砂漠の果てに

名誉を継ぐ者(5)

シリア砂漠を越え、ザナと共エジプトに辿り着いたムトネドイェメトが目にしたアケトアテンは、神の国の都にしてはあまりにもわびしい町であった。美しい夢の都と歌われ聞いていたはずのアケトアテンは、噂とは全く異なる様相をさらけだしている。
「ここが、エジプトの王都?」
ムトネドイェメトは信じられない面もちでザナを振り返った。尋ねられたザナにしてもそれは同じ気持ちであったらしい。
「城門には確かにアケトアテンとありましたから、間違いないとは思いますが・・・しかし・・・。」
同名の別な田舎町に間違えて来たのだろうかという疑問がふと湧いたが、アケトアテンという名を王都以外に付けることはありえないはずだった。もっとも、外交が絶えて久しいから、正確なところはわからないのではあるが。
「少し町の様子を見て参ります。」
ザナは馬を下りた。

「おまえら、どこから来た!?」
人気がないと思っていた矢先、どこからともなく大勢のエジプト兵が現れ、ムトネドイェメトとザナを取り囲んだ。
「ここを立入禁止と知ってのことか?」
「お前ら、この国の者ではないな。怪しい奴。」
「そこの女、馬から下りて名を名乗れ。」
年齢的には若い者が多いことから、おそらく近衛の見習いあたりと言ったところであろう。威勢の良い声が遠慮なく二人に投げつけられた。
「無礼な!このお方は・・・。」
「黙れっ!このようなところに武装して現れるとは、くせ者以外ありえん!」
まさに問答無用といったところか、言葉の終わらぬうちに、無頼必殺とばかりに居合い切りがかかってきた。風を裂いて目にも止まらずシュッと脇腹へ走るのを、間一髪で避け、ザナは後方へ飛び去った。
「姫、ここは一旦・・・!」
「おのれ、くせ者。逃がすものかっ!」
金髪の髪をきらめかせた小柄な影がムトネドイェメトの乗った馬を目掛けて飛びかかっていく。ムトネドイェメトはとっさに手綱を引いて馬を嘶かせ、蹴り上げた。
「うわっ!卑怯者!」
「・・・どっちが。」
ムトネドイェメトは呆れたように呟くと、乱暴そうに馬を足踏みさせ、威嚇してみせた。
「ザナ、乗れますか?」
このエジプト兵達では、話にならないとムトネドイェメトは判断した。
「逃がすかッ!」
どこからともなく、木材が転がって行く手を邪魔している。
「くそっ。」
ザナは腰の剣を抜いた。なにぶん多勢に無勢であり、逃げれるものならそうした方がよいのはわかっているのだが、この状態では自分の足で走ることしかできないのである。
(ヘタに戦うと後々面倒なことにならんとも限らない。)
「ええいっ!」
ザナは攻勢に切って出ると見せて、身を翻し、パッと通りへと踊り出したこれには、彼らも予測の範囲外だったと見えて、慌ててきびすを返すのがわかった。

エジプト兵の大半は剣を抜いている。多くはザナと同じく短剣であったが、中に年かさの兵が混じっており、彼らは大剣を構えていた。
「ここは、俺に任せろ。お前達は、あの女を捕らえろ。」
自分たちが警護する街だけあって、彼らの方が当然、道に詳しい。ザナはあっという間に追い付かれてしまった。
「・・・・!」
声もなく、左右から同時に大剣がザナに斬りかかっていく。
「なに!?」
「バカなっ!」
二人の剣を続けざまにザナはくい止めた。いや、くい止めるように突きだした短剣の先で、二本の大剣を砕いていったのである。砕かれた剣の破片が空に飛び散り、その一片がザナの頬に赤い血を滲ませた。
「ザナ!」
呆然と立ちつくす兵の横を、馬上のムトネドイェメトが掠め去っていった。
「今のうちです。はやくっ!」
ザナの横で足並みが緩められる。遠慮をしている場合ではなかった。ザナはムトネドイェメトの後に飛び乗った。

