足どり軽く
王宮の最深淵にある王の寝室の扉が重々しく開かれた。
居並ぶ王族、貴族達が固唾を呑む中、イルトートミシュ王の側近バーブルは恭しく一礼すると王の最期の言葉を伝えた。
「イルトートミシュ陛下は、皆に末永く生きよと御命じになられました。」
むろん意識不明の状態が続いていたイルトートミシュにそのようなことが言えるはずもなく、王の死に際しての慣例化した言い回しをバーブルは口にしたにすぎない。
そしてその瞬間から、王位はイルトートミシュからその後継者へと引き継がれるのだ。
イルトートミシュが生前、後継者として指名していたのは・・・。
「ラズィヤ様。」
バーブルに名を呼ばれたのは、その場の平均年齢を下げることに貢献していた、まだ幼さを残している少女だった。
ラズィヤはイルトートミシュが最も鍾愛した娘である。
悲しみに瞳を曇らせていたラズィヤは、だが知的で涼やかな視線を持って頭を上げた。
だが、一歩踏み出そうとしたラズィヤを制する声が重々しく響いた。
「お待ちください。」
来るべき障害が自分の前に大きく横たわったのをラズィヤは感じていた。
「ラズィヤ様のご即位に関して、いささか申し上げたき議がございます。」
(やはり・・・。)
ラズィヤは微動だにせず、じっと彼らの意見する様を見つめていた。
父イルトートミシュから兄ルクヌディーンを差し置いて跡継ぎに指名されたラズィヤへの貴族達の反発は予想以上に強かった。
女性の君主を戴くことに、彼らはあからさまに拒絶反応を示しているのだ。
どう贔屓目に見ても二人の力量の差は明白で、優柔不断で小心者のルクヌディーンより頭脳明晰で行動力のあるラズィヤの方が国難が山積みの君主としてふさわしいと認めているにも関わらず、である。
「よって、我々は王国を代表して申し上げる。亡き陛下の後継者には御嫡子ルクヌディーン様を推挙いたす。」
だからといって、ラズィヤはその決定を素直に「はい、そうですか。」と受諾するほどの神妙さは持ち合わせていなかった。
けれども、その場で反意を顕したところでラズィヤに同調してくれるものが皆無であることもわかっていたから、曖昧に目を伏せてその場からひっそりと姿を消しただけである。
それを貴族達がどう捉えるかはラズィヤの知ったことではない。
「どうせこれまでだって良く思われていないんだから、わたしは自分の思うようにするまでだわ。」
皮肉なことに公式な場で後継者として否定されたことが、ラズィヤに実力を持って王位に就くことを決意させたのであった。
日常茶飯事と化している近隣国との小競り合いを幾度となくラズィヤは勝ち抜いてきた。
それ故、ラズィヤなら暮らしを守ってくれるという信頼が少なからず民衆にあり、その支持が彼女の強みとなっているのだ。
それを貴族達が無視できないほど強大なものにできれば、それに勝る武器はない。
そのためには王宮深くに籠もっていたのでは駄目なのだ。
最前線の人々の中へ自らが飛び込んで行かねばならない。
それを実行に移すことに対して、ラズィヤにはいささかの迷いもなかった。

一旦決意するとラズィヤの行動は早い。
その夜のうちに必要なものを整えると、王宮の警備が最も手薄になる明け方を選んで、王宮の裏門からではあるが堂々と外に出た。
見つかって咎められる可能性は無きにしもあらずだが、身を挺して引き留める胆力の持ち主がいないことも承知の上での旅立ちだった。
「うん、誰もいない。」
ひっそりと静まり返った厩へ向かうと、愛馬ヒューリィに手早く鞍を着けて跨った。
「これからは当分二人きりだね。」
彼女の配下にある兵士は、あらかじめ国境周辺に派遣してある。
ラズィヤは一方の手で細い手綱を取ると、もう一方の手で鬣を撫でてやった。
ぶるるんと微かにヒューリィが唸った。
ラズィヤの顔に微かな笑みがこぼれる。
「応えてくれてありがと。さあ、出発よ。」
先ほどより幾らか大きくヒューリィは唸ったが、主の意を汲んでか、派手に嘶くような事はしなかった。

ラズィヤの馬を見る目は確かであり、ヒューリィは王国随一の名馬として名を馳せている。
ヒューリィは名馬の産地として知られる隣国からの献上品としてこの国にやってきた。
献上されたのはイルトートミシュ王だが、彼はラズィヤが気に入った様を見て、即座に彼女に下賜したのだった。
「王女殿下に乗りこなせますかな?」
献上品を運んできた使者の訝しげな視線を物ともせず、ラズィヤは颯爽とした手綱さばきで広間から去ったものだ。
慌てて後を追ってきた使者が追いついて賛辞を口にした時、初めてラズィヤは笑顔を見せた。
「すばらしい馬だわ。素直で癖がなくて。きっと育てた人の気性をそのままに受け継いだのでしょうね。」
ラズィヤは深窓の王女ごときには乗りこなせないだろうと高をくくっていた使者に対して皮肉ったつもりだったのだが、言われた側は何とも複雑そうな表情を浮かべていた。
「・・・それはどうも。」
短い呟きを耳ざとく捉えたラズィヤは、怪訝な表情から一転、吹き出してしまった。
「この馬、あなたが調教したの?」
王に直接見えたということは、それなりの地位にある貴族なのだろうが、自らが馬の飼育にあたっていたとは、随分と型破りな性格をしているといっていい。

