追及の手

 王都郊外の湖は訪れる者も少なく静寂に満たされていた。
「ふー、生き返るぜ」
 顔を洗って埃を落としたガゼルがさっぱりした顔で言う。
「ここまで来るともうひと頑張りって気がするよな」
「後は帰るだけだからね」
 同じように顔を洗ってシルフィスは答えた。
以前なら、この辺りまで来るとへたりこんでいたところだが、今では十分余力が残っている。
「どーせここに来るなら、巡回以外で来たいぜ、まったく」
「まあ、しばらくは無理だろうね」
 苦笑で応じる。郊外の湖というのは、いわゆる恋人同士の憩いの場なのだ。
しかし、新米騎士達にはそのような余裕はない。今まで通りの訓練に加え、巡回、王宮警備、護衛等の任務があるのだ。休日ともなれば一日眠りほうけていることも珍しくない。
「でも、忙しいからって、あまり放っておくと、ふられるよ?結構、人気あるからね、メイは」
 少々意地の悪い笑みを浮かべて、シルフィスは友人をからかった。
「うるせぇなぁ」
 ばしゃっとガゼルは水をはねかけ、シルフィスは笑いながら避けた。
 気配を察したのはほぼ同時だった。剣の柄に手をかけ、振り返る。
「…おい、なんだよ、こいつら?」
「私に聞かれても、分かるわけないだろ」
 殺気を放っているのは異形の生き物達だった。大きさは大型の犬ほどもある。鋭い牙を剥き出しにしてじわじわと包囲の輪を縮めて来る。
「一人頭4匹ずつってとこか」
 素早く数を確認してガゼルがつぶやく。
「逆を言えば、分け前は一頭につき四分の一」
「笑えない冗談だぜ、それって」
 獣達が地を蹴った。二人の騎士は湖を背に剣を抜いた。

 視察で留守の兄に代わって、報告書に目を通していたディアーナは眉を寄せた。他国に嫁ぐ意志はないと宣言したディアーナはそれならば別の形で王族の義務を果さねばなるまいと政務に関わるようになっていた。
「どうかなさいましたか〜姫様〜?」
 ディアーナの補佐を命じられたアイシュが尋ねる。
「なんでもありませんわ。ただ、どうして、こうも不正を働く人が多いのかと思っただけですわ」
「それは何とも申し上げられませんね〜」
 苦笑まじりにアイシュが答える。
 その時、文官の一人が近衛騎士団から皇太子代理に火急の知らせがあると告げた。

 二人の騎士を目にしたディアーナはさーっと血の気が引くのを感じた。
「け、怪我は大丈夫ですの?」
「全然。返り血だって」
 笑いながらガゼルが言う。血まみれの姿で笑われるとかなり怖いものがある。
「申し訳ありません、まだ未熟なもので」
 シルフィスが申し訳なさそうに言った。
「本来ならば、着替えさせてから目通りを乞うのが礼儀なのですが、今回は早急に対策を取る必要があると思われましたので」
 レオニスがそう説明する。ディアーナは気を取り直し、二人の報告に耳を傾けた。
「…ありのままに伝えて、いたずらに動揺を煽るわけには参りませんわね。まずは騎士と魔導士を動員して警備の強化を図りましょう」
 アイシュが頷いた。
「それからー、そのモンスターの分析も魔法研究院でしてもらった方がいいと思われます−」
「わかりましたわ。そのように手配してちょうだい」
 その後にもアイシュの助言をもとにしてディアーナは細々とした指示を与えた。
「お兄様にもお知らせしなくては…それは何ですの?」
 アイシュの指示で文官達が運び去ろうとした布の塊に目を留める。布はガゼルのマントであるようだ。
「姫様もご覧になりますかー?」
 ディアーナは何だろうと覗き込んだ。
「ひ、姫、およしになった方が…!」
「うわっ、やめとけって!」
 シルフィス達が慌てて引き留めたが遅かった。
 王宮中に悲鳴が響き渡る。
「だから、言ったのによ…」
 ぽりぽりとガゼルが頭をかく。
「…アイシュ殿、ああいうものを女性の目に触れさせるのはどうかと思いますが」
 なんとも複雑な顔でレオニスに言われ、はいー、失敗でしたねぇとアイシュはうなだれた。彼らを残して、ディアーナは侍女達に支えられて自室に戻って行った。
 私も一応、女なんだけどな…。
 レオニスの言葉になんとなく釈然としないものを感じるシルフィスである。
 一般的な女性はモンスターをぶった切ったりはしないという認識がシルフィスには欠けていた。
 その後、布に包まれたそれ、すなわち、モンスターの上半身は人目に触れることなく魔法研究院に無事に運び込まれたのであった。


