青き空は水面に輝く

花の季節が終わり、新緑の季節が始まると、京は本格的な夏を迎える準備に入る。
「現代もそうだけど、昔もやっぱり京都は蒸し暑くなるのが早いわ。」
あかねは、パタパタと手近な物で扇ぎながら眩しい太陽を仰いだ。
「うちに居ればクーラーとか付けれるけど、ここにはそんなものないし。」
夏用の薄物を用意してもらってはいるものの、現代の快適な環境に慣れた身体には少々辛い物がある。
「せめてプールでもあればなあ。」
天真や詩紋は桂川あたりへ水浴びに行っているらしいと噂に聞いているが、人目のある場所で一緒になって水浴びするわけにもいかず、あかねとしてはたまに藤姫が差し入れてくれる氷でひんやり感を楽しむのが関の山だった。
頼久のお気に入りの場所のひとつが、人気のあまりない水辺であると聞いたのはそんな時だった。
さらにタイミングのよいことに、その地は怨霊が支配しており、遠からず封印に向かわねばならない場所でもあった。
これは是が非でも怨霊を封印して、その後で・・・。
龍神の神子としての務めも大切だが、現代っ子のあかねにとって、涼しく過ごしたいという願望はなかなかに捨てがたいものがあったのだ。
「確実な怨霊退治を狙うなら、やっぱりここは天真くんと頼久さんよねっ。」
天真や頼久は滅多なことがない限り、あかねの希望を通してくれることも無論計算済みである。
かくして、密やかなる願望を胸に、あかねは天真と頼久をその日の同行者に選んで問題の地へ向かったのだった。

本来なら空を映したごとく青く澄んだ水面ということだが、山裾から水辺に向かっては不気味な霧が覆い、涼やかな風どころか臭気漂う有様であった。
「なんだか見るからに出そうな所ね。」
「見るからに、じゃなくて、とっくにお出迎えが来てるぜ。」
「神子殿、お下がりください!」
目的地に到着早々、戦闘開始であった。
前もってそこに怨霊がいることはわかっていたから、それに対しての驚きはなかった。
これまで既に幾度も怨霊を封印してきていることもあり、戦闘のコツもそれなりに掴んできてはいる。
今回遭遇した怨霊からは、それほど強い妖力は感じなかった。
それでも一応あかねは、戦闘の基本を守った。
「頼久さん、天真くん、頑張って。」
「お任せください。」
「任せとけ。」
天地の青龍にかかれば、それほど苦もなく倒すことができるだろうと思っていた。
が、大した力を感じなかった怨霊は、その攻撃をことごとくあかねに集中させてきたのである。
「きゃっ!!」
予期せぬ方向からの攻撃は、天真と頼久が庇える範囲外であった。
しかもこの怨霊は、天真と頼久を無視して執拗にあかねだけに攻撃を集中してきたのだ。攻撃力そのものは、最初にあかねが感じたとおり、大したものではなかった。
けれども、その攻撃の真の目的は、物理的な衝撃を与えることではなく精神的な苦痛を与えることにあったらしい。
攻撃を受けたあかねは、まとわりつく薄気味悪い感触に言いようのない不快感をもよおした。
「気持ち、悪い・・・。」
「あかね!」
真っ青になったあかねを天真が気遣った時には、既に怨霊の目的は達せられた後だった。
「神子殿!」
あかねに気を取られた頼久の攻撃を怨霊は難なく交わすと、勝ち誇った笑いを残して姿を消した。
あかねの身体はそれとわかるほどに震えていた。
自分の身体でありながら自由の利かなくなった手足にあかねは為す術もなかった。
「おい、あかね。」
ガクリとあかねの膝が地に着くのを天真が辛うじて支えている。
「身体が・・・動かないの。」
「神子殿!」
足下を生ぬるく湿った風が凪いでいった。
それはあたかも天真と頼久の無力さをあざ笑っているかのようであった。

