イエローガーデン
18世紀初頭、ハプスブルク家のお膝元であるウイーン宮廷には、諸侯の子息が何かと理由を付けて送り込まれていた。
将来に備えて「同じ釜の飯を食った仲」といえば聞こえは良いが、スパイ活動まがいのものも少なからず存在する。
しかし、考えようによっては、それも将来に備えての「お勉強」というわけだ。
ロートリンゲン公フランツ・シュテファンも、勉学のために故郷からウイーン宮廷に送り込まれてきたひとりであった。
多くの公子がそうであるように、彼もまた故郷からそれなりに言い含められてウイーンの宮廷で勉学に励んでいる。

フランツが、ハプスブルグ家の皇女マリア・テレジアと出会ったのも誰かに仕組まれた訳ではなく、宮廷に出入りする限り避けては通れない数多くの出会いの中のひとつに過ぎなかった。
マリア・テレジアが、ハプスブルグ家の皇帝カール6世の愛娘であることは、フランツでなくとも、ウイーン宮廷にいる者なら誰でも知っていることだ。
彼女が生まれる前の年に、皇帝は長男を失っていたため、愛する娘に帝位と領地を確実に相続させるべく、いろいろと画策していたことはつとに有名である。
だが、フランツの出会ったマリア・テレジアは、そのための特別な教育を受けている風にはおよそ見えない、ごく平凡な貴族の令嬢でしかなかった。

宮廷の広い庭園で、特別な約束を交わしたわけでもないのに、フランツとマリア・テレジアはよく出会っていた。
たまたま皇女の散歩の通り道だとマリア・テレジアの従者は言ったが、小領主の跡継ぎというフランツは、お転婆な皇女のちょうど良いお守り役に目星を付けられた感があった。
普通なら、「危険ですから」と止められることもフランツが一緒だと、「まあ、よろしいでしょう」と許可が下りる。
マリア・テレジアにとって、9歳年上のフランツは、何でも願いを叶えてくれる都合の良い兄みたいなものだった。
しかし、 フランツの故郷ロレーヌはハプスブルク家とは宿敵関係にあるフランスに位置している。
それだけにマリア・テレジアの接近は外交筋からいうと複雑な心境であった。

「フランツは、今日もいるかしら?」
マリア・テレジアは、小走りに庭を横切って、いつもの東屋へ向かっていく。
広大な庭園の至る所に設けられた休憩所のひとつにすぎない東屋だが、そこがフランツのお気に入りの読書席であることをマリア・テレジアは知っていた。
「よかった。」
ひょっこり顔を覗かせたマリア・テレジアに、フランツは本をめくる手を休めて顔を上げた。
「あ、そのまま読んでらして。」
「でも、何か私にご用がおありでいらしたのでしょう?」
穏やかに尋ねたフランツにマリア・テレジアは申し訳程度の言い訳をした。
「だって、フランツのお勉強の邪魔をしては申し訳ないもの。」
彼女がわざわざ先にそういうことわりを言う時は、それなりに手間と時間の掛かる用事があることを意味している。
フランツは読みかけの本を閉じた。
「いいの!?」
フランツが立ち上がると、マリア・テレジアはそれとわかるほどに顔を輝かせた。
カール6世が娘を甘やかして自由にさせているとの批判はフランツの耳にも入っているが、こんな風に素直に反応されると、付き合ってもよいと思わせる何かがあるのも事実である。
「では、参りましょうか。」
フランツが差し出した手にマリア・テレジアの小さな手が添えられると、ふたりは仲良く庭園の小道を歩き始めた。

マリア・テレジアがフランツを案内してきたのは、庭園の一角にある塀の傍だった。
「この向こう側にも、お庭があるの。」
蔦の生い茂る塀を見上げてマリア・テレジアが言った。
「それで?」
広い庭園には、四季折々の植物が植えられているが、手入れの都合上、解放しても良い時期にならないと開かない庭も存在していた。
この時期、閉鎖されているということは、この向こうの庭園は、それに類するところなのであろう。
黙っていると、マリア・テレジアはフランツの手を引っ張って、入り口らしき扉の前まで連れてきた。
試しに押してみると、案の定、鍵が掛けられているらしく、扉はびくとも動かなかった。
「いずれ、その時季がくれば開くでしょうから、それまで・・・。」
「待ってたら、枯れちゃうもの。」
「枯れる?」
「そう。だから、その前に見せてあげたいの。」
真剣な表情のマリア・テレジアに、フランツはつと、首を傾げた。
彼女は今、見たいではなく、見せてあげたいと言った。
あたりにはフランツとマリア・テレジアの他に人はなく、開かずの扉の前にわざわざ連れてきたと言うことは、自分に対しての言葉以外であるとは考えにくい。
フランツはこれまでマリア・テレジアと交わしてきた会話を思い起こしていた。
だが、それらしき心当たりは思い浮かばない。
「やっぱり、無理?」
「ちょっと、待ってください。」
なぜかマリア・テレジアを落胆させたくなくて、フランツは向こう側の庭園へ入る方法を考え始めていた。
扉のこちら側には鍵らしきものがないので、おそらく内側から掛かっているのだろう。
また扉自体に錆びた様子はないから、少々のことでは壊れないと思われる。
だが、扉もそれをとりまく塀も蔦に覆われているが、それほど高いものではなかった。
ぐいっと蔦を引いてみると、それなりに手応えのある反応が返ってくる。
「なんとか、なるか。」
これなら人一人を支えても引きちぎれることはないだろうと判断すると、フランツはそのまま蔦を手繰り寄せ、弾みを付けて塀に登り上げた。
思ったとおり、蔦が足がかりとなって、難なく塀を乗り越えることができたのだ。

