未来

 王都の中心街から僅かに外れた地区に新設された小さな研究所では、その主たる緋色の肩掛けの魔導士と助手が暮らしていた。
助手と言っても、彼女は魔導士ではないばかりか、一切、魔力は持っていない。
せいぜい可能な範囲で調べ物の手伝いをするか、客の接待をするかぐらいだ。
接待能力に関しては、研究所の主を上回っているが、今の所、その能力を十分に発揮できるほどの客は来ない。
「それじゃ、王宮の書庫に行ってきますね」
 最近、めっきり女らしくなった金髪の「助手」が言った。
「ああ」
 キールは短く答えた。
彼女に渡した書物のリストは、彼女には見付けにくいかもしれないが、彼の双子の兄に頼めば、すぐに手に入るだろう。
王宮で文官をしている双子の兄は、自分と未来の義妹のためには協力を惜しまない。
見送ると、キールは古文書の解読作業に没頭した。

「こんにちは〜」
 どれくらいの時間が過ぎただろうか、相変わらず、のんびりした調子の挨拶にキールはようやく古文書から顔を上げた。
「…なんの用だ?」
 ぶっきらぼうな彼の言葉にも、アイシュはにこにことして動じることはない。
「あなたが借りたがっていた書物が見つかったので、届けにきたんですよ〜」
 キールはゆっくり瞬きした。いつの間にか日は傾いている。
「なんで、兄貴がわざわざ持って来るんだ?シルフィスに渡せばいいだろう」
「いえいえ、シルフィスが帰った後で見つかったんです〜。
シルフィスはまた出掛けたんですか〜?あまりこき使ってはいけませんよ〜」
 キールは眉を寄せた。シルフィスはまだ帰っていない。
いくら書物に没頭していても、彼女が帰って来れば、分かる。
「いつ頃、シルフィスは帰ったんだ?」
「昼過ぎですけど、まだ帰っていないんですか〜?また姫様にでもつかまって、お話し相手になっているのかもしれませんねぇ」
「…そうかもな。悪かったな、わざわざ。助かった。…茶でも飲むか?」
 以前の彼なら、用事が済み次第、礼もそこそこに追い出しにかかっただろう。
アイシュは弟の変化に喜びながら、はい〜と返事した。

 日没前になって、シルフィスは書物と花束を抱えて帰って来た。
「すみません、遅くなってしまって」
 キールは花束にぴんと来て、シルフィスに尋ねた。
「シオン様か?」
「え?あ、はい。どうせ、キールのことだ、殺風景だろうとおっしゃって、下さったんです」
 くすくす笑いながら答える。
「そのうち、中庭に花壇も造ってくださるとか」
 どうせあの魔導士のことだ。
自分には死んでも口にできない、歯の浮くような台詞も言ったに違いない。
「王宮だけじゃ飽き足らず、他人の家の庭まで勝手にいじくる気かって、メイに怒られていましたけど」
「ふーん。メイも一緒だったのか」
 シルフィスを信じていないわけではないのだが、それでも不安を感じずにはいられない。
自分が詮索されるのは嫌いなくせに、ついつい詮索してしまう自分が厭になる。
「ええ。姫もご一緒したんです」
 楽しそうに友人達の様子を語る。
自分はこんな表情をシルフィスにさせてやることができない。
しゃべることも苦手だ。
自分などのどこが良かったのだろう。
 キールは同じように、また幸せそうにシルフィスが自分のことを友人達に話して聞かせることを知らない。
「お客様がいらっしゃったんですか?」
 テーブルに置かれたままのカップに目を留めてシルフィスが尋ねる。
「兄貴が来たんだ。本が見つかったからって」
「そうなんですか?シオン様の執務室によることを言っておけばよかったですね」
 何げない一言にキールは息を飲んだ。
 どうして、シオン様の執務室なんだ?ディアーナの部屋でも、メイの部屋でもなく。
 今すぐにも問いただしたかったが、キールは自分を抑えた。
 …どうして、俺なんかを選んだんだ?
 心の底で不安は自己嫌悪とともにじわじわと広がっていった。

 目覚めると、淡い月の光が降り注ぐ窓辺に人影が立っていた。
 流れる長い金の髪、ほっそりした肢体。
見間違うことなどあろうはずのない自分の美しい想い人。
「…どうしたんだ、シルフィス?」
 悲しげにほほ笑む少女。
月光を紡いだような金の髪。
頬をつたう涙も月の滴のよう。
キールは手を伸ばした。
指先が触れる前に、少女の姿は月光に溶けた。
まるで初めから存在しなかったかのように。
「シルフィス!」
 自分の声と胸の痛みに、キールは目を覚ました。
「…夢か」
 まだ初夏だというのに、じっとりと汗ばんでいる。
キールはゆっくりと寝台から降りた。窓越しに満月を見上げる。
昔から、満月の夜は寝苦しい。精霊達の活動が盛んになるからだ。
今も月の光の中で戯れる精霊の姿がはっきりと見える。
かつて、自分はシルフィスを聖霊と見間違えた。
それほどまでに、シルフィスは清浄な輝きを帯びていた。
男でも女でもないということは、それだけに聖霊に近いのかもしれない。
 再び眠る気になれなかったキールはランプを灯すと魔導書を紐解いた。

 微かな気配に、はっと顔を上げると、シルフィスが月光を浴びて立っていた。
「起こしてしまいましたか?でも、キール、研究熱心なのも結構ですけど、ちゃんと睡眠を取らないと体に障ります」
 キールは手を伸ばした。
今度は消えなかった。確かな温もりが手から伝わる。
「…どうして、ここにいるんだ?俺なんかのどこがいいんだ…」
 ふわりとほほ笑むとシルフィスはキールを抱き締めた。
「私はあなたが好きです、キール。どうか、自分を、私が好きなあなたを、嫌わないでください」
「俺はどうしようもない人間だ…。お前が、シオン様のところに行ったと聞いただけで、シオン様に嫉妬してる。お前が離れて行くんじゃないかと、いつも不安なくせに、そんな自分を変えられない」
 くすり、と小さくシルフィスが笑った。
「あなたのためですよ、私がシオン様のところへ行ったのは。あなたにおいしいお茶をいれてあげたくて、姫と一緒にお茶のいれ方を伝授してもらっているんです。結構、厳しい先生なんですよ、シオン様は」
「…行かなくていい。お前がいれてくれるお茶は誰のお茶よりもおいしい。だから…」
「あなたはちゃんと変化してますよ、キール」
 いたずらっぽくシルフィスがささやく。
「そんなお世辞、前は口が裂けても言わなかったでしょう?」
「…別にお世辞なんかじゃない…本当にそうなんだ」
 ぼそぼそと小さな声でつぶやく。
「嬉しいです」
 やんわりと笑む気配。
「…本当に、俺でいいんだな?」
 キールは顔を上げて、シルフィスの緑の瞳を覗き込んだ。
 緑の瞳の中で笑みが光となって、はじける。
「ええ。私はあなたが好きです、キール。他の誰でもなく、あなたでなければ、厭なんです」
 その瞳と言葉に心から刺が消えてゆく。まるで癒しの呪文のようだ。
 自分は自分を好きになれるかもしれない。シルフィスがこの呪文を繰り返してくれるならば。
そして…自分は変わってゆけるだろう。
 月光の下で、白い腕に抱かれながらキールは初めて自分自身の可能性を信じることができた。


おわり

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