土御門に戻ったあかねはそれきり床に就いてしまった。
意識はあるのだが、手足の自由が効かず寝たきりの状態に置かれてしまったのである。
誰が見ても怨霊から呪詛されたとわかる症状だった。
「自分がお側に付いていながら・・・。」
頼久は自分を責めた。
「そのように自分を責めないでください。」
永泉が痛ましげに頼久に声を掛けた。
永泉の笛の音が怨霊の穢れを押さえるのに役立つと泰明から連絡を受け、彼はとるものも取りあえず土御門に馳せ参じてきたところだった。
「神子は無事だったのですから。」
「無事?」
頼久はキッと顔を上げた。
「あのどこがご無事だと仰せられますか!?」
あかねは見かけ上、確かにいつもと変わらないように見える。
だが、その身にはおぞましき穢れを受け、あまつさえ呪いの渦中にあるのだ。
更に悪いことには、泰明の力を持ってしても、あかねの身に降りかかっている災厄をすぐには払うことができないという。
「残念ながら、これ以上為す術はない。」
泰明の冷淡な口調に思わず頼久は語気を荒げてしまった。
「では、神子殿をお救いする手立てはないというのか!?」
しかし、泰明の様子はいつもと何ら変わることなく冷静そのものであった。
その落ち着いた様に頼久は自分の取り乱した様を恥じた。
「泰明殿には、何か手立てがおありなのか?」
口調を改めた頼久に、泰明の表情が一瞬だけ変化した。
「神子次第だ。」
ぼそりと呟いた泰明に再び頼久はムッとなりかけたが、臥せっているあかねのことを思い、続きを待った。
「神子は好奇心が強い。それを利用させてもらう。」
利用という言葉に三度頼久はカチンときたが、泰明とて神子第一であることには変わりはない。
その彼がそういうからには、最上の方策がそれしかないと判断した上のことだろう。
もっと詳しいことを聞こうと頼久はいずまいを正したが、泰明はそれ以上話そうとせず、さきほどから心配そうに様子を伺っていた永泉に共に来るよう促して屋敷の奥へと入っていった。
声を掛けられた永泉は一瞬戸惑いの色を浮かべたが、申し訳なさそうに頼久へ黙礼を返すとそのまま泰明に従ったのであった。

あかねの部屋からそれほど離れていないところで泰明は足を止めた。
「泰明殿?」
「ここではまだ遠いな。」
くるりと向きを変え、別な部屋へと歩き出す。
「このあたりならよかろう。」
泰明が選んだのはあかねの部屋と几帳を数枚隔てただけの対の部屋であった。
訝しげな永泉には答えず、泰明は少しばかり声のトーンを落として誰とはなしに話し始めた。
「此度の呪詛はかけた怨霊を退治するより他に解く術はない。頼久とその問題の地に行って見ねば断言できないが。」
泰明の声は低いがよく通る。
今後の対策を密やかに行うという風を装ってはいるが、別室にいるあかねの耳には泰明の声がしっかり聞こえていた。
(どちらにしてもあの怨霊を封印しなくちゃいけないんだもの。私が行かなきゃ駄目なんじゃ・・・。)
あかねは息を殺して耳をそばだてた。
泰明は淡々と話を続けている。
呪詛を解くためにはあかねが怨霊を封印しなければならないということはわかったが、現状ではすぐには無理と判断されたため、その打開策として泰明が示した方法はあかねには気に入らなかった。
(頼久さんを囮に、取りあえず退治するですって〜!?)
だからといってあかねにはどうすることも出来なかった。
今の彼女は手足の自由が利かず、寝ているより他にないのだから。
反射的に声を上げて抗議しようと思ったが、そうすると盗み聞きをしていることがばれてしまうので、すんでの所で声を呑み込んだ。
また泰明の声が一段と低くなった。
「・・・神子の神気ならば・・・。幸いにして、前例もある・・・。」
(うーん、ここからじゃこれ以上は聞き取れないわ。)
とぎれとぎれの言葉から、以前あかねが魂だけになって身体を抜け出した話をしていることがわかった。
どうやら泰明はそのことを警戒しているらしい。
「念のため、おまえには神子の傍にあって万が一に備えてもらいたい。」
「それは構いませぬが、神子は・・・。」
しかし、やや間をおいて、永泉の声が「そういうことでしたら、お引き受けいたします。」と承知した旨を返した。
(何だろ?)
だが、そこで泰明と永泉の気配は消えた。

泰明と永泉の話が気になっていたあかねの元へ、当人達が訪れたのはそれから少ししてのことだった。
泰明は相変わらず無表情のままぼそりと「これから怨霊退治に行く」とだけ告げ、あかねが声をかけるまでもなく立ち去った。
残った永泉は少しだけ不安な面もちを浮かべていたが、すぐにいつもの穏やかな微笑みに変えて懐から笛を取り出した。
「私の笛が、少しでも神子の気が紛れるのにお役に立てればよいのですが。」
さきほどの話を聞いていなければ、素直に礼が言えたのだろうが、何しろ盗み聞きしていた後ろめたさと、永泉が監視の役割を担っていることを知る不満とが重なって、あかねはふいと視線を逸らせた。
かといって、寝たままの状態では退屈極まりなく、永泉の笛が聞けるというのは何にも捨てがたい楽しみでもあった。
あかねの拗ねたような横顔に永泉はそっと笑いを堪えながら、泰明に指示されたとおり笛を吹き始めた。
(いつもながら永泉さんの笛って聞いてて心地良いな。)
あかねの憂鬱さを笛の音は少しずつ解きほぐしていくかのようであった。
(本当に気持ちいいな。なんだか身体まで軽くなったような・・・え?)
その瞬間、あかねは自分を見下ろしていた。

