お星さまにウインク

きっかけ

 見事なほどの秋晴れの朝、いつもどおりの通学風景なのになにかが違う。そのなにかが何であるのか、一緒に通学している天野瞳と谷口美香は正確に把握していた。それは瞳が、駅までのわずか10分の間に幾度となくあくびに乗じて溜息を吐いていたことである。瞳の方は美香に余計な心配をかけたくないと心遣いしたつもりだったのだろうが、ふたりは中学以来の付き合いだけに、美香の方では朝一番のあくびからため息であることなどお見通しであった。そうはいっても、本人ができるだけ知られまいと努力していることを尊重して、美香は一応気の付かないふりをしていた。だが、電車に乗ってからもそれが続くとさすがに見過ごすことができなくなったらしい。
「何かあったの?」
 美香は正面から瞳に尋ねた。人は心にやましいことがない限り、正面から向き合えるというのが美香の持論なのだ。果たして、瞳は何でもないと首を振ったものの、美香と目を合わさないよう視線を反らしている。
「それで?」
 一呼吸おいて、美香はもう一度尋ねた。きりっと引き締まった美少女の微笑みは見方よっては目の保養になるが、瞳には容赦なしの詰問である。だがそれも美香が本気で瞳のことを心配しているからであり、それがわかるゆえに瞳は美香に逆らえなかった。
「あのね。」
 瞳は申し訳なさそうに溜息の理由を打ち明けた。
 ひとたび原因がわかると美香の行動は早かった。彼女は瞳と同じ駅で降りると、すぐさま「翔君、呼び出して。」と言った。
「携帯、もってるでしょ?」
「うん。あるけど、今から?」
 本来、美香の降りる駅は、ここから更に3つ先なのだが、ひと便くらいの遅れなど物の数のうちに入らないと、あっさりしたものである。
「もちろん。この時間ならもう部室にいるはずだし。」
 瞳経由で美香がボーイフレンドの西村翔を呼び出すのは何も今に始まったことではない。美香はもちろん翔の携帯番号を知っているが、彼女の通う私立青嵐女学院では個人の携帯電話持ち込みが禁じられているため、この手間を作り出す要因になっていた。ついでに付け加えるなら、青嵐女学院は男女の交際も禁止されているため、表向き翔と美香が連絡を取るすべはない。
 瞳は携帯を取り出すとメモリーボタンで翔を呼び出した。
「もしもし、天野です。今、いい?うん、じゃ、美香ちゃんと代わるね。」
 バトンタッチされた携帯で、美香は瞳の溜息の原因を説明し解決を「お願い」したのだった。

 天野瞳の通う県立明日菜高等学校では、文化祭が終わると文化系の部室はどこも閑散としている。西村翔の所属する科学部も例外ではなく、放課後の部室には部長である翔と副部長の神田幹雄のふたりしかいなかった。しかも彼らは各々別の作業に没頭している。翔は中和適定の実験、幹雄は古ぼけたラジオを修理していた。
「どうだ、修理できそうか?」
 翔は慎重な面持ちで赤色の液体にスポイトで少しずつ液を加えながら尋ねた。
「うーん、保証はできん。音を拾う程度ならなんとか使えると思うが。」
 ぼやき半分で答えているところへ部室の扉がガラッと開き、肩先で丸く切りそろえられた黒髪をサラリとゆらせて瞳が入ってきた。
「お邪魔しまーす。」
 瞳は科学部の部員ではない。表面的には翔のクラスメートで、現在、席が隣り合わせという間柄にすぎなかった。部室に入ってきた瞳は、実験に集中している翔の邪魔にならないよう静かに通り過ぎると、直接に幹雄のところへやってきた。
「こんな感じだけど、いい?」
 幹雄がラジオのスイッチを入れると雑音混じりのトーク番組が聞こえてきた。
「あ、たぶん、大丈夫。このくらい聞こえてたら十分です。本当に助かりました。夕べいきなり音がしなくなったもんだからどうしようかと焦っちゃって。」
「中に埃がいっぱい詰まってたのを掃除しただけだから、あんまり保証はできないけど。これ、だいぶ古そうだからそろそろ寿命がきてるんじゃないかな。」
「やっぱり、そろそろ買い換え時かな。でも、取りあえず、今夜のところはこれで頑張ります。西村君、神田君、どうもありがとうございました。」
 瞳は嬉しそうにラジオを受け取るとペコリと頭を下げた。肩先の髪がふわりと下がり、また元の位置にかえる。そして、入ってきた時と同じように翔の邪魔をしないよう静かに横をすり抜け、出際にもう一度頭を下げた。
「どうもお邪魔しました。」
 再び扉が閉まり、部室には翔と幹雄のふたりだけが残された。
「おい、いいのか?」
「何が?」
「だから、彼女だよ。一緒に帰らなくていいのかって聞いてるんだけど。」
 興味津々という様子がありありの幹雄に翔はそれこそ不思議そうな顔をした。
「違うのか?」
 質問の意図を理解した翔は、吹き出したいのを我慢してわざとしかめ面をして見せた。
「知ってたら申し訳ないが、天野さんの家は僕と反対方向で、しかも彼女は電車通学だよ。」
 ちなみに翔の家は学校から徒歩で10分とかからない。
「そりゃまた大変だな。」
 幹雄の反応にやっぱり誤解してるなと思ったが、それでも翔は敢えて否定もせずあいまいに相づちを打っただけだった。今時男女交際禁止という超お堅い女子校にガールフレンドがいることは絶対に知られてはならないのだ。あらぬ誤解を受けた瞳には申し訳ないが、それはそれである意味好都合と、翔は屁理屈付けて自己完結した。
「まあね。それより、こっちこそ、急に頼んで悪かったな。でも、部の中じゃ、神田がこういうの一番好きで頼りになりそうだったから。」
「はは、部長には読まれてたか。ラジオなんて俺も久しぶりに触ったよ。でも、まだいたんだなあ、ああいうの使う子が。しかし、あれだとすごく聞きづらいだろうに。本当に大丈夫なのかな。」
 決して聞きやすいとは言えなかったラジオ番組の音を思い出しながら、幹雄は瞳の出て行った方向に見るとはなしに目を向けた。
「音は聞こえてたから大丈夫なんじゃないのかな。」
「そういえば、そんなこと言ってたな。あれ?でも、それじゃ番組が聞きたい訳じゃないってことか。」
「だと思うよ。天野さんはそういうのにあんまり興味ないらしいから。」
「じゃ、何のために?」
「流星の観測に必要だって言ってた。」
「流星の観測!?」
「ああ。ほら、今夜は獅子座流星群が極大だったろう?」
 赤から緑色に変わった液体を満足そうに眺めて翔は中和適定実験を終了した。

