お星さまにウインク

こぐま座流星群

 あの日以来、ぽちの頭痛は収まらず、夜はもとより日中も瞳の部屋でぐったり寝ていることが多くなった。一度は医者に連れて行こうと思ったのだが、頭痛の原因が「太陽風による磁場嵐の煽り」とあっては、説明のしようがない。原因不明ですめばまだしも、勝手な病名を付けられて治療されでもしたら、今後の活動に差し障るかもしれないということで、「あのくらいの子犬はよく眠るものだし、好きなだけ寝させてやった方が成長も早いと聞いているから」とあいまいな理屈で瞳は両親の心配を押し切った。幸いにして頭痛はあってもぽちの食欲は衰えなかったから、両親も心配しながらでも納得してくれたようだ。
 むしろこの時大きな変化を受けたのは美香の方だった。瞳が飼っている子犬を母犬に会わせるという口実に便乗して翔の家を訪ねたのに、肝心の瞳は途中で子犬を連れてさっさと帰ってしまった。引っ込みの突かなくなった翔は、一人残っていた美香を自分のガールフレンドだと祖母に紹介してしまったのである。翔の祖母は最初の頃こそ怪訝な表情をしていたが、美香が古き伝統を持つ私立青嵐女学院の生徒であることを知ると対応がガラリと変わった。驚いたことに翔の祖母もそこの卒業生だったのである。一瞬、創立以来変わっていないお堅い校則を持ち出されて交際を反対されたらどうしようかと危ぶんだ美香だが、現代の風潮に理解ある大先輩は、後進の在校生と極めて穏やかに歓談を重ねてくれたのだ。これこそ「怪我の功名」とでもいうべきものだろうが、ともかく美香は翔の祖母の気に入るところとなり、これ以後、翔の家へは出入り自由の身となったのである。
 
 金曜日は美香を家まで送っていき、土日も充実したデートを楽しんだ翔が思わぬ窮地に追い込まれたのは翌月曜日のことだった。
 朝、教室へ入った翔をクラスの女子が冷ややかな目で睨んでいる。いつもどおりに「おはよう。」と挨拶をしてくれたのは、隣席の瞳だけだった。その翔を更に困惑させたのは、そんな瞳の態度を「信じられない」と驚きの声が教室の片隅でささやかれたことだった
「どうなってるんだ?」
 瞳に尋ねても、「さあ…」と曖昧な返事しか返ってこない。
「なんだかよくわからないんだけど、誤解が誤解を招いてるみたいなの」
 一段と声を小さくして返ってきた答えに、それこそ心当たりのない翔は首をかしげた。
「だから、私と西村君が付き合ってることになってて、西村君は更に美香ちゃんと私を二股掛けてるんだって」
 こそこそとささやかれた内容に、それこそ翔は驚いて声を上げてしまった。
「どっからそういう話が出てくるんだよ!僕が付き合ってるのは、美香だけだぞ。」
 とっさに叫び返した翔に、瞳はアイタタと首を振った。翔の声はクラス中に響き、もはやとりつくシマもない。
「えーっと、そういう訳だから、西村君の付き合ってるのは、私の友達の方で、私は学校が違うふたりのキューピットをしてるだけ」
 こうなったら下手に誤魔化すより過剰な詮索を避けるためにも、事実関係をはっきりしておいた方がいいだろうと、駄目押しの補足説明をおこなった瞳である。
「天野さんって、西村とは何でもなかったのかよ」
 それまで女子を中心に澱んでいた空気が一転して、男子の間に不穏な空気が流れつつあるのがわかる。だが、それ以上陰険な雰囲気へと高まることはなかった。実にタイミング良く、ホームルームの始まるチャイムが鳴ったからだ。ざわめいた雰囲気はそのままに、一日のタイムスケジュールがスタートした。

 その日の1時間目の授業は国語だった。翔は授業が終わった後、質問のあるふりをして渋谷を追って教室を出た。
「渋谷先生」
「なんだ?」
「今朝の騒ぎ、ご存じですよね」
 先を歩いていた渋谷に追いついた翔は、淡々とした声で尋ねた。
「まあ、それなりに聞こえてはいた」
 無表情のまま答えた渋谷に業を煮やした翔は、生徒の仮面を外して話しを続けた。
「渋谷さん、知らないみたいだから言っとくけど、天野さん、モテるよ」
 そのついでに、これまでの状況をそつなく説明することも忘れない。
「今までは僕と都合良く誤解されてたから、誰もモーション掛けてこなかったけど、これからはそうもいかないからね」
「なんで、そこに翔が絡んでるんだ?」
「ひどいなあ。これでも結構強力な虫除けになってたつもりなのに」
「…虫除け?」
「天野さん、あれで結構人気あるんだから。彼女がフリーだってバレたからには、少なからず出てくるはずだよ。しかも、タイミングよくクリスマス前ときてる。それこそ絶好のチャンスじゃないか」
「あれでって、そりゃ、天野さんに失礼だろう」
 話の流れを無視したような渋谷の相づちに、翔は幾分イライラしながら返した。
「天野さんにアタックしてくる奴らにとってクリスマスはまたとない機会だって言ってるんだよ」
 果たして渋谷はそれでことの重要性を悟ったのか、その場に立ち止まるとやや上向きの格好でううむと言葉を飲み込んだ。
「そうだよなあ。あれだけかわいけりゃ、モーション掛けてくるヤツのひとりやふたり、いない方がむしろおかしいんだよな」
 しばらくして呟かれた渋谷の台詞に翔は驚くよりも呆れてしまった。そう思っているなら、なぜもっと早くに手を打たないのだろうか。美香から聞いた話によると、渋谷は瞳の母方の従兄ということだから、それを盾に堂々と彼女の家に出入りするなりして親しくしておけばよいのだ。メルとぽちの散歩に託けて瞳の家の近くをうろつくよりその方がよほど自然で効果的ではないか。
「けどな、たぶん、翔が心配するようなことにはならないと思う」
 自信があるのか、無視を決め込んでいるのか、渋谷はいつもと同じ口調で答えを返した。
「ふーん」
 冷たい視線を向けてきた翔にやはり渋谷は淡々と言った。
「23日の深夜から24日の明け方に掛けては、こぐま座流星群の極大だったはずだ。今年は当たり年じゃないかって噂もあるし。だから心配ないと思う」
 いきなり話題が変わったことにムッとした翔の返事を聞かずに、渋谷は前からやってきた他のクラスの生徒に次の授業の準備を指示した。こうなると翔にはもう取り付くしまがない。
(どうなったって知らないからな。)
 イライラが収まらないまま、翔は自分の教室に戻っていった。
 翔の危惧は授業の合間の小休憩から現実のものとなっていた。翔がチェックしていた面々が、それとなく瞳にクリスマスの予定を尋ねにやってくる。最初のうちは翔も気になって耳を澄ましていたが、渋谷の言ったとおり、瞳はこぐま座流星群の観測で徹夜をするから、翌日は睡眠時間を取り戻すべく寝て過ごすのだと答えて、果敢なるアタッカー達を一撃の下に撃沈していた。さすがに瞳をよく見ている連中のことだけあって、彼女が天体観測を第一に行動していることをよく理解しており、それを邪魔すれば歓心を買うどころか恨まれるだけだということを心得ているようである。
(取りあえずは、渋谷さんの言うとおりになったけど。)
 これから先のことを思うと、頭の痛い翔であった。

