■続・花色の決意
銅雀台に移転した丞相府において、吉日を選び、文若と花の婚儀が厳かに執り行われた。質素倹約を常とする文若と派手なことはあまり好まない花のこと、私事だからとひっそり執り行う予定であったその儀式は、孟徳の強い希望で、彼に言わせれば控えめに、しかし、花の感覚からすれば、テレビ中継される芸能人ばりに盛大なものとあいなった。酒の苦手な文若と酒の飲めない花を前に、堂々と孟徳は宴の銘酒を手配する等、文若に言わせれば、「嫌がらせ」としか思えない所行の数々を尽くしていたが、孟徳が動くことで、花の後見人が誰であるか知らせめることになり、深い溜息を尽きながらも文若は受け入れたのだった。
婚儀の日、孟徳から贈られた、赤を基調とする古典調の豪奢な花嫁衣装に身を包んだ花は、それは愛らしく可憐であった。また、お披露目の宴用に文若が用意した黒を基調とする華麗な意匠は、粋で婀娜でありながら花を優雅に魅せ、十人並みの容姿だと陰口を叩いた輩を黙らすに十分なものだった。
そして、ふたりだけで迎えた最初の夜、文若は花との約束どおり、白を基調とした衣装を花嫁の三番目の衣装として用意し贈った。最上質の白絹に銀糸で縫取りをした衣装を纏って文若を迎えた花は、星が清らかに煌めくほどにやわらかな輝きを放っていた。

文若と婚儀をするにあたり、花は女官長や孟徳の夫人たちから、この世界の常識をいろいろ教えてもらってきた。文若は、花が花らしくあればよいと言ってくれたが、一方的に守られているのは花の性に合わなかった。たまたま耳にした、孟徳と第一夫人の結婚が、やはり夫人の家柄を理由に曹家から反対を受けていたが、今では一同を納得させているという話も、花にこの国のことを前向きに知りたいと思うようになった一因だった。だから、今の花は、この国の婚儀で、なぜ白い衣装が用いられないのか知っている。それでもなお、花との約束を律儀に守り、極上の衣装を用意してくれた文若に、花は心から感謝した。
「文若さんには、最初からずっとしてもらってばかりで、」
と言えば、殿方が妻や恋人の衣装を整えるのは当たり前でそれすらできないようでは恋人以前に、男として失格です、と手厳しい言葉が夫人から返ってきたことを思い出す。その一方で、贈られた衣装を着て、彼にくつろぐ場所を与えてお上げなさいとやんわり窘められたことで、花は自分から与えることのできるものを教えられたのだった。

燭台の明かりに照らし出された花は、この上もなく清らかで、花の言った「白無垢」という言葉が文若のなかでしっとり重なった。今宵、この無垢な娘を自分の色に染めるのだと思うと、愛おしさもひとしおである。文若は、緊張してしゃちほこばっている花をそっと抱き寄せた。ピクリ、と花が身を固くしたのが伝わってきたが、拒否の色はなく、俯きながらも文若に寄り添おうとしているのがわかった。
「花」
聞き慣れたはずの文若の声が、いつも以上に熱く響き、ただ名前を呼ばれただけなのに、花の体温は一気に上昇した。続いて、ついばむような優しい口づけが降りてくる。
「文若さ…」
先に衣装のお礼を言わなければ、と開いた口は、あっけなく文若に塞がれ、深い口づけは花に言葉を紡がせる暇を与えない。一生懸命考えた言葉は、ことごとく文若に飲み込まれてしまった。花を気遣いながらも、文若の愛撫は彼の気質そのままに、まっすぐ花を貫いた。言葉は少ないけれど、花に注がれる真摯な瞳と、労る手と、包み込まれる優しさに、花は全てを委ねたのだった。

ほんとうに、どこまでも、まっすぐな人だ。
花は、夢うつつでまどろみながら、ふと浮かんだ想いに意識が急速に浮上するのを感じた。結局、初めての夜は、完全に文若任せで、花は彼の思うがままに彼の色に染まってしまった。自分から望んだこととはいえ、思っていた以上に恥ずかしく、背に感じる温もりの存在に気が付くと、どうやって顔を合わせたらいいのか、目を開けるのが恐い。たぶん、まちがいなく、文若は花を背後から抱きしめて眠っている。胸の前に自分以外の手が合わせられているのだから、自分ひとりで起きることは叶わない。意識がはっきりしてくるにつれ、花は、文若にすっぽり包まれ、抱きしめられていることを認識した。これはそれで、愛されていると感じられ、幸せではあるけれど、全てが初めての花には、羞恥心の方が先に来て、後朝の余韻を楽しむゆとりなどなかった。
(これで、あの声で呼ばれたら、とけちゃうかも)
意識が覚醒するのと同時に、緊張に身体が強張ってきて、花の鼓動がどんどん早くなってくる。
(文若さん、早く起きてください。いや、起きちゃダメです。じゃなくて、手を外してくれない、かな)
早くなる鼓動に花が耐えきれず身体を縮めて息を吐き出すと、その隙間を埋めるかのようにぎゅっと身体を抱きしめられた。
「ひゃあ!」
驚きのあまり発せられた声は、自分のものではないかのような甘い響きを持っていて、とっさに口を塞ごうと出した手は、容易くもうひとつの大きな手に絡め取られた。突然のことに戸惑っているうちに、絡めた手がくるりと回され、少しだけ距離が開いて、文若と目が逢った。ほんの一瞬、目が逢っただけなのに、昨夜のことが脳裏に甦り、花は反射的に顔を埋めてしまった。自分では褥に向き合ったつもりだが、この体勢では文若の胸でしかなく、花の思考は完全に停止した。