 王宮からの届け物の言葉に喜々としたメイであったが、一瞬後には、何これーっと不満たらたらの声を上げる羽目になった。
「気持ち悪ぅー。キール、よく平気で触れるわね」
 得体の知れぬ生物の死骸、しかも血まみれで半分だけの状態という代物を前にして、緋色の肩掛けの魔導士は厭な顔をするどころか、興味津々の様子で観察を開始していた。
「ごちゃごちゃ言う暇があったら、記録でも調べてろ」
「調べるって何を?」
「これに類似したモンスターの記録があるかどうか、だ」
 そんなことも分からないのかと言いたげなキールの口調にはいはいとメイは肩を竦めて書庫に向かった。素直に従ったのは、単に死骸とはいえモンスターの近くにいたくなかったからだ。
「そーいやー、巡回中の騎士が退治したって言ってたけど、今日の巡回当番ってガゼル達じゃなかったっけ?」
 魔導士が呼ばれなかったということは、怪我はなかったということだろう。
「あーゆーのを相手に戦ったりするなんて、騎士も大変よねぇ」
 この時のメイにはモンスター退治はまだ他人事であった。


 クライン王国の第二王女の部屋にひょっこりと小柄な魔導士が顔を出した。
「倒れたって聞いたんだけど、大丈夫?」
 ディアーナは笑顔で友人を迎えた。
「ええ。少し驚いただけですわ。それよりも、あのモンスターについて、何かわかりました?」
「ちょっとだけね。モンスターって言っても、どちらかと言えば、おとなしい性質で、本来、めったに人を襲ったりしないんだって。よっぽど空腹だったみたい。シルフィス達も災難よね。ま、襲われたのがあの二人だから助かったようなものだけど」
 不幸中の幸いってとこでしょとメイは笑った。
「ここだけの話、本当は様子見て来いってキールに言われたんだ。心配なら自分で顔出せばいいのにさ」
 メイの言葉にディアーナは頬を染めた。
「…約束しましたもの。お互いに一人前になって、認めてもらうまで、必要以上に会わないように」
「よく我慢できるよね、どっちも」
 そう言いながら、テーブルを見てメイは顔をしかめた。
「うわ、何、これ?」
 以前ならお菓子がのっていた場所は書類によって占拠されていた。
「宿題、ですわ」
 溜息まじりにディアーナが応じる。クライン王国になくてはならない人材になる道のりはまだまだ遠い。
「うーん、さすがに、これはあたしも手伝えないな」
「気持ちだけで十分ですわ」
 ディアーナはほほ笑んで言った。

 シルフィスが王宮の廊下を急いでいると、庭の方角から悲鳴が上がった。聞き苦しい男の悲鳴である。何事かとシルフィスは窓を飛び越し、外に出た。
 黒い影が横切る。シルフィスはとっさに身をかがめ、それを避けた。
「何っ!?」
 頭上をかすめた黒い影には翼があった。反転し、急降下してきたそれをシルフィスは剣を抜きざまに切り捨てた。トカゲと鳥の中間のような奇妙な生物である。だが、じっくり検分する暇はなかった。次々と襲いかかって来る鋭い爪をかわしては、切り付ける。あちこちから悲鳴が聞こえた。
「ファイアーボールッ!」
 華やかな火花が散って、ぼとぼととモンスター達が地に落ちた。
「メイ、助かりました」
 ガゼルとともにメイがかけて来る。
「正義の味方登場!」
「って、冗談言ってる場合でもないでしょっ」
 メイが呪文の詠唱をしている間、ガゼルとシルフィスが剣で攻撃を防ぐ。他にも宮廷魔導士達が出て来たらしく、王宮ではあちこちで魔法の光が散っていた。

