お星さまにウインク

嵐のそら

 試験が終わったあとの最初の授業ほど嫌なものはない。どの先生もにっこり笑って採点の終わった答案を返してくれるからだ。
「これって、絶対嫌味よね。」
 試験の最終日、しかも最後の時間に組まれていた英語が翌日の1時間目であったにも関わらず、きっちり採点されて返ってきた時には、瞳だけでなくクラスのほぼ全員が討死状態に陥っていた。幸いにして瞳は平均点をクリアしていたが、点としてはあまり誉められたものではない。
「パパへの言い訳はともかく、ママの理解を得るのはちょっと大変かも。」
 それより瞳にとって差し迫っての問題は、いかにして翔を例の公園へ引っ張り出すかである。試験が終わったからには、早急に実現させなければならない。今となっては飼い犬の親子対面は口実にすぎないが、星のかけらを探すためには一日でも早く実行に移す必要があるのだ。
「それなのに、西村君ときたら何だかんだと付き合い悪いんだから。」
 昼間のデートと違って翔の父親込みで夜に会おうというのだから最初からすんなりいくとは思っていなかったが、冬休みが近づくに連れて瞳は次第に焦りを覚えはじめた。
 ぽちの身体を借りた星の子も自分なりに探索の輪を広げているようだが、これまでのところ手がかりはゼロに等しいという。星のかけらの存在は感じるのに、場所の特定ができないのは当初から変わらない。しかもその理由たるや、近くにありすぎて見当がつかないというのだから皮肉としか言いようがなかった。
『だって、距離の感覚が違うんだもん。』
 宇宙を自由に飛びまわることのできる星の子にとって瞳達の住んでいる町などは、針の先で突いた点にも満たないのだ。

 ぽちは昼休みになると午前中の成果を報告するべく、学校の裏庭の茂みまでやってくる。保健所などの目をかいくぐって、子犬一匹で街を自由に探索するのは無理があるのではないかと危ぶんだが、そこは星の子の力で、「子犬の存在を誰も疑問に思わない」よう人々の心に働きかけて対処しているらしい。意識して子犬に関心を持った人以外には効かないらしく、これまでのところ、ぽちは誰にも注目されることなく自由に街中を走り回っていた。
 昼休みに、ぽちから午前中の成果を聞いた瞳は、うーんとひとつ唸ったあとでぽつりと呟いた。
「こうなったら学校帰りに寄ってみた方が早いかな。」
『学校帰りに寄るって…どこへ?』
「西村君ん家。学校から十分とかからないとこなんだって。用があるのはお父さんの車だから、夜には家にあると思うのよね。わたしは見たことないからどんな車か知らないけど、ぽちは見ればわかるんでしょう?」
 言われてみればまさにそのとおり。星のかけら探しに必要なのはぽちが公園まで乗ってきた車であって、人の有無は関係ない。
『でも、それだと、帰るのが遅くならない?』
「少なくとも、いつもより遅くなるのは確かだわね。」
 全く不安がないと言えば嘘になるが、事態が切羽詰まってきていることは瞳も感じていたから、この際、少々の冒険は試してみる気になっていた。外見からはのんびりしているように見えるが、元来瞳はこうと決めたら思い切りよく行動するタイプなのだ。
「そういうわけで、今夜も西村君がダメならわたし達だけでやるしかないわ。」
『じゃ、学校が終わる頃、また来るね。』
「OK。いつものところで待ってて。」
 深刻にスタートした昼休みの会話は、実力行使に出ることで意見が一致し、賽は投げられた。

