クライン王国の金髪の近衛騎士は第二王女と隣国ダリスの新王の結婚式に護衛として列席していた。
 白い衣装に身を包み、薔薇色の髪を波打たせた花嫁は輝くばかりに美しかった。
ほっそりしたディアーナの手がセイリオスの手を離れ、新王アルムレディンの手に
委ねられる。ディアーナは花がほころぶように笑みを浮かべた。
 幼いころから一途に抱き続けた恋心が実ったのだ。今、この瞬間、ディアーナは誰よりも美しいに違いない。
 しかし、シルフィスは友人を目で追い続けるわけにはいかなかった。近衛騎士としての責務がある。
レオニスやガゼル、シオンやメイといった誰よりも信用のおける騎士や魔導士達が
自分と同じように警護してるとはいえ、油断はできない。
シルフィスは気をひきしめると列席者達に目を走らせた。
 婚礼は滞りなく行われ、クラインの第二王女はダリスの王妃となった。
式に引き続いて開かれた宴の席でもディアーナは疲れた様子などみじんも見せず、
諸国の使者から祝いの言葉を受けていた。
「立派な王妃様ぶりだよね」
 するりと隣に立ったメイがささやいた。ドレスをまとったメイは腕利きの魔導士にはまず見えない。
華奢な妖精の乙女のようだ。
「心の中じゃ、もううんざりですわ、とか思ってるに違いないけど」
「そうですね。…何か動きはありましたか?」
 笑みを返しながら、低い声で尋ねる。
「先王派の残党が何かやらかしかけたみたい。ま、今頃、厭ってほど後悔してるだろうけどね。
シオンって敵には情け容赦ないから」
 片目をつぶって見せ、メイは壁際を離れた。
はた目には女官が知り合いの女騎士に声をかけたようにしか見えぬだろう。
シルフィスは談笑する義兄弟に目を向けた。
 きっと、殿下のことだから妹を不幸にしたら許さないとか、笑顔のままで釘をさしているのだろうな…。
 王宮の中庭で皇太子と初めて出会った時のことをシルフィスは懐かしく思い出した。
セイリオスは未分化だったシルフィスにも妹に手を出すなと釘をさしたのだ。
そのこともあってか、シルフィスは初めのうちセイリオスが苦手だった。
苦手意識が消えたのは、お忍び中に偶然出会ってからだったろうか。
 シルフィスはそっと笑みをかみ殺した。


 油断していたつもりはなかった。
だが、警護の者達の注意が主としてダリスの王と王妃に向けられていたのは事実だ。
そこに隙が生じた。
 外の警備と交替の時間になり、シルフィスは広間を横切り、外に出ようとしていた。
途中、青銀の髪の皇太子が熱心に異国の大使と話し込んでいるのが見えた。
その背後に一人の貴夫人が立った。
とりたてて特徴のない彼女がシルフィスの目を引いたのは、あまりにさりげない態度だったからだ。
一国の皇太子を間近にして、平常心を保ち得る貴夫人はそういない。

 警告の声を上げる時間も、抜刀する時間もなかった。
 金の髪が舞った。
 鮮やかな紅の滴が散った。
 その事件に気付いたのはほんの一握りの者だけだった。
 宴は何事もなかったかのように続いた。

 グラスを傾けるセイリオスの手がふと止まった。
「お兄様、御気分でも悪いんですの?」
 兄の微かな変化に気付いてディアーナが眉を寄せる。いや、とセイリオスは笑顔を見せた。
「お前がいなくなると、王宮も寂しくなると思ってね」
「あら、静かになるとおっしゃりたいんじゃありませんの?」
「おや、ばれたかい?」
「ひどいですわ」
 わざと怒ったふりをするディアーナにセイリオスは笑みを向ける。
 決して、ディアーナには知られぬようにすること。それが金髪の騎士の願いだった。


 春の盛りとはいえ、上空の風は冷たかった。
メイは彼女独自の飛空魔法を使って夜空を翔けていた。
以前は魔力を安定させるのに媒介物として箒を必要としていたが、今はなんら道具も必要としなかった。
青いマントが翼のようにはためく。

 もっと、速く!

