やんごとなき方々の災難

 王都内を散策していた休暇中の騎士二人組はある街角で足を止め、互いの顔を見合わせていた。傍から見れば、銀髪と金髪の見目麗しい若い男女が見つめ合っているかのようであったが、二人の顔に浮かんでいるのは困惑に他ならない。
「…どうする?」
「…報告するか?」
 二人は揃って薄暗い店内に目を向けた。
 あまり広くないその店は女性客を中心に賑わっている。何気なしに足を踏み入れた店内には奇妙な熱気が漂っており、そこにおいて二人はあるものを見つけ、無言のままにどちらからともなく踵を返したのだった。
「あまり、公にはしたくないよね」
 微かに顔を赤らめてシルフィスは言った。
 同じように頬を上気させた若い娘が足早に店を出ていく。その娘と入れ替わるように、今度は顔を隠すように帽子を目深に被った中年男がいそいそと店に入っていく。
「…けど、見過ごすわけにもいかないよな」
 気持ち悪そうな視線をその男に向けてガゼルが呟く。寒気を感じたのか、しきりに自分の腕をさすっていた。
「…隊長に相談しようか」
「だな」
 二人の騎士は上司に問題を押しつけることに決め、その場を立ち去った。


 クライン王国の第二王女は、ばたばたと廊下を駆けて来る足音に首を傾げた。
 この足音は間違いなく友人のメイのものであるが、現在王宮で花嫁修行中のメイがこんなに走るなど、ここしばらくなかったことである。教育係に見張られているということもあったが、それ以上に本人が努力して自制しているのだ。自分の失敗によって、皇太子の顔に泥を塗ることになるのは絶対にごめんだとメイはディアーナに向かってよく言っていた。
「ちょっと、これ、見て、見て、見て!」
 予想違わず、声とともに未来の義姉が勢いよく部屋に飛び込んできた。
「どうしたんですの、メイ?」
「それがさ、今日、久しぶりに街に出たんだけど…」
 もう堪えられないとばかりに言葉を途切れさせ、げらげら笑いながら、手にしていたものをメイはディアーナに押しつけた。
 それを受け取り、包んであった布を取り去ったディアーナは「まあっ」と驚きの声を上げ、しばらくの間、絶句した。
「…これ、どこで手に入れましたの?」
 そう尋ねるディアーナの頬が桜色にほんのりと染まっている。
「裏通りの雑貨屋。新しい店ができたって聞いて、行ってみたんだけど。まさか、こんなものが売られているとは思わなかったわ」
 目に浮かんだ笑い涙を拭きながらメイが言う。
「色っぽいよね」
「ええ。負けましたわ」
 二人の少女は顔を見合わせ、一瞬の後に吹き出し、かなり長時間に渡って笑い続けたのだった。


 レオニス・クレベールはとある報告をするべく、皇太子の執務室を訪れていた。生憎と先客があり、彼はその場で待たされているのだが、それを彼は苦痛とも思わなかった。
 口頭による打ち合わせが終わり、アイシュ・セリアンが執務室を出ていこうとした途端、ノックもなしに扉が勢いよく開いた。アイシュがあわあわと転びかかり、どうにか体勢を整えた。
「あ、ごめん、アイシュ」
 悪びれない笑顔でメイが謝る。いいですよ〜とのんびりした口調でアイシュが応じた。彼はとても寛大な人間だ。また、他の人間なら無礼だと叱りつけるであろう皇太子も婚約者のこうした行動には甘く、笑顔でメイを迎え入れた。
「ね、殿下、ちょっと、これ見て」
 皇太子の腕に飛びつくようにしてメイが言う。
 今、この瞬間、皇太子もその婚約者も自分やアイシュ・セリアンの存在など忘れているに違いないとレオニスは確信していた。
「なんだい、メイ?」
 優しく言って、少女によって示されたものを目にした皇太子の笑顔が凍り付く。それを何気なく見てしまったアイシュもまた硬直してしまった。
「…ちょうど、私もそれに関して御報告しようとしていたところです」
 手間が省けたと思いつつ、レオニスは言った。
 ぎりぎりと音がしそうな、ぎこちない動きでセイリオスが振り向く。
「一体、何なのだ、これは?」
 暗く低い声が問うた。まるで別人のような声音だ。
「目下、市中で出回っている商品です」
「もうそれが、大人気なのよ。若い女の子から、おじさんまで買って行くんだって」
 皇太子の尋常ならざる様子に気づかずにメイがはしゃいだ声で付け加えた。
 瞬間、ぴきんとセイリオスの周辺の空気が凍り付いた。
 レオニスはそんな皇太子を気の毒そうに眺めている。
「…男、も?」
「そーだって。無理もないよね、色っぽいもん、この殿下」
 メイに悪気はない。ないが、その一言はセイリオスを打ちのめした。
 問題の「商品」をつかむセイリオスの手が震える。
「レオニス」
 常になく低い声が近衛騎士を呼ばわった。
「はっ」
「ただちに販売主及び制作に関わった者達を召し捕らえよ」
「で、殿下〜」
 ようやく驚きから立ち直ったアイシュが慌てるが、セイリオスは取りあわない。
「え〜っ!どうして?」
 驚き目をまるくする婚約者に、それはそれは綺麗な笑顔をセイリオスは向けた。
「王室侮辱罪というものがあるんだよ」
 ひどくさりげない手つきで皇太子は剣の柄を握りしめている。
 皇太子の中で、何かがぶち切れていることは明白であった。


