■カモミール〜フォルトからゲルドへ〜
古の魔女達に倣った巡礼は、オルドスの鏡をみることで、一応の区切りがつけられる。
けれどもゲルドが立ち寄ったオルドスは、魔女達だけのものではなくなっていた。
オルテガにより賢者の街として魔法の帰依するところへと変わりつつあったのだ。
街の中央に大聖堂がそびえ建ち、魔女の鏡は空に一番近い場所に奉納されている。
ゲルドは人々に混じって大聖堂を訪れ、複雑な思いで鏡からのメッセージを受け止めたのであった。
取りあえず、この街での目的を果たしたものの、これからのことはまだ決めかねていた。
出発点であるフォルティアへ戻るつもりではあるが、すぐに旅立つ気にはなれなかった。
聖堂内を歩く足取りが知らず知らずのうちに重くなり、ゲルドは回廊の途中でしばしば立ち止まっていた。
オルドスの巡礼を終えた旅人は、往々にして目的を達したあとの晴れ晴れした様相をしているものだが、その日の遅くに訪れた巡礼者はどうも違うらしい。
フォルトは回廊の途中で休みを取りながら降りてくる巡礼姿のその娘をじっと見つめていた。
薄紫がかった銀色の髪に深い湖を思わせる青く澄んだ瞳。
オルドスへの巡礼は生涯にただ一度のものだから、たぶん初対面のはずなのに、どこか記憶に引っかかるものがある。
「どちらからお越しになられたのですか?」
普段、巡礼者のことを詮索するような真似はしないのだが、この時ばかりは何故か気になって声を掛けた。
「・・・フォルティアです。」
やや間をおいて答えた娘の眼差しは、フォルトの記憶に残る一人の幼女の姿と重なった。
(そんなはずはない。あの子はあの時4つだった・・・。)
自分の重ねてきた年から引き算してもかなりの年の婦人になるはずだと考え直した矢先で、もうひとつの事実を思い出した。
(・・・あちらの時間の流れはこちらより緩やかだとミッシェルさんは言ってたっけ・・・。)
フォルトが思い出したのとほぼ時を同じくして、ゲルドも彼のことを思い出したようであった。
互いの瞳がどちらともなく懐かしさを噛みしめている。
「少し休んで行かれませんか?まだ、先は長いのでしょう。」
そのまま別れるに忍びず、フォルトは控えめながらも声をかけた。
戸惑いがちな面差しながらもゲルドは勧められるままにフォルトに従って回廊を歩き出した。
フォルトが案内したのは、大聖堂の外れに連なる一室だった。
簡素ながらもかわいらしい部屋の雰囲気は少なからずゲルドを驚かせたようである。
「ここの方が私の部屋より落ち着くだろうと言われまして。」
微かに首を傾げたゲルドにフォルトは窓際の椅子を勧めた。
「疲れたでしょう。」
フォルトは庭に面した窓を開けた。
風が吹く度に、庭一面に咲いているカモミールの白く可愛い花からほのかな香りがゲルドを包み込む。
その優しく落ち着きのある香りに、ゲルドはしばし疲れを忘れた。
白い花の向こうには、オルドスの街並みがポツリポツリと見え隠れしている。
賢者の街としてオルドスが開かれてからかなりの年数が経つとはいえ、魔法はこの世界の人々に広く受け入れられるまでには至っていない。
ここまでの旅で、ゲルドはそのことを身をもって経験してきている。
未来への器がようやく形を為し、中味はこれからといったところなのだ。
フォルト達の苦労もまだまだ続くことだろう。
けれどもフォルトからは苦労しているような印象は受けなかった。
目的を持った困難は苦労とは言わないのだと暗に語っているかのようでもあった。
やがて控えめなノックの音がしてフォルトが立ち上がると、何かを受け取ってまた戻ってきた。
「あたたかいうちにどうぞ。」
花と同じ香りが、差し出されたカップから沸き立っていた。
琥珀色のカモミールティがゲルドの渇きを癒していく。
部屋の主の心遣いが嬉しかった。
ゲルドのくつろいだ様子にフォルトも笑みを返していたが、ふいに思い出したかのように立ち上がった。
「久しぶりなので、うまく引けるかどうかはわかりませんが。」
少しばかり謙遜しながら、フォルトは棚の奥にしまい込まれていたキタラを取り出した。
使い込まれたキタラは古びていても暖かみのある艶を失っていない。
フォルトの手がごく自然にキタラの弦を調節していく。
やがて、張りつめた中にも煌めきのある音色が奏でられ始めた。
稀代の天才音楽家が生涯をかけて作曲した幻のメロディが、時と場所を越えて原曲のままに甦る。
フォルトの初めての旅はそのメロディを奏でることで終焉を迎えたが、ゲルドの旅は、そこから始まったのだ。
キタラだけで始まった演奏に、間もなくカモミールの香風にのってピッコロの音が加わった。
澄んだ音色もだが、それ以上に懐かしいメロディの響きにゲルドは遠い故郷のことを思い出していた。
幼い日の記憶が優しいメロディを追い始めるとゲルドの瞼がゆっくりと閉じられていく。
懐かしい風に包まれてゲルドは久しぶりに心安らかな眠りに誘われていった。