 放課後間際に繰り返される瞳と翔のやりとりは、いつものとおりの内容でもの別れに終わった。
「なんであそこまで拒否するかなあ。」
 半分疑問に思いながらも瞳は次の行動に移ることにした。いうまでもなくぽちとの合同探索である。だが、こういう日に限って余計な邪魔が入ってくるもので、瞳が教室を出るタイミングを見計らったように携帯が鳴った。
「もしもし、美香です、もう、学校出た?」
「今ちょうど教室を出たとこ。」
「わあ、ナイスタイミング。」
「何が?」
「私、そこの駅を出たところなの。そこで、ぽちに会ったのよ。」
「はあ?」
「鎖が緩くて抜けたんじゃないかと思うんだけど、首輪だけで走ってるところをたまたま見つけて…。」
 ぽちを知っている美香には、星の子の力が及ばない。そのため、街中を走っていたぽちは駅で美香に発見され、保護されたらしいのだ。
「このまま私が連れて帰ってもいいんだけど、子犬を抱いたまま電車に乗るのは初めてだし、何かあってからじゃ遅いと思って連絡したの。今からそっちに行くから校門で待ってて。」
 本来なら、素直に礼を言わねばならないところだが、今回ばかりは番狂わせのハプニングに瞳はがっくりと肩を落とした。
「最悪…。」
 狂った予定をどこで取り戻すか、早くも瞳は事後策を考えはじめていた。

 試験休みで学校が休みの美香は私服でぽちを抱いている。制服姿の生徒が行き交う校門前だとかなり浮いている格好だ。
「お待たせ。」
 急いで教室から出てきた瞳はいささか息を弾ませていた。しかし、校門前で立ち止まったわずかな間でも、下校中の男子生徒が美香をチラチラ盗み見する様が見て取れるので、居心地悪い雰囲気を察し、早々に校門から離れた。
「あの、歩きながら話す?」
 瞳が進んだのは、普段帰るのと反対方向の道だったが、美香はそのままついてきた。そしてひとつめの角を曲がったところでバッタリ翔と出会ったのだ。教室で別れた時の気まずさはまだ残っていたが、一緒にいる美香がぽちを抱いている姿を見て、翔は深い溜息を吐いた。
「せっかくだから、メルに会っていくか?」
 こういうのを九回裏ツーアウトからの逆転ホームランとでもいうのだろうか。多少の手違いはあったものの、これなら最終的な目的が果たせそうである。
「いいの?」
「庭先で顔を会わすくらいなら問題ないだろ。」
 瞳が翔から子犬をもらったことは既にクラス中が知っている。犬の親子対面を口実に家へ招いても別に不自然なことはないだろう。理由が立つならこそこそせずに、むしろ堂々とした方が後腐れがなくてすむというものだ。そう開き直った翔は、さばさばした様子で瞳と美香を家に案内したのだった。

 翔の家は俗に高級住宅街と呼ばれている一角にある。彼は瞳達をメイン通りに面している玄関ではなく庭続きの裏口に案内した。品よく手入れしてある庭木の下に大きな犬小屋があり、メルが日向ぼっこしていた。だが、翔の足音を感じるやムクリと起きあがり、鎖をギリギリまで伸ばして門に近付き、ちぎれんばかりに尻尾を振り始めた。
「すごい。西村君の足音がわかるんだ。」
「それなりに付き合いが長いからね。ただいま、メル。今日はお客様を案内してきたよ。」
 それまで瞳の腕の中でおとなしくしていたぽちがぴょんと飛び出し、翔とメルが戯れている間へ入り込んだ。ぽちはメルの前で尻尾を振って愛嬌を振りまき、メルはくんくんとぽちの臭いを嗅いだ後で頭をペロリと舐めてやった。
「すごい。ちゃんと覚えてるんだ。」
「もともとメルは母性本能が強い犬だったからね。」
 メルとぽちが仲良くじゃれ合っている様に注意を向けてしゃべっている翔と瞳の傍らでは、美香が庭の奥にシャッターの開いたままになっている車庫に注目していた。
「今日はまだお父さん、帰ってらっしゃらないみたいね。」
「週末だからね。ゆっくりしてくるんじゃないかな。」
「すごい、美香ちゃん、そんなこともわかるんだ。」
「だって車庫がカラだもの。」
「そういうものなの?」
 相槌を打ったところで、瞳はまたしても目的が果たせないことに気が付いた。翔の家に寄った口実ではそれほど長居はできない。
 一方で、翔は美香と嬉しそうに話をしていた。
「全くもって悪趣味の極みだよ。こんな狭い通りにBMWなんてさ。」
「でも、それだってひとつのステイタスでしょう。」
 瞳には二人の話している内容に興味はなかったが、話題の中に出てきた車の種類がBMWであることは聞き取れていた。車についてそれほど詳しいわけではないが、BMWが外車でかなりの高級車であることくらいは知っている。
(お散歩ごときにBMWに乗せてもらってたの?)
 呆れ顔の瞳にぽちはブンブンと首を振った。
(散歩の時は別の車が迎えに来てたみたい。狭い通りでも不自由しない小型の国産車で、この家の庭には一度も入ったことないってメルが教えてくれた。)
(それじゃ、まるきり話が違うじゃないの。)
 瞳の眉間にシワが寄った。

