砂漠の果てに

勝ちて帰れ(5)

黄昏時のテーベの城門付近をラムセスは手持ち無沙汰にウロウロしていた。
彼の部下達も城門から外を覗いたり、あるいはテーベの門をくぐったばかりの旅人達に話しかけたりと街道の様子を窺っている。
しかし、バビロニアの隊商と後宮の女官らしき一行とすれ違った者はおろか、姿を見たという者もなく、次第に不安が彼らに押し寄せてきた。
「いったいどこまで付いていったんだ。」
門番は、用もないのに独り言を呟きながら門の前を往復しているラムセスに最初のうちこそ不審の目を向けていたが、訳知り顔の他の兵士から何事か耳打ちされてからは、努めて知らぬ振りを通している。
夕闇が迫って来るに連れ、まず、部下達がしびれを切らした。
「隊長、いくらなんでも遅すぎるとは思いませんか?」
「サトラーは徒歩だ。」
ぼそりと返したラムセスだが、それだからこそ部下の心配もよくわかる。
夜間の街道は旅慣れた屈強の男でも相当の危険が付きまとうものだ。
それが女の身で、しかも十分な装備を持たぬ後宮の侍女が一人歩きするなど危険なことこの上ない。
西へ沈みつつある太陽を振り仰ぎながら、不安を拭い去るようにラムセスは足下の石を蹴り上げた。

乾いた道に弾んだ小石は城門の外へと転がっていき、止まりかけた先で、いきなり大きく跳ね上がった。
蹴り上げた石の数より多い欠片がラムセスを弾き、続いて火急を知らせる伝令が荒々しく彼の前で馬を止めたのである。
「ラムセス隊長ですね?」
見慣れない伝令にラムセスはすばやく目を走らせた。
彼の馬は紛れもなく国境警備隊、それもライアが直接指揮する部隊のみが使う印を鞍に刻んでいる。
ラムセスは彼がライアから直に派遣された使者だと認めると、黙って頷いた。
「国境を越えて侵入してきたヒッタイト兵を迎え撃つため、ライア隊長以下国境警備隊、出撃致しました。」
無駄な前置きは一切省いた伝令の口上に、ラムセスも最も必要な情報だけに絞ってライアの出撃先を聞き出した。
「場所は?」
「イヌリの谷からクシュ峡谷。」
それだけでラムセスにはライアの作戦が読めた。
しかし、イヌリの谷は、普段ライアが防衛戦を張っている地区とは随分かけ離れており、斥候の発見により出撃したと解するには無理のあることが気になった。
「敵を最初に発見したのはどこの隊だ?」
その質問に直接答えは返ってこず、代わりに馬上の伝令はひとつの包みを差し出した。
受け取った薄様の上等な織物生地にラムセスは見覚えがあった。
後宮の侍女達が好んで身につけている薄様のベールと非常によく似ているのだ。
もちろん、サトラーもそれに似たものを身につけて街道へ出ていた。
「まさか・・・。」
急いでラムセスが包みを開けると、矢に射抜かれたホルスの護符が出てきた。
「これは、ムトネドイェメト様が身につけられていたものだ。」
驚愕したラムセスに伝令も驚きの声を上げた。
「サトラーの物ではなかったのか?」
「どういう意味だ?」
「国境の砦に、背に矢が刺さった状態でサトラーは辿り着いたんだ。彼女が軽傷ですんだのは、その護符が鏃の先を食い止めていたからだ。」
「何だって!?」
思わず声を荒げたラムセスに彼はサトラーは無事であることを繰り返し告げた。
それから、サトラーがもたらした情報によりライアが兵を率いて出撃し、同時にラムセスにテーベを封鎖するよう伝令を出したことを伝えたのだった。
ムトネドイェメトを最後まで見送ると出ていったサトラーが、それを途中で投げ出して砦に向かったとは考えられなかった。
おそらく、ヒッタイトの奇襲を察知したムトネドイェメトにより、ライアに急を報せるべく砦に向かわされたに違いない。
「じゃあ、サトラーは砦にいるんだな。」
「いや。」
「おい、まさかライアと一緒に出撃したなんて言うんじゃないだろうな。」
「それはない。そのかわり、イヌリの谷へ向かった。」
言いにくそうな様子にラムセスは小さく溜め息を吐いて首を振った。
「ムトネドイェメト様か。」
ムトネドイェメトを迎えに来たバビロニアの隊商はおそらくイヌリの谷を越えてシリア砂漠へ出る予定なのだろう。
「となると、サトラーは途中で返されたわけだ。しかし・・・。」
イヌリの谷から国境の砦まで、かなりの距離がある。
ムトネドイェメトが奇襲に気が付いて、サトラーが砦に知らせ、その情報でライアが動いたとすると、どう考えても時間的辻褄があわないのだ。
「サトラーはどうやって砦まで来たんだ?」
「馬に乗ってきたが。」
なにを当然のことをとでも言いたげな返事にラムセスは胸騒ぎを覚えた。
サトラーは、徒歩でバビロニアの隊商に同行したのだ。
隊商にとって馬は大切な交通手段である。
後宮の侍女風情においそれと貸してくれるようなものではない。
「なぜサトラーは馬に乗れたんだ。」
「おいおい、サトラーはライア隊長の従妹だぞ。一緒に馬術を習ったことは部隊の者ならみんな知ってるじゃないか。」
「そうじゃない。サトラーは、徒歩で見送りに出たんだ。それが、なぜ急に馬に乗るようなことになったんだ。それに、なぜムトネドイェメト様が身につけていた護符をサトラーが持っていたのかも不明だ。」
「詳しいことはわからんが、この矢はムトネドイェメト様がサトラーに向かって射たものらしい。」
「なに!?」
その時になってラムセスは護符に刺さっている矢がバビロニアの隊商が常備している種類のものであることに気が付いた。
「まさか、バビロニアから来た隊商がヒッタイトの先鉾なのか?」
衝撃のなかにも、あたりを憚って声を潜めたラムセスに倣い、伝令も声を低くしてサトラーが砦に到着した時の様子を説明した。
「少なくともライア隊長はそう判断された。サトラーも同意見で、それでムトネドイェメト様をイヌリの谷へ迎えに行くと言い出したんだ。」
つまりムトネドイェメトを迎えに来たバビロニアの隊商が、ヒッタイトに組みするものであり、ヒッタイトを敵視しているムトネドイェメトが極めて危険な状況の中に置かれているということを意味している。
「隊長の命令でウアブの隊がサトラーに同行を申しつかった。」
「そうか。」
再びラムセスから溜め息が漏れたが、今度のは最初のとは違い、安堵から出たものであった。
「ウアブが付いているなら安心だ。」
少なくとも、ムトネドイェメトを救出するまでは彼に任せておいて大丈夫だろう。
問題は、そのあとである。
ムトネドイェメトがそのまま大人しく砦からの迎えを待っているとは思えないし、サトラーにしてもウアブだけに任せて後方で待機しているとは考えられなかった。
「どこが深窓の姫君に世間知らずの巫女なもんか。」
後宮の噂ほど当てにならないものはないと悪態付きながら、ラムセスは取るべき行動をすばやく組み立てた。

