お星さまにウインク

偶然ですか?

 いつも元気はつらつの翔がどんよりと曇っている。本人は普通に振る舞っているつもりらしいが、テンションが高すぎて、かえって瞳には不自然に映っていた。
「何かあったの?」
 席につく側でこそっと尋ねてみた。
「すごく、眠そう。」
 さりげなさを装いつつも的確なひと言に翔はぼうっとしたまま答えを返した。
「…ちょっと、夕べ、夜更かしがすぎたらしい。」
「それだけ?」
 ギクリと翔は瞳を見上げた。
「一晩徹夜したくらいでバテる西村君でもないでしょう。」
 にこやかな表情とは裏腹に、翔に対する瞳の観察眼は鋭い。
「いろいろとね。」
 翔は一息吐く傍らで曖昧に言葉を濁した。
 瞳は席が隣り合わせという偶然を何気に装って翔と美香の連絡を取り持っている。故に瞳が翔に話しかける時は、ほとんどの場合、美香からの伝言を含んでいるのだ。だが、今朝の挨拶代わりのひと言にはそれらしきニュアンスが含まれていなかった。それは瞳本人が何か用事があって翔に声を掛けたということだ。いつもの翔なら、瞳が話しかけた地点でそのことに気が付くのだが、今日ばかりは前日の影響で頭が働いていなかった。
「天野さんこそ、何か用?」
 気が付いた時にはタイムアウト、ホームルームの時間となった。

「起立!礼!」
 日直の掛け声に合わせて互礼が終わって顔を上げた時、思わずクラスの中がざわめいた。生徒の視線は教壇ではなく、教室の入り口に集中している。翔と瞳も例外ではなく、担任の鈴木に従って入ってきたスーツ姿の青年に目が釘付けになっていた。
(渋谷さん、今日から講師のアルバイトが入ったって言ってたけど、まさか、うちの学校とはね。ったく、ひとことくらい教えといて欲しかったよな。)
 翔の渋谷を見る目が自然と険しくなる。瞳の方もそれは同様だった。
(彰兄!?)
 かつて瞳に星を見ることを教えてくれた従兄弟によく似た面差しの青年教師をまんじりともせず見つめていた。

「静かに!」
 鈴木はざわめいている教室に形式的な一声を投じると、そのまま注目の的になっている人物の紹介に入った。
「こちらは、みんなも知ってのとおり、先日入院された田端先生に代わって、本日から国語を担当することになった渋谷先生だ。」
 話しながら鈴木は「渋谷彰」と黒板に名前を書いた。
「うそ、若い!」
 どこからか感嘆と期待の入り交じった声がささやかれている。
「あら、外見だけじゃ、わからないわよ。」
「そりゃ、そうだけど。でも、見た目は結構良い感じじゃない。」
「だからって、この時期でしょう?新採のわけないじゃん。」
「いいとこ、空き待ちのパートタイマー?」
 往々にして、教室におけるひそひそ声はよく響くものである。それでいて話をしている者は内輪だけでやりとりしているつもりだから、内容があけすけで遠慮がない。
「でも、国語って結構授業数あるから、目の保養にはなるわよ。」
「見る分には確かにいいけどね。」
 11月も半ば過ぎとなれば、2学期も半分以上が経過している。二年生とはいえ、早い者は受験体制に入っているので文系志望の生徒にとっては先生の質もそれなりに気になるところなのだ。
 そんな生徒達の生の声を渋谷は興味深く聞き耳を立てる反面、さもあらんと聞き流していた。
 鈴木は形式的に渋谷を紹介し、その日の伝達事項を伝えるとホームルームを終わらせて教室から出て行った。彼はこの後、別な教室で教鞭を執らねばならなかった。渋谷の方はというと、記念すべき最初の授業−しかも1時間目−がこのクラスに当たっていた。

