乙女の祈り
 西暦312年、西の副帝コンスタンティヌスはマクセンティウスとの戦いを前にして眠れぬ日々を過ごしていた。
 コンスタンティヌスがこれから戦おうとしているマクセンティウスは妻ファウスタの兄である。その2年前にはファウスタの父マクシミアヌスを死に追いやっていた。
 ローマ帝国にかつての栄光を取り戻させるためには、自分が統一して統治することが必要だと信じて政敵を葬ってきたが、彼なりに肉親の情はあったのだ。今更いっても詮無いことだが、妻の親族と戦うのは本意ではなかった。
 そんな彼が、戦場の闇に思い浮かべる相手は、ファウスタではなく亡き妻ミネルウィナだった。ミネルウィナは柔らかな微笑みを常に彼に投げかけてくれていた心優しき女性である。
「ミネルウィナ、おまえが生きていてくれれば…」
 例え政略の意図があったとしてもファウスタを妻に迎えることはなかっただろう。
 争いの闇の中にいるコンスタンティヌスにミネルウィナはいつも笑みを向けている。
 その穏やかな微笑みは、彼の敬愛する母ヘレナに通じるものがあった。先帝から政策のため父と離婚を命じられた母がコンスタンティヌスに残していった微笑みと、ミネルウィナの最期の笑みはよく似ている。あのふたりに共通しているのは…。
 いや、あのふたりだけではない。コンスタンティヌスのまわりには、彼女らに似た者が多かった。姿ではなく、その生きる姿勢が似ているのだ。老若男女、貧富を問わず、あまねく慈愛に満ちて接する生き方は時の権力者にないものだった。
「権力に拘るわたしなぞ、さぞ愚かにみえることだろうな。」
 ふたりが望んだのは権力者の妻や母という地位ではなく、穏やかな市井での暮らしだったことは知っている。
 だが、ふたりが望むとおりの日々は、今のローマ帝国ではありえない。彼女たちは、皇帝の信ずる太陽神ではなく、帝国の認めていないキリスト教を信じていたからだ。布教活動こそしなかったが、絶対権力者である皇帝を崇拝してもいなかった。
「主のご加護がありますように」
 戦場に駆り出されていくコンスタンティヌスにミネルウィナが掛けてくれていた言葉が、ふと思い出された。この度の戦いに出るとき、ファウスタからは聞けなかった言葉だ。もしも、今、彼女たちの信じていたキリスト教を自分が信じたらどうなるのだろうか。
「それでこの戦いに勝利することが出来るというのか?」
 強気な自分らしくない考えに、コンスタンティヌスは自嘲した。
 
 コンスタンティヌスが悶々としている間に夜は明けようとしていた。暁の空に、ミネルウィナの幻が重なった。
「やはり、なにも言ってはくれないのだな。」
 眠れぬ夜を過ごしたコンスタンティヌスは、登りゆく朝日に目を細めた。と、なにかが彼の目端に止まった。きらりと閃光を弾いたものが何であるかはわからない。
『汝これにて勝て』
 しかし、その形を捉えたとき、コンスタンティヌスの耳に声が響いた。声ならぬ言葉に、コンスタンティヌスは全身を貫かれたような気がした。衝撃の去ったあとに、コンスタンティヌスの視界に映っていたのは、たなびく雲にクロスした太陽の光だった。
「主のご加護がありますように」
 聞こえるはずのないミネルウィナの声まで聞こえてきた。けれども日が昇りきった空に、ミネルウィナの姿はもう見えない。
 コンスタンティヌスは、彼を信じてくれる者達のために、常に勝利者であらねばならなかった。それを誰より理解してくれていたのがミネルウィナだった。
「そこから、わたしを守ってくれているのだな。」
 コンスタンティヌスは、もう一度、空を仰いだ。
 澄み切った青空に、もう雲はなかった。

 西暦312年10月28日、コンスタンティヌスはライバルのマクセンティウスを、ミルウィウス橋の戦いで撃ち破り、勝利した。彼の軍は、ふたつの枝を組み合わせたような印を旗印に使っていたという。それが「十字架」と呼ばれる印であることを知るものは、まだいない。

おわり
ミネルウィナ(3世紀〜4世紀頃)
生年没年ともに不明。ローマ皇帝コンスタンティヌス帝の最初の妻。
コンスタンティヌスは二番目の妻ファウスタと307年頃に(政略)結婚しているので、それまでに若くして亡くなったものと思われます。コンスタンティヌスとミネルウィナの間には長男クリスプスがいます。しかし、優秀な息子であったクリスプスは、後妻ファウスタの奸計にはめられて326年に処刑されてしまいました。祖母ヘレナ(聖ヘレナ)は、孫息子の処刑について息子を厳しく追及したといわれているので、嫁姑の仲は良かったのかも知れません。
293年からヘレナは市井に暮らしていたので、ミネルウィナはお忍びで行き来していたのではないかなあという想像です。
CG:ゆうえい様、創作:NARU
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