 その時、庭に面した廊下側の障子が音もなく開き、翔に向かって厳しい言葉が飛んできた。
「翔、帰ってきたのなら、きちんと挨拶なさい。しかもお客様を裏庭からお招きしてそのままにしておくだなんて失礼でしょう。」
「すみません、おばあさん。すぐ上がって頂きます。」
 答えながら瞳達にゴメンと手を合わす翔の姿が重なった。廊下を曲がって老婦人の姿が見えなくなると翔は諦めたように靴を脱ぎはじめた。
「家に連れてくる相手に関しては何も言わないんだけど、挨拶だけには煩いんだ。悪いけど、形だけでも頼む。いつもはこの時間だと居間にいるはずなんだけどなあ…。」
 そのくらいならお安いご用とばかりに瞳と美香は翔のあとに続いて座敷へ上がった。壁際に和室には何とも不釣り合いなホームシアターセットが置いてある。
「これは親父の趣味。といってもほとんどテレビとしてしか機能してないけどね。」
 間を持て余したのか、翔はリモコンのスイッチを入れた。ちょうど夕方のニュースの時間帯らしく、アナウンサーの紹介で次々と美しいオーロラの映像が映し出されていた。
「きれい…。これ、オーロラでしょう?」
「みたいね。今時のニュースでこんな特番組むなんてよっぽど暇なんだわ。」
(瞳、これ、特番じゃなくて、今現在のことなんだけど。)
 庭先から弱々しいぽちの声が届いた。
「天野さん、今年はオーロラの当たり年だっけ?」
 翔に名前を呼ばれて瞳は大きく首を振った。
「最近は太陽の活動が安定してるから、旅行会社には気の毒だけど、オーロラツアーは閑古鳥よ。」
「でも、これは間違いなくオーロラだよね。」
「それもかなり大規模な…。」
 その先の言葉を瞳は呑み込んだ。ぽちが硬直してみえるのは決して気のせいではないようだ。
(宇宙が…宇宙が、荒れ狂ってる。ものすごい嵐の渦に、みんな巻き込まれて飛ばされてる。)
 うわの空のようなぽちの声に瞳は確信を持った。何らかの事情で太陽の活動周期が狂い、そのために大規模な磁気嵐が発生しているのだ。人の目に美しく見えるオーロラは、太陽風と地球磁場圏が激しくぶつかり合い、宇宙の天気を乱している証拠である。
「なんだか、ぽちは疲れて寝ちゃったみたいだから、わたし、今のうちに連れて帰るね。ごめん、ゆっくりできなくて。」
 鳴き声一つ上げるでなく、瞳の腕にぽちはおとなしく抱きかかえられた。ぐったりしている様子は眠っているように見えなくもないが、この時ぽちはひどい頭痛に見舞われていたのである。翔の友人としての心象は悪くなるだろうが、瞳としてはぽちの叫びを無視することができなかった。
「美香ちゃんもごめんね。」
 申し訳なさそうにペコリと頭を下げて、瞳は表通りへダッシュした。予算オーバーは少々痛いが背に腹は代えられぬ。瞳はお財布の中身を気にしながらタクシーに乗り込んだ。


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