青少年の試練

 ガゼル・ターナが騎士叙任を受けてからおよそ一年の月日が過ぎていた。
 見習い時代は年の割に小柄で直情的な性格であったため、しばしば子犬に例えられていた彼だが、やや遅めの成長期を迎え急速に背を伸ばし、精神的にも随分成長した今となっては、もはや、そのような形容をされることはなくなっていた。それどころか、乙女心を騒がす存在となりつつあるのだが、本人に自覚はなかった。
 その日、ガゼルは非番だった。
 特に用事もなかったため、彼は人気のない訓練場で一人素振りを行っていた。訓練に熱心なのは見習い時代からの上司仕込みである。
「ガゼル、こんなところにいたんだ」
 ひょいと金髪の女騎士が顔を出した。
「あれ?シルフィス、お前、今日はディアーナの護衛じゃなかったのか?」
 訓練用の刃引きした剣を降ろしてガゼルは友人に向き直った。
 クライン史上初の女騎士となったシルフィスは専ら第二王女の護衛を任務としているのだ。
「うん、その予定だったんだけど、今朝、姫が熱を出されてね。外出は取りやめになったんだ」
 無論、お忍びではなく、貴族の開くお茶会に出かけることになっていたのだ。
「大丈夫なのか?」
「風邪だって話だから、多分」
「そっか」
 ふとガゼルはシルフィスが翠の瞳でじぃっと自分を見ていることに気付いた。
「な、なんだよ?」
 最近になってようやく、この女騎士への思いが友情ではなくなりつつあることに気付いたガゼルはどぎまぎしながら、言った。
「ガゼル、ちょっといい?」
 ずずいと近付いたシルフィスは手を伸ばして、ぺたぺたとガゼルの腕を触り始めた。
「わわっ、何するんだっ」
 突然の行為にガゼルは驚きあわてるが、シルフィスは意に介さない。
 同期で、見習い時代からの付き合いだとはいえ、美しい女性と化したシルフィスにこれほど接近されて平常心を保てる青少年はいないだろう。
 ガゼルの心拍数は素振りを止めているというのに、一気に跳ね上がった。
「やっぱり違うよね」
 シルフィスが憂いを帯びた表情で、ふうと溜息をつく。
「な、何が?」
「腕の太さ」
「はぁ?」
 気の抜けた声をガゼルは発した。
「筋肉のつき方が、やっぱり違うなぁって思って。私も毎日、鍛練を欠かさないのだけど、なかなか筋肉がついてくれないんだ」
 シルフィスは自分の細い腕を不満そうに触っている。
「…そりゃあ、女なんだからさ、男とは違うだろ」
 一体、何を言い出すんだかと呆れ気味にガゼルは言った。
「そうなんだけど…。昔はあまり変わらなかったのにって思うと、なんか悔しくて」
 ほらっと袖を捲りあげて、自分の腕を並べて見せる。
「長さも全然違うし、手の大きさだって。ずるいよ、ガゼルは一人ばかり大きくなって」
 手の平を合わせて、見比べたシルフィスは、そこで、ようやくガゼルから何の反応も返って来ないことに気付き、不審に思って顔を上げた。
「ガゼル、熱でもあるの?」
 真っ赤になってしまったガゼルの額にシルフィスが手を伸ばし触れた途端、ガゼルの中で限界が訪れた。
「…シルフィスっ」
 がばっとガゼルは少女を抱き締めた。シルフィスも背は高いほうだが、それでも完全にその腕の中に収まってしまうほど、ガゼルの背も伸びていた。
「俺、お前が…」
 意を決して言いかけたガゼルの言葉などシルフィスの耳には届いていなかった。
「駄目じゃないか、ガゼル、足元がふらつくくらい熱があるのに訓練なんかしたら」
 シルフィスは大真面目である。
 ガゼルは一気に脱力した。
 本気で、頭がくらくらする。
 鈍い。あまりにも鈍すぎる…。
 お子様だのうぶだの、男の友人達から、さんざん、からかわれるガゼルであるが、シルフィスは彼に輪を掛けて奥手だった。女性に分化して日が浅いためか、女としての自覚がまるきりないのである。
「…なんか、頭痛くなってきた」
 ずるずるとガゼルは床にへたりこんだ。
「無理するからだよ、ほら」
 屈託なくシルフィスは手を差しのべる。そんな彼女をガゼルはちらりと上目使いで見遣った。
「あのさ、お前、俺のこと、男だって分かってんのか?」
「?当たり前だろ、そんなこと」
 不思議そうな顔で見返す。
 分かってない、全然、分かってない!
 小さく呻いてガゼルは立ち上がった。
 俺、どうすりゃいいんだろ?
 無論、その問いに答えてくれる者はない。
 ガゼルはシルフィスに手を引っ張られ、部屋に連れ戻されながら、この先どうすればいいのだろうと真剣に考えていた。
 その後、ガゼルのなかで騎士に必要とされる自制心が大いに養われたことは言うまでもない。

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