時間の誘惑
夜明けと共に始まった戦いも黄昏時までには決着が付き、両軍共に兵を引いた。
ラズィヤも最小限の兵を斥候に出した後、陣営に戻って疲れを癒す。
先陣を切って指揮するラズィヤではあるが、戦の緊張に慣れることは未だに難しく、陣に戻るとぐったりとしてしまうのが常であった。
だが、疲れすぎていると反対に目が冴えてしまって眠れない。
王女の身分が邪魔をして、古参の兵士達に混じって気軽に酒を交わすことも叶わず、ラズィヤはひとり厩へと足を向けた。
「ヒューリィ。」
厩の前でそっと愛馬の名を呼ぶと、ラズィヤの声に呼応するかのように一頭の馬が首を伸ばして静かに嘶いた。
「ああ、ここにいたのね。」
見慣れた姿を見つけてほっとしたのか、ラズィヤの表情が僅かにほころんだ。
「ご飯、ちゃんと食べた?」
優しく言葉をかけながら飼い葉桶を覗き、ヒューリィの状態をそれとなく観察する。
いつもと変わらぬ艶やかな毛色に自然とラズィヤは微笑んだ。
「しっかり食べてゆっくり休んでね。明日もまた・・・頑張らなきゃいけないから。」
ヒューリィが顔を伸ばすとラズィヤの胸元にひんやりとした鼻先の感触が触れる。
「くすぐったいわ。」
力任せに顔を押しつけてくるヒューリィに幾分押され気味になりながらもラズィヤはじっとしていた。
動こうにも体が自由に動かないのだ。
戦いの日々で蓄積された疲労は容赦なくラズィヤの体力を奪い、そろそろ限界が来ようとしている。
言いようのない気怠さにみまわれたラズィヤは無意識のうちに瞼を閉じていた。

「おい、こんなところで寝るヤツがあるか。」
ふいに背後に暖かな気配を感じ、ラズィヤは我に返った。
振り向いて確かめるまでもない。
「シェリフ。あなたの陣は向こうでしょう。」
もたれかかるまでには至らないものの気怠さの抜けないラズィヤは、そのままで生返事を返した。
当然その声には張りがなく、いつも体から発せられている闊達さのみじんの欠片もない。
「馬の心配をする前に、自分が寝るのが先だろう。」
声色にどこか怒気を含んでいるような気がするのは、決してラズィヤの思い過ごしではないだろう。
指揮官たる者、自分の健康管理も与えられた仕事のうちだと言って憚らないシェリフのことだ。
ここ数日、勝利の中にありながらもラズィヤの睡眠時間がゼロに近い有様を暗に非難しているに違いないのだ。

後宮の奥深くで育ったラズィヤの周りはいつも賑やかだった。
たまには一人になりたいと思う時があるほどに、常に大勢の他人に囲まれて生活してきていた。
戦場にも大勢の人がいるが、皆兵士であり、ラズィヤと親しくするものはいない。
最前線に出た時、危険だからと、侍女達はみな遠ざけたのだ。
それ故、大勢の部下に大切に守られながらもラズィヤは孤独だった。
贅沢ながらも人気のないテントは、ラズィヤの孤独感をますます増大させていた。
何かに触れていたい。
ここでラズィヤに一番近しいのは彼女の愛馬ヒューリィであり、そう思った瞬間、厩に足が向いていた。

「聞いているのか?」
王女であろうと同じ陣に属する指揮官に対しての遠慮はシェリフににはない。
彼はじっと立ちつくしたままのラズィヤを背後から支えるようにして声をかけた。
小柄なラズィヤの身体はシェリフの腕の中に閉じこめようと思えば、すっぽり入ってしまうくらい華奢である。
だが、そうするにはヒューリィの鼻先が邪魔だ。
シェリフは忌々しげに、だが、細心の注意を払ってヒューリィの耳の後ろに手を回してラズィヤから遠ざけようと試みた。
ヒューリィはシェリフが調教してきた悍馬だ。
激しい気性も誇り高い性質も知り尽くしている。
そして、何よりヒューリィは人の心を読むのがうまい。
だからこそ、ラズィヤの心を捉えて離さないだけの名馬としての今日がある。

ふいにヒューリィがラズィヤの胸を小突いた。
シェリフが支えていなければ、ラズィヤは倒れていたかも知れない。
幸いにしてラズィヤの身体はシェリフに押しつけられただけで、事なきを得た。
「どうしたの?」
鼻だけを鳴らして甘えを見せるヒューリィに、シェリフに身体を預けたままのラズィヤは戸惑っていた。
その戸惑いが、ヒューリィのいつもは見せない仕草によるものなのか、それとも久しぶりに感じた人の温もりによるものなのかがわからないのがまどろこしい。
かといって、うだうだ悩むのはラズィヤの気性に合わなかった。
「うん、決めた。今夜はヒューリィと一緒に寝る。」
「なに!?」
「ヒューリィと一緒の方が、あったかそうだし。」
人恋しさを滲ませた邪気のない笑顔がシェリフに向けられている。
シェリフの覗き込んだラズィヤの瞳は、星の光を映して生気が戻っていた。
いったん言い出したら聞かない強気な輝きがそこにある。
警備の重点を厩に移し、いつもと異なる気配に神経質な馬たちの気が高ぶらないよう馬番を配置して・・・。
警護の配置換えにめまぐるしく頭を回転させたシェリフが、算段を整えてひと呼吸吐き出した時、ラズィヤはヒューリィの足下の藁の中に丸く収まっていた。
「・・・睡眠不足で倒れるよりはいいだろう。」
密やかなシェリフのため息がラズィヤに伝わったかどうかは定かでない。

おわり
CG:ぽち様、創作:NARU
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