■雨の街角
「あ〜、やっぱり、ないですぅ。」
ティアがからっぽのお皿の前で憮然とする足下で、子猫がエサをくれとせがむようにまとわりついている。
「ごめんなさいですぅ。」
ふわりと抱き上げ、よしよしと頭を撫でてやる。
「もーお、忘れっぽいんだからぁ」
そのまま居間に向かうと、のんびり本を広げてくつろいでいたヒューイの膝の上に子猫を置いた。
突然居心地の良い腕の中から安定感の悪い膝の上に置かれた子猫は、ずり落ちないように慌てて爪を出してしがみつく。
「いててっ。」
振り落とすようなことこそしなかったが、ヒューイは恨めしそうな顔でティアを見上げた。
ヒューイと視線が合うと、ティアは
「出かけてきますからぁ、ミャウをよろしくお願いしますぅ。」
と言った。
「出かけるって、この雨の中をか?」
窓の外に降りしきる冷たい雨音を聞きながら、ヒューイは驚いたように尋ねた。
「雨が降ろうとミャウのお腹は空くんですぅ。」
言われてヒューイは「あっ。」と息を呑んだ。
昨日、子猫用の猫缶を買ってくるよう頼まれていたことを今頃になって思い出したのである。
「だから、ちゃんとミャウをみててくださいね〜。」
もう一度、子猫の頭を撫でてやると、ティアはくるりと背を向けて部屋から出ていった。
ぱたぱた音がしなくなったと思うと、窓の外に赤い傘が見える。
ヒューイは困ったように膝の上の子猫を見下ろした。
子猫はぐるぐると喉をならして丸くなろうとしている。
手近にあった上着でくるんでやると、そのまま子猫は大人しく眠ったようであった。
「お前、ひとりでも寝れるな?」
子猫から返事は返ってこない。
ヒューイは足音を忍ばせて、部屋を出ると、雨降りの街へとティアの後を追って出た。

「えーっと、確か、この辺りのペットショップだったな。」
ティアに頼まれて何度かエサを買いに来たことのある店をヒューイは目指して歩いていた。
決して土砂降りというわけではなかったが、やはり雨の中を歩くのはうっとおしい。

「きゃっ。」
「うわっ。」
前方不注意、ヒューイは角を曲がったとたんに、同じく曲がりかけていたらしい人にぶつかった。
お互い傘をさしていたから相手の存在に気が付かなかったということもある。
が、間の悪いことに、相手は荷物を抱えていたらしく、ぶつかった弾みにいくつかの物が転がり落ちた。
「す、すまん。」
目の前を転がっていく缶詰などに慌ててヒューイは手を伸ばした。
「えーっと、これと、あれと・・・・。」
複数の転がったものは傘を持っていたのでは全部拾えない。
大した雨でもないことだし、ヒューイは傘を畳んでその辺りに置き、転がっていた物を拾い上げた。
中腰になって拾い上げ、他に転がっている物はないかと辺りを見回す。
「だぶん、これで最後だな。」

「何してるんですかぁ?」
見上げるとティアの顔があった。
雨の中、傘をささないで中腰になっている姿はティアでなくとも不審に思うことであろう。
しかし、ヒューイの手にしている物と、少し後ろに荷物を抱えた女性の姿を見て、ティアは状況を把握したようである。
「すみませーん。大丈夫ですかぁ?」
赤い傘の中からティアのあどけない表情が、その女性に向けられた。
「・・・ええ。」
困惑したような声音は、きっと急にヒューイがぶつかったからだとティアは思っている。
「ヒューイ、これで全部なんですかぁ?」
くるりと振り返り、ヒューイの側にタタタっと駆け寄り、自分の傘をさしかけた。
今度はティアの持つ荷物が落ちそうになる。
「これ以上、落とすなよ。」
「大丈夫ですぅ。」
あぶなげな手つきで荷物を抱え直しているが、ここでも傘が邪魔そうであった。
ヒューイは、手に持っている物を持ち主に渡すべく、立ち上がった。

「え!?」
一瞬ヒューイの記憶がトリップした。
だが、「ミルカ」と彼女の名前が口にでるより先に、ミルカの方がティアの様子を教えてくれた。
「彼女、落としそうよ。」
「え?」
振り返れば、ティアの持つ紙袋から、転がり出ようとしている缶詰が目に映る。
「悪い。」
ヒューイは手に持っていたミルカの落とし物を素早く彼女の荷物の山の上に積み重ねると、急いでティアの元へ戻った。
「俺が持つから。」
空いた手に、ティアの荷物を抱え取る。
「ありがとうございますぅ。」
ほっとした声がティアから返ってきた。
だが、自分の荷物を落とす心配がなくなると、今度はミルカの荷物が気になり始める。
「大丈夫ですかぁ。」
赤い傘が揺れてミルカの側に駆け寄った。
「大丈夫、ほら。迎えが来たわ。」
にっこり笑って応えたミルカの視線の先には、大きな黒い傘が見える。
「あとは、彼に持ってもらうから。」
「それなら、よかったですぅ。」
同じくにっこりとティアが笑い返した。
「ありがと。」
ヒューイとティアに目だけで黙礼を返し、ミルカは振り返ることなく黒い傘の方へ歩いていった。
寄り添ったふたつの影はひとつになって街角に消えていった。

「きれいな人でしたねー。」
後ろ姿を見送りながら、はぁとティアは溜め息を吐いた。
「ティアも、あんな風な大人になりたいですぅ。」
「そうか?」
「だってぇ、素敵な人だったじゃないですかぁ。」
同意を求めるようにティアはヒューイを見上げている。
「そうかな。」
「そうですよぉ。」
すぐに返ってこない返事にティアは不服そうである。
「そんなものなのかな。」
口ごもるヒューイをティアは意外そうに眺めている。
「そんなものなんです。」
いつになくきっぱり言ったあとで、ティアはヒューイが傘もささずに荷物を持っていることに気が付いた。
「はい、濡れちゃいますよぉ。」
ティアは背伸びして、赤い傘をヒューイにさしかけた。
「ティアが濡れるだろ?俺はいいよ。」
「よくないですぅ。」
ティアは精一杯背伸びして傘をさしている。
ヒューイをじっと見つめるティアの瞳は、決してかわいいだけのものではない。
「・・・そうだな。」
ティアの空いた手が、ヒューイの腕に掴まった。
「ミャウが待ちくたびれて鳴いてるかもしれないですぅ。」
「ああ、急いで帰ろう。」
「はい、ですぅ。」
ヒューイとティアは少しだけ小ぶりになった雨の街を家路へと急ぐのであった。

おわり
1999.12.19
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