きなさい、ゲルド。あなたの旅に幸大からんことを・・・。」
ありきたりのその言葉には、ラップの全ての想いが込められていた。
ゲルドの銀色の髪が風を受けてふわりと波打った。
そのまま弧を描くように空を流れ、ゲルドはゆっくりとラップに頭を垂れた。
さようならの言葉を優しい微笑みに換えてゲルドは旅立っていった。
後の世に、ティラスイールで「白き魔女」と呼ばれる娘の巡礼の旅のはじまりである。