夢への過程

 宮廷筆頭魔導士の部屋を後にしたキールは急ぎ足で通用門へと向かった。途中、白い軍服に身を包んだ近衛騎士に目を留める。
 ふと、恋人の姿が脳裏に浮かんだ。軍服をまとってさえも、彼女には華がある。国の内外を問わず、王宮を訪れた貴族達は必ずといっていいほど、彼女は何者なのかと尋ねますのよ、と王女が笑いながら言ったことがある。
「だから、指輪を早く贈っちゃえばいいのよ」
 それを聞いたキールの内心を察して、メイがそんなことを言った。
「指輪をはめてるのを見れば、たいていの男はその場で諦めるって」
 メイの言い分はもっともだと思う。だが、自分の独占欲でシルフィスを縛りつけるような真似はしたくなかった。それに自分はまだ一介の研究員にすぎない。せめて、独立するまでは、彼女に指輪を贈ることなど自分にはできない。
 そんなことを考えながら、自分の足が町にある宝飾店に向かっていることにキールは気付いていなかった。歩を進めるにつれ、記憶を落としていくかのように、自分への抑制が、別の名前では理性という存在が次第に消えて行きつつあることにも気付きはしなかった。
 キールが王宮を出てから間もなく、にやにやしているシオンを見付けたのはメイだった。その笑顔にぴんと来たメイはファイアーボールの呪文を唱えることで、速やかにシオンに白状させた。
「なんてことすんのよ、このおちゃらけ男っ!」
 今やアイシュの妻となっているメイにとっては、キールは義弟であり、大切な友人の恋人でもある。何かとんでもないことをしでかされては、アイシュやシルフィスが悲しむことになると、メイは急いでキールを追いかけた。幸い、キールにはすぐ追い付くことができたのだが、どうやって話を切り出せばいいのかと考えているうちに、キールが一件の店の前で足をとめた。
「…ひょっとして」
 キールがその店の中に入るのを見て、メイは瓢箪から駒!と心の中で叫んでいた。
「でも、ちょっと…」
 ある疑念を抱いたメイは店の裏手に向かった。

 王都でも人気の高い宝飾店の店員は若い男の客を笑顔で迎えた。
「いらっしゃいませ。贈り物でしょうか?」
「ああ。婚約指輪を探している」
 無愛想な客の応えにも店員は動じなかった。照れ隠しに、わざとぶっきらぼうな口調になる客はいるものだ。
「お相手のお嬢様はどのような方でいらっしゃいますか?」
 にこにことして尋ね、返って来た言葉に店員は一瞬、硬直した。聞き間違いでなければ、今、「女神の末裔だ」と耳にしたような気がしたのだが…。
 実際、アンヘル族は「女神の末裔」と呼ばれており、キールにしてみれば間違ったことを言った訳でも、のろけたわけでもない。ただ、一般人にしてみれば、それは、のろけ以外の何でもないのだ。
「清楚で可憐。いや、こんな言葉だけでは言い表せないな…」
 我が耳を疑う店員の前で、青年は淡々と想い人を表現する言葉を連ねた。
 真面目そうな学者風の青年が照れもためらいもなく、飽くまで淡々と聞かされる方が恥ずかしくなるような形容詞を連ねるのである。経験の浅い店員は口を半開きにしたまま、立ち尽くしていた。
 キール本人しか知らないことだが、なにより恐ろしいことに、キールにはのろけているつもりなど毛頭なく、いかに彼女について正確な情報を伝えるか、彼は本気で苦心していたのだ。
 まだ言い足りないのか、言葉を探す合間を見付けて、ようやく店員は口をはさんだ。
「あ、あの、髪や瞳の色は?」
「そうだな…髪は木漏れ日のような金、瞳は森の緑…いや、違うな」
 一人、ああでもない、こうでもないと言い続ける青年を前に店員は金縛りにあっていた。程度に差はあれど、指輪を贈る男は幸せに酔っており、のろけるものだが、ここまで強烈なのろけを聞かされたのは初めてのことだった。そして、ここまで臆面もなくのろけた男も今までいない。
 店の奥から店主が姿を現す。
「実にすばらしい恋人をお持ちの御様子で。それでしたら、こちらなどはいかがでしょう?若く美しい女性には華美なものよりも、むしろ、シンプルなデザインのものが映えますし、こちらの石は質が高く、カットも美しさに定評のある…」
 店主は立板に水とばかりの売り文句を連ねて青年の注意を引いた。店員は店主の商人魂に心からの称賛を禁じ得なかった。
 青年が飽くまでも淡々とした表情のまま、買い物を済ませて店を出て行くと、ショーケースの陰から栗色の髪の少女が姿を現した。店員は彼女に見覚えがった。店にしばしば立ち寄る、ほほえましいカップルの片割れだ。
「どうにかうまくいったみたいね。ありがと」
「いえ、なに、大切なお得意様のお願いですから」
 店主が愛想よく応じた。
「もう、サイズも知らないくせに、指輪を買おうだなんて、本当にキールって、変なところで抜けてんのよね」
 少女がぶつぶつと、しかし、楽しげに文句をつける。店主は怪訝そうな顔の店員に事情を説明した。あの青年はいたずら好きの魔導士に特殊な薬を飲まされて、少々、「尋常でない」状態にあったらしい。尋常でないという言葉に思わず深々と店員は頷いていた。
「次は結婚指輪もお願いね。あの調子でいってくれれば、すぐなんだけど、いつになるかわからないのよね−」
 本当に手がかかる義弟だわとキールが聞いたら、怒りそうなことを口にする。
「あ、今度、この店に来た時は、今日のことは忘れたふりしてあげてね。本当は、すっごい『照れ屋さん』だから」
 店主は承知しましたとにこにこと頷いていたが、店員はひきつっていた。
 あれのどこが「照れ屋さん」?
 数カ月後、婚約者とともに兄夫婦に引きずられて、この店にやって来たキールは店員の疑念を見事に晴らしてくれたのだった。

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