 風の冷たさも気にならないほど、メイは意識を集中していた。
 脳裏に浮かぶのは青ざめ苦しげに荒い呼吸をする友の姿だけだ。
 傷自体は致命傷ではなかった。ただ、その刃には毒薬が塗られていた。
魔法文化の発達したクライン王国の世継ぎを弑するために作り出された毒薬である。
通常の治癒魔法では解毒することもかなわない。
 今、シルフィスの命をつなぎとめているのは彼女自身の体力だ。
シオンの魔法をもってしても、症状の悪化を抑制することはできても、回復させることはできない。
 治癒魔法に関しては右に出る者はいないとシオンに言わせるほどの力量を備える
魔導士のもとへメイは夜を抜けて飛んだ。

 化粧直しのために花嫁はしばらくの間、広間から姿を消していた。
「…私を襲った刺客が口を割ったそうだ」
 グラスに口をつけるふりをしながら、セイリオスが言った。
その声音にダリスの新王は背筋を伸ばした。
「ダリス王の命令だと言っているらしい」
 クラインの皇太子の視線は広間を埋め尽くす人々の間をさまよっていた。
「私は…」
「分かっている。今、君が私を殺したところで得にはならない。
婚姻関係をたてに、クラインの王位を要求するには時期尚早だ」
 せめて子供が生まれてからでないと、と笑みを浮かべて言う。
 底の知れぬ人物だとアルムレディンは改めて認識した。
今のセイリオスと先刻までの妹を溺愛する過保護な兄の姿は重ならない。
「我々の同盟を快く思わぬ人物が仕組んだらしい。…お粗末な筋書だ」
 クラインとダリスの同盟が脅威となる国は限られている。
すっとアルムレディンは目を細めた。ある国の大使の上にその視線が止まる。
「…下手な芝居にも返礼の必要はあるでしょう」
 紫と青の瞳が交錯する。
「…意見が合って嬉しいよ」
「私もです」
 義兄弟は感情の伴わない笑みをかわした。


 不思議な胸騒ぎがしてキールは夜明け前には目覚め、寝床を離れていた。
この数日の間、シオンの代役として王宮に詰めているが、とりたて問題になる出来事はなかった。
それも、アイシュが全面的に協力してくれたからだ。
ぼうっとしているようで、アイシュは王宮内の諸事に通じている。
 馴染み深い気配が近付くのを察知してキールは驚いて窓辺に駆け寄った。
「メイ!」
 胸に飛び込んで来た体は冷え切っていた。
「お願い、シルフィスを助けて」
 涙目になりながら、それでもメイは必死に泣きそうになるのを堪えて、事情をキールに説明した。
「わかった。お前は休め、いいな!」
 シオンから託された書簡にさっと目を通したキールは
メイを自身の上着でくるんで椅子に座らせると部屋を飛び出して行った。


 青銀の髪の青年は微動だにせず、血の気のない整った顔を見詰めていた。
 寝台に横たわる人物の呼吸は息をしているかどうかも分からぬ程に弱まっていた。
 セイリオスは額に手を当て俯いた。
 私は間違ったのだろうか?
 あの日…剣を授けた時に、断ち切ることに決めた思いは今なお心の奥底に息づいている。
消そうにも消せぬ、くすぶり続ける炎のようだ。
 せめて騎士となった彼女が忠誠を捧げるにふさわしい主君であろうとした。
主従の関係を保つことを選んだのは、あるいは、彼女に拒絶されることが怖かったのかもしれない。
王家のために命を捨てられると彼女は迷わず言った。
 …だが、私は王家の者ではない。
「君は、偽りの王子のために、命を落とすつもりかい?」
 ささやきは夜の闇に吸い込まれて消えた。


 治療法を記した書簡を携えてメイが戻って来たのは翌日の昼過ぎだった。
長時間に及び魔力を行使した少女はシオンにその書簡を渡すなり、その場に倒れた。
体力的にも精神的にも著しく消耗した少女は二、三日は起き上がることはできないだろう。
「…セイル、いいか。俺は宮廷筆頭魔導士だ。一人の騎士の命を救うために
、皇太子のお前を危険にさらすわけにはいかない」
 シオンは感情を覆い隠した紫の瞳を見据えながら言った。
 キールの伝えた治癒魔法は大掛かりなもので、行使できるのはシオンしかいなかった。
その上、ダリスでは魔導士が不足している。
魔法の面において、十分な警護ができるとは言い難い。
今、ここでセイリオスの警護を緩めるわけにはいかないのだ。
 微かにセイリオスは首を動かし、承諾の意を伝えた。

