鏡よ、鏡!

クライン王国の騎士であるシルフィスは、久しぶりの休日をレオニスと出かけることになって楽しそうに身支度をしていた。
そこへレオニスがやって来て困惑気味に告げた。
「シルフィス、その、外出は中止だ。」
「そんな、どうして・・・。」
抗議しかけたシルフィスの唇にレオニスの指先が触れ、目線だけでさりげなく後を見やっている。
何かあるなとシルフィスもその目線を追った。
「メイ!?」
そこには、シルフィスの親友にしてクライン国の王妃メイがお忍び姿で立っていた。
「・・・そういうことだから、その、よろしく頼む。」
レオニスの複雑そうな表情に、シルフィスは盛大な溜め息を吐くと、手にしていたルージュを置いてメイを部屋に招き入れたのであった。

「メイ、どうしたんですか?」
「何でもない。」
言葉ではそう答えたものの、何でもないことでわざわざ休暇中の友人を訪ねて家までお忍びでくるはずもない。
そもそもメイがここに来るときには、大抵訳アリであることもすっかり掌握されているだけに、ふいっと横を向いた先でバツが悪そうに俯いている。
シルフィスはもう一度、じっと親友の顔を観察した。
いつもより、くっきりした目鼻立ち。
明らかにそれは化粧を濃くしているからだ。
と、いうことは、素顔のメイはきっと・・・。
そして、そうであるなら原因も容易に想像が付く。
「今度はいったい何なんですか?」
つきあいが長いだけにシルフィスも遠慮がない。
またそうであるからこそ、こうして頼りにされているのではあるが。
「シルフィス〜。」
押さえていた物が溢れ出るように、メイはシルフィスの前でぽろぽろ涙をこぼし始めた。
「め、めい?」
突然泣き出されて慌てたのはシルフィスである。
「どうしたんです?」
シルフィスはひとつ年上の友人をあやすかのように、ゆっくりとその気持ちが落ち着くまで待つことにした。

クライン王国国王セイリオスは、おそらく国中で最も忙しい人物のひとりである。
真面目すぎる国王は、公人としての仕事を私人の生活よりどうしても優先させてしまう。
それゆえ、ただでさえ王室の生活に不慣れな新婚ほやほやの王妃はいつもひとりで過ごさなくてはならないのだ。
かつての友人たちもそれぞれの立場と生活があるから、以前のように気楽に行き来もできない。
それでも少し前までは食事を一緒にするくらいのゆとりはあった。
ところがこの数日、セイリオスは執務室に籠もったきりで、心配したメイが覗きに行けば「忙しいから」と追い返される始末。
文官のアイシュが申し訳なさそうに謝ってくれたが、メイにしてみれば収まらない。
だから・・・。
黙々と書類にサインをしているセイリオスを見ているうちに、つい、口に出てしまったのだ。
「セイルなんて、だいっきらいっ!」
「・・・言っちゃったんですか?」
こくん、とメイは力無く頷いた。
それが、昨日の午後のこと。
その夜、セイリオスは徹夜で仕事をして、ふたりの部屋に戻ってこなかった。
「きっとあたしのことなんて、顔を見るのも嫌になったのよ。」
メイはうるうるとシルフィスに訴えた。
「そんなことはないと思いますけど・・・。」
「あたしがつい大嫌い、なんて言ったから、愛想尽かされたのよ。」
「そのくらいで嫌いになるような方ではないでしょう?」
なにしろメイとの結婚にあらゆる障害をものともせず自我を通したセイリオスである。
「それに、今忙しいというのはメイもよく知っているでしょう?」
忙しいのはセイリオスだけに留まらず、自分もレオニスもそれに付随して連日多忙な日々を送っているのだ。
ただ、シルフィスはレオニスの副官という立場から、常に一緒に過ごせるのであるが。
「だって、いつも側に居て欲しいんだもん。ひとりは淋しいよ〜。」
またしても振り出しにもどったメイに、シルフィスは溜め息混じりにアドバイスした。
「だったら、そう言って仲直りすればいいでしょう。ひとこと謝ればいいことなのではありませんか。」
なんで、こんなことまで言ってやらねばばならないのかとシルフィスは、自分で自分が嫌になる。
メイだってたぶん、それはわかっているはずなのだ。
わかっているけれど、一度言ってしまった以上、簡単には引き下がれない。
かといって、相手のことが嫌いになったのかと言えば、そうではないのだから始末に負えないのだ。
「だって、こんなに好きなんだもん。」

「私だって、メイのことが好きだよ。」
突然背後から声がして、メイとシルフィスは弾かれたように振り向いた。
「セイル・・・どうして、ここへ・・・。」
思いもよらぬ相手の出現にメイはかなり動揺していた。
「君のことなら、なんだってわかるよ。いつも、見ているからね。」
セイリオスは優しい眼差しをメイに投げかけ、そのまま包み込むように抱きしめた。
「急にいなくなるから心配したよ。」
こつりと額を指先で小突き、薄紫色の瞳が軽くメイを睨み付ける。
「・・・ごめんなさい。」
メイの口から素直な謝罪の言葉が突いて出た。
ずっと言わなければと思いながら言いそびれていたその一言が、二人の間のわだかまりを解かしていく。
「ずっと一人にしていて悪かった。」
セイリオスもまた、気にはしていたのだ。
「ごめんね。もうわがまま言わないから。」
上目遣いに見つめているメイを、セイリオスはもう一度ゆっくりと抱きしめると少しだけ残念そうな声で言い返した。
「少しくらいは、ワガママを言って欲しいな。そうでないと私が淋しいよ。」
にこりと微笑んだセイリオスにメイもまたにっこり笑い返した。
「じゃぁ、えーっと・・・今日一日、一緒にいて。」
セイリオスは恭しくメイの手に口付けた。
「仰せのままに。」
セイリオスはメイの手を取って、シルフィスに別れを告げた。
「邪魔をしたね。」
「シルフィス、またね。」
来たときとは別人のように晴れやかな顔をしたメイが、これまたケロリと元気良くセイリオスに寄り添って帰っていった。

国王夫妻を見送ったシルフィスはどっと疲れを覚えていた。
すでに外出する気力も萎えてしまっている。
ふと、鏡がシルフィスの目に止まった。
意味もなく、昔好きだったお伽噺のことが思い出され、シルフィスは苦笑した。
その話の中で、王妃様はなんでも知っているという鏡を持っていて、ことあるごとに尋ねていたことを思い出したのだ。
シルフィスはくるりと踵を返すと鏡の前に立って覗き込んだ。
たった今思いだしたばかりのお伽噺をもじって、鏡に向かって尋ねてみる。
「鏡よ、鏡。この国で、一番不幸な人は誰?」
魔法の鏡が映しだしたのは、金色の長い髪をした碧の瞳の騎士だった。

おわり

Copyright (c) 1999. TOKO. All right reserved