■つかまえて、憧れ
文若は、使い慣れた茶器に湯を入れ、ひととおり温めている間に、茶の葉を用意する。多くもなく、少なくもない適切な量の茶の葉を暖まった急須に入れて、細く糸のように途切らせることなく湯を注ぐ。爽やかな香りが立ちこめるのを見計らい、茶碗に注ぐまでの一連の動作には、無駄な動きがいっさいなく、それでいて優雅さを損なわない。
「入ったぞ」
コトリと花の目の前に小ぶりな茶碗が茶托に乗せられて置かれた。
「ありがとうございます」
その日のお茶は、新緑の季節に相応しい緑茶だった。ひとくち口に含むと、どことなく懐かしい感じがする。元の世界で普通に飲んでいた緑茶に通じるものがあるのかもしれない。
「美味しいです」
コクリと飲み込み、花は文若に笑顔を向けた。
「そうか」
短く相づちを打ち、文若もまた茶を口に含んだ。ほどよい加減で入った茶が、喉ごしに甘味をもたらし、文若は、ほうっとひと息吐いた。忙しい執務の間を縫って、文若が自ら茶を煎れるのは、気分転換のためでもあるが、恋人からのひたむきな視線を独り占めできる心地よさからであった。

恋愛経験と言えば淡い初恋が辛うじてあったくらいの花には、文若との恋は全てが初めて尽くしで、恋人同士というより、教師と生徒という方が近い。もちろん花にも全くその方面の知識がないというわけではないのだが、知識と現実は別物であり、正直、戸惑うことばかりだった。友人達との恋愛談義の中で、彼氏ができたらやってみたいことリストなるものも持ってはいたが、恋愛事情のまるで異なる世界では通じないことも多い。クラスメートに対する感覚で独身男性と接していると、一歩間違えば「不埒」なことになってしまうらしいのだ。
文若が花と婚儀を挙げることは、文若の中では決定事項であったが、丞相府ではまだ公にしていないこともあり、花と文若の関係は、上司と部下でしかない。ゆえに、文若は、花が心ない中傷に傷つくことのないよう、ふたりが大半の時間を過ごす執務時間は律然としていた。そんな文若が唯一見せてくれる、花への甘い態度がお茶を煎れてくれる時間なのだ。
普段は質素倹約を旨とする文若が、お茶に関してだけはお金を惜しまない。表向きは、唯一の趣味だからと言っているが、花と過ごすようになってから、花が好きな花茶や果実を加えたものなど、いわゆるフレーバーティに近いものが増えてきているらしい。
「今日のお茶は、今年の一番茶で、文若様が花様のために特に取り寄せられたものだよ」
文若に近しい料理人からこっそり耳打ちされて、花は嬉しさと恥ずかしさと、幸せな気持ちで胸がいっぱいになった。

「いつも思うんですけど、文若さんは本当にお茶を煎れるのが上手ですよね」
花も文若と過ごすようになってから、それなりにお茶を煎れられるようになったが、同じように煎れたつもりでも、文若の方が絶対うまいと思う。
「そうか?お前も最近は上手く煎れられるようになったと思うが」
「えー。私なんてまだまだです。同じように煎れてるつもりなのに、こんな風に甘味は出せないですし」
空になった茶碗を見て、文若が二煎目を注いだ。花の目は文若の手の動きをじっと追っている。
「うーん、やっぱり片手で一気に注ぐから苦みが出ないのかなあ」
最後の一滴を茶碗に注ぎ、文若が急須から手を離すと入れ替わるように花の手が急須に触れた。日本で使っていた急須より小ぶりだが、こちらの急須は磁器ではないため、小さくてもそれなりに重量がある。それでいて、日本の急須のように便利な持ち手がないため、きれいに注ぐにはちょっとしたコツが必要だった。もしかしたら、文若と花の差もそのあたりに起因するのかもしれない。
「片手で注ぐには、ちょっと大きいかも」
人差し指でフタを支え他の指で支えて注ぐには、もう少し手の大きい方が楽な気がする。
「そんなに変わらないと思うが」
苦笑した文若に、花は、そうでしょうか、と小首を傾げた。
「私も一応、男だからな。確かにお前よりは大きいだろうが、飛び抜けて大きいというわけでもない」
花の手に触れない位置で、文若の手が上に重なった。真上から見れば、花の手は文若の手に完全に隠されてしまう。
「ほら。やっぱり文若さんの方が大きいです。それに、手だけじゃなくて、指も長い気がする」
花の手が急須から離れ、文若の手に並んだ。ひとまわり小さな手が文若の横にある。
「指の長さはそう変わらんだろう」
自分の手の大きさなどどうでもよいと言わんばかりの文若の反応に、花はいつになく真剣に食い下がった。
「手の甲は私の方が明らかに小さいですけど、指の長さは…」
指の付け根を合わせるように並べてみるが、ふたつ並んだ手のままでは、どうもしっくりこないようである。どうでもいいといいながらも、文若は花が比べやすいように、手のひらを上に向けてやった。花の顔がぱっとほころび、向かい合わせに手のひらが合わさった。
「ふむ、確かに私の方が少しばかり長いようだが」
ピタリと合わさるのがどことなく気恥ずかしく、照れ隠しもあって文若が指の間をふいに広げた。その瞬間、力の加減を失った花の指先が、するりと文若の指の間に滑り込んだ。
「あっ」
意図したわけではないのに、花の指は文若の指の間にすうっと落ちていく。それほど回数は多くないが、花とて文若と手を繋いだことぐらいある。しかし、互いの指と指を絡めるような、この手の繋ぎ方は。
(こ、恋人繋ぎ!?)
花の頬が瞬時に朱に染まり、慌てて手を離そうと身体を動かせば、返って腰が浮いて不安定な体勢となってしまい、更に指に力が入ってしまった。
「っ!」
言葉にならない声が漏れ、焦って前屈みになった花を気遣った文若が花の指を握りしめたため、ふたりの指が自然と絡み合った。
「…やだっ」
とっさに出たのは、否定の言葉だった。予想外の展開に恥ずかしくて、花は混乱していた。
「…すまん」
花から漏れた拒絶の言葉を文若は文字どおりに捉え、花の手を解放するべく力を抜いた。文若の指にすがって辛うじてバランスを保っていた花の身体はあっけないほど簡単に崩れた。だが、倒れかけた花を支えたのは、またしても文若の手だった。もう片方の手が申し訳なさそうな顔とともに添えられ、花が転ばないよう気遣っている。
「ひとりで立てるか。」
心持ち硬い声が花に掛けられた。文若の無機質な声の響きに、花は己の失敗に気が付き、いたたまれなくなった。
「は、はい」
文若の顔をまともに見ることができなくて、花は俯いたままである。ぎこちなく立ちあがった花から、文若の手が離れた。
「あ…」
ほどかれた文若の指が花の手からすり抜けていく。ほんの少し前まで、楽しかったお茶の時間が、自分の失言から奈落の底へと転落してしまった。生真面目な文若のことだから、花の意志を尊重して、当分触れてくることはないだろう。もしかしたら、執務に関係のないことでは話しかけようともしないかもしれない。最後まで触れていた指先から温もりが消え、花は距離だけでなく心まで冷えていく気がした。