 宮廷筆頭魔導士シオン・カイナスは深夜に屋敷を訪れた客人をにやにや笑いながら出迎えた。
 訪問客はにこりと笑ってシオンに言った。
「あなたには随分稼がせていただきましたから、そのお礼に来ました」
 というのは口先だけで、逃亡する手助けを要求していることはシオンにはよく分かっていた。
「だろ?俺の才能もなかなかのもんだと思わないか?」
「ええ。正直、これほど売れるとは思いもしませんでした」
 金貨の入った袋と交換にシオンは通行証を渡した。クライン王家の紋の入った紛れもない、本物の通行許可証である。ただし、その持ち主の名前だけは異なっていた。
「しっぽ、つかまれるなよ?」
「誰に言っているんです?あなたこそ、気を付けてくださいね。巻き添えを食うのはごめんですから」
 あっさり言い放ち、客は来た時と同じく夜風のようにひっそりと去っていった。


 どこか落ち着きのない王宮の一室でディアーナは隣国の国王である婚約者の訪問を受けていた。
 ひとしきり、近況を尋ね合った後、アルムレディンは先刻から気になっていたことをディアーナに聞いた。
「どうかなされたのですか、セイリオス殿下は?」
 先ほど、挨拶した際、皇太子はやけに憔悴して見えたのだ。
 ディアーナはどこか決まる悪げに紅茶をスプーンでかき回した。
「お兄様は、少し、お疲れなのですわ」
「何か事件でも?」
 王宮の様子がいつもと違うことをアルムレディンは敏感に感じ取っていた。
「事件といえば事件なのですけど…」
 ちらりとディアーナはアルムレディンに目を向けた。
 きっと、実際に見て貰った方が早いですわね…。
 この時、ディアーナは繊細な男心を未だ理解してはいなかった。
「こういうものが市中に出回りましたの」
 メイに頼まれ、隠し持っていた例の「商品」を持ってきてディアーナはそう説明した。
 アルムレディンは絶句した。
 しばらく、そのまま動きはなかったが、やがて小刻みに震え始めた。
「お兄様は買い手を、特に男性の方を厳罰に処するととてもお怒りでしたの」
「それは少し…大人げないかもしれませんね」
 ようやくそう言った後、ダリスの若き国王はかなり長い間、声を殺して笑い続けていた。
 その間、一瞬、突き刺さるような殺気が彼をかすめたのだが、彼は不幸にも気づかなかった。


 休み明け、上官から事の顛末を聞かされた騎士二人組は、やっぱり、と顔を見合わせた。
 問題の商品は即刻販売停止並び回収作業が進められたという。そして、捜査隊が店に踏み込んだ時、店主はすでに姿を消していた。おそらく、店主は二人の近衛騎士を見かけた時点で、逃亡を決めていたに違いない。そのくらい、抜け目のない人物なのだ、イーリスは。
 上官の部屋を出た二人は騎士団宿舎の庭先で勢いよく燃えている焚き火に気づいて足を止めた。
「ちょっと、もったいない気がするね。燃やすまでしなくても良かったんじゃないかな」
 焚き火で燃やされているのは回収された商品、すなわち、皇太子の絵姿であった。
「そうかぁ?俺だって、絶対、厭だぜ、あんな自分の絵を男が持っているなんてのは。大体、野郎が野郎の絵なんか、普通、欲しがらねえって」
 欲しがるヤツの気が知れないとばかりにガゼルは顔をしかめる。
「殿下は男女問わず人気があるってことだね」
 どこかずれたシルフィスの感想にガゼルはがくりと肩を落とした。
「…それは、ちょっと違うと思うぞ、シルフィス」
 件の絵姿は、純粋に皇太子への敬愛の念から欲しがるには、少々、問題がある。
 そこに描かれているのは「艶姿」と呼んでも差し支えのない代物だった。
 常に隠されている皇太子の素肌を見てみたいという欲求が形になったものといってもいい。
 ガゼルは皇太子へ心底同情を覚えていた。


 後日、ダリス王国においても同様の事件が起こり、関係者全員厳罰にすると息巻く若き国王をなだめるのに王妃をはじめ王宮の家臣団は一苦労だったという。ついでに、国王が怒りをおさめたのはクライン皇太子から親書が送られて来たことによる。さすがはセイリオス殿下とダリスの廷臣達は感心していたが、そこには「大人げない」という一言しか書かれていなかったことを知るのはアルムレディン一人だけだった。
 なお、描き手と販売主は未だ捕まっていないが、クラインの皇太子は二度とあのような絵姿が出回ることはないと自信をもって断言している。その裏に、顔に青あざをつくった宮廷筆頭魔導士の涙があったことは知る人ぞ知る隠された事情だった。

おわり

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