■花色の決意
銅雀台に移転した丞相府において、文若と花の婚儀に一番張り切っているのは、当人たちより、彼らの上司たる孟徳である。それ以前から、何かと理由をつけては、花にちょっかいを掛けていた孟徳だが、文若から「花と婚儀を挙げる」旨の正式な届け出を受けて以来、あたりに憚ることなく堂々と、花の世話を焼きたがるようになった。
「だって、花ちゃんをここに連れてきたのは、俺だし」
卓の上にあごをのせ、へらりと孟徳は文若を見上げて言った。言外に「感謝しろよ」のオーラを放っている。
「しかし、今は、私の許嫁です」
眉間の皺を倍増させて、文若は孟徳を睨み付けた。だが、多くの官吏を一瞬にして萎縮させるその睨みも、孟徳にはすっかり日常化してしまい、通常会話の一環となって久しい。
「でもさー、お前ンとこは、いろいろ煩いだろ?」
文若の実家、荀家は、儒学者・荀子を祖とする名門の一族である。文若自身は、分家筋であり、また長子ではないからと、家名に拘らず、己の信念に沿って孟徳に仕えているが、政の中枢にいれば、一族からの期待は自然と高まり、素性のはっきりしない花を正妻に迎えることを良しとしない輩は少なくない。「百歩譲って妾のひとりというならまだしも」と声高に言った高官が、その日丞相府で開かれた宴の帰路、野犬に襲われて不慮の死を遂げたとの報告が文若のもとに届けられていた。
「まあ、俺としちゃ、花ちゃんがかわいく笑ってるのを見たいだけなんだからさ」
それは文若も同感だが、孟徳のそれは有言実行で徹底しているあたり、底知れぬものがある。花を想う気持ちは誰よりも強いと自負しているが、世間一般でいうところの、恋人らしい振る舞いが花に対して全くできていない自覚がある分、負い目も感じていた。

「失礼いたします。丞相の命により登城した者たちが、お目見えを願い出ておりますが、いかが取り図からいましょうか」
女官の声に、文若に見張られながら、渋々と、しかし、ものすごい早さで書簡を決裁していた孟徳が、「すぐに行く」とふたつ返事で立ち上がった。
「丞相!」
反射的に声をあげた文若の胸元に、孟徳はポンと最後の一枚を放り上げた。
「今日の仕事はちゃんと終わっただろ?」
「どちらへ行かれます?」
颯爽と赤い衣を翻す孟徳を、文若の黒い衣が阻んだ。確かに、先刻持参した急ぎの書簡は片付いたが、孟徳の決裁を待つ書簡は、まだ山ほど文若の執務室に残っている。こんなことなら、花にも手伝わせて持ってくればよかったと少しばかり後悔していた。
「で、花ちゃんは?」
「先に女官長が迎えに行っております」
「ご苦労。あとは、俺たちだけで行くからいい」
孟徳はあっさり女官を下がらせると、文若の疑念に応えるかのように「一緒に来るか?」と問いかけた。先ほどの会話から、花が孟徳の意を受けた女官長とともにいることは間違いないので、文若が無視できないのを知った上での誘いである。一応、文若も、自分が留守の間、花には執務室から出ないよう言ってあるのだが、人の好意を疑うことを知らない彼女は、実にあっさりとその言いつけを破ってしまうのだ。もちろん、誰彼付いていくほど愚かではなく、事前に花に紹介された信頼できる者に限ってのことだが、その虚を付く筆頭が孟徳だ。直接誘いに行けば、ほぼ確実に文若に阻まれるため、最近では文若を自分のところへ呼び出してから、花が心易くしている女官に迎えに行かせるという遠回りながらも確実な方法を編み出していた。
「一応、お前にも無関係じゃないことだし?」
まるで悪戯小僧そのままの上司に、文若の眉間の皺がいっそう深く刻み込まれていく。からからと上機嫌な笑いをまとって、孟徳は奥向きの大広間へ文若を伴っていった。

