■泰山木〜デュルゼルからゲルドへ〜
フォルティアの宮廷剣士デュルゼルはルドルフ国王の命令を受けて、ひとりの娘を捜す旅の途上にあった。
その命令を受けた時、たかが素人の小娘ひとり、探すのは造作もないことだとデュルゼルは思った。
事実、その娘を見つける事自体にはさして苦労はしなかった。
だが、いざ彼女を前にすると、自分はいったい何をしているのかという大いなる疑問にデュルゼルは囚われた。
デュルゼルが受けたのは、娘を殺せとの命令だった。
けれども、いったいこの娘にどんな罪があって、何故殺さねばならないのか、納得のいく説明はなかった。
フォルティアに災いをもたらす娘だと尤もらしい理由は添えられていたが、とてもそのような大それたことのできるようには思えなかったのだ。
国に仕える者として受けた命令だが、人としてその命令を遂行することには躊躇いがあったし、また抵抗も感じていた。
娘を見つけた時、デュルゼルは一旦エスペランサーの柄に手をかけたが、その剣が鞘から抜かれることはなかった。
デュルゼルが迷っているうちに、娘はそのまま水辺の道に添って雑木林の中へと消えていった。
娘の姿を見失った時、デュルゼルはなぜかほっとした。
このまま見失ったままでいれば、彼女を殺さなくても済む。
デュルゼルは積極的に探そうという気を全く無くしていた。
それでも娘の探索を止めるわけにはいかなかった。
重い足取りのままデュルゼルは娘の消えた雑木林へと足を踏み入れていった。
初夏に広がる緑の葉が、目に眩しい。
思わず目を細めたデュルゼルの嗅覚に訴える香りがある。
その独特の爽やかな香りにデュルゼルは心当たりがあった。
「確か、泰山木とか言っていたな。」
亡き妻が、子供が産まれた時の記念にと庭に植えた泰山木の花と同じ香りだったのである。
気が付いてから改めてあたりの雑木林を見回してみると、泰山木の葉があちこちにのぞいており、艶やかな葉の陰に巨大な白い花びらが見え隠れしていた。
「相変わらず大きな花だ。」
大きな白い花びらを目にしたとき、泰山木の花はその存在をアピールするかのように一層強い香りを放ったように思えた。
「ん?」
白い花に混じってさらに大きな白い光が目を弾く。
それが人であり、追っていた娘であることに気が付くのにさほど時間はかからなかった。
白い光は陽光が彼女の銀髪を反射したものだったのだ。
「何をしているんだ・・・?」
彼女は精一杯背伸びをして一番低い位置にある花に手を伸ばしていた。
それほど高い位置ではないが、地上からでは花まで手は届かない。
「登らないと無理だろうな・・・。」
独り言のように呟いた声に、彼女は驚いたように振り返った。
ゲルドの育った異界には、木登りのできるような木はなかった。
薄暗い森にある木は、いずれも朽ちた化石であり、とても人の体重を支えることなどできなかったのである。
ティラスイールを旅して、街道沿いにいくつも大きな木を目にしてきたが、それに登るという発想はこれまで生まれたことはない。
けれども、この林の中で爽やかな香りを放っている大きくて白い花を見つけたとき、すぐそばで見てみたと思った。
しかし、花は遠かった。
それでもすぐには諦めきれず、一番低そうな所に咲いている花に手を伸ばしていたところへデュルゼルが現れたのである。
険しい顔立ちをした、いかにも武人という出で立ちの人物であるが、不思議と恐ろしいとは感じなかった。
自分が追われているという意識はあったが、だからといってそれを理由に彼を拒絶するものでもなかったのだ。
「花が欲しいのか?」
どこか躊躇いがちな声がゲルドにかけられた。
ゲルドは首を振った。
「見てみたかったのです。」
ゲルドの返事にデュルゼルは花と枝との距離を目で測っていた。
「それなら、こっちのほうが見やすいだろう。」
反対側にある木の花を指さした。
それはゲルドが手を伸ばしていた花より更に上に位置している。
「この木なら、登ってもだぶん大丈夫だ。」
胸のあたりで枝分かれしている太い幹を軽く叩いてみせた。
「登ってみるか?」
きょとんとしているゲルドにデュルゼルは先に立って幹に手を伸ばし、そのまま身体にはずみを付けるようにして足をかけた。
両腕に力を込めると身体を持ち上げ、太い幹の根に添ってデュルゼルは木に登った。
そのまま手を伸ばすと、白い花の付いた枝を簡単に引き寄せることができた。
「どうだ?」
ゆっくりとその枝を下へと引っ張っていく。
「たうか?」
ゲルドは背伸びをして、デュルゼルの手から枝を掴んだ。
白い花がゲルドのすぐ目の前にある。
しなった枝先は意外なほど強靱さを発揮するもので、ゲルドが花をよく見ようと枝を持ち替えようとした時、するりとその指先を抜けていった。
「あ!」
それはデュルゼルが枝を離そうとしていたのとタイミングが微妙にずれていた。
しなっていた枝は勢いよく元に戻っていく。
予想しない反動が枝から伝わってきた。
「お。おっ・・・!」
中途半端な姿勢で幹の上にいたデュルゼルに、その揺れに対応できるゆとりはなかったのである。
勢いよく風を切った枝から白い花びらがはらはらと舞い落ちていく。
ゲルドの足元に花びらが落ちるのと、デュルゼルが木から滑り落ちて尻餅をついたのと、ほぼ同時であった。
「大丈夫ですか?」
駆け寄ってきたゲルドの瞳は空をそのまま映したかのように、どこまでも澄んでいた。
「まあ、なんだな。木登りというのは、得てして登るより降りる方が困難とされているものだ。」
もっともらしく言ってはみたが、尻餅を付いた姿ではどうも様にならない。
怪我の心配はなさそうだとゲルドがほっとしたのも束の間で、デュルゼルは体裁の悪いことだと苦笑いしている。
ゲルドは最初のうちは声を押し殺して肩を震わせているだけだったが、ついに堪えきれなくなったのか声に出して笑い始めた。
どこにでもいる娘の朗らかな笑い声にデュルゼルは心が洗われていくようであった。
泰山木の爽やかな香りをのせた緑の風が、初夏の街道をとおり抜けていった。