砂漠の果てに

勝ちて帰れ(2)

砂漠に面した国境沿いの砦に、騎兵隊長ライアの率いるエジプト軍国境警備隊が駐屯している。
ヒッタイト帝国の第4皇子ザナンザが亡くなって以来、両国の間はますます悪化の一途を辿り、ライアには何かと緊張した日々が続いていた。
「異常はないか?」
「今のところ、何もありません。」
「隊長、ヒッタイトは本当に戦争をしかけてくるんでしょうか。」
「仮にも皇子を殺されたんだ。勇猛なシュッピリウマが黙って引き下がるとは思えないだろ。」
「そりゃ、そうですが。でも、王妃様の婚礼が近いからってこともあるんでしょうが、やってくるのは隊商ばかりだ。」
「こればかりは止められんな。下手に止めると王宮から苦情が山ほど来る。」
しかめ面のライアに、その場に居合わせた兵たちは、もっともだと苦笑して頷きあった。

その時、見張りに立っていた兵が、砂埃を立てて近づいてくるものを捉えた。
「ライア隊長、何かが来ます!」
「何だ?」
「・・・馬のようです!」
「伝令か!?」
その場がにわかに色めき立ったが、見張り番は「違います。」と否定した。
そして、その直後、ライアは自分の名前を叫ぶ女の声を耳にした。
「あの声は・・・。」
本来、このようなところにいるはずのない者の声である。
だが、同時にその声が本物であるならば、とんでもない異常事態が発生しているということを意味していた。
「開門!!馬、引け!」
ライアは反射的に砦の門から声のする方向へ馬を走らせた。
見張り番の言ったとおり、砂埃を立てて、1頭の馬が接近してきている。
人を乗せて走っているというよりも、荒れて暴走しているに近いその馬の背には、ライアの見知った顔があった。
「サトラー!」
ライアは一直線にサトラーまで馬を走らせた。
サトラーはライアの姿に気が付くと、そのまま馬上から叫んだ。
「ライア!イヌリの谷へ、急いで!」
「ヒッタイトか!?」
「わからない。でも、奇襲部隊がそこに潜んでる!」
「馬を止めろ!話が聞こえん!」
「努力してるわよっ!でも、こいつ、気が立ってて、すぐには止まれないのっ!」
本来は大人しい種類の馬のはずだが、サトラーが相当荒っぽい乗り方をしていたのだろう、かなり気が立っているようであった。
おそらくサトラーは、一刻も早くここへ辿り着くことだけを考えて走らせてきたに違いない。
ライアとサトラーは母親が仲の良い姉妹ということで、幼い頃から兄妹のように育ってきた間柄である。
それだけに、ライアはサトラーの力量をよく知っている。
故に、現状ではサトラーの腕ではすぐに止まることは無理だと判断し、ライアは細心の注意を払ってサトラーに接近して、横から手綱を捉えた。
さすがは、手慣れたもので、馬はライアの誘導のままにスピードを落とし、ライアと並ぶようにして止まった。

「イヌリの谷よ。ムトネドイェメト様が時間を、たぶん稼いでくださってるわ。」
止まるなり、サトラーはライアに食らいつかんばかりに言った。
「ネケト!」
ライアはあとから走ってきている配下の中隊長を呼びつけ、立て続けにクシュ峡谷への出撃命令を下した。
「ライア!」
言ったことを聞いてないのかと抗議しかけたサトラーに、ライアはそのままテーベへ向かえと告げた。
「ラムセスにテーベを封鎖しろと伝えろ。万が一のことがある。」
「テーベ?」
「イヌリの谷はクシュ峡谷沿いに抜けるとテーベの裏手の間道に出るんだ。ムトネドイェメト様と一緒の者はそのまま砂漠へ出るだろうが、奇襲部隊は、直接王都を狙うに違いない。」
「でも、いくらなんでも少人数でテーベを奇襲するのは無理なんじゃ・・・。」
「中から手引きするヤツが居れば、可能だろ?」
「それは、そうだけど。でも、テーベにそれらしき者は・・・。」
「おまえのその背中。」
ライアはサトラーの背に突き刺さっている矢を示して言った。
「その矢はバビロニアの隊商が一般的に護身用として持っているものだ。」
「え?あ・・商人!バビロニアの商人が、まだ広場に店を張ってる!」
「そういうことだ。」
サトラーは、背に手を回し、首からかけていたホルスの護符ごと外してみた。
矢は、ホルスの目に見事に命中している。
目には黒曜石が使われていたため、それが鏃の先を食い止めてくれたようであった。
仮に他の場所に当たったとしても、周りは貴金属の細工だから、怪我はしても致命傷にまでは至らなかっただろうと思われる。
「だったら、この矢を見せれば、ラムセスにもそのことは伝わるよね?」
「当然だ。そのためにムトネドイェメト様は、おまえに危険を承知で矢を射たのだろう。お噂どおり、よい腕をなさっている。」
「わかった。だったら、それをラムセスに知らせるのはライアのとこの誰かに任すわ。わたしはイヌリの谷へ行く。弓と換え馬を貸して!」
即答しかねているライアに、サトラーはなおも食い下がった。
「ムトネドイェメト様を迎えに行くのよ。馬に乗ってらしても援護は必要でしょ?」
「おまえがか?」
「他に誰がいるの?ここで弓が使える者はそう多くないし、使える者は、クシュ峡谷へ行くのが優先でしょ。わたしの弓だってそう誉められたものじゃないけど、威嚇ならできるわ。」
捲し立てながらも、冷静さを失わないサトラーの声に、ライアは渋々ながらも理を認めた。
「ウアブ、そういうわけで、サトラーの護衛を頼む。」
ライアは、いつも部隊では後衛を任せている小隊長のひとりを指名した。
ウアブはライアの父の代から仕えている初老の兵であり、同じ部隊で弓兵隊を率いていたサトラーの父とも旧知の仲であった。
当然、娘であるサトラーも見知っており、お互いに気心が知れている相手だ。
「将軍へお知らせしなくてよろしいのですか?」
ウアブはその一点だけ、ライアに確認した。
「それはラムセスが取り計らってくれるだろう。我々がクシュ峡谷で奇襲部隊を食い止められれば、全てが丸く収まる。」
「承知。」
それぞれの役割をもう一度確認すると、ライアはそのまま本隊を率いて出撃した。

