■思い出に近い空
星が消え、空が明けていくと同時に、ルーシエラ軍は故国への進行を開始した。
「負傷者を中心に、できるだけ歩調を合わせるんだ。」
敗走の途につきながらも烏合の衆にならなかったのは、全軍に指揮官であるジュディ・アンヌマリーの目が行き届いているからである。
だが、言い換えれば、それだけ兵力が激減しているのだ。
歩みの遅い負傷兵に歩調を合わせるため、ジュディはしばし立ち止まった。
風がジュディの髪をすいていく。
そのサラリとした感触が心地よくて、もっと風を感じようとジュディは空を仰ぎ見た。
ひかる日差しの向こうに、遠く流れていく雲が目に映る。
風に吹かれて頼りなくちぎれていく様は、還らざる同僚の面影を思い起こさせた。

「天機、我にあらず、か。すまんな、ジュディ。つまらん戦に付き合わしてしもうて。」
指揮官であったガヤツクは、そう言いながらレイン河畔のインジェラ軍に夜襲をかけた。
インジェラ軍主力との戦いには一旦優勢に出たものの、兵力の読み合いによる戦術は、結局のところルーシエラ軍が読み負けたのだ。
ガヤツクの戦略は、インジェラ軍右翼の戦術の前に破れたのである。
「へへっ。自信なくすで、ホンマ。」
それは、単に局地的な戦いに負けただけでなく、インジェラの土地におけるルーシエラ軍の拠点を失わさせる大敗でもあった。
その前の戦いでボルボレードを失っているルーシエラ軍には、もはや退却しか道は残されていない。
だが、戦況はそれすら予断の許されない状況にまで追いつめられたのだ。
「こうなったら勝ち目はないわ。とっとと逃げる。」
言葉尻はいつもながらのひょうきんさをたたえていたが、敗軍の将としての覚悟をガヤツクは決めていた。
「お前のためなら、死ねる・・・。へへっ。一遍くらいかっこつけさせてえな。」
その言葉どおり、ガヤツクは殿を務め、還らぬ人となったのだ。
ジュディは、彼に託された残存兵を率いて故国へ帰還しようとしている。

ガヤツクとは、腐れ縁とでも言おうか、よく陣営を共にしてきた。
ほんの少しの差で、ガヤツクの方が上官に当たるのだが、それを振りかざすことなく、冗談とも本気とも取れるアプローチをジュディに繰り返していた。
「せやかて、俺、ジュディのことすきやもん。」
「そういうところ、キライだよ。」
「そんな冷たいこと言わんといてぇな。」
ふたりの不可思議な間柄は、兵士達の間でも密かな賭の対象になっていたくらいである。
だが、ジュディは生前のガヤツクに「すき」と言ったことはない。
「でもね、ガヤツク。私は、キミがすきだったよ。」
その「すき」が男女の間の「すき」なのか、今となっては、ジュディにもわからない。

新たな風が吹く都度に、新しい雲が空に流れては消えていく。
亡き人の思い出が、浮かんでは消えていくのに、それはなんとよく似ていることか。
だが、思い出は所詮、思い出でしかない。
消えた雲が二度と形を作ることがないのと同じく、亡き人に二度と会うことはないのだ。
失った命は二度と還らない。
だが、ささやかながらも、こうして自分は生きている。
命は繋げなかったが、思いは繋いでいくことができる。
「だから・・・私はキミを忘れない。」
瞼を閉じると、吹きつけてくる風がことさらに冷たく感じられた。

「前方に森があります。」
隣を走っていた副官の声に、ジュディは現実に引き戻された。
「森?ああ、たしかメルドの森とか言ったな。」
一瞬のうちに、ジュディは司令官の顔に戻った。
「どうします?」
「敵の勢力圏を抜けないうちはあんまり休みたくはないんだが・・・。」
ジュディはふっと溜め息をもらした。
「負傷兵に無理もさせられない・・・か。」
誰とはなしに呟くと、ジュディは森へ入って休息を取る旨、伝令した。
「誰か、2〜3人でいい。偵察を兼ねて森へ先行する。念のため、白旗も用意してな。」
ガヤツクが、命を懸けて守ろうとした兵なのだ。
彼の想いに応えることは出来なかったが、この思いには応えてみせる。
ジュディは、もう一度、空を仰いだ。
そこに雲はなかった。
限りなく青い空だけが広がっている。
「行くぞ。」
ジュディは手綱を引くと、まっすぐ森へと駆け出していった。

おわり
2000.02.13
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