■風を追いかけて
ルーシエラ軍と共に、彼らの首都リュートへ向かう事を決心したヒューイは、それまで共にあったアリアに残るよう言った。
アリアにしてみれば、心外という他ない。
「俺はこれからの戦いで、お前を守れるだけの自信がない。」
ヒューイの言うことが決して誇張などではなく、事実を淡々と告げた事は、頭では理解できる。
だが、感情は別物だ。
間髪を入れず、アリアの心はヒューイと共にありたいと叫んでいた。
だが、ヒューイの答えは「否」であった。
「俺の帰る場所を無くさないでくれないか。頼む。」
そうヒューイに言われたとき、アリアはそれ以上「付いていく。」とは言えなかった。
アリアの元へ必ず帰ってくると、むしろヒューイは自分自身に言い聞かせるように言ったのだから・・・。
後から後からこみ上げてくる衝動を辛うじて押さえることができたのは、皮肉なことにもヒューイの副官であるというプライドだった。
・・・隊長の邪魔をしてはいけない・・・。
部下として過ごした時間の方が長かったから、理性が感情に勝ったのだ。
「・・・わかりました。」
精一杯の微笑みを浮かべてアリアは承知した。
「でも、きっと帰ってきてくださいね。」
アリアは小さく震えていた。
それが悲しみを堪えるためなのか、それとも付いて行きたい衝動を押さえるためなのか、はっきりとはわからない。
確かなのは、その震えを止めてくれたのがヒューイだったということ。
彼は残ることを承知したアリアのことをシルエラに託すと、ふいにアリアの影に重なった。
それは、ほんの一瞬の出来事だったのかもしれない。
けれども、互いの心を伝え合うにはそれで充分だった。
リュートへ帰還するルーシエラ軍に同行していったヒューイを、アリアは確かな心で見送ったのであった。

シルエラの保護下で、アリアはインジェラ軍の中にありながらもつつがなく過ごしていた。
が、それは表面上だけのことであり、アリアの本来の姿ともいえる闊達さをすっかり欠いていた。
アリアの側には、たいていの場合ハンナが付いていた。
アリアと同期で第7聖部隊に配属になったハンナは、そのつきあいの長さから言ってもアリアをよく知っており、まずは適役と言えよう。
ヒューイの元では何かと意見が対立して言い争うこともあったが、裏を返せばそれだけ互いを認め合っていたからだとも言える。
本当に嫌な相手であれば、口を利くことすらなかったろうから・・・。
だからこそ、ハンナは生彩を欠いたアリアが気になった。

「もーお、アリアったら、全然らしくない。」
シルエラの執務室でハンナからズバリと指摘され、アリアはまた一つため息をついた。
言われるまでもなく、わかってはいるのだ。
そして、どうしてそうなのかもわかっている。
けれども、それを打ち破っていくだけのパワーが今のアリアには欠けていた。
「ハンナ・・・。」
横合いから、シルエラがサインを送っているが、ハンナは気が付いていて無視しているのか、それとも本当に気が付いていないのか、アリアと睨み合ったままである。

「シルエラさーん、伝令の兵士さんを案内してきましたぁ。」
カチャリと扉が開き、ティアのかわいい声がその場の空気に変化をもたらした。
「伝令?今頃?」
ルーシエラに進行していったインジェラ軍に何か異変でも起きたのであろうか?
圧倒的優位を誇っての進軍ではあるが、戦いは終わってみなければわからない。
そのことは、つい最近までシルエラ達が身をもって経験してきたことである。
留守部隊を預かるシルエラの表情がキリリと引き締まった。
「何か、新たな命令ですか?」
シルエラは、表情を改めて伝令の兵士に尋ねた。
「命令といえば、命令ですが、強制ではなく、あくまで参加する意志があればということで承っております。」
歯切れの悪い返答に多少の苛立ちを持って、シルエラは差し出された命令書に目を通した。
「なんか、悪いこと?」
ハンナが横合いから首を突っ込んで文書に目をはしらせた。
「志願者を募って、ルーシエラ軍討伐の援護に来いって・・・。負けてんの?」
「いえ、そう言うわけでは。」
兵士は否定した。
「じゃ、なんで?デュシス様もキャラウェイさんも勝ってるんでしょ。」
「はあ、たぶん。」
ここでもはっきりしない答えである。
「たぶんって、状況はどうなっているのですか?」
シルエラが受けた報告書には、デュシス率いる第一聖部隊は、ほどなくルーシエラの首都リュートに到着するとある。
ヒューイの同行しているルーシエラ軍よりたぶん先に着くと予想されていた。
そして、そのヒューイ達を追ってリュートに進軍を開始したキャラウェイの軍は、まだヒューイ達に追い付いてはいない。
「そのう、ここだけの話ですが。」
言いにくそうに声を潜めて兵士は付け加えた。
「キャラウェイ様の軍はルーシエラ軍を見失ったらしいのです。」
「見失った?」
キャラウェイらしからぬ失態である。
「いえ、キャラウェイ様がどうというのではなく、ルーシエラ軍のほうに問題があったようで。どうも、追い越したのではないかと・・・。」
「追い越した?」
「その可能性が極めて高いかと。」
ルーシエラ軍は傷ついており、いわば敗退して首都に帰還しているのだ。
傷ついた軍が、その負傷兵の輸送に時間がかかって予定どおり進軍できないことはよくあることである。
根拠は弱いが、説得力はある。
それ故、この度の援軍派遣が許可されたのであろうことも想像に難くない。
「わかりました。できるだけ速やかに援軍を派遣するよう手配します。」
シルエラの返答に兵士はほっと肩の荷を降ろしたようである。
「あなたはその旨、伝令して下さい。」
「はっ!」
兵士が部屋から出ていった。