 モンスターの襲撃があったのは、幸いというべきか王宮に限られていた。
「魔法的な要因は何もないとの報告が魔導士達から届いております。…原因がわからぬままでは、我々騎士も動きようがないのですが」
 渋い表情でレオニスが言った。王宮並び王都各所に騎士並び魔導士を配置して警戒体制をとってはいるが、十分とは言えない。
「は〜、一体、何が原因なんでしょうねえ〜」
 アイシュが溜息をつく。
「困りましたわ」
 ディアーナが頭を抱えている頃、夜通しモンスター退治に励んだ友人達は王宮の一室で泥のように眠っていた。


 目覚めた時はすでに夕暮れ時だった。
「しまった!」
 いきなり飛び起きたシルフィスにメイは眠たげな目を向けた。
「何〜?」
「シオン様の執務室にある鉢の水やりを頼まれていたんです。なんでも、乾燥に弱い貴重な植物だとかで、朝夕欠かさずに水をやらなくてはいけないとか」
「いーじゃん、別に、一日くらい放っておいても、そうそう枯れはしないって」
「そうもいきませんよ。ようやく花が咲いたんですから」
 シルフィスは寝台をおりて服を着替え始めた。
「珍しい花なら、あたしも見てみようっと」
 メイも起き上がると身支度を整えてシルフィスとともにシオンの執務室に向かった。

「あっれ−、なーんでシオンがここにいるのよ?」
「どうなさったんです?」
 執務室の前で青い髪の魔導士と鉢合わせしたメイとシルフィスは驚きの声を上げた。彼は皇太子とともに巡察中のはずだ。
「なんでもなにも、緊急事態だというから、セイルより一足先に帰って来てやったんだろーが」
「それで、何かわかった?」
「いーや、さっぱり」
 言いながらシオンは扉を開けた。
「役立たず」
 シオンが不意に足を止めたため、続けて入ろうとしたメイはその背中に鼻をぶつけた。
「ちょっと、急に止まらないでよね!」
「…わかった」
「へ?」
「もしかして、モンスター襲撃の原因ですか?」
 シルフィスが驚いて尋ねる。
「ああ。あれだ」
 シオンの指は輝くばかりに白い花を指し示していた。

 筆頭宮廷魔導士は主不在の皇太子執務室でつるしあげにあっていた。
「無責任ですわ、シオン!」
「人騒がせもいいところですよ〜」
 ディアーナとアイシュが交互に責めたて、レオニスも無言の圧力を加えて来る。
「だーかーら、文句は俺じゃなくて、セイルに言えって!」
 あれの調査をおしつけたのは、あいつなんだぞとシオンは文句を言い返す。
 シオンの説明によると、例の鉢植えを手に入れた植物愛好家の貴族が立て続けにモンスターに襲われたのだという。原因はその植物の呪いであるとする噂が流れたので、その真相究明をセイリオスがシオンに命じたのだ。
「俺だって、実在するとは知らなかったんだ。文献に花の形は載っていても、葉や茎の形態について細かい記載は全然ないんだぞ」
 呪いの原因は「花粉」であった。問題の花の花粉は、魔よけならぬ魔寄せ、モンスターに対して「猫にマタタビ」のような効果がある。ただあまりにも、希少な存在であるために、幻の花とされ、実在することも確認されていなかったのだ。シルフィス達がモンスターに襲われたのも、シルフィスの衣服に花粉がついていたためであった。
「シオン、あんた、そんな危険かもしれない植物の世話をシルフィスに頼んだわけ?」
 また、違う方向からメイが責めたてる。
「呪いなんて、そうそうあるわけないだろーが」
「でも、実際、モンスターに襲われたじゃない。シルフィスが騎士じゃなけりゃ、殺されていたかもしれないじゃん」
「そうですわ!万が一のことがあれば、どうするつもりでしたのっ」
「だから、シルフィスに頼んだんだろうが。こいつなら、万が一のことがあっても切り抜けられる」
 なあ?とばかりにシオンに目を向けられ、シルフィスは苦笑した。
「こうして私は無事ですし、王宮の方々も幸い怪我はしていませんし、今後、まだ広がる可能性があった『事故』を未然に防げたということで、許して差し上げてもよろしいんじゃないでしょうか?」
「甘い!甘すぎるわよっ」
 メイはまだ文句をつけていたが、ディアーナは小さく溜息をつくと言った。
「シルフィスの言うことも、もっともですわ。騒ぎが広がることを未然に防げたということでよしとしましょう」
 それに調査を命じたのが皇太子なのだから、シオン一人を責めるわけにもいかない。
 ディアーナはアイシュとレオニスに騒ぎの収拾を依頼し、自らは、この騒ぎで滞っていた政務を片付けることに決めた。
「ありがとな、姫さん。今回の件について、残りの調査はあいつに一任するからな」
 シオンは去り際に、そうディアーナに耳打ちすると機嫌よく出て行った。
 どんな運命が彼を待ち構えているか、まだ知らないらしいと、ディアーナはそっと笑いをかみ殺し、執務机に向かった。


