宿命を斬る
 天正6年(1578年)、越後の雄・上杉謙信が上洛を目前に倒れ、家中は謙信の甥である景勝と北条から迎えた三郎景虎、どちらを跡継ぎにするか二分し揺れていた。当初は上杉家の本城である春日山城を押さえた景勝が優勢と思われたが、実家である小田原の北条を背景に三郎景虎も負け時と巻き返しを図ってきた。しかし、景勝の敵は三郎景虎だけではない。
 越後の上杉、甲斐の武田は長年刃を交えてきた宿敵である。それまで、両者が押しつ押されつきっ抗していたのは家臣団の結束があればこその話だ。今の上杉にはそれが欠けている。武田がこの機会を逃すはずもなく、飯山を主戦場に激しい攻防戦が始まった。結果は見るまでもなく上杉方の惨敗で、樋口与六(後の直江兼続)は憤怒に燃える景勝のくつわを取り、強引に駆け下がってようやく春日山城への帰還を果たしたのだった。
 だが、景勝の悲憤はそれからが本番であった。帰城後の密議で老臣から出たのは、武田との和睦案だったのである。敗戦の後に和を請うのは、敵の軍門に下ることを意味する。
「和睦じゃと!?それは正気の沙汰かっ」
「正気です。」
「武田に降参せよというか!」
「降参ではなく、和睦を図るのです。」
 最も信頼していた与六の口からまでも同意の反応が返ってきた時には、さすがの景勝も憤然とするしかなかった。穏やかで、だが、悲痛な覚悟を含んだ与六を正面に据え、景勝は怒りに身体を震わせた。両者の間でしばらく睨み合いが続いたが、やがて景勝は足音荒く奥へ入ってしまった。
「殿は、いかがお応えくださろうか。」
「わからぬ。だが、一時の激情に流されるほどに狭き方ではないと信じている。」
 与六は静かに立ち上がり、館へ帰参した。

 春日山城からの特使が飯山の武田陣営に派遣されたのはそれから数日後のことである。父代の宿敵上杉より、上洛を目前にした織田信長との対峙に重きを置いていた武田勝頼は、景勝の提示した和睦の申し入れをあっさり受諾した。その決断の早さには、むしろ景勝の方が拍子抜けしたくらいである。
「あれで、武田は大丈夫なのか?」
「織田には先年、敗北した経緯もありましょうから、我が方からの軍資金は武田には打って付けだったのやもしれませぬ。」
「黄金1万両で我が領内が安泰ならよしとするか。」
「殿には武田より菊姫様を花嫁にお迎えになることともなり、益々持って目出度きにございますな。」
 越後の冬は早いということもあり、10月には武田からの花嫁行列が春日山城へ向かったと知らせが入った。和睦からひとシーズンと空けず、まさに電撃結婚である。
「信玄の娘、確か、菊とか申したな。どのような女だ?」
「さて、どのような、と申されましても。」
与六は、はてと首をひねって見せた。
「和睦の折、そのくらいのことは調べておろうが。」
「そうは申されましても、姫君は城内深くにおわすものですから、外部の者の覗き見など許されようはずもなく。」
 そう答えたところで、与六はふっと笑みを浮かべた。いわゆる思い出し笑いとでもいうところだろうか。
「与六も人が悪くなった。」
「殿こそ、ずるうございますな。」
 何のことはない、花嫁の一行を迎えに行く家臣達の中に景勝本人が混じっているのだ。両者が笑い合ったところで、一行は峠にさしかかった。
「さて、どう出てきますかな?」
「与六はどう思う?」
 このあたりは人里から離れ、見通しがよい。適度に身を潜めるには打って付けの雑木林も近くにはある。待ち伏せするに好条件が揃っていた。
「が、ここは手を出した方が不利ですな。なにせ、和睦の途上です。」
「ふむ。勝頼もその程度のわきまえはあるか。」
「ただ、勝頼殿はそうであっても、そうでない方も武田にはおられるやもしれません。もっとも、何かあったとしても、殿のお手を煩わせるほどのことはございませんが。」
 越後にも、越後らっぱと呼ばれる優秀な忍びがいる。与六が彼らを自在に動かしていることを景勝は知っていた。
「で、道中、少しくらいは出たのか?」
「我が輩を装った者が少々いたとか。」
「宿敵に嫁がすは、それほどに腹に据えかねるか。」
「菊姫様には、おひとりでお越しの方が今後の憂いがない旨、お伝え致しました。」
 落ち着きのある与六の答えに、景勝は良きに計らえと言うしかなかった。いずれにしても、あとは菊姫次第ということなのであろう。与六は「姫君」には会わなかったと言ったが、何らかの手応えがあったからこそ、花嫁を迎えに行く家臣に自分が混じっていても黙認しているに違いないのだ。

 峠を上りきった広場で武田から来た花嫁の一行は、上杉の家臣から出迎えを受けた。武田の威信も兼ねた行列は、見事な花嫁支度を整えている。
「これより先は、我が上杉の家門がご案内致す。」
 形式に則った引き継ぎの挨拶を終えると、武田から同行していた家人の半数が引き返していった。残りは菊姫付の侍女や近侍ということで、それなりに年端のいかない者が多いのも頷ける。
 だが、見知らぬ顔ばかりと思っていると、馬上からにこりと与六に会釈を返した若者がいた。ほんの一瞬だが、与六の顔に驚きの色が走った。
 春日山城へと引き返す道すがら、ごく自然に与六はその若者を自分の隣へと招いていった。だが、くつわを並べるほどになっても特に話をするでもなく、景勝に紹介する様子もない。素知らぬ顔で馬を進めている。春日山城が見える頃になると、さすがに景勝の方が痺れを切らせて声を掛けた。
「与・・・ではない、樋口殿、こちらの御仁とはお知り合いか?」
「はい、武田に伺った折に、少々、縁がありまして。」
 涼しい顔をした傍らで、与六は若者に景勝を「長尾喜平次」と紹介した。臆面なく会釈を返した若者に景勝は柄にもなく言葉をかけるきっかけを逃してしまった。

