お星さまにウインク

ぽち参上

 天頂から一直線に瞳をめざして降りてきた光は、彼女の頭上で鮮やかな色彩を放って消滅した。だが、消えたのはその光だけに留まらなかった。瞳の心もまたどこかへ消え去ってしまったのである。光が去ったあとには、意識を失った瞳の身体だけが残されていた。
『瞳、ねえ、瞳ってば。』
 壊れた望遠鏡の前に倒れている瞳を前に星の子は一生懸命呼びかけた。
『瞳、瞳、起きてよ。お願いだから、目を覚まして。でないと本当に帰って来れなくなっちゃうんだからあ。』
 最後のあたりはほとんど泣きそうだった。それでも瞳の身体はピクリとも動かない。星の子には瞳の意識がどこに飛ばされたのかわかっているのだが、今の自分には行けない場所なのだ。
『どうしよう。』
 瞳に限ったことではないが、心の抜けた身体はその生命を長く保持することができない。星の子は「死」という言葉を必死で頭から追い払った。
『とにかく目を覚まさせなくちゃ。何かで瞳をつつけば気が付くはずなんだけど。』
 瞳の身体にわずかでも衝撃を与えることができれば意識は戻って来る。だが、星の子が瞳の身体に直接触れることはできないのだ。テレパシーで互いの意識を通わせることはできてもお互いの実体に触れることはできないのである。その事実に気が付いた時、星の子は初めて呆然となった。けれども、その程度のことで諦めるような星の子ではない。自分で直接に触れることができないのならば、何かを媒体として触れるまでのことだ。
『待っててね、瞳、すぐ、戻ってくるから。』
 ふわりと星の子は瞳から離れると、いずことなく飛び去った。

 瞳が星を見ている空き地から通りをひとつ挟んだ道路の反対側に、夜になると犬の散歩をする人達で賑わう公園があった。この公園は周囲を銀杏などの木立に囲まれ、近隣の民家から一線を期しているので、飼い主達がマナーを守っている限りは犬の遊び場として黙認されていた。飼い主と一緒になって犬たちがのびのびと遊んでいる様子はなかなかに微笑ましい。その中に柴犬と遊んでいる西村翔の姿があった。
 翔の家は繁華街にあるため、犬を自由に遊ばせてやれるような公園がない。ガールフレンドの美香からこの公園のことを教えてもらってからも、翔の家から何駅もかかるほどに隔たりがあるため、散歩コースとして利用するまでには至らなかった。
 それがこの春、翔の母親が再婚したことで状況が好転した。母親の再婚相手には成人したひとり息子がいて、渋谷彰というこの年の離れた青年と翔は不思議なほどに意気投合したのである。翔の親権は父親が得ていたが、息子の行動にはまるで無関心であったことも幸いして、ふたりの間に実の兄弟同様の付き合いが始まった。その縁で、週に2、3回のことながら、渋谷が翔とその飼い犬とを件の公園まで車で連れて行ってくれるようになったのである。
「翔、そろそろ帰るか。」
 時計が22時を回った頃、渋谷は翔に声をかけた。
「そうだね、渋谷さん。メルも十分遊んだだろうし。」
 翔は伸ばしていた革ひもをたぐり寄せた。散歩専用の長いひもの先には柴犬のメルがいる。
「よしよし。見ろ、ぽちは疲れてもう寝てるぞ。」
 渋谷が抱いているのは、この秋にメルが生んだ子犬である。いずれは里子に出すつもりなので、それまでの仮の名前として適当に「ぽち」と呼んでいた。赤ん坊の常としてぽちもよく眠る子犬である。
 メルがくうんと鳴いて子犬を舐めようとした時のことだ。眠っていたはずのぽちがいきなり渋谷の腕の中から飛び出した。
「お、おい!」
 子犬の行動は確かに突拍子のないものだったが、ぽちのジャンプ力は子犬とは思えないほどに大胆なものだった。それこそよく訓練された大型犬も真っ青な瞬発力で飛び出していったのだ。
「翔、ぽちが飛び出してった!」
「わかってる。」
 驚きながらも翔は、まずメルを車に入れることを優先した。このままメルまでもが飛び出して行方不明になったらそれこそお手上げ状態になってしまう。
「僕、こっちを探すから、渋谷さんは反対側をお願いします。」
 メルを車内へかっちり繋いだあとで翔はぽちが消えた方向に駆け出した。

 公園から飛び出した子犬はまっしぐらに瞳の倒れている空き地を目指していた。
『ごめんね。用がすんだらすぐ戻してあげるから。』
 何のことはない、子犬の身体に星の子の精神が入り込んでいたのである。実体のない星の子が瞳に触れるためには、その星の生物の身体を借りるしかない。しかも、スムーズに精神を同調させるためには、相手側に意識のない状態であることが必要だった。あの場にいた多くの生命体のうち、その条件を満たしていたのは眠っていたこの子犬だけだったのだ。
 子犬の精神にうまく同調できた星の子はそれこそ全力疾走で瞳の側に戻ってきた。
『瞳、瞳。』
 子犬がペロリと瞳の頬を舐めた。ざらりとした独特の舌の感触が瞳の意識を呼び覚ます。
「う…ん。」
『瞳、起きて!』
「うん、わかった…もらってきてあげるから。だから、泣かないで。」
『瞳、なに?』
 無意識にしゃべっていた瞳は、自分の声で意識を取り戻した。
「え?こ、こいぬ!?」
 いきなり目の前で舌を出している子犬を見て、瞳は一瞬パニックに陥りかけた。彼女の意識はそれまで別の所にあって自分では意識を失っていたという記憶がないのだから無理もない。
「な、なんなの!?」
『よかったあ。帰ってきたんだ。』
 口パクしている瞳とは対照的に、心底ほっとした星の子の声が響く。
「いったいどうなってるの?」
 ぽかんとしている瞳にきゅーんと子犬が飛びついた。
「きゃっ。わあ、かーわいい。どうしたの?」
 ぎゅっと抱き上げた子犬がにこっと笑ったような気がした。
(子犬が笑う?)
 その異様な感覚に瞳はじっと子犬を凝視した。
「まさか、あなた…。」
『はい、あたしです。』
 瞳が声に出すより前に、子犬が頷いた。
「ど、どうして?」
『だって、瞳、こうでもしないと起きてくれそうになかったから。』
「わたし、寝てたの?」
 瞳の質問に子犬はしっぽをふりふりして同意を示した。
「そんなはずないよ。だって、今までわたしは」
 反論しかけて瞳はあれれと首を傾げた。
「あの子がいない。」
 漠然とした声が瞳の口から漏れた。