 教壇に立った渋谷は教机の上に置かれている座席表に目を留めた。
「今の席は、この座席表どおりでいいのか?」
「そうでーす。」
「じゃ、出席を取る。」
 渋谷は出席簿を傍らに開き、そのまま座席表に従って名前を読み上げた。さすがは国語の教師だけあって、読み方に詰まるようなことはない。淡々と出欠を取っていく渋谷に、次第に教室は落ち着きを取り戻していった。
 静かになった教室が再びざわめいたのは瞳の名前を読み上げた時のことだった。
「てんのひとみ。」
 渋谷は正確に瞳の名前を読み上げた。
「はい。」
 真っ直ぐ答えた瞳に、まわりから「おおっ。」という感嘆の声が漏れたのである。
「どうした?」
「だって、一発で呼んだの、先生が初めてじゃないかなあ。」
 遠慮のない声が教室から返ってきた。
「何がだ?」
 いぶかる渋谷に、翔がすかさず解説を入れた。
「普通、天野さんの名前は「あまの」って読むじゃないですか。それがすんなり「てんの」と出てきたからですよ。」
 言われてみて、渋谷もあっと声を上げるところだったが、一呼吸置くことで、辛うじて呑み込んだ。それまで全く意識していなかったことだけに少なからず動揺しかけたが、出席簿に視線を泳がせたところで、淡々と切り返したのである。
「あまのと読むなら、主席番号が最初のあたりだろう?だが、残念ながら天野さんは18番だ。」
「あ、そうか。」
 昂揚しかけていたトーンが一斉に下がっていくのがわかる。どうやら第一関門突破と言ったところだろうか。渋谷はそのまま全員の名前を間違いなく読み上げ、引き続き現代国語の授業に入っていった。

 翔はひたすらに眠かった。ただでさえ眠いところへ渋谷の子守歌にも似た授業が押し寄せてくるものだから、相乗効果抜群、目だけは開けていたが、意識が付いてきていたかどうかは大いに怪しいところである。
(頼むよ。もうちょいはっきりとしゃべってくれよ。)
 おそらく渋谷も睡魔と戦いながら授業をしているに違いない。普段の声を知っている翔には、ありありとそれがわかるのだ。だが、まさか初日からそんなことを指摘するわけにもいかず、ひとり悶々としていた。
 なにしろ、昨夜はあれからずっと渋谷と二人で子犬を探して街中を走り回っていたのである。ただのロードワークならここまで疲れることはない。瞳の言ではないが、試験中の一夜漬けを思えば、一晩や二晩徹夜したところでばてるような翔ではないのだ。
 問題の子犬は、乳離れこそしていたものの、これまで外に出したことがなく、実は昨夜が初めてのお散歩だった。動物には帰巣本能が備わっているというが、昨夜初めて外出した子犬にそれを望むのは無理というものだろう。また、街をうろついていて、心ない人に捕獲されないとも限らないではないか。時間が経つに連れ、悪い方へばかり考えてしまって、夜が明けた時には肉体的な疲れよりも精神的に疲れた部分の方が遥かに大きかったのである。しかし、幸いないことに、眠いのは翔だけでなく、渋谷も、そしてクラスの半分もまた程度の差こそあれ眠気と戦っている様子だった。

 ふと隣を見ると、瞳が真剣に授業を聴いている。だが実際は、授業の内容ではなく、渋谷の声そのものに瞳は注意を向けていた。
(渋谷先生って、彰兄じゃないのかなあ。)
 瞳は記憶の中の声と、今目の前でしゃべっている声とを聞き比べていた。聴けば聴くほどよく似てるような気がするのだが、いかんせん、このかったるさはどうしたことか。瞳に星の話をしてくれた従兄弟は、何事もはっきりした口調で話すタイプだった。
(こんなの彰兄じゃないよう。彰兄なら、もっとパンパンって歯切れよくしゃべるはずだもの。)
 真剣に聴けば聴くほど眠気を催してくる渋谷の声に、瞳が見切りを付けた頃、ようやく授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。
「起立、礼。」
 互礼が終わると翔はぐったりと机に突っ伏したのであった。