訪問者の去ったあと、シルエラは早速に援軍の編成にかかった。
あまり積極的にしたくはないが、誰かがやらなければならないことなのだ。
おまかな編成と指揮官を選び始めたシルエラに、アリアはその軍に加わりたいと申し出た。
「馬鹿なことを言わないでください。」
シルエラの返事は即刻却下だった。
ここでアリアを戦場へ送り出したのでは、ヒューイとの約束が反故になってしまう。
シルエラにしてみれば当然の処置であった。
だが、アリアにしてみれば、それは最初で最後のチャンスなのだ。
「デュシス様が先にリュートに着くのであれば、結果は明らかです。どんな奇策をもってしてもルーシエラ軍の滅亡は免れません。」
「だったら行く必要などないでしょう。」
「だから、隊長を迎えに行くんです。」
アリアの答えは極めて明快であった。
「先に着いたデュシス様はきっと隊長を待っていると思います。ふたりが正面切って戦えば、どちらが勝っても・・・いえ、勝つのはデュシス様でしょうから、私が隊長を迎えに行かなければならないんです。」
・・・それから先の未来を共に生きていくために。
「だから、私を行かせて下さい。」
アリアは深々とシルエラに頭を下げた。
アリアの気持ちもわかるし、戦略的な予測からその推測が正しいであろう事はシルエラにも理解できる。
だからと言って、アリアの望むとおり、二つ返事で送り出すわけにはいかない。
シルエラはアリアの申し出を認めるつもりはなかった。

二人の間の緊迫した空気を緩めたのは、今度はハンナであった。
ハンナはケロッとした表情で、行くなら早いほうがいいよ、とまで言ったのである。
しかもその理由というのが・・・。
「だって、隊長、アリアの作る食事にやっと慣れたんでしょ。ここで別な味に慣らされちゃったら、元に戻るまでまた大変だかんね。」
「ハンナ・・・。」
「第一、あれを食べれる事自体、奇跡みたいなものじゃん。」
アリアの作った食事はのら犬でもまたいで通ると言われるほど、その不味さに定評がある。
聞きようによっては、まさに言いたい放題の台詞であった。
流石にアリアの表情にも変化が起こりつつある。
だが、それは大方の予想とは異なるものであった。
「ありがと、ハンナ。」
甚だ不本意なことだと睨みながらもアリアはハンナに礼を言ったのだ。
その瞳には、彼女本来の生気が宿っている。
「行っておいでよ。その代わり、ちゃんと帰ってくるんだかんね。」
ハンナは、ばしっと盛大にアリアの背中を叩いた。
「と、いうことでうので、シルエラさん、よろしくです。」
こうまで仕切られてはシルエラも止めようがなかった。
心理的にはアリアに賛同しているのだから、拒否していてもどこか弱いのは否めない。
「とにかく、絶対、無理な戦いには参加しないこと。」
このくらいは釘を刺しておかなければ、とシルエラは肩をすくめていた。
「はいっ。」
入ってきたときとは見違えるほど活き活きしてアリアはシルエラの執務室から出ていった。

キャラウェイの要請した援軍は、彼女が予想した以上に早くリュートに到着した。
だが、それでもインジェラ軍が着いたとき、すでに勝負は決しており、リュートは落ちた後であった。
それはまた、キャラウェイが最も恐れていたヒューイとデュシスとの決別後のことでもあり、あらたな時代の始まりでもある。
けれども、それは長い時代のなかでみればほんの一瞬のできごとにしかすぎない。
「隊長!・・・ヒューイ!」
廃墟の中をアリアの声がこだまする。
時代がどうであろうと人の営みに変わりはない。
「アリア?」
この後、ヒューイは時代ではなく、人生を追いかけていくのである。

おわり
2000.02.05
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