 ディアーナは敏感に何らかの異変を感じていた。
 友人達の姿が見えない。
 騎士達の警戒が必要以上に厳しい。
 そして何より、兄の様子がいつもと違う。
 昨夜は気のせいかと思った。だが、そうではない。
 侍女達が席を外した僅かな時間にディアーナはアルムレディンに問いただした。
「一体、何がありましたの?」
「君が心配するようなことは何も」
 少し困ったようにアルムレディンは応じた。
「わたくし、目もあれば耳もありますのよ?」
 毅然と顔を上げ、真実を見抜こうとするようにアルムレディンの瞳を覗き込む。
 アルムレディンが真実を告げるまで、ディアーナは一歩も引くつもりはなかった。
 そんなところが兄妹はよく似ていた。それをアルムレディンが認めるまで、時間はそう必要なかった。

 聞き覚えのある足音に青い髪の魔導士は眉を上げた。
勢い良く扉が開き、予想どおり薔薇色の髪の少女が飛び込んで来た。
「シオン!」
「おやおや、新妻が男の部屋に一人で来るもんじゃないぜ?」
 いつもの軽口で応じたシオンをディアーナは睨みつけた。
「シオンはお兄様を死なせるつもりですのっ!」
「なんのことだ?」
「シルフィスのことですわっ。わたくし、アルムレディン様から全てお聞きしましたわ。
ごまかそうとしても無駄でしてよ」
 シオンは舌打ちすると顔を引き締めた。
「それなら分かるだろう、姫さん。騎士と皇太子の命では、国にとって重みが違う」
 悲しげにディアーナはシオンを見詰めた。
「わかりませんの、シオン?シルフィスが死ねば、お兄様の心が死にますわ。
シオンが必要なのは、ただの皇太子という人形ですの?」
 シオンは絶句した。さらにディアーナは言い募る。
「シルフィスが死んでも、お兄様は生き続けるでしょう。それが王族たることの責任でもあるから。
でも、お兄様の心は死んでしまいますわ。お兄様が人の上に立つ王族であるために、
シルフィスが死ぬのであれば、お兄様は王族である限り、決して癒されませんわ。
シオンは心のない支配者を主君に望みますの?」
 涙をたたえたディアーナの瞳は海のようだった。ぽろぽろと涙をこぼしながらも、目をそらそうとはしない。
「…参った。姫さんの言う通りだな」
 何故、気付かなかったのか。セイリオスの感情をなくした表情に。
 あれは諦めたのでもなく、乗り越えたわけでもなく、心を喪いかけていたのだ。
「あいつにはまだまだ頑張ってもらわんとな」
「それでこそシオンですわ」
 涙をぬぐい、笑ってディアーナは言った。