あとに残されたサトラーはウアブに案内されて一旦砦に入った。
そこでサトラーは自分に扱い易い馬に乗り換え、弓矢を調達し、再び砂漠へと引き返すつもりである。
「ウアブ、手柄を立て損ねたわね。」
サトラーは傍らで世話を焼いてくれているウアブに半分申し訳なさそうに声を掛けた。
サトラーの援護に付いてムトネドイェメトを迎えに行くということは、実戦に参加する可能性がかなり低い。
「なんの、ムトネドイェメト様をお迎えに行く名誉を賜り光栄でございますよ。」
ひょうひょうと答えたウアブにサトラーは意外そうな表情を浮かべた。
「ウアブはムトネドイェメト様を存じ上げているの?」
「先日、砂漠でお目にかかりました。将軍の傍らにあって、まったく見劣りされぬお方だと感服致しております。」
砂嵐の事件のことはサトラーも噂に聞いていたが、ムトネドイェメトが異国の王女でありながら、兵士達に反感を抱かれることなく、むしろ好意的に見られていることに少なからず驚いた。
ウアブ旗下の小隊の兵士達もその点は同様らしく、直接戦闘に参加できないことを残念に思いながらも、ムトネドイェメトを迎えに行くことに反対する者はいなかった。
「ムトネドイェメト様は鷹をご存じでありましょうか?」
「さあ。でも、普段と異なる動きを見逃す方ではないはずだから。」
「では、鷹使いも同行させましょう。うまくいけば、我々が向かっていることを事前にお知らせできるはずです。」
ウアブの提案にサトラーは賛成し、支度が整ったところで、一行は砦を出発した。

ムトネドイェメトを乗せた輿はサライを先頭に、一路イヌリの谷を目指していた。
少しでも早くと急いているサライとは反対に、ムトネドイェメトはできるだけゆっくり進むよう求めた。
「慣れぬ輿では、身体が痛いし、何より気分が優れませぬ。」
珍しく不足を並べるムトネドイェメトにサライは苛立ちを覚えていたが、表面上は極めて穏やかに諭している。
「姫、今しばらくご辛抱いただけませぬか。」
その場では、一応サライの顔を立てて頷くものの、いくらもしないうちにまた不満を漏らす。
「姫。」
「気分が優れぬのです。だいたい、なぜ最初から馬を用意して来なかったのですか。私が輿の嫌いなことはよく承知しているでしょう。」
「それは・・・。」
口ごもったサライに、ムトネドイェメトはこれ以上、輿に乗っていたくないとまで言った。
「ここから谷までは、まだ距離があるのですか?」
「多少は・・・。」
「だったら、谷まで誰か先に行かせて、私の馬を持ってこさせなさい。」
ムトネドイェメトの命令に、サライは一瞬難色を示したが、これ以上遅々として進まないより、その方が結果として早く目的が達せられると考え直した。
馬上にあれば、ムトネドイェメトもサライ達と同様の速度で進むことができるのだから、時間的ロスが少なくなることは十分に考えられる。
「承知致しました。」
サライの合図を受けて、一行のひとりが先行した。
ムトネドイェメトはほっとしたようにそのまま輿から降りた。
サライとしては少しでも先に進みたいところだが、これ以上ムトネドイェメトを輿で運ぶことは無理だと諦めたようである。
小さく舌打ちしながら、サライはムトネドイェメトが輿の外で身体を伸ばしている様を油断なく見つめていた。