「くそっ!これでもくらえっ!」
金髪の少年はどこから取りだしてきたのか、弓に矢を番えムトネドイェメトに狙いを定めていた。大した距離もないことからよほどヘタな射手でない限り、間違いなくムトネドイェメトに命中させることができるであろう。が、運はムトネドイェメトに味方していた。
「ばかやろうっ!どこを狙ってる!」
ばしりと叩いた手が間一髪でムトネドイェメトを窮地から救った。
「相手をよく見てから攻撃しろ!」
「しょ、将軍!?」
そのまま将軍と呼ばれた青年は、大声を発してムトネドイェメトを呼び止めた。
「ミタンニ王国の王女殿下でいらっしゃいますね、部下が大変失礼しました!」
その声は、その場から離れようとしていたムトネドイェメトを呼び止めるのに十分な威力を発揮したのであった。

青年は手に武器を持たず、すたすたとムトネドイェメトの方へ歩いてくる。ザナがムトネドイェメトを見やると、彼女は頷き、ザナに馬から下りるよう指示した。ザナが馬の手綱を取った時、青年はムトネドイェメトの前に立ち、恭しく礼を取った。
「先程は部下が大変失礼いたしました。私は軍を預かるホルエムヘブと申します。」
穏やかな口調ながらも意志の強そうな瞳が油断なくザナを観察している。
「なぜ、我々がミタンニから来たと思う?」
同じく油断なく身構えたザナには目を向けることなく、ホルエムヘブはムトネドイェメトだけを見て笑った。
「かつてのタドゥ・ヘパ様によく似ておいでです。それに、その肩絹は、紛れもなくミタンニ王家の紋章。軍を預かる身として、それなりの情勢は存じているつもりでございます。」
よどみなく答えたホルエムヘブを、ムトネドイェメトは意外な驚きでもって見下ろしていた。ムトネドイェメトの知る将軍達はいずれも壮年以上であり、その基準からいくとホルエムヘブはかなり若い。それだけでも十分に驚きに値するが、それ以上にムトネドイェメトの関心を引いたのは、彼の持つ情報の豊かさにあった。

今、エジプトは鎖国状態にある。国外の情報は、隊商からもたらされるのが関の山のはずだが、それにしてもミタンニ情勢が伝わるのが早すぎる。それは、彼が独自の情報網を持っているということを意味していた。更には、ホルエムヘブは自分をネフェルティティではなく、タドゥ・ヘパに似ていると言った。つまり、かなり以前からエジプト王家に間近く使えているということである。それがなぜ、王都とはいえ廃墟にも等しい町の警護にあたっているのか?一介の将軍にしては、不明な点が多すぎると警鐘を鳴らす一方で、タドゥ・ヘパを知っていると言ったホルエムヘブをムトネドイェメトは信じてみる気になった。
「ミタンニ王トシュラッタの娘ムトネドイェメト。我が国からエジプトに嫁がれた姉上タドゥ・ヘパを尋ねて来ました。」
ムトネドイェメトは、馬上のまま凛として応えた。
「ご用件、このホルエムヘブがしかと伺いました。」
顔色ひとつ変えることなく、ホルエムヘブは承諾し、案内を申し出た。ムトネドイェメトには断る理由がなかった。なにより、そのために遙か砂漠を越えてエジプトまで来たのである。
「では、こちらへどうぞ。手綱を取るご無礼をお許し下さい。」
黙したままのムトネドイェメトの返事を諾と取ってか、物腰は柔らかいままに、だが、有無を言わさず、ホルエムヘブはザナから手綱を取り上げると、自らが先に立って、歩き始めた。その後を先刻の兵士達が続いていく。彼らに囲まれるようにして、ザナは複雑な表情を隠そうともせずムトネドイェメトに従っていった。