 白い大きな翼の鳥がいた。
翼を痛めているわけでもないのに、飛び立つことができずに地面の上でもがいている。
目に見えぬ縛めに囚われているようだった。
だが、それでも鳥は誇り高く、空を見上げていた。
毅然とした姿がある人物に重なる。
「…殿下?」
 何故、そう思ったのだろう。疑問を感じながら、シルフィスは長い眠りからゆっくりと覚醒した。
「この貸しは高くつくぜ、セイル」
 シオンの疲れ果てた声がした。
「いいから意地を張らずに早く休め」
 セイリオスの気遣う声。
「へーへー、邪魔者は消えますよ」
 疲れていてもシオン様はシオン様だな。
 おかしく思いながら、シルフィスは目を開けた。
 見慣れぬ室内は夜なのか暗かった。
ぼんやりと視線をさまよわせていると、視界にセイリオスの姿が入った。
それが現実のものだと認識し、思わず起き上がりかけて肩の痛みに息を飲む。
「まだ無理して動いてはいけない」
 優しくセイリオスが制した。
「殿下、一体…?」
「君はこの三日、昏睡状態にあったんだ」
 手短にセイリオスは経緯を説明した。
「…申し訳ありません」
 せっかくの祝いの席で、こんなことになろうとは。
ディアーナの幸福に影を差してしまったことが何よりつらい。
「謝らねばならないのは私の方だ…」
「殿下?」
「私は偽りの皇太子だ」
 セイリオスはまるで祭壇の前で罪を告白する人のようだった。
神の裁きを待つ罪人のように力ない姿だった。
「私は…君が忠誠を誓ったクライン王家の血を引いてはいない。
死んだ本物の皇太子とすり替えられた、どこの誰の子とも分からぬ人間だ。
…私には君が命をかける価値はない。…王家の名を騙る、不遜な男だ」
「それは違います」
 はじかれたようにシルフィスは否定した。その声には怒りすら滲んでいた。
 驚いたように顔を上げセイリオスはシルフィスを見詰めた。
「殿下は本物の皇太子です。ただ王族に生まれたというだけで、その地位にあり、
王家の責任を果そうともせぬ者がどれほどいることか。殿下は王族として、
時には求められる以上に責務を立派に果たして来られたではありませんか。
その殿下を偽りの皇太子などと言う者は許しません。それが、殿下御本人でもです」
 翠の瞳が強い光を放っていた。常日頃の控えめで遠慮がちなシルフィスではなかった。
セイリオスはその瞳から目をそらすことができなかった。
「血に何の意味があるのですか?血によって、王にふさわしい資質が全て伝えられるのですか?
血が全てというのであれば、私はアンヘル族として魔力を持って生まれていたはずです。
…私が王家に忠誠を誓ったのは、殿下が王家にいらっしゃったからです」
「…君は私を本物の皇太子と認めてくれるのかい?」
 紫の瞳の奥で何かが揺らめいた。
「勿論です。私は殿下以上にその地位にふさわしい方を知りません」
 それがシルフィスの偽りのない気持ちだった。
「これからも、私の言葉に従ってくれるんだね?」
 セイリオスはいつもの力強さを取り戻していた。
「はい。命ある限り、殿下に従います」
 その言葉にセイリオスは満足そうに頷いた。
「それでは、シルフィス、皇太子妃になることを命じる」
「…え?」
 シルフィスは我が耳を疑った。まじまじと皇太子を見詰める。
「私は皇太子で、君は騎士だ。そして、これは皇太子命令だ。拒否は許さない」
 澄まし顔でセイリオスは言った。
「で、殿下っ、それとこれとは」
「違わないよ。君は私が嫌いかい?君が私を嫌いだという理由以外で、この命令を拒むことはできないよ」
「な、何をおっしゃるんですか、殿下!大体、私は地位も身分もないばかりでなく、アンヘル族で」
「却下だ」
 まるで聞く耳を持たないセイリオスの姿にディアーナの姿が重なる。
血はつながっていなくとも、確かに兄妹の絆をシルフィスは感じた。それでも、抵抗を試みる。
「そもそも陛下がお許しになるはずが」
「許させる」
「重臣の方々だって」
「黙らせる」
「横暴ですよっ!」
「私が皇太子を続けるには君が必要だ。今回のことで、それがよくわかったよ。
なんと言われようと、譲る気はない」
「殿下っ!」
 シルフィスの声と、もう一人の声が重なった。
「ちょっと、何やってんのよっ!怪我人を興奮させてっ」
 メイである。宮廷魔導士となっても、メイのセイリオスに対する遠慮のない態度は変化していない。
小柄な少女に食ってかかられ、セイリオスは両手を挙げた。
「わかった。おとなしく退散しよう」
 そうメイに告げて、セイリオスはいつもの微笑をシルフィスに向けた。
「皇太子命令、だ」
「へ?何の話?」
 メイが首を傾げる横でシルフィスは絶句した。セイリオスは颯爽とした足取りで部屋を出て行った。
「どっちが怪我人なのか、わからないくらい青ざめた顔してたってのに」
 怒ったような、面白がっているような口調でメイは言って肩を竦めた。
「…メイ、もう歩いたりして、大丈夫なのですか?」
「へーき、へーき。ずっと寝てる方が疲れちゃう。
それにしても、あの治癒魔法の効き目は凄いもんね。改めて尊敬しちゃうな」
「キールですか、シオン様ですか?」
「両方。傷、まだ痛むでしょ?あの魔法、解毒効果はあっても、傷自体の治癒効果は薄いって言ってたから」
「このくらい平気です」
「ほら、そうやって二人とも、すぐ無理をするから心配で眠れませんのよ」
「姫っ!?」
 ディアーナがひょっこり顔を出した。
「十分、ここで休養が取れるようにアルムレディン様によーく頼んでおきましたわ」
「休養って…」
「二人とも、わたくしを一人、この国に置き去りにして、さっさと帰ってしまうほど、
薄情じゃありませんわよね?」
 シルフィスとメイは顔を見合わせた。自分達が眠っている間にディアーナは
二人をしばらくの間、ここに留めるための段取りをつけてしまったようだ。
こういうところは兄に似てぬかりがない。休養を取らせることが第一の目的ではあるが、
寂しいからというのも理由の一つだろう。
「しかたないですね、姫は」
 三人はくすくすと声を合わせて笑った。