 かくして、問題の23日の夜のこと。既に学校は終業式も終え、冬休みに突入している。瞳は流星群の予測表を見ながら上機嫌だった。
「今年はたくさん見れるといいな」
 ついでに、謎の女の子ともうまく接触できるかしら、などと期待に胸を膨らませて真夜中の観測に張り付いた。
「シーイングよし、ラジオも完璧。お月様がちょっと邪魔だけど、それは位置を変えることでムーンライトをシャットアウト!」
 防寒着姿もモコモコで足元に気を付けながら瞳はいつもの観測地へやってきた。退屈しのぎにと低倍率のレンズで望遠鏡を覗くことも忘れていない。リキを入れて瞳は満天の夜空を仰ぎ見た。時計はジャスト23時を回っている。
「今夜は頑張るぞぉ」
 瞳は記録簿を片手に夜空の巡回を開始した。
 
 瞳の両親は娘の天体観測に寛大だったから、無理をしない限りは口を挟んでこない。この日も家の前で観測することになっていたから、控えめなサーチライトだけで送り出してくれたのだ。けれども、観測の結果はこれまでにないくらい無惨なものだった。
「こんなことって…」
 瞳だけでなく、この夜流星群の観測をした人々はこぞって信じられないと首をひねったに違いない。もともとこぐま座流星群は定期的な流星群の中でも気まぐれ屋として有名だが、収穫ゼロとあっては穏やかならぬものがある。過去にそういう例が全くなかったわけではないけれど、よりによって当たり年かも、と注目されていた年だけに納得できない人がさぞ多かったことだろう。

 明け方近く、観測を終えた瞳は、困惑と焦燥の混じった表情で、ぼーっと空を見上げていたぽちと顔を見合わせた。
『瞳には、聞こえたよね?』
 星の子の声に瞳はコクンと頷いた。
 流れ星こそほとんど見ることは出来なかったが、夜空を眺めている間中、女の子のしゃっくり上げる声が二人の居るあたりを満たしていたのである。
「あれって、やっぱり、あの子の声よね」
 聞き覚えのある声色に、瞳は大きく溜息を吐いた。
『今回は、泣き声が大きすぎて、誰もあの子に近寄ろうとしなかっただけだと思う。あたしの感じた限りでは、星の子がこの星系に入ってきた様子もなかったし。でも、次はそういうわけにはいかないのよね』
「次っていうと…」
 瞳の頭の中でカレンダーが一枚めくられた。年が明けて新年最初に訪れるのは、しぶんき座流星群と呼ばれている、なかなかに見ごたえのある流星群だ。当然、太陽系を訪れる星の子の数も多いことだろう。
「星の子達がまともにやってきたらどうなるの?」
『太陽風に吹き飛ばされて、目標物を見失ったら…ほとんどの子は、永遠に彷徨うことになると思う。自力で戻れるのは、よっぽど運の良い子だけだもん』
「つまり、今までに加えて更に届かない手紙が増えるって事よね」
『それだけじゃすまないの。永遠に彷徨う星の子が預かった手紙は…二度と届くことがないから』
 心持ち、星の子の声が震えている。お気楽で冗談好きな星の子だが、自分の仕事に対する誇りは、とても高いのだ。頼まれた手紙を永久に届けられないということは、星の子の存在価値を否定するに等しいのだ。
『そんなことにならないよう、なんとかしなくちゃ』
 いま、星の子の手紙が届かなくなる原因ともいえる太陽風の主と一方的であっても交流できるのは瞳だけである。今回は接触すらできなかったが、次回は何が何でも泣きやんでもらって話をしなければならない。
『こうなったら、あの子の気まぐれと、瞳の強運と柔軟な対応力だけが頼りよ』
「無茶、言わないでよ〜」
 睡魔に襲われつつ望遠鏡を片付けていた瞳は、それだけ返事するのがやっとで、最低限の後かたづけを終えると無言でベッドに潜り込んだのだった。


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