ゆきたま
 恵子は紅葉が終わり、半分落ち葉で埋もれた山道を冷たい風に吹かれながら歩くのが好きだった。電車で揺られること約1時間、終点のその駅から登れる山が、恵子の今一番お気に入りのお散歩コースである。変わっていると言ってしまえばそれまでだが、そこは多感な年頃の少女のこと、ゆっくり考え事をするにはまさにおあつらえ向きのコースであった。茶色く枯れた葉っぱが山道を覆って滑りやすくなっている。落ちて間もない落ち葉は踏むとカシャリと音をさせて砕け散る。恵子はその音と、木立の間を吹き抜けていく風の音とを楽しみながら歩いていた。
 30分ばかり歩くと休憩所に出る。
「うん、今日も独り占めね」
 出来合いのベンチとテーブルが備わっているだけの、殺風景な場所だが、一息入れるには充分だった。恵子はいつもそうしているように、ベンチに腰掛け、鞄を開けた。
「確か、チョコレートが残っていたはず」
鞄の中には教科書とクラブで使う編み針が入っている。
「うーん、そろそろ真面目にでるかなぁ」
 一時期のブームに載って入った手芸部であるが、元がそういうことの苦手な恵子は、ブームが去ると、興味の方も薄れてしまい、このところはサボりがちであった。この時期クラブでは「クリスマスを目標にセーターを編もう」と部員の多くが頑張っている。
「編んでもあげる相手、いないしな…」
苦笑混じりの溜め息がひとつ、吐いて出た。

 「さむーっ」
 それまでも時折冷たい風が吹いていたが、今度のそれは強烈であった。恵子は思わず首を縮めコートの衿を立てた。と、風の吹きつけた方向から、何やら白くて丸いものが転がってくる。それはころころと地面を転がり、恵子の靴にぶつかって動きを止めた。
「毛糸玉?」
 一見したところ、白いモヘアの毛糸玉に似ている。何気なく手に取ってみて、恵子は驚いた。重さもなければ暖かさも感じない。
「何なの、これ」
 不思議に思っていると、山奥へと続く小道からパタパタと小さな子供が二人走ってきた。白い毛で縁取られたグレーでお揃いのブーケ付きのオーバーを着ている。二人の両腕には、恵子が手にしているのと同じ白くて丸い毛糸玉が抱えられていた。
「あった!これで最後」
 おかっぱ頭の少女が恵子の手にある白い毛糸玉を指さして声をあげた。恵子は立ち上がると、持っていた白い毛糸玉を小さい方の女の子に手渡した。
「ありがとう、お姉ちゃん」
 マシュマロカットの髪がひどく印象的な子供である。
「どういたしまして。でも、これ、何?毛糸玉みたいだけど、それにしてはヘンだし。何を編むものなの?」
 特に興味があったわけではないが、何となく気になり、質問が口に出た。
「これでもお姉ちゃん、手芸部だから、少しは詳しいのよ。こんな材料初めてみたわ」
「しゅげいぶ?」
「そう。編み物とか刺繍とか・・・あんまり得意じゃないけど」
 その瞬間二人の瞳がきらりと光った。
「お姉ちゃん、手袋編める?」
「手袋?」
「うん。この毛糸玉、手袋の材料なの。毎年編んでもらうんだけど、今年は、まだなの」
「去年まで編んでくれてた人がいなくなっちゃったの」
 何故かその時、毎年このベンチに腰掛けて編み物をしていた老婦人の姿が思い出された。特に話をしたことはなかったが、いつも穏やかな表情を浮かべて一心に何かを編んでいる人だった。
「手袋ねぇ。編めないこともないけど・・・でも、ヘタだよ、私」
 それでも、二人は飛び上がらんばかりに喜んだ。
「本当?本当に編んでくれる?」
 期待に満ちた4つの瞳がキラキラと輝きを増す。
「本当にヘタだよ。」
「編んで貰えるだけで嬉しいの!」
「どうしても今日中に要るのに、編んでくれる人がいなくて困ってたの」
 矢継ぎ早な言葉に恵子はぎょっとなった。
「今日中って…」
「それがないと、困るの。お姉ちゃん、本当にありがとう」
 恵子の返事など聞いてはいない。おかっぱの女の子がぎゅっと抱きついてきた。
「あ、あの…」
「ダメだよ。お姉ちゃんの邪魔したら。大人しく待っていなくちゃ」
 もうひとりの子供は引き離すと、二人揃って仲良く向かい側のベンチにちょこんと腰掛けてにこにこ笑っている。
「やるだけやってみるか」
 期待混じりの瞳には逆らえず、恵子はかぎ針を鞄から取りだした。
「えーっと、輪を作って、いち、に、さん…」
 二人の手首に合わせて丸く鎖編みで輪を作った。今日中に作れるものとなると、かぎ針編みでミトンが精一杯である。それにこれなら、親指の位置さえ合わせればあとは全体で大きく編むだけで形になる。少々大きさが違っていても、指が全部入れば取りあえず用件は満たすのだ。サイズが小さいとは言え、限られた時間の中でとなると要領よく作らなければならない。恵子は一心に編んだ。