ムトネドイェメトが案内されたのは、アケトアテンの最北端に位置する重々しい二重の城壁に囲まれた巨大な門であった。
「ここは?」
ホルエムヘブは無言のまま門を開け、中に入っていく。そこは噂に聞く広大なアケトアテンの城とはあまりににも異なる簡素な作りの家であった。
「番人の家と呼ばれております。」
訝しげな視線を向けたままのムトネドイェメトに、小声でホルエムヘブは教えてくれた。
何を番するところだというのか?
ムトネドイェメトは、静まりかえった廊下を歩きながら、嫌な予感が胸をよぎった。エジプトの王妃は神の妻であり、言うなれば神の代理人である。それが、このような人気のないところに住んでいるということ自体まず、異常ではないのか。
(エジプトも私の来るべきところではなかったのかもしれない。)
しかし、そんな表情はおくびにも出さず、ムトネドイェメトは案内されるままに、奥まった小さな一室に入っていった。

そこは寝室のようであった。光の遮られた薄暗い部屋の中に、一人の少女が浮かび上がっている。
「ミタンニ国の王女ムトネドイェメト様をお連れいたしました。」
ホルエムヘブがその少女にうやうやしくムトネドイェメトを紹介した。ゆっくりと顔を上げた少女の面立ちはムトネドイェメトとどことなく似ているように思える。
「第一王妃アンケスエンアメン様でございます。」
ホルエムヘブの低い声がムトネドイェメトの耳に恐れていた事実を告げた。その瞬間、ムトネドイェメトは全てが徒労に終わったことを悟ったのである。彼女が頼みとした姉は、すでに第一王妃ではなく、権力者の座から離れていたのだ。これまでの疲れが押し寄せ、ともすれば倒れそうになる身体を、だが、ムトネドイェメトは必死で支えた。ここで倒れるわけにはいかないのだ。彼女には、まだ為すべき事が残っている。
「ザナは?」
「隣室に控えさせております。ラムセスを付けておりますのでご心配には及びません。」
ムトネドイェメトは小さく頷くと、アンケスエンアメンに軽く礼を取り部屋を出ようとした。

その時、かすかな声が寝台から発せられた。アンケスエンアメンがはっとしたように寝台に駆け寄り跪いた。
「母上・・・。」
枕元に耳を寄せ、母ネフェルティティの言葉を、必死で聞き取ろうとしている。しかし、アンケスエンアメンには、その声を言葉として聞き取ることはできなかった。顔を上げた先で、ムトネドイェメトと視線が合った。
アンケスエンアメンのすがるような視線を受け、ムトネドイェメトは寝台の側へと引き返した。薄闇に、決して若くはないが美しい女性が横たわっている。その寝顔には、あの北の離宮で見た少女の面影が確かに残っていた。だが、その瞳は、もはやこの世を見ていない。
「タドゥ・ヘパ。」
微かに発せられたムトネドイェメトの声に、ネフェルティティの瞳が微かに生気を宿した。
「・・・だれ?」
遠い昔の名前で呼ばれ、ネフェルティティは朦朧としたまま、記憶の底に眠っていた言葉で問いかけた。
「ミタンニのムトネドイェメトです。」
夢で見たままをムトネドイェメトは口にしていた。
「あなたに呼ばれて砂漠を越えて来たのです。」
ネフェルティティが薄明かりの中で、ムトネドイェメトを認識できたかどうかはわからない。けれども、ムトネドイェメトは確かにネフェルティティと視線が合わさったのを感じた。ネフェルティティの瞳は、その瞬間だけ、この世を見つめたのだ。
「父上は・・・。」
ネフェルティティの細い指先が力無く空を切る刹那、ムトネドイェメトの手がそれを捉えた。ムトネドイェメトはそのままネフェルティティの手を自分の胸に当て、小さく囁いた。
「・・・ここに。」
ムトネドイェメトの一言でネフェルティティは全てを悟ったようであった。もはやこの世に留まって見るべきものは、何もない。ネフェルティティの指はムトネドイェメトの手の中で次第にその力を失ってゆき、ついには一方的に握りしめられたままに動きを止めた。
「砂漠の果てに・・・ミタンニは、もう、ないのですね。」
それが、エジプト王妃ネフェルティティ、否、ミタンニ王女タドゥ・ヘパの最期の言葉であった。


第1章「名誉を継ぐ者」終了