その部屋は、奥向きながらも非公式な謁見をする場所でもあったため、大広間に若干及ばないまでも、かなり広い造りになっていたはずだ。少なくとも、花は文若から、そう説明を受けたと記憶している。だが、今は、部屋中に溢れている極彩色の生地と華やかな宝飾類とで足の踏み場もないほどに埋め尽くされ、恐ろしく狭く感じる。高価な品物がひしめく中のわずかな隙間を女官長に手を引かれ、立ち止まる度に、豪奢な反物が肩当てされた。
「お嬢様でしたら、このくらい華やかなものでもよろしいのでは?」
「でも、こちらの色目の方がお顔によく映えるように思われます」
「いや、それでは荀令君との釣り合いが悪かろう」
「ふむ、では、色目をもう一つ重ねてみるか」
「これでは、ちと上品さに欠けるか」
「やはり、ここは朱紅を基調にして、古式ゆかりの装束がよろしかろう」
複数の商人らしき者たちが、女官長の意見を聞きながら、次々と衣装を合わせてくるのを花は疑問符いっぱいで立っているだけだ。聞きたいことはたくさんあるのだけれど、迎えに来た女官長から「衣装合わせでございます」の一言で片づけられてしまい、それ以上のことは、聞く余地もなかった。さすがに彼らの会話から、自分の衣装だということはわかるのだが、先日、文若に連れられていくつか衣装を新調したばかりであり、それを上回る豪華な品々がなぜ、と頭でぐるぐる回っている。いや、本当は、女官長に連れて来られた地点で、孟徳の指示によるものだと予想はついたのだが、仮にも今はまだ執務時間中であり、いくら孟徳でも文若と一緒に仕事をしている時に、こういうことはあり得ないと否定したかったのだ。

「うん、花ちゃんは色が白いから、思ったとおり赤が似合うねぇ」
入り口から、孟徳の楽しそうな声が花に掛けられた。居並ぶ商人たちの視線が、いっせいに孟徳に集まり、その場で略式ながら膝を折って頭を垂れていく。
「ああ、こっちはいいから、そのまま続けろ」
孟徳は手を振って作業を続けるよう促した。傍らの文若は、目の前の光景に呆然とし、その中に花の姿を見つけると、こめかみに手を当てて深くため息をついた。
「まさかと思いますが」
「もちろん、花ちゃんの婚儀の衣装だよ。さすがにお前の分まで作る気はないから安心しろ」
文若の苦い声とはうらはらに、孟徳はあくまで軽く答えを返す。その間も視線は、花に向けられたままだ。
「意外と花ちゃんは濃い色が映えるんだね。普段、お前に合わせて地味な格好しかしてないから気がつかなかったよ」
孟徳の指摘に、文若は思い当たる節があるので、沈黙を守り、怒りを押し殺していた。ここで怒鳴れば孟徳に呼び出された商人たちの立場がないし、そうなると誰よりも花が心を痛めるだろう。はなはだ癪に障るが、今はこのままやり過ごすよりほかないと、文若は花に視線を戻した。

とまどった表情を浮かべながらも、取り繕った微笑のまま花は衣装を当ててもらっていた。本来、華美なことを好まない花のことだから、当惑するのは仕方のないとして、先日、文若と一緒に出かけたときとは明らかに様子が異なっている。用意したのが孟徳だからということを差し引いても、気乗りしない様子が仕草の端々に伺えるのだ。
「うーん、花ちゃんの好み、外しちゃったかな?」
女性の好むものを揃えることに掛けては天部の才があると自信を持っている孟徳も、さすがに違和感がぬぐえないようで難しい表情をしている。量・質ともに申し分のない品揃えだけに、孟徳も少なからず衝撃を受けているようだ。文若にしても、好みが外れたくらいで人の好意を受け付けないほど花は狭量ではないはずだが、と訝る気持ちが大きい。考えあぐねている内に、先に動いたのは孟徳だった。
「花ちゃん、気に入ったモノ、ないかなあ」
気に入らないの?と直球で聞かないあたりが孟徳の女性慣れしているところであり、花に対する心遣いとも言える。
「…あの、どれもすごく綺麗だなって思うんですけど、その、豪華すぎて、私には…」
似合わない、と言う言葉を花は飲み込んだ。せっかく孟徳が用意してくれた品々を全て否定するのは、さすがに失礼だと思ったのだろう。
「そうかなあ。じゃあ、この中で、花ちゃんが絶対無理だと思ったのは、どれ?」
にこにこと邪気のない笑みで孟徳は、花の顔を覗き込む。
「今、当ててるのとかは、苦手?」
花の右肩から、目の醒めるような朱色の布地に金糸で豪奢な刺繍の挿してある反物が流れている。艶やかな文様が織り込まれた上物だが、花には少し大人びているように見えた。
「綺麗な模様だと思いますけど、さすが私にはまだ早いかなって」
「そうだね。今の花ちゃんなら、やっぱり、花をあしらったのが似合うかな。異論はないだろ、文若?」
過日、文若が選んだのが、無地でなければ花をあしらったものがほとんどだったことを暗にほのめかしている。
「となると、このへんが似合うと思うんだけど」
代わって、同じ紅が基調でも、色彩を落として大輪の花が目立つようにあしらった反物を広げて見せた。目の肥えている孟徳が迷わず手に取っただけあって、最上級とも言える反物だった。落ち着いた色目は、花の少女らしい華やかさを引き立てている。悔しいが、恋人の欲目を抜きにしても、花によく似合っていた。
「でも、」
「なに?」
何かを問いたそうな、でも、こんなこと聞いていいのだろうか、といった迷いが花に浮かんでいた。
「花、わからないことがあるのなら、今のうちに聞いておけ。丞相は、納得できる理由があろうとなかろうと、無理矢理押しつけてくるぞ」
ひどい言い様だが、孟徳は少しも堪えたそぶりを見せず、花が話すのを待っている。しかし、それは文若も同じだった。
「見せていただた生地は、赤が多いみたいなんですけど。婚礼衣装って、赤いのが普通なんでしょうか」
花の世界で婚礼衣装といえば、白一択である。最近は、色物も増えているようだが、一枚だけに限ると、やはり白になる。お色直しなどのカクテルドレスで赤というのならわかるが、最初から華やかな赤い衣装というのは、どうも馴染めなかった。女官長や商人に「白い反物はないですか」と聞いてみようと思いながらも、当てられる生地が濃い鮮やかな色目のばかりで、白はもちろん、薄い色目のものもなかったので、聞きあぐねていたのだ。

