騎士の証

 自身のまとう光沢のある布地の上に指を走らせ、シルフィスは小さく息を吐いた。
 それは上質の絹のドレスだった。
 かわいらしい王女が、王宮で開かれる降誕誕祭の宴に「わたくしのお友達として出席してくださいな」と招待すると同時に、贈ってくれたものだった。この宴はディアーナの婚約披露も兼ねており、それゆえ、近衛騎士ではなく、一人の友人として出席することが望まれたのだ。
 ドレスを身につけるのは、今回が初めてだった。
 華やかな色合いに、体の線がはっきりと出るデザインは少々気恥ずかしかったけれども、贈られた時は嬉しかった。
 ようやく、女性らしい服装を着ることができるようになったのだと、自分の分化が終わったことを実感できたからだ。
 だけど。
 シルフィスは自分の手に目を落とした。
 そこにあるのは、なめらかな貴夫人の手ではなかった。
 日々、剣を振るって鍛え上げた騎士の手だ。
 堅くなった手はお世辞にも奇麗とは言えない。
 それが余りにも絹の柔らかさと不釣合いで、ひどく滑稽に思えた。
 どのくらいの間、そうして自分の手を見詰めていただろうか。
 軽いノックの音が響き、シルフィスは我に返った。
 返事をすると、キールがするりと入って来た。
 キールは王宮で開かれる宴に出席するというのに、いつもと変わらぬ服装である。彼の身分を示す緋色の肩掛けが、彼にとっては正装なのだろう。
 人の多い場所が嫌いなキールはこの宴への出席を渋っており、シルフィスも無理に彼にエスコートを頼もうとは思っていなかったのだが、いつの間にかメイが説き伏せていた。
 あれは説得じゃなくて脅迫だった、と、キールは言っていたが、その「脅迫」の内容までは教えてくれなかった。メイに尋ねたところで、「あたしは事実を言っただけよ?」との答えしか返って来ないのだ。何を言ったかは知らないが、義弟の扱いにかけて、メイは第一人者である。
 僅かにキールの目が見開かれたと思いきや、緑の目はふいっとそらされた。視線を合わせないまま、キールはぼそりと言った。
「…遅い」
 シルフィスは慌てて時計を見遣り、約束の時間が過ぎていることに気付いた。騎士団宿舎の門の前で、待ち合わせをしていたのだ。
「すみません、キール」
 外衣に手を伸ばしながら謝ると、
「まだ、支度が済んでいないのか?」
 鏡の前に残されたままのアクセサリーに目をとめてキールは言った。
「あ、後で馬車の中でつけます」
 シルフィスは急いでイヤリングを小さな袋の中に詰め込んだ。その様子に違和感を覚えたのか、キールが尋ねた。
「…どうかしたのか?」
「いえ、別に…」
 シルフィスはごまかそうとしたが、キールは嘘をつくなとばかりに、瞳の奥をのぞき込んだ。人によっては冷たいと思われる、物事を見極めようとする研究者の視線である。シルフィスにとって、それはすでに馴染み深いものになっていた。
「かないませんね、キールには」
 シルフィスは小さく吐息すると、目を落とした。
「…手袋を用意しておくんだったと後悔してたんです」
「手袋?」
 一体、何のことだとばかりにキールは怪訝な顔になる。
 ほら、とシルフィスは自分の両手を示した。
「私の手は騎士の手です。貴夫人の真似をするには、似つかわしくありません。ダンスのパートナーとなった人達はきっと驚くでしょうね」
 下手をすると貴族の若君より堅い手をしていることだろう。剣など握ったこともないような貴族は少なくないのだ。
 自嘲するシルフィスをしばし見詰めた後、キールは、すっと膝をついた。どうしたのだろうと訝しむシルフィスの手をとって、その指に軽く口づける。
 まるで、貴族が高位の貴夫人に対して礼を取るかのような仕草だ。
「…キール」
 手をつかんだまま、キールはシルフィスを見上げた。
「お前がこの手を恥じる必要はない。むしろ、誇りに思うべきだ。お前は騎士であることに誇りを持っているんだろう?この手は、お前が騎士であることの証だ」
 シルフィスはキールの瞳を見つめ返しながら、頷いた。
 騎士である自分をキールは認めてくれている。
 そのことが無性に嬉しく、危うく涙がこぼれそうになった。
 それに、と立ち上がりながら小さな声でキールは付け加えた。
「…俺以外の男と踊らなければ済むことだ」
 驚いてシルフィスが目を見開くと、キールはみるみる赤くなった。
「…厭か?」
「…いいえ」
 負けず劣らず赤くなりながら、シルフィスは嬉しいです、と付け加えた。

シルフィスに口づけ

 その夜、王宮で開かれた宴の席で、多くの誘いを受けながらも、クライン王国の誇る優美な女騎士が緋色の肩掛けの魔導士以外の人間の手を取ることはなかった。

おわり

創作:TOKO、CG:まささ様