すたん、と塀から降りて、中の様子に目を向けた瞬間、フランツは思わず息を呑んだ。
「これは・・・。」
一面が黄金色と緑の絨毯に覆われている。
まさに、すごいとしか言いようがなかった。
手入れの行き届いた庭園で、大輪の花が咲いている姿は毎シーズン目にしているが、小さな花が無造作に咲き乱れているのを見たのはこれが初めてだったのだ。
「フランツ?大丈夫?」
塀の向こうから、マリア・テレジアの心配そうな声が聞こえてきて、フランツは我に返った。
「ええ、大丈夫です。ちょっと待ってください。」
最初に思ったとおり、扉はこちら側から鍵が掛かっている。
だが、それは錠前式ではなく、閂ひとつで締められている簡易なものであった。
「これで、よし。」
フランツは閂を外し、力を込めて扉を引いた。
扉の向こうには、不安そうな表情のマリア・テレジアがいた。
「さあ、どうぞ。」
フランツが微笑むと、彼女の丸い瞳が大きく見開かれて、次第に喜びの色へと変わっていった。
「フランツ!」
スカートの裾をつまんで、ぴょんと身軽にマリア・テレジアは扉をくぐった。
「ね、きれいでしょ?」
愛くるしい少女の笑みにつられてフランツも微笑み返したが、次にはなぜ、彼女がこのことを知っているのかという疑念にとらわれた。
瞳を凝らしたフランツに、マリア・テレジアはくすりと小さな笑みを返しただけだ。
だが、その笑う口元によせられた手に小さな擦り傷があるのをフランツは見逃さなかった。
フランツの目が、蔦とマリア・テレジアの手を交互に見比べている。
「まさかと思いますが。」
「でも、フランツみたいに登らなかったわ。ちょっと顔を覗かすのが精一杯で。」
登らなかったのではなく、登れなかったのだと訂正するようなことはしなかったが、日頃のマリア・テレジアの行動を知る者であれば、そのくらいのことを彼女がやってのけたとしても不思議には思うまい。
最初は呆れはしたが、それ以上問いつめるようなことはせず、フランツは一緒になってマリア・テレジアと一面に咲き乱れる早咲きの向日葵の間を歩き続けた。

マリア・テレジアの見せてあげたいと言った言葉に偽りはないのだろうが、同時に自分も見たかったのだろうとフランツは察した。
それなら堂々と扉を開けてもらえばよいのにとも思うのだが、こっそり見に行くことに冒険の醍醐味はある。
そう、皇女にしてみれば、開かずの庭園に入ることはささやかな冒険なのだ。
ウイーン宮廷は比較的自由な空気の中にあるといっても、遊びたい盛りの少女には制約ばかり多く堅苦しい場所であることに変わりなかった。
向日葵の黄色は心を開放的にするらしく、マリア・テレジアは上機嫌だった。
時には背丈の伸びきらない向日葵をマリア・テレジアは遠慮無く歩き倒した。
「太陽を敷物にして歩くなんて、すごい、贅沢でしょう。」
無邪気なマリア・テレジアのおしゃべりを聞きながら、フランツはつい最近読んだ本のことを思い出していた。
金色は豊饒を表し、進出を意味するというような内容で、向日葵はそれを象徴する花だというような・・・。
ハプスブルク家の皇女に生まれ、帝位を約束されたマリア・テレジアにまことふさわしい花ではないか。
「古代ローマでは、花嫁は黄金色だったんですって。」
時折、聞きかじりの知識をマリア・テレジアがふってくるのもそれに一役かっているのかもしれない。
「それで、賢者の石が、向日葵の中に埋まっているのを探し出してペンダントにしたら、勉強で苦労しなくなるかな。」
勉強嫌いの皇女らしい発言にフランツは苦笑した。
だが、その間も下草は遠慮無くふたりの足を撫で、擦り傷をつけている。
勉強の苦労を厭う前に、足についた無数の擦り傷の言い訳を考える方が先だなと、フランツは思案に暮れるのだった。

おわり
マリア・テレジア(1717〜1780)→マリア・テレジア姫のイメージはこちら
ハプスブルグ家の皇帝カール6世の愛娘。
カール6世は早世した長男に代えて、娘に帝位を継がすため奔走する。
しかし、最善策といわれたバイエルンのマクシミリアン3世ヨーゼフとの政略結婚は却下し、マリア・テレジアが望んだ相手(ロートリンゲン公フランツ・シュテファン)と結婚させるあたり、かなり甘い父親であった。
故に、マリア・テレジアは、当時としては、珍しく、政略結婚を免れた幸運なお姫様かもしれない。
彼女は、夫との間に16人の子供を産む。(フランスに嫁いだマリー・アントワネットが一番有名かな。)
しかし、父の遺言どおり、帝位は継いだものの、オーストリア継承戦争をはじめ、治世の半分は戦場で過ごすことになるのだから、安らいだ人生かどうかは本人のみぞ知るところ。
CG:CAROL様、創作:NARU
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