 一旦話すきっかけを逃すと、席が隣り合わせとはいえ、意外と話しかけづらいものである。朝の件を気にしながらも翔が再び瞳と話すことができたのは放課後、それも帰宅間際になってからだった。鞄にノート類を詰めている瞳に翔は思いきって今朝のことを尋ねてみた。
「あのさ、今更だけど、今朝、何か聞きたそうだったよね。何かあったの?」
 瞳はパチンと鞄の蓋を閉めると翔を振り仰いだ。
「西村君、犬を飼ってるでしょ。ちょっといろいろあって、病院とか教えてもらえないかなって思ったの。犬って確か、病院へ連れてかなきゃいけないんでしょ。」
「ああ、狂犬病の注射があるからね。」
 なんだそんなことかと答えたあとで、翔は不思議そうに聞き返した。
「天野さん、犬なんて飼ってたっけ?」
「昨日からそういうことになっちゃったの。」
「随分急な話だね。その犬を買ったペットショップでは教えてくれなかった?」
「あのね、買ったんじゃなくて、知り合ったの。」
「知り合った?」
 思わず翔は聞き返した。買ったでもなく、もらったでもなく、知り合ったとはまた面白い表現である。だが、瞳には、そうとしか言いようがなかったのだ。
「うちの掛かり付けの病院ならこの近所にあるけど。」
「なら、そこへ案内してくれる?すぐ呼んでくるから。」
「え、呼んでくるって…。」
 翔が聞き返す前に瞳は鞄を持って走り出していた。それでも教室を出る前、何かを思い出したように振り返った。
「あ、でも教室は動物の持ち込みってダメなんだっけ。えーっと、じゃあ、校門で待っててくれる?すぐ、戻ってくるから!」
「天野さん!」
 翔の呼び止めた声など聞こえなかったのか、瞳はあっという間に教室から出て行き、中庭を横切って行く姿が窓から見えた。
「すぐ戻ってくるってもなあ。」
 瞳の家から学校まで、電車を使って30分以上かかるのだ。往復だと裕に1時間は越える計算になる。
「その間、僕にどうしろっていうんだ。」
 諦め口調ながらも、翔は無意識に時計に目を移していた。
「実験が2回はできるな。」
 今日は部活のない日だが、許可をもらえば部室で実験をすることは可能である。翔は鍵を取りに職員室へ向かった。

 翔が職員室で鍵の授受簿に名前を書いていると、耳に馴染みのある着信音が聞こえてきた
「うわっ。え、この鳴り方!?」
 慌てて廊下へ出て携帯を取り出すと、思ったとおり瞳からだった。あれからまだ5分と経っていない。駅に着いたあたりかと思っていたら、何と校門にいるという。つまりは、翔に早く来いということだった。いかにも瞳らしいというか、用件だけ伝えると丁寧に電話は切れた。
「すぐ戻ってくるって言ったの、本当だったんだ。」
 何となくすっきりしないが、翔はそのまま校門に走った。そこでは更なる驚きが翔を待ち受けていた。校門の片隅にいた瞳の腕には昨夜行方不明になった子犬がちゃっかり抱かれていたのである。
「ぽち!?」
「えー、このコ、ぽちっていうんだ。よかったね、ぽち。名前がわかって。」
 にこにこと元気な瞳とは対称的に、翔はその場にへたりこみたいくらいに脱力していた。
「まさかと思うけど、そいつ、ゆうべ、どこかで拾ったとか。」
「拾っただなんて、失礼ね。知り合ったって言ったでしょ。わたしの命の恩人でもあるんだから。」
「はあ。」
 翔の頭がしゃっきりしていれば、瞳の受け答えの中に疑問を抱く余地はいくらでもあったのだが、昨夜からの疲れが限界にきているため、彼の思考能力はゼロに近かった。頼まれたことを思い出すのがやっとの有様だったのである。
「えっと、病院だったよね。」
「うん。それとついでに首輪とかも買いたいからペットショップも教えてくれる?」
「OK。」
 ふたつ返事で答えて翔が歩き出すと、瞳は子犬を抱いていた腕を緩めた。
「ぽち、自分の足で歩きなさい。」
 瞳の言葉がわかるのか、ぽちはぴょんと地面に降りて翔の足下にまとわりついた。その癖のある独特のまとわりつき方に、翔はこの子犬が昨夜行方不明になったぽちであることを確信した。
(渋谷さんに里親探しは必要なくなったって言わなきゃな。)
 頭の隅でそんなことを考えながら、翔は瞳と並んで歩いていた。


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