「花、顔を上げてくれないか」
しばらくして、少しだけ花の鼓動が落ち着いたのを確認し、文若から声を掛けた。目を覚ましたのは、花とほぼ同時だったと思うが、抱きしめたままの妻がひとりで緊張していく姿がなんとも微笑ましく、少しだけ腕の力を込めたところ、緊張の糸を切ってしまった。ここまで初々しい反応を示されると、少しだけ罪悪感があるものの、男としてこの先が楽しみで仕方がない。が、まずは、起きて話がしたかった。昨夜、花がなにか言いたそうにしていたことに気が付いてはいたが、寄り添ってきた彼女の華奢な重みに理性が吹き飛んでしまい、あとはひたすらに彼女を求めてしまった。このままだと昨夜の二の前になりそうで、その前にきちんと話を聞いておこうと思ったのだ。
「花。昨夜は、その、辛くはなかったか」
「…るいです」
ぷいっと少しだけ胸から顔を逸らし、だが、相変わらず俯いたまま、花からくぐもった返事があった。
「そうか」
はっきりとは聞こえなかったが、言葉尻から花の気持ちは容易に察せられる。吐息混じりに笑みを返し、そっと髪をまさぐると、少しだけ花の顔がこちらを向いた。おそるおそるといった風情だが、ひとたび目を合わせれば、困惑混じりながらも、恥じらいつつ笑みを返した。昨夜の花が蕾ならば、今朝は満開に咲きほころぶ寸前の初々しい花のようで、文若は再び抱きしめたくなる衝動をなんとか抑え込んだ。
「えっと、お、おはよう、ござい、ます」
彼女なりに考えたのであろう、真っ赤な顔をしながら、朝の挨拶を口にした。
「ああ、おはよう」
文若が返すと、「やっぱり、ずるいです」と、また顔を俯けてしまった。
「なにがだ?」
「だって、わたしばかり…」
さすがにその先は聞き取れなかったが、拗ねただけで拒絶の色がないことに安堵し、少しだけ身体をずらせて、花の顔を覗き込んだ。
「花、顔を見せてくれまいか」
「もう、見てるじゃないですか」
「それは、そうだが。お前を確かめて話がしたいのだ」
(文若さん、その声、反則ですっ)
ようやく落ち着いたのに、またしても花の鼓動が早くなってしまった。
「花?」
「だって、文若さん、格好良すぎますっ。わたし、まだ、昨日の衣装のお礼も言ってないのに」
「今、言ったではないか」
「それじゃ、ダメなんです。だって、わたし、白い衣装がお葬式の…知らなかったとはいえ…。なのに、なのに」
お礼を言わなきゃ、と思う端から、自分でも何を言っているかわからず、泣き出してしまった花を文若はなだめるように、その背を抱きしめた。
「礼をいうのは私の方だ。少々癪ではあったが、丞相が選んだ衣装は、お前の可憐さをよく引き立てていた。宴の時のおまえは、凜としてこの上なく優雅であったし、閨では、無垢なおまえを、そのまま私のものにすることができたのだからな。おまえが三色の謂われを話してくれなければ、今朝のおまえはいない」
真摯な声に、花の顔が自然と文若に向き合った。
「ああ、ようやくお前を見ることが出来た」
文若の笑顔につられて花も笑った。
「もう、文若さんたら」
笑いながら、ずるいです、と軽く拳で文若の胸を叩いた。それで、花も落ち着きを取り戻したのであろう、ようやくいつもの彼女らしく目をキラキラさせて文若を見上げた。

「あの、文若さん」
本来の彼女らしさが戻ったところで、つと口調を改めて、文若を呼んだ。
「なんだ」
「白い、衣装のことなんですけど」
果たしてこの話題を今持ち出してよいものか、一瞬だけ迷ったが、文若の視線に促されて、花はゆっくり話し始めた。
「わたしの国の喪服は、黒い衣装とされてるんですけど、白い喪服がないわけではないんです。その、女性だけのことなんですけど。嫁ぎ先で女性が、夫を亡くして、そのときに婚家に残って白い喪服でお葬式に出ると…二夫にまみえず…ということに、なります。最近では、再婚する人も増えちゃったし、あまりそういうことに拘らないっていうか、しきたり自体なくなった感じもしますけど、でも、わたしは、もしそうなったら、この国がそうだからじゃなくて、わたしの意志で、白い衣装を選びます」
強い意志の宿る声で、はっきり告げられ、文若は胸が熱くなった。文若の妻として、これ以上の決意があるだろうか。ようやく消したと思った熱が彼女の決意を聞いて再び灯り、もはや押さえることは不可能だった。
「結婚してすぐに、こんなことを言って、ふ、不吉ですよね、ごめんな…」
文若の沈黙に、花が消え入りそうな声で謝るのを、寸前で制し、しっかりと抱きしめ直す。
「ぶ、ぶんじゃく、さん、くるしい、です」
勢いに任せた強い力に、花の抗議の声が上がった。だが、文若のいましめは緩むことなく、続いて落ちてきた甘い口づけに、花は為す術もなく翻弄されていく。
「花、もういちど、おまえを確かめたい」
文若の低く甘い声で名前を呼ばれると、もはや抵抗することは叶わず、花は再び文若の色に染まっていった。

2011.03.07
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