花がひとりで立てることを確認した文若は、自分も立ち上がり、動かない花に代わって使い終わった茶器を机の片隅に寄せた。
「あとは、片付けておいてくれ」
事務的な声に、花は自分の失言が文若を傷つけたことを悟り、泣きそうだった。だが、泣くより先にしなくてはならないことがある。
「ごめんなさい」
たぶん、文若には理解してもらえないだろうけれど、それでも文若と手を繋ぐのが嫌ではないことだけは伝えておきたかった。
「何を謝ることがある」
予想どおりの応えに花はくちびるを噛みしめた。ここで怯んではダメだ。花は震える手を伸ばして、執務に戻ろうとしていた文若の衣を掴んだ。しっかり掴んだはずの衣は、だが指に力が入らなくて、辛うじて袖の先を摘んだだけだったが、文若の気を引くには十分だった。
「だから、ちがうんです」
回ってない頭で考えてもまともな言い訳はできそうにない。それなら、正直に今の気持ちをそのままぶつけるのみだ。
「何が違うのだ」
文若の眉間に皺が寄る。ますます文若の気を損ねた気がしないわけでもないが、今はそんなことに構ってはいられない。
「だって、文若さんとは廊下を並んで歩けないし、デートすることなんてもっとないし、お茶するときだって…いっしょに座ってくれないし」
「意味がわからん」
「だから、ずっと、恋人繋ぎに憧れていたんです」
言いながら、自分の言いたいことがわからなくなり、半ば自棄になって叫んでいた。
「だから、恋人同士で手を繋いでみたかったんです!」
静まりかえった執務室に、花の声だけが残った。

それは、恋人からのお強請りというにはあまりにもささやかすぎて、文若はそれまでの気鬱などどこかへ吹っ飛んでしまった。花の言った言葉の中に一部意味不明なものはあるけれど、それ以上に、真っ赤になって自分を見つめている花が可愛くて、自然と顔がほころんでしまう。
「そういうことは、もっと早くに言え」
満ち足りた心とは裏腹に呆れたような響きを持った文若の声に、今度こそ不愉快にさせたと思った花は、摘んでいた衣を放し、くるりと向きを変えた。自分の失言が元なのだから、この上、彼の前で泣き出すような失態を重ねたくない、その一心で、とにかくこの場から出ていきたかったのだ。
「待て、花」
焦って逃げようとしている花と冷静さを取り戻した文若とでは、動きに対する機敏さが全く違う。花はあっけなく文若の腕に捕まり、その手に絡め取られた。
「やっ…っ」
とっさに出た拒絶の言葉は、文若の拒否にあって声にならず、そのまま飲み込まれてしまった。文若によって塞がれたくちびるは、声はおろか息を吐くことさえままならぬほどの深い口づけとなって花から抗う力を奪っていく。貪るような強い口づけに花の力が抜け、文若の腕に重みが掛かったところで、空いている手が花の手を捉えた。力の抜けた花の指の間に文若の指が絡む。ふたりの指先がしっかり絡み合ったところで、文若はなるほど、と呟いた。
「これならば、簡単に振り解けんな」
口づけの余韻でまだ朦朧としている花は、文若の声に不思議そうな目線を返した。
「恋人同士を繋ぐための所作なのだろう?」
きょとんとしたままの花に、文若は指を絡めた手を挙げて艶のある低い声で囁いた。
「恋人、繋ぎ、だったか?」
「な、なんでっ、知ってるんですか」
「さきほど、お前がそう言ったではないか」
「そ、そんなこと…」
…どさくさに紛れてやけっぱちに叫んだような気がする。
恋人ができたら、いつかしてみたいとは思っていたけれど、いざ目の前でされると想像以上に恥ずかしくて、すぐにでも手を振り解きたい衝動に駆られた。が、文若の言ではないが、意図的に絡められた指は、甘い鎖となって花と文若とを繋いでいる。指先を絡めて繋がれた手と、優しい笑みを浮かべた恋人の顔を間近にして、花は幸せでいっぱいになった。
(もう少しだけ、いいよね)
目端に映った書簡の山に少しだけ罪悪感が湧くけれど、つかまえた憧れも離しがたく、花は恋しい気持ちを込めて文若の胸に顔を埋めるのだった。

2011.4.21
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