 次に与六が口を開いたのは、春日山城の大手門が見え始めた時だった。だが、彼から発されたのは、味方に対する警告であった。
「隊列を崩すな!このまま、城内まで駆け抜けよ!」
 その言葉を合図に、一斉に馬が嘶き、金属音が鳴り響いた。景勝は振り向かなかった。後ろで何が起こったのか、知れている。城下に入った花嫁の一行に刺客が襲いかかったのだ。だが、刺客は武田からの付き人自身でもあった。彼らは最後の土壇場で刃を向けてきたのである。
 当然、与六はそれを予期していた。予期しながらも花嫁の一行を受け入れたのだ。
「何故だ?」
 自問しながら馬を走らせる景勝のすぐ後ろに、さきほどの若者が続いていた。与六はふたりの背後を守るように付いている。武田の者でありながら、不思議と反発は感じなかった。むしろ好意的な目で景勝は若者を見ていたのだ。
「与六め。計りおったな。」
 景勝がちっと舌打ちしたところで、大手門の中へ上杉家の一行が駆け込み、春日山城は堅固な要塞へと姿を変えた。城外では何やら、物々しい音が続いているようだが、もはや景勝の範疇にはなかった。
 城内へ戻った一行はそれぞれに馬を預け、散開していく。武田方からただひとり春日山城へ入った若者は、心を落ち着かせるように息を整えていた。
「武田の騎馬隊のかくある姿をとくと拝見させていただいた。」
「けれども、織田の鉄砲隊には敵いませなんだ。」
 細いけれどよく通るその声に、景勝だけでなく与六もまた緊張した。それは上杉の未来をも左右しかねない言葉だったのだ。だが。
「今は、まだその時ではない。」
 景勝は天下を狙うどころか、越後一国ですら、まだ掌握しきっていないのだ。
「左様。今宵は、ゆっくりとお過ごしくださいませ。」
 与六は景勝に早く奥へ戻るよう勧め、自分は若者を別棟に案内しようとしていた。
「与六。」
 むっとした景勝の呼びかけにも与六は全く動じていない。
「花嫁とは婚礼の席で顔を合わせるのがしきたりでございます。」
 なおも食い下がろうとした景勝を押しとどめたのは、いつの間にか出迎えに来ていた奥向きの老女頭のひと睨みであった。たとえ城主といえど、奥向きのことはめったと口を挟めない。ちらりとはにかんだ会釈を残して、若者は老女頭に連れられ、城内へいずことなく姿を消した。
「ご心配なさらずとも、家中一同、明日にはうち揃いましょうほどに。」
 なおも未練がましそうな景勝に与六は一声添えた。
「わかっておるわ。」
 答えたあとで、景勝は思い返したように与六を見た。
「ですから、姫君とはお目にかかっていないと申し上げました。」
 与六は武田に赴いた時、菊姫なる女人には会わなかったが、菊之助と名乗った菊姫付の若者に知己を得た。言葉を交わしているうちにそれが菊姫本人であると気が付いたが、互いの立場から敢えて詮索はしなかった。ただ、景勝に言ったとおり、上杉と武田の間にあるわだかまりを断ち切るには菊姫が単身で嫁ぐ方が好ましいことは伝えた。だが、具体的にどうすればよいかまでは、さすがの与六にも図りかねていた。こればかりは菊姫の才覚に任せるよりほかなかったのである。
「よもや、若武者姿のまま、しかも単騎でお越しになるとは思いませんでしたが。さすがは信玄公のご息女。先が楽しみですな、殿。」
 与六はこれ以上側にいては、やぶ蛇だとばかりに、「お先に御免」と景勝の前を辞した。
 晩秋の月が春日山城に姿を見せ始めている。はかなげな月の光に景勝は人知れず首を振った。
「あの月の光では心許なかろう。明日の夜は城内、盛大に篝火を焚くとするか。」

 その言葉どおり、婚礼の夜は菊姫を城中挙げて歓迎するべく盛大な篝火で春日山城は賑わった。父代は宿敵であったが、自代は違うのだとの景勝の思いやりに、菊姫もまた明るい笑顔で応えたのであった。


おわり
菊姫(1558〜1604)
武田信玄の娘。母は油川氏。高遠城主仁科盛信と松姫は同腹の兄妹である。
テレビドラマ(おんな風林火山)になった分、妹の松姫(織田信忠の許嫁)の方が有名かも。
1579年、上杉家における「御館の乱」に際し、景勝が勝頼に提示した和睦条件のひとつとして宿敵であった上杉家へ嫁いだ。皮肉なことに彼女が嫁いで間もなく実家である武田家は滅んでいる。宿敵の娘として嫁ぎながらも、夫景勝との仲は円満で、質素倹約を旨とし、賢夫人として家中からも慕われ親しまれた。上杉家が会津120万石から米沢30万石へ転封されても乗り切れたのは、彼女が日頃から質素倹約を奨励してた成果ともいえる。
関ヶ原の戦い後、徳川への人質として伏見へ住むことになり、そのまま京で没した。彼女の死後は直江夫人がその名代として引き続き上杉家の大使を努め、世嗣定勝の養育にも一役かっている。上杉と直江は夫と妻がそれぞれ二人三脚だったのかもしれない。

刺客に対峙する直江のイメージはこちら→GO!
CG:おかざきたつま様、創作:NARU
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