 どのくらい経ったであろうか、突然恵子の腕時計がピーピー鳴った。
「あ、終電!」
 恵子は最終便に間に合うギリギリの時間に合わせてアラームをセットしていたのだ。今すぐ走って山を下れば電車に間に合う。しかし、恵子の手には片方だけ編みかけの最後の一枚があった。
「ごめん、お姉ちゃん、もう帰らないといけないの」
 恵子は申し訳なさそうに謝り立ち上がった。
「また明日編みに来るから。あ、何なら、このまま預かって今夜中に仕上げて明日持って来てあげる」
 針をそのままに毛糸を鞄に納めようとした恵子の手を小さな手が止めた。
「きゃっ」
 驚くほど冷たい手であった。
「お願い、お姉ちゃん」
「絶対、お姉ちゃんに迷惑は掛けないから。どうしても、今日でないと困るの」
 ひたむきな瞳が懸命に訴えている。
「で、でも、終電…」
 これを逃すと最寄りのバス停まで延々3時間は歩かなくてはならないのだ。今はまだ黄昏時だからいいようなものだが、季節は既に秋の終わりのこと。それこそ真っ暗で寒い山道を歩くことになる。
「お願い、お姉ちゃん」
「…明日は筋肉痛か…」
 大きな諦めの溜め息を吐いて恵子は再びかぎ針を手に取った。
「ありがとう、お姉ちゃん」
 一旦諦めがつくと、意外と落ち着いてくるものである。さっきまでの焦りが嘘のように恵子は落ち着いた気持ちで編み続けた。一目一目、一心に編み続ける。最終便が駅から出たと思われる頃、2組の手袋はできあがった。
「はい、これでいい?」
「ありがとう、お姉ちゃん。無理を言ってごめんなさい」
 ペコリと頭を下げた二人を恵子は黙って微笑み返すだけであった。

 「さーて、これから頑張って帰るか。」
 うーんと伸びをするとゆっくり鞄にかぎ針を入れ口を締めた。
「あ、その鞄、あたしが持つ!」
 すっと小さな手が伸びて、恵子から鞄を取り上げた。
「忘れ物、ない?」
「うーんと、何も残ってない。大丈夫」
 辺りを確認してから二人はにっこり顔を見合わせた。
「お姉ちゃん、帰ろう」
 その言葉が終わりきらないうちに、強い風が吹きつけてきた。
「寒いっ」
 恵子は思わず首を竦めた。が、その瞬間、身体が風に煽られて浮き上がり、ぐんぐん上昇していったのだ。
「ど、どうなってるの!?」
信じられないことだが、二人の女の子に両手を取られたまま、恵子は空を飛んでいた。

「うっそー!」
 驚きに目を丸くしている恵子には構わず、ふたりはできあがったばかりの手袋をはめようとしていた。
「うまくできてるかな?」
「試してみれば?」
「そうだね。じゃ、ちょっとだけ」
 手袋のはめた手を前に翳し、パンパンと手を叩く。すると、手袋から無数の白い結晶が落ちていった。
「大丈夫みたい」
 呆気にとられたままの恵子の目に、乗り損ねた終電が見えてきた。
「あれでいいの?」
「え、ええ…」
 上擦った声にクスクス笑う声が重なった。
「さようなら、お姉ちゃん」
 鞄が恵子に手渡される。
「また、来年も編んでくれる?」
 驚きのあまり声を出す事も出来ず、辛うじて頷いた時、また一段と強い風が吹きつけてきた。
「さむいーっ!」
 これまでになく強烈に吹きつけてきた風に、恵子は悲鳴に近い声をあげ身体を縮こまらせた。
「どうもありがとう、お姉ちゃん」
「本当にありがとう、お姉ちゃん」
 ふたりが嬉しそうにぱんぱんと手袋越しに手を叩くと、白いキラキラ輝く結晶が落ちていくのが見える。それが雪の結晶に似ていると思った瞬間、恵子の意識が閉ざされた。

「もしもし学生さん、起きてください」
 気が付くと、見覚えのある駅員に肩を叩かれていた。見慣れた電車内の風景がそこにある。
「早く帰らないと、もう真っ暗ですよ」
 電車内は恵子とその駅員しか居なかった。
「すみません」
 慌てて立ち上がり、半分眠い目を擦りながら恵子は電車を降りた。なんだか意識がぼんやりしている。
「私、何してたんだろ」
 冷たい風に吹かれながら駅の外に出た。
「うっそぉ。」
あたりはすっかり暗くなっていたが、街明かりに空から舞い落ちてくる雪の姿が照らし出されていた。車のサーチライトにも、降りしきる小雪の姿が浮かび上がっている。
「どうりで寒かった訳よね。うう…早く帰ろう」
コートの衿をたて、できるだけ雪が入り込まないようにして恵子は家路を急いだ。

 季節は巡り、あれから1年が過ぎようとしている。今年も恵子は恒例となった落ち葉の音を楽しみに紅葉の終わった山道を登っていた。
「去年は、寝こけて恥かいたのよね」
 今年は絶対、失敗しないぞと心に誓いながら山道を歩いていく。
「ふう、疲れた」
すっかりお馴染みになったベンチに腰掛ける。同時に強い風が吹きつけてきた。
「さむーっ」
 恵子は首を縮め、コートの衿を立てた。風が収まったとき、足下にふわふわの白い毛糸玉が転がってきた。そして目の前に白い毛で縁取られたグレーでお揃いのブーケ付きのオーバーを着ている女の子がふたり、両腕に同じような白い毛糸玉を抱えて立っていた。
「お姉ちゃん、今年もまた編んでくれる?」
 にっこり笑って毛糸玉を差し出した少女の髪の毛は、去年より少しだけ伸びていた。

おわり
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