こちらの習慣には、花に馴染みのないものが多い。孟徳に保護された異国の娘だけであった頃ならいざ知らず、文官のトップである文若の妻となることが決まった今、花の恥は文若に迷惑を掛けることを知ってしまったため、うかつには聞けなかった。
「ウチは、めでたいといえば、赤みたいなところがあるからね」
「お前の国の婚礼衣装は、赤ではないのか」
自分では遠回しに聞いたつもりだが、孟徳や文若には、花の気にすることころがわかったらしい。
「ない、わけじゃないんですけど」
口ごもった花に、「婚礼衣装は、何色?」という声が重なった。今なら、「白です」と言えそうな雰囲気だが、やはりこれだけ揃えられた品物の中にひとつもないという事実が、正直に話すことを躊躇わせた。

辛抱強く花の言葉を待っているふたりに、
「あの、三色の、打ち掛けがあって、一番格式の高いのが、白、赤、黒だった、と思います」
なけなしの知識を総動員して、片隅にあった家庭科で習った「着物の豆知識」をなんとか引っ張り上げた。
「ふーん、赤一色じゃないんだ」
「確か、そうだったと…その、私の国では、結婚が決まってからでないとそういう具体的なことは、ほとんど習わないんです。で、でも、赤いのは、色留め袖っていって、その家に留まることを表していたと思います。そういうところは、一緒、なのかな」
かわいらしく小首を傾げた花に、なおも孟徳がたたみかけた。
「でも、ほかの二色が白と黒って、随分とまた極端な話だね」
「そうですね、私の国でも黒は、お葬式のイメージ…じゃなくて、印象が強いです」
話しながら、文若と目が逢うと、なぜか花は「あっ」と小さく声を上げて口を押さえた。
「だよねー。文若って年から年中お葬式みたいに暗いし。その上、なにかと口うるさいでしょ」
華やかな赤い衣を着ている孟徳とは対照的に、文若の普段着は黒っぽい色目のものが多い。
「あの、男性の正装は、ほとんど黒です!それに、お仕事中は黒いスーツの人も多いですし、パリッと黒い服で働く文若さんは、格好いいです」
慌てて叫んだ花を孟徳は楽しそうに、文若は虚を突かれたように見返した。
「ということは、女性の正装は黒じゃないんだよね?」
間髪入れず質問を返してくる孟徳に、花の目が泳ぐ。花の国の事情を知らないとはいえ、孟徳に、嘘は通用しない。言いかけて、言葉を呑んで、花は文若の袖へ無意識に手を伸ばしていた。

はじめは何とか思い出しただけの「着物の豆知識」だったが、三色の意味は、自分でも意外なほどはっきり覚えていた。そして、孟徳の質問は、試験問題の範疇だ。花に答えはわかっている。しかし、自分に現実問題として落ちてきたとき、予想外に恥ずかしくて、躊躇いなしには答えられないのである。
「黒は、他の色に染まらないから…」
答えつつ、花の声は小さくなり、顔はますます赤く染まっていく。しかし、最後のところで、花は踏みとどまり、まっすぐ孟徳の目を見て言い切った。
「黒以外には、あなた以外には染まりませんという、花嫁の決意を表しているんです」
しっかりと答えた声とは裏腹に、花の隣に立つ文若には、花の震えが掴まれた袖を通して伝わってきていた。男女のコトに殊更疎い花が、どれほどの勇気を振り絞って答えたのか、文若は誰よりも理解していた。花の国には、赤い花嫁衣装がないわけではない。その事実だけを話せばいいものを、花は真っ正直に、自分の国の習慣と、あまつさえ嫁ぐに当たっての覚悟を教えてくれたのだ。それならば、花の信頼に値する男であらねばと、文若はそっと花の肩を抱き寄せた。
「花」
声にならない呼びかけが、花の視線を文若に向けさせた。真っ赤な顔のままに、花は文若に微笑んだ。