 まばゆい光に包まれたあと、瞳は不思議な世界にいた。具体的にそこがどんな場所かと聞かれても答えに困るのだが、確かにそこは別世界だった。そして、そこで瞳は泣いているひとりの少女に出会ったのだ。
「どうしたの?」
−返事が来ないの−
 目に涙をいっぱい溜め、少女は瞳を見上げて訴えた。
−いつもならすぐに返事が返ってくるのに、誰からも、ひとつも返って来ないの。あたしのことなんてみんな、もうどうでもよくなっちゃたのかな−
 何のことだかさっぱりわからないが、とにかくここは泣き止めさせなくてはと瞳はとりあえず否定してみせた。
「そんなことないと思うけど。」
−だったら、どうしてお返事くれないの?−
「きっと何か事情があるのよ。」
−どんな?−
 少女の質問に瞳が答えられるはずもなく黙っていると、せっかくおさまりかけていた涙がまたこぼれ始めた。
「泣いたら、目がみっともなく腫れちゃうよ?」
 瞳の忠告に少女の涙がピタリと止まった。しかし、今にも泣き出しそうな顔は相変わらずで、その表情を見ているうちに瞳はつい言ってしまったのだ。
「うん、わかった。わたしがそのお返事をもらってきてあげる。だから、もう泣かないで。」
−本当?−
 内心ではしまったと思ったのだが、嬉しそうな表情の少女を前に今更できませんともいえず、瞳は大きく頷いてしまったのだ。その答えを聞いて少女が再び何か言った。だが、そこから先の記憶が瞳にはない。頷いたあとで顔を上げた時、瞳の目の前にいたのは星の子の意識を宿した子犬だったのである。

『うわ〜、最悪』
 瞳の記憶を辿った星の子は、頭を抱え込んだ。
『まずいわ、ぜったいにマズイわよ、ソレ。』
「何がまずいの?」
 瞳はまだ半分夢見ごこちの状態にある。
『じゃあ、聞くけど、瞳が会ったその女の子、どんな子だったか思い出せる?』
 女の子は女の子でしょ、と答えかけて、はたと瞳の記憶は中断した。
「???」
『ほら、思い出せないでしょう。』
 ズバリ指摘されて、瞳は思わず唸った。しかし、それのどこが拙いのかまではわからない。
「それが、なんだっていうのよ?」
 今度は瞳の方が強気に出た。抱き上げた子犬がくうんと甘えた声を出し、瞳の頬を舐める。
「きゃ、くすぐったい。」
 反射的に子犬から手が離れ、瞳の視界が広がった。その瞬間、瞳は呆然と立ち上がった。
「そんな…嘘でしょう。」
 瞳の目の前には、砕けたはずの望遠鏡が元の姿のままに立っていたのである。
『はあ…やられたわね。』
 現実味を帯びた星の子の声が響く。
『こうなったら探すしかないってことか。』
「探すって、何を?」
『星のかけら』
「なに、それ?」
 答えた先で、ガツンと何かでしばたかれたような衝撃を受けた。
『約束したのは、瞳でしょう。』
 それまでになく不機嫌な声だった。だが、どこか存在感の薄れた感がある。
『だめ、これ以上はこっちが限界だあ。ゴメン、瞳。今夜はこのまま休ませて。明日、ちゃんと説明するから。』
 そこで完全に星の子の意識が途絶えた。同時にこてんと瞳の足に何か暖かいものが触れた。
「あらら、こっちも寝ちゃってる。」
 瞳の足下で、子犬が幸せそうに眠っていた。

 瞳はクスリと小さく笑みを洩らすと迷わず子犬を腕に抱え、そのまま自分の部屋まで連れて行った。そして適当なクッションの上に寝かせてから、おもむろに望遠鏡などを取りに引き返したのである。
「あれ、天野さんだ。そうか、今夜の観測、終わったんだな。」
 瞳が望遠鏡を抱えて玄関に入っていく姿を偶然にも翔は目撃した。だが、それ以上、気に留めることはなかった。折しも反対側から走ってきた渋谷と出くわし、互いに飛び出していった子犬の手がかりが見つけられなかったことを確認しあうだけに終わったのだ。
「くっそお、ぽちのヤツ、どこへ行ったんだ。疲れたらところ構わず寝るくせに、こういう時だけ、やたら行動範囲が広いんだからな。」
 星の子にとっては間一髪、渋谷と翔にとっては灯台もと暗しというべきか。
 獅子座流星群という華やかな天体ショーの終わりに待ち受けていたのは、小さな異変の幕開けだった。


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