 ラジオを受け取った瞳は、早々に学校を後にして、美香と待ち合わせしている駅へと向かった。
「予定より遅くなっちゃったよう。いつもの電車、もう行っちゃったかも。」
 駅の改札口を出てすぐの一番ホームの末端めざして瞳は猛然とダッシュした。いつもの電車が発車したあとのホームにすらりとした美少女が立っている。青嵐女学院のトレードマークともいえるブルーグレイの上品なアンサンブルの制服が、たった今発車していった電車の風に翻っていた。
「ごめーん、美香ちゃん、待った?」
「ううん、いまの電車で着いたところ。」
「よかった。」
 ほっと一息入れたところで、改めて瞳は美香に礼を言った。
「今日は本当にありがとう。美香ちゃんが西村君に頼んでくれたおかげでちゃんと使えるように直してもらえたよ。これで今夜の観測はバッチリ。」
 嬉しそうにラジオの入ったポーチを見せた瞳に美香も微笑み返した。
「どういたしまして。前にね、翔君が副部長は修理の名人だって話してたから。」
 にこにこと答えたあとで、つと美香は瞳に接近した。
「瞳は数学、苦手だったよね。」
「うん。」
「数学だけじゃなく、理科も、苦手だったわよね。」
「う、うん。」
 にじりっと瞳は一歩後ろに下がった。日本人にしては彫りの深い顔立ちである美香が真顔で迫ってくる様はなかなかに迫力がある。
「なのに、どうして星の軌道計算はできるわけ?」
「えーっと。」
 正直に答えるまで放さないわよと迫り来る美香に瞳は観念して白状した。
「天体観測に必要な星の軌道計算の元は、小学校の時、従兄弟の彰兄が教えてくれたの。美香ちゃんも知ってるあの望遠鏡も実は、彰兄から貰ったものなの。」
「本当なの?」
「今更嘘ついても美香ちゃんにはすぐバレるでしょ。」
「まあね。」
 ふうと溜息をついて美香は瞳から一歩離れた。
「でも、望遠鏡って、当時でも相当したんじゃない?」
「だと思う。彰兄、一生懸命アルバイトして買ったって言ってたから。」
「ええ!?それなのに、ポンと瞳にくれたわけ?」
 コクン、と瞳は頷いた。
 驚きに満ちた瞳をしていた美香だが、やがて記憶をまさぐるかのように聞いてきた。
「でも、彰兄って、私、会ったことある?瞳の家に来る親戚筋の人って、だいたいわかるけど、それらしき人に全然心当たりがないのよね。」
「たぶん、ないと思う。」
一旦答えた後で瞳は改めて断言した。
「うん、美香ちゃんは彰兄に会ったことないはず。」
「すごく遠くに住んでるとか?」
 ぷるぷるっと瞳は首を振った。
「昔はね、近所に住んでいたの。でも、今はわかんない。」
 ふと寂しそうな目をした瞳に、美香は触れてはいけないことを聞いたようで軽い罪悪感にとらわれた。瞳とは家が隣同士ということもあり、つい、いろんなことに触れてしまうのだが、他人には知られたくないお家の事情というものも少なからず存在するものである。急に黙りこくってしまった美香を気遣ってか、瞳はそれまで話したことのなかった従兄弟の話を始めた。
「うちのママと彰兄のお母さんとが姉妹だったの。でも、伯母さんが病気で亡くなってからはそれっきり。それまではしょっちゅう行き来してたんだけどね。わたし一人っ子だから、彰兄にはよく面倒見てもらってたし。」
「そっか。私がこっちへ越してきたのは中学の時だから、それ以前てことね。」
「うん。ゴメンね。今まで黙ってて。」
「私こそ事情も知らずに突っ込んだりして、ごめん。」
 互いに申し訳ないと謝ったところで、この件についてはひとまず終止符が打たれた。
「でも。」と、美香は一呼吸置いて再び瞳に向き直った。
「数学と理科の苦手な瞳が天体観測に没頭する理由にはなってないわよ。」
 にっこり微笑した美香に、瞳はたじろぎながら舌を凍り付かせている。
 その時ポロロンと電車が入ってくることを告げる音楽が構内のスピーカーから流れ始めた。
「あ、電車だ。」
 美香の注意が電車にそれた隙に、瞳はするりとホームの列に並んだ。
「美香ちゃんも早く並ぼう。」
「逃げたわね。」
 軽く睨んだ先で、諦めたように美香も瞳に倣って列の最後尾に付いた。
 そろそろ夕方の通勤ラッシュが始まる時間帯だ。定刻通りの定位置に止まった電車は大勢の乗降でごった返している。瞳と美香は互いに気を配りながら満員に近い電車に乗ってホームをあとにした。


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