「独り占めはずるいですわっ」
 クラインの皇太子とダリスの王妃は人目がなくなった途端に兄妹喧嘩を開始した。
セイリオスが帰国する前に兄妹水入らずで別れの挨拶ができるようにというアルムレディンのはからいで、二人は庭園を散策していた。
「独り占め?ずるい?なんのことだい?」
「しらじらしいですわっ。これからずーっと一緒にいられますのに、お兄様はずるすぎますわっ」
 大事をとって、キールに治療を受けさせるために自身とともにシルフィスを帰国させると
セイリオスが言い出したのは皇太子一行が帰国の途につく当日の朝であった。
「キールをこちらに呼べばよろしいじゃありませんのっ」
「キールにはシオンの代役を頼んでいる。シオンが王宮に戻るまで、動かすことはできない」
「シオンが帰国してからも遅くはありませんわ。キールが来るまで、わたくしが責任をもって、
シルフィスの看護をいたしますわ」
「お前とメイが近くにいて、シルフィスが安静に過ごせるとも思えないな。
それにあいにく、私はダリスの魔導士の治療の技を信用していない」
「お兄様は心が狭いですわっ!」
「それは聞き捨てならないね。お前こそ、今まで、十分、一緒にいただろう」
「十分ではありませんわ」
 こうして二人はおそらく最後になるだろう兄妹喧嘩を心ゆくまで味わったのであった。
 表向きは護衛という名目でシルフィスは皇太子の乗る馬車に同乗していた。
シルフィスの異議は皇太子命令の一言で却下された。
困り果てたシルフィスに青い髪の魔導士がかけた言葉は諦めろ、であった。
「あいつは、お前さんのおかげで出生の重荷から解放されたんだ。
あいつの一番の弱みが弱みでなくなったんだ。王道を歩むのに、迷いがなくなったとも言えるな。
もう、あいつが王になるのを誰も阻むことはできないだろうよ」
 珍しく真面目な顔をしていたかと思えば、シオンはにやっと笑ってシルフィスに言った。
「ああなっちまった以上、俺が何言ったところで聞きやしないぜ?諦めて、皇太子妃になるんだな」
 真っ先に反対するであろうと思われたシオンがこうである。
親友であり、腹心であるシオンの賛同がある以上、セイリオスが己が意を通すのはそう困難ではないだろう。
「シルフィス?」
 小さく溜息をもらしたシルフィスにセイリオスが声をかける。
「…なんでもありません」
「なんでもないという顔ではないな。…君が私など好きではないと言えば、
あの命令は今すぐにでも取り消すよ?」
「私は…」
 身分違いだと自分自身に言い聞かせ、心の奥底に仕舞い込んだ思いが、
偽りの言葉を口にすることを許してはくれなかった。
今まで押さえ付けて来たことへの反発のように、その思いが理性を揺るがせる。
「君が主君としてしか私を見れないと言うのならば、そう言って欲しい」
「…殿下は意地悪です」
 そう言えるのであれば、どれだけ楽なことか。そう言えないのならば、沈黙するしかできない。
 セイリオスは手をのばし、シルフィスの肩を引き寄せた。
「私は皇太子として、感情と理性を秤にかけて多くのものを諦めてきた。
だけど、君だけは諦められない。理性では抑えられぬ感情があることを初めて私は知ったんだ。
私にもそんな感情があることを、思い知らされた」
 理性では抑えられぬ感情。この思いがそうなのだろうか。
セイリオスの腕に抱かれて、奔流のように全身を駆け巡る思いが、それなのだろうか。
 紫の瞳がひたと見据える。
「私は君を愛している。この思いだけは、自分を偽ることができない」
 シルフィスは目を閉じた。
 誰を偽っても、自分の心を偽ることはできない。
 腕の中でささやかれた言葉にセイリオスは微笑み、閉ざされた瞼に羽根が触れるようにそっと口づけた。

おわり

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