使者の名はシェリフと言った。
両国の国境沿いの地方を治める有力貴族であり、ごく最近当主の座に着いた青年である。
その挨拶も兼ねて此度の使者として訪問してきたらしい。
彼が当主となって日は浅いが、そのわずかの間に領民達の暮らしが大きく変わったことは風の噂に聞いていた。
地元の領民のみならず近隣の民衆にも少なからず影響を与えた彼の手腕は、多くの貴族達からは疎ましいものと無視されているようだが、ラズィヤは興味を持っていた。
「へえ、あなたがそうなの。」
好奇心丸出しのラズィヤにシェリフもまた困惑しながらも興味を持った。
しかし、それと彼女の質問に答えるかは別問題である。
ラズィヤの噂は隣国にも届いているのだ。
王が鍾愛する優秀な後継者だが、王宮の貴族達からは総スカンを食っている、と。
彼女の知己を得ることは、即ちこの国の貴族を敵に回すことになるのである。
巧妙に肝心な点ははぐらかしながらも、ひとつだけ彼はラズィヤに忠告した。
「まずは、より多くの人の話を聞くことだ。それも貴族以外のね。」
シャリフは事も無げに言ったが、王女であるラズィヤにそれが困難なことを知った上での意見である。
いかに王のお気に入りの娘であっても、後宮に属するラズィヤが市井の人々と自由に話をする機会を持つことは稀であった。
彼女が市井の人々と話をする一番の近道は、徴兵されている兵士と接触することだった。
幸いにしてその機会はいくらでもあった。
王の名代として国境付近の小競り合いを収めに手勢を率いて出向いていけばよかったのである。
勝利した彼女に民衆は拍手喝采し、貴族達からはますます白い目で見られるようになっていった。

「うーん、こんなに簡単でいいのかな。」
あまりにもあっけなく王宮から出られたラズィヤは、外に出た瞬間、拍子抜けしてしまった。
しかし、それだけを見て喜ぶのはまだ早い。
「さあ、行くわよ。」
暁の空の下、ラズィヤは気を取り直すと鬱蒼とした木立の生い茂った間道へと馬首を向けた。
だが、いくらも進まないうちにヒューリィの歩調が止まった。
「だれっ!?」
ピンと張りつめた空気に人の気配がかすかだが感じられる。
けれども、返事は返ってこない。
目を凝らして気配を感じた方を見やれば、人の悪い笑いを浮かべたシェリフの馬上姿が木陰から見え隠れしている。
どうやらラズィヤとは木立を挟んで反対側の獣道を進んでいるらしい。
「いつの間に・・・。」
敵なのか、味方なのか、一瞬の迷いがラズィヤにあった。
だが、彼が敵に回るはずがない。
ラズィヤは先だっての小競り合いで彼に助勢しているので同盟君主としてのウケはいいのだ。
現在も彼女の私兵の何割かは、哨戒警備応援として彼の領地に留まっている。

ほどなく木立がとぎれ、ふたりは互いの姿を正面から映し出す格好となった。
「思ったより早かったな。」
「それはこちらの言うことでしょう。」
抜け目のないシェリフのことだ。
イルトートミシュ王の訃報をどこからか入手して、早速に行動に出たのに違いない。
「弱小国の主としては、隣国の王が誰になるかは死活問題なんでね。」
王の後継者が誰かによって、彼の外交方針も変わってくる。
その割には切羽詰まった様子が感じられないのは、すでにどう出るか決めているからであろう。
「兄の兵はわたしより遙かに多いし、それに貴族が加われば、ひとたまりもないわよ。」
「戦うのは兵士だ。先だっての小競り合いで彼らが誰の命令に従ったか思い出してみるがいい。」
戦いの相手は第3国で、シェリフとは共同戦線を張っていた。
総指揮官でなかったラズィヤに全兵士を指揮する権利はなかったが、伝令は彼女とシェリフの部隊を中心に動いていたのだ。
安全な高台にいる名門貴族の指揮官より、最前線で采配を振るうラズィヤに兵士は従った。
「ラズィヤが指揮してなければ、ともに領土を失っていた。」
シェリフの答えは実に素っ気ないものであった。
「領土を守れない王が長続きした試しはないからな。」
戦乱の世の常として、シェリフは今のまま辺境の一領主として終わるには野心溢れる君主である。
「シェリフは・・・。」
王位を望んでいるのか、と続けようとして口を噤んだ。
彼の家柄では、有力貴族ではあっても地方のまとめ役がせいぜいで王家に名を連ねることは不可能だということくらい今更確かめるまでもない。
けれども、新しいものを求める時代の流れと彼の実力は、互いに好意を持っているという点も含め、無視できないものがある。
二人の間にふたたび木立が割って入った。
ラズィヤはヒューリィの手綱をぐっと引くと心持ち速度を上げた。
案の定、シェリフもそれに合わすかのように馬足を早めてくる。
「ホント、素直じゃないんだから。」
その呟きが終わらないうちにヒューリィがぶるぶるっと鬣を震わせた。
それはお互い様でしょう、と言ったところだが、残念ながらヒューリィの言葉はラズィヤには通じなかった。

「はいっ!」
暁の空に凛とした声が響く。
走り出したラズィヤに、もはや迷いはなかった。
ラズィヤとヒューリィは手綱で繋がっている。
それは細いけれど、確かな手応えのある絆だった。
そしてもうひとつ。
木立をはさんでラズィヤに寄り添う影がある。
言葉も形もないけれど、信頼の絆はこの上なく太く強い。
ふたつの強い絆を携えて、ラズィヤは更に大きな絆を掴むべく軽やかに駆け出して行った。

おわり
CG:ぽち様、創作:NARU
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