「あーあ、わかったよ。降参だ」
すっかりふたりだけの世界を作り上げてしまった文若と花に、孟徳は盛大な溜息を吐いた。
「そういうことなら、花ちゃんの衣装を俺だけで用意するのは諦める」
だが、口ではそう言いながら、ふたりの間に割って入るあたり、少しも懲りているようには見受けられない。
「花ちゃんの決意を尊重して、俺からは娘を嫁がすつもりで赤い衣装を用意させてもらう。で、文若は、黒を用意しろ。お前以外の誰にも染まりたくないそうだから、お前が選ぶしかないだろ?」
「御意」
「え!?」
礼を取った文若とは対照的に、花は狼狽した。「それじゃあ、今以上に派手になってしまいます!」と抗議の声を上げかけて、孟徳の、見捨てられた子犬のような目を前に口を閉じた。
「花ちゃんは、俺が拾ってきたんだ。だから、最後までちゃんと面倒見せさせてよ。文若に嫁いじゃったら、それこそ、これが最後の贈り物になる訳だし。そのくらい、俺の我が儘、受け取って欲しいなあ」
寂しがり屋の子供が懇願するように、孟徳は眼を細めて花を見つめている。困って文若を見上げれば、眉間に皺を寄せながらも「お受けしなさい」と呟かれた。花が、コクンと頷くと、孟徳の表情が満足そうに、王者の顔に戻った。絶対、欺されてると思いながらも、文若がそれでよしとするなら、臣下の妻として、それに従うまでだ。
「それでは、私は、花の衣装を見立てねばなりませんので、これにて失礼いたします」
孟徳が花を衣裳合せに引き留めるよりも先にこの場を離れねばと、文若は素早く一礼すると、花の手を強く引いて、衣装の溢れる部屋から出て行った。大股の文若に、小走りで花が続いて回廊へと消えてゆくさまを、孟徳はこの上なく楽しそうに見送った。

花は文若に手を引かれたまま、丞相府から一緒に出た。この方角だと、向かう先は、先日、花の衣装を揃えた荀家ゆかりの呉服屋になるだろう。
「あの、文若さん」
「なんだ」
「今日のお仕事、そのままにしてきた気がするんですけど。あ、もちろん最初に頼まれた仕分けと届け物は終わってます。でも、まだたくさん残ってましたよね」
「急ぎの決裁は終わっているから、お前が心配する必要はない」
その口調がなんとなく孟徳が言い訳するときに似ていて、花は思わず笑ってしまった。生真面目すぎる文若にも、そんな柔らかな一面があったのかと思うと、なんとなく嬉しくなる。
「それより、さきほどの三色の件だが」
一方、文若の表情はしごく真面目だった。
「赤と黒は、わかった。だが、もうひとつ、白い衣装もあるといったな。もしや、お前の国では、白い衣装が花嫁の本来のものなのではないのか」
花の目が驚愕に見開き、ほんの少し目が潤んだかと思うと、恥ずかしそうに頷いた。
「どうしてわかったんですか」
「なんとなく、な」
文若の穏やかな声に、花はぽつりと漏らした。
「白い衣装は、白無垢っていいます」
無垢な少女をそのまま表したような響きに、文若が何度かその言葉を繰り返す。
「でも、この国では、たぶん、白い衣装は、着ないんですよね」
「そうだな」
みなまで言わなくても、賢い少女は、白い婚礼衣装はありえないことを理解している。
「その、白い衣装にも意味はあるのだろう?」
本日、何度目だろうか、花が赤くなり、文若を恨みがまし気に見返した。そんなこと聞かないでくださいといわんばかりの眼差しに、文若もまた眉間に皺を寄せる。わからないから聞いているのだが、と言いかけて、花の赤面ぶりと「無垢」の文字が交差した。
(あなたの思うまま、何色にでも染めてください)
無垢な花嫁を花婿の色に染め、婚家に留め、それを永遠のものとする。そういう謂われがあるのなら、公の場は無理でも、白い衣装も揃えてやりたいと文若は思った。
「婚儀の後になってしまうが」
考えた末に、文若はひとつの提案をした。
「宴の後の、部屋着を白で揃えさせよう。私しか見ることはないのだから、構わぬだろう」
花の瞳から、小さな雫がひとつぶ、こぼれ落ちた。
「文若さん、」
ありがとうございます、の言葉は文若によって封じられた。

2010.11.13
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