泰明が警戒していたらしい状況下にあかねはいつの間にやら置かれているらしい。
しかし、この経験は初めてのものではなかった。
(これって、魂だけの状態だっけ?)
透き通るような手足にあかねは少しだけ違和感を覚えたが、それ以上に自由に動き回れるような状態になっていることの方が重要だった。
以前の経験から、長時間肉体から離れていることは危険だが、短時間ならそのままの状態で同じように動き回れることはわかっている。
(これなら、頼久さんのあとを追えるわ。)
永泉はとみると、あかねの変化に気が付いた様子もなく、一心に笛を吹き続けていた。
あかねはそろりと部屋の出口へと向かった。
永泉の笛に変化は見られない。
(ごめんね、永泉さん。)
あかねはぺこりと頭を下げると、あとはそのまま一気に回廊を通り抜けた。
(頼久さんを追いかけなくちゃ。)
壁を突き抜け、門も飛び越え、あかねはひたすらに頼久と泰明が向かったはずの道をかけていった。

「笛の音が変わった?」
「そのようだな。」
僅かながら泰明の表情に険しい色が浮かんでいる。
同時に彼は来た道を振り返った。
泰明にしては珍しいその所作に頼久もつられて背後を見た。
「何か感じたのか?」
「・・・。」
にこりともしない泰明に、頼久は何かひっかかるものを感じたが、それをどう言葉に表したものか考えあぐねた。
心持ち歩みの遅くなった頼久に泰明は進むべき方向を再度確認がてら尋ねてきた。
「この方向で良いのだな。」
「ああ。この先の湖がそうだ。」
「わかった。」
泰明は一度だけ頷くと、それ以後振り返ることなく先を急ぎ始めた。
「神子殿がすぐ後ろにいるような気がしたのだが・・・。」
独り言のように呟いた頼久の声は泰明に届くことなく、ふたりは無言のまま進んでいった。

泰明と頼久が訪れたのは、つい先頃あかねが倒れる原因ともなった怨霊の巣くった湖であった。
「なるほどな。この臭気に騙されたわけだ。」
泰明に指摘されるまでもなく、頼久も既に気が付いていた。
あの怨霊の力は、これまで遭遇した怨霊とは格段に上であったことに。
「しかも、用心深いときている。」
チっと泰明が札を飛ばした。
「結界を張った。ヤツには頼久しか見えていない。」
「承知。」
湖上の遙か先に怨霊の実体が揺らめいて出現した。
明らかに頼久だけに狙いを定めている。
頼久は剣を抜いた。
「この位置からでは届かぬ。」
頼久の剣技がいかに優れていようとも、間合いというものがあった。
「ならば近付くのみ。」
考えるまでもなく頼久は行動に移した。
「このあたりは遠浅ゆえ、心配はいらぬ。」
気晴らしとはいえ、よくこの地を訪れていた頼久は、湖の深さが変化する様まで知り抜いていた。
水しぶきを上げて怨霊に近付きながら、頼久は気合いを込めた。
「たああっ!!」
カーンと金気を弾く音が響き渡る。
だが、頼久は物ともせず、第二派を振り下ろした。
その間、泰明は何やら詔を唱えている。

(あれ、なんだろ・・・なんだかクラクラしてきた。)
しかし、それは不快なものではなく、力が溜まってくるような感覚だった。
「神子、用意はよいか。」
(え!?)
「ずっと着いてきていたであろう。」
(やだ、気が付いてたの?)
「八葉たるもの、当然だ。」
(あの〜、それって、永泉さんも頼久さんも、気が付いてるってこと?)
「神子ほどの神気、気が付かぬ方が間抜けなのだ。」
にべもなく言われ、あかねはがっくりと肩を落とした。
「次、怨霊の動きを押さえる。」
そこまで言われれば、あかねにだって何をすればよいのか察しが付いた。
(それが効いているうちに、封印すればいいのね。)
反射的に答えたが、実体のない身体でも同じ事ができるのだろうかという疑念に囚われた。
「問題ない。」
相変わらず泰明は無表情のままだったが、あかねにはその言葉だけで十分だった。
実体のない身体ではあるが、キラキラとした輝きがあかねから発している。
その力を祈るように全面に押し出して、あかねは気を込めた。
「邪悪なるものを、封印せよ!」
あかねの意志は白熱した光となって怨霊を包み込んだのだ。
光の輪は、大きく広がったかと思うと、そのまま収縮を始めている。
輪の中心に、怨霊は囚われていた。
(そのまま、そう、それで口を閉じて・・・。)
小さく収縮された光の玉を泰明の指先が捉えた。
「終わったな。」
(よかったぁ。)
光の玉は泰明の札によって、2度と復活しないよう厳重に封印が為されたのであった。

