魔女に白い花束を

■スノードロップ〜ル(1)〜ルーレからゲルドへ〜
晩秋の風が吹き始めたフォルティア王国の侘びしい山道を一人の老人が汗を拭き吹き登っている。
大きな荷物を背中に背負っていながらも年齢の割にしっかりした足取りなのは、若き日の彼がそれなりに鍛錬していたことを忍ばせる。
「・・・とはいえ、さすがにくたびれたぞ。こんなことなら先にラップのところへ寄ればよかったかな。」
そうすれば、背中の荷物も少しは軽くなったかもしれないが、それでは頼まれた約束を半分しか果たしたことにならないから、やっぱり一人で行くしかないなと、ルーレは苦笑混じりのため息をひとつ吐いた。

ことの起こりは、数週間前のガルガ騒動に起因する。
おとなしいはずのガルガが突如海で暴れ、たまたま漁場に出ていた親子が襲われた。
すでに海の仕事の第一線から退いているルーレには直接に関係しないはずのない「事故」だった。
が、その事故の意味を知る者たちにとっては、単なる「事故」で済まされなかったのだ。
毎年夏の終わりにフォルティアを訪れていたオルドスの神官フォルトは、その意味するところを知る数少ない人間であり、それ故、急遽旅先のテュエールからオルドスに引き返すことになった。
「今年はまだ行けると思ってたのになぁ。」
いずれこの日が来ることはわかっていたとはいえ、旅の途中で急に予定を変えねばならなくなったフォルトは無念そうに項垂れた。
そのフォルトを見かねて代わりにフォルティアへ行くと言い出したのは、ルーレの妻である。
「ちょっとフォルティアまで行って来るわ。」
外出から帰ってきたルーレにこともなげに彼女は告げた。
「幸いレッドの世話も一区切りついたとこだし。たまには旅するのもいいでしょ。」
旅の支度を整えながら話す妻にルーレは一瞬自分の耳を疑った。
彼女は「ちょっと」といとも簡単に言うが、テュエールからフォルティアまでそれなりの距離があるし、なにより先のガルガ騒動のため、通常の航路が使えず陸路をはるばる行かねばならない状態にあるのだ。
そんな旅に彼女を一人で行かせるわけにはいかなかった。
かといって手の掛かる孫たちをおいて二人とも旅に出るわけにもいかない。
すったもんだの挙げ句の果て、ルーレが旧友に会いに行くという名目で子供達を誤魔化してフォルティアに向かうことになったのだ。
「で、フォルティアまで何か持っていく物はあるのか?」
ルーレの問いにフォルトは「彼女のために花を少しばかり。」と答えた。
「だが、ここからだと枯れちまうだろ?ドライフラワーでも持って行くのか?」
「ナンセンス!」
間髪入れずに返ってきた理由はふたつあった。
ひとつは、花を贈る彼女の人となりを思えば生花こそふさわしい贈り物であること。
もうひとつはもっと現実的な答えを含んでいた。
「これからは毎年フォルティアへ行くの、無理なんでしょ。だったら、毎年行かなくても彼女が寂しくないようにしてあげなくちゃ。」
だからと言って、毎年フォルトの代わりにルーレがフォルティアに行くと言うのはきわめて困難な話であった。
「いったい何を持っていくんだ?」
「もう用意してあるわよ。はい、これをお願いね。」
渡されたのは一抱え以上もありそうな葛籠で受け取ると重みがずしりと肩に食い込んできた。
「何だ?」
「スノードロップ。」
そしてやや間を置いて、「・・・の球根。」と付け加えた。
「球根か。」
確かにそれなら一度根を降ろせば毎年生花を咲かせてくれだろう。
「ま、いいだろう。確かに預かった。」
見栄も手伝って、ルーレの口から「重い」という言葉はついぞ漏れなかった。
フォルトの深々としたお辞儀と妻の元気な笑顔に見送られて、ルーレはフォルティアへ旅立ったのであった。