「アンテフ!」
指名された兵士がラムセスの前に進み出た。
「直ちにカルナク神殿に向かい、この護符を証拠として、ネブ神官長の肝いりで後宮に仕えている巫女がバビロニアの商人に襲われたと訴えてこい。これだけ立派な証拠品を添えての注進なんだから、別に難しいことじゃないだろ。」
ラムセスは矢に射抜かれたホルスの護符をアンテフに差し出した。
アンテフは差し出された護符をうやうやしく押し頂きながら、ラムセスはどうするのかと尋ねた。
「外へ出る。」
短く答えたラムセスにアンテフ以外からどよめきが起こった。
「ライア隊長の援護に向かうんですね。」
テーベを出てライアの率いる騎兵隊と合流するとなれば、対する相手は当然ヒッタイト兵ということになる。
一同、後宮と兵舎の間を通うばかりの退屈な日々に飽き飽きしていたところだから、それこそ願ったり適ったりの展開であった。
しかしラムセスの示した行き先は、これから戦場となる場所とは異なる方向だった。
「残りの者は、俺と一緒にイヌリの谷方面に通ずる砂漠へ向かう。」
「?」
訝しげな視線と、動きの鈍った部下達にラムセスは畳みかけるように言った。
「もう一度言うぞ。俺達は警備兵だ。それもムトネドイェメト様とそのお付きの巫女に限定されたな。」
「隊長、襲われたのはサトラーなんですよ。」
横合いからバク・エンが口を挟むと、ラムセスはわかっていると手で制して城外に出る準備を急がせた。
「サトラーはネブ神官長直々のお声掛かりで後宮に上がった巫女だ。ということは、バビロニアの商人達は、アメン神の代理人に弓を引いたってことだから、広場の商人を捕らえるのはアメン神殿の僧兵に任せておけばいい。第一、不敬罪で捕らえた者の財産は没収されて神殿に収められるんだ。俺達一般兵がうかつに動けば、財宝を横取りするつもりかと恨まれるだけだぞ。商人を一網打尽にするとなると、城門を封鎖するだろうから、ヒッタイトの奇襲に呼応した内部からの援護の心配もなくなる。」
ラムセスは正規のエジプト軍ではなく、アメン神殿の僧兵をテーベの防御に配するよう策略し、極力ホルエムヘブが動かずにすむ方法を考えたのだ。
アイの即位を前にホルエムヘブが目立つのはあまり好ましいことではない。
最大の権力を握りつつある者を刺激するような行動はなるべく避けるのが得策であることを、ラムセスはムトネドイェメトから学んでいた。
それでもなお納得しかねている部下達に、ラムセスはしたり顔で肩をすくめて言った。
「砂漠へ向かうのは、ムトネドイェメト様とサトラーを街道で足止めするためだ。あの2人が、そのまま大人しく国境の砦に向かうと思うか?乱戦中のところへ戻ってきてみろ。それこそ一大事だぞ。馬上のあいつらを押さえれる者がこの中にはいないんだからな。」
一同から唸りにも似た呻き声が漏れた。
「そういうわけだから、アンテフはこのまま神殿へ行って、後宮付きの巫女がバビロニアの商人に襲われたとネブ神官長に訴え出ろ。ホルエムヘブ将軍への報告はその後でいい。ライアの出撃は警備隊の通常任務の範囲内だ。報告する必要はあるが、敵襲に応戦するのは当たり前のことだから、一々将軍の判断を仰ぐには要しない。」
そしてラムセスは一呼吸置いてから、自らに確認するかのように言った。
「俺達の役目は、あのふたりを無事に後宮へ送り届けることだ。」
それはまた、「ラムセスの責任において」とホルエムヘブが命じた意味を彼なりに理解しての結果でもあった。

ラムセスの前に武装した兵達が揃った。
「全員、騎乗!これよりイヌリの谷へ向かう。」
ラムセスの号令に、アンテフ以外の全員が馬上にあった。
「アンテフ、頼んだぞ。」
「お任せ下さい。将軍の手を煩わせることなく、僧侶どもをつかってテーベを封鎖させてみせます。」
アンテフの力強い言葉にラムセスは頷くと、馬の手綱を思い切り引いた。
「出発!」
茜色の残照を背に、ラムセスは一路イヌリの谷へ続く街道を走り抜けた。