しかし、あかねがほっとする間もなく、頼久が何事か声を荒げて叫んだ。
どうやらあかねに元の身体に戻れと言っているようだ。
(頼久さんらしいわ。)
苦笑したあかねの目の前が、青い空を反映して一段と眩しくきらめいた。
(わあ、きれい。)
空を映したような青い輝きが突然に目の前に広がったのである。
巣くっていた怨霊が封印されたことにより、本来の美しい景色を取り戻したらしい。
水面が風に凪いで光のメロディを奏でている。
その涼やかな煌めきは、あかねに忘れていた願望を呼び覚ました。
(冷たくって気持ちよさそう・・・。)
透明な手が水に触れた。
と、何かがあかねの中で弾き飛んだ。

「身体の方を呼び寄せたのか。」
呆れたように呟いた泰明の前に、光に包まれたあかねの身体が出現した。
「さっさと戻れ。」
身体の前で躊躇っていたあかねの魂に泰明はぶっきらぼうに言い放った。
(は、はいっ。)
怒られた幼子が首を縮めるようにあかねは泰明の声に一瞬だけたじろいだが、それ以上無駄な時間を取ることなく、身体の中に戻っていった。
ストンと何かがあかねの中で一致した。
同時にガクンっと衝撃が走る。
だが、五感が全てを関知したときには、目の前に頼久の顔があった。

「頼久さん?」
「神子殿、ご無事でしたか。」
ひんやりとした感触と力強い感触が奇妙なバランスを伴ってあかねに伝わってくる。
ちゃぷん、と耳元で水の音がした。
ちゃぷん?
「え、なに??」
腕を動かした瞬間、パシャリと別な水飛沫が上がった。
「もしかして・・・。」
ヒヤリとした感覚は、あかねを全身覆っている。
ということは・・・。
「やだ、水の中!?」
「人の身体は、空に留まることはできぬ。」
むすっとした泰明の声に、あかねはようやく自分が置かれている状態に気が付いた。
声のした方向には、おそらくあかねの身体が水に落ちたときに飛沫を浴びてびしょ濡れになったと思われる泰明の姿があった。
「ご、ごめんなさいっ!!」
そう言ったあかねの身体は水の中にあり、頼久に抱えられていた。
薄衣が水の中で揺らめき、あかねの肢体をうっすらと映し出している。
水を通してあかねの嘗めまかしい肌は、いっそう鮮やかに浮かび上がっているようであった。
少し顔を上げれば頼久の困惑した視線とまともにかち合った。
「きゃ、きゃあ。」
見られていると認識した瞬間、あかねは悲鳴を上げた。
「申し訳ございませんっ。」
慌てて頼久が瞼を閉じたが、彼の脳裏にはあかねの肢体がしっかり記憶されたあとだった。

頼久はあかねを抱えたまま、目を閉じて立ち上がった。
腰の当たりまで水に浸かっているが、その足取りはしっかりして確かなものだった。
「私なら大丈夫。それより、頼久さん、水の中で転んだらそっちの方が危ないわ。ちゃんと目を開けて歩いて。」
たとえ正面を向いたとしても、あかねを全く見ないというわけにはいかない。
水の中から出ると濡れた服がまとわりついた分、今度は身体のラインがより一層はっきり感じられることだろう。
「このあたりならば、目を閉じていても歩けます故。」
ぼそぼそと答えた頼久にあかねはそっと腕を回した。
乙女心の複雑さを頼久に理解してもらうには、まだまだ相当な時間が必要なようで・・・。
「ま、いいか。」
あかねは仕方ないと小さく溜め息をひとつ吐いた。
そういう頼久の堅いところに惹かれた自分なのだから。
「でも。」
ちらりとあかねは頼久の横顔を恨めしそうに見上げた。
「少しくらい見てくれたっていいのに。」
がっしりと抱えられた腕の中で、あかねは安心感と少しばかりの物足りなさを隣り合わせに、水面から上がってくる涼やかな風を感じていた。

<あとがき>
ゆうえいさんのHPで公開していた「はるかなる時空の中で」の中の1作です。
HP閉鎖に伴い、こちらに再録させていただきました。
リクエストは頼久ラブで泰明の活躍する話でした。
泰明さんの台詞といえば、なにをおいてもコレ。「問題ない」。
ゲーム性も問題なければ言うことなかったのにね〜。
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