ほどなく広がった侘びしい丘の一角に目的とする場所はあった。
晩秋の丘に広がるのは茶色い枯れ草ばかりである。
「こんな寂しいところに彼女がな・・・。」
枯れ草をかき分けてルーレはひっそりたたずむ墓標の前にたどり着いた。
そこが旅の終焉地であり、背中の荷物を贈る相手、かつて白き魔女と呼ばれた少女の名前が刻まれている。
「フォルトでなくて悪いな。あんたも知るところのいろいろな事情があって来れなくなったから、代理で持ってきた。」
最初に予定していた以上の球根の量になっているのは、ルーレ自身の気持ちもその中に具体的な形として加わったからに他ならない。
旅の疲れもそこそこに、教わったとおりの手順でルーレは土をほぐし、球根を植え付け始めた。
「これでとりあえずはいいとしても、これからどうしたもんだか・・・。」
このあたりはどうやらそれほど水事情が良いわけではないらしい。
土地の様子からそのことを察したルーレは、この先の管理のことを思って少しばかり思案にくれた。
彼の旧友がこの国にいることはいるのだが、その居住する地とここはかなりの隔たりがある。
頼めば否とは言わないだろうが、この先いつまで続くかわからない花の世話をしてくれとはそう簡単に言えるものではなかった。

「おじいちゃん、だれ?」
ふいに背後から警戒するような幼い声が投げかけられた。
振り向くと、おさげの髪をゆらゆらさせて、まだあどけなさの残る顔がルーレを見上げている。
けれども少女の瞳は無邪気な色の中にも油断なく物事を見つめる厳しさを感じさせていた。
初対面のルーレを見て物怖じしない態度からして普通の子供とは趣をことにするものがある。
何よりこの丘を知っているということは、それなりの事情を幼いながらにも言い含められていると想像に難くない。
「お嬢ちゃんは誰だ?」
「・・・。」
少女は黙ったままルーレをじっと見上げていた。
「おお、そうか。わしはルーレと言って、ここの主の知り合いの友人だよ。」
墓に目を向け話し始めたルーレに、少女は黙ったまま警戒の色を消さなかった。
「この山の向こうの村にミッシェルという昔馴染みがいるんだが、彼はこのあたりに住んでいる宮廷剣士デュルゼルの知り合いで・・・。」
「おじいちゃんのお友だちなの?」
少女の瞳に少しばかり親しみの色が加わった。
ルーレはすばやく頭の中を整理すると、目の前の少女がデュルゼルの孫であると結論づけた。
「毎年ここにくる友人がこれなくなった代わりに、花を言付かってきたんだが・・・。」
ルーレは土の付いたままの手を少女の目の前に翳して見せた。
「お花なんてないけど?」
いぶかしげな視線に、ルーレはたった今被せたばかりの土を少しばかり払って球根の芽を見せてやった。
「春になったら咲く花だからね。」
「春になったら咲く花?でも、いまは秋だけど、ほうって置いていいの?」
「そこなんだ。頼まれて植えたはいいんだが、これからその世話をどうしようかと考えていたところだよ。この花は、スノードロップと言って、辛い冬を越して暖かい春になったら咲く希望の花なんだ。」
渡された時に何度も耳にたこができるほど話して聞かされた花の名前と花言葉が口をついて出た。
「春になったら希望が咲くの?」
「・・・そういうことに、なるかな。」
本当にそうあって欲しいという願いがこの花を選ばせたのだと改めてルーレは墓の下に眠る少女に思いを馳せた。

「わたしじゃ、お花の世話するのだめかなぁ。」
何気ない少女のひとことに、ルーレは驚きを禁じ得なかった。
「お嬢ちゃんが?」
「わたしのおうち、ここからそんなに遠くないし。お花に水をあげるくらいなら・・・ここにはよく来るから。おじいちゃんにはないしょだけど。」
少しばかりはにかんだ笑顔がルーレに対する警戒を解いたのだと察せられる。
「わたし、ジョアンナっていいます。」
はきはきとした物言いはルーレに少女を信頼させるに十分であった。
遠くの年老いた友人を頼るより、近くの少女に任せられるのならばその方が安心でもある。
それに、この少女は過去を引きずることなく自分たちとは違った目で、未来を見つめている。
当初の予定とは少し異なるが、墓に眠る白き魔女ゲルドに毎年、花を贈るという目的は達せられるのだ。
「ジョアンナに花の世話を頼んでいいだろうか。」
墓標に向けられた言葉に返事は返ってこない。
けれども振り返ったルーレにジョアンナの大きく頷く姿が目に映った。
いつかジョアンナが大きくなってゲルドの真実を知るときが来たら、そういう運命の輪の中で再会することがあるかもしれない。
そのときはそのときのことだ。
「また、来てね。今度は花の咲いた時に。」
小さな手をちぎれんばかりに振るジョアンナに見送られてルーレは忘れじの丘を後にした。
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