 魔法研究院に戻る道すがら、メイは文句をつけていた。
「まったく、どこまでお騒がせな男なのよ」
「シオン様はシオン様ってことだろ」
 身も蓋もないことをガゼルが言う。
「そりゃあそうだけど。もっと、とっちめてやるべきよ」
「それなら、シルフィスがやってるだろ」
 ひょいと肩を竦めて言う。
「え?」
「ほら、あれ。例の…」
「あ、そーか。はは、どーりでシルフィスが弁護するわけだ。早く自分の手で懲らしめてやりたいもんね」
「…女っておっかねぇ」
「何か言った?」
「いーや。それより、メイ、明日、暇か?」
 ガゼルはすぐに話題を変えた。
「特に用事ないけど」
「それじゃ、どっか遊びに行こうぜ。明日、特別休暇もらったんだ」
「ホント?じゃあねぇ…」
 楽しいデートに関心が移った二人の頭からは、シオンのこともモンスター騒動のこともすっかり消え去っていた。


 魔法研究院における「モンスターの解剖結果報告」のために緋色の肩掛けの魔導士は皇太子執務室を訪れていた。
「…以上、報告を終わります」
 事務的な口調で報告書を読み上げた魔導士の前にお茶が運ばれて来た。運んで来たのはアイシュである。
「せっかくですから、お茶でも飲んでいってください」
「…って、兄貴の部屋じゃないだろうが」
 ぼそっと、キールはつぶやいたが、厭がっている様子はない。
「姫様も休憩を取らなければなりませんし〜」
 ディアーナが感謝の目を向けると、アイシュは笑顔で頷いて、部屋を出て行った。
 後には言葉もなく見詰め合う二人が残されている。
「今回は姫様も頑張られたことですし、殿下も許してくださいますよね〜」
 アイシュはそんなことをつぶやきながら、笑顔で自身の執務室へと戻って行った。


 問題の花を処分したシオンは自室でくつろいで紅茶をいれていた。
「いや〜、さっきは助かった、さすがは俺のシルフィスだ」
 テーブルにティーカップを置きながら、シオンは調子よく言った。
 シルフィスはにっこりと笑みを浮かべた。
「勝手に所有物にしないでいただけますか?」
 丁寧な口調で言い放たれた言葉にシオンの警戒心が刺激される。
「どうした、シルフィス?危険な目に遭わせたから、拗ねているのか?」
「いいえ」
 きっぱりと否定する。
「じゃあ、なんで怒っているんだ?」
「御自分の胸に手を当てて考えて下さい」
「?」
「…行く先々で思い出作りに励まれたようで。恋文は直接シオン様に渡すように手配すべきでしたね」
 しまったとシオンは額に手を当てた。留守中に届いた書簡整理もシルフィスに頼んでいたのである。私的なものであっても、重要な情報が記されている場合があるので、開封して中を改めるように指示していたのだ。
「それほどまでに羽根をのばされたいのであれば、思う存分にのばして、そのままどこかへ飛んで行かれればよろしいのではないですか?」
 ディアーナやメイの立板に水の文句もレオニスの無言の圧迫も意に介さないシオンにとって怖いものが今ここにある。冷ややかな翠の瞳を前に青い髪の魔導士は懸命に逃げ道を探していた。

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