■太陽に背中を押されて
そこは、昔、黄巾党の人達と一緒に洛陽へ旅をした時に見た風景とよく似た草原が続いていた。同じ国の中なのだから、似たような景色があっても別に不思議ではないが、あの時と一緒の人達と、似たような景色の中を旅するという偶然に花は少しばかり嬉しくなった。当時は、どうやって反乱を成功させるか考えるのが精一杯でとても周りの景色を見るような余裕はなかったけれど、今回は違う。頼りにしている師匠・孔明と頼もしい青州兵の一団とが一緒なのだ。
「緑が、きれい」
「うん、綺麗だね」
一面に続く草原は、花の故郷ではめったに見ることのない広大な自然の風景だ。
「おい、亮、このあたりで一休みするぞ。そろそろ馬を休ませる頃合いだ」
先頭を走っていた青州兵の晏而が声を掛け、一行は停止した。
「ここなら水場も近いし、見晴らしもいいから敵が来てもすぐ出発できる。まあ、俺達、青州兵を襲おうって度胸のあるヤツは早々いないだろうけどな。だから、道士様、安心して休んでくださいよ。成都からずーっと亮と一緒の馬車で窮屈でしょう」
「それじゃ、まるでボクが花をいじめているみたいな言い方だね」
「え、ちがうんですか?せっかくの好天なのに、辛気くさい話題しか振らない野郎相手と顔つきあわせて、普通、息が詰まるって」
「あのね、ここで詰めておかないと後に響くんだよ」
「お前の仕事を道士様に押しつけるなよ」
「別に押しつけてなんかいないさ。弟子の成長ぶりを確認してるだけ」
「それを押しつけてるっていうんだ。なあ、道士様?」
いきなり話題が自分に振られ、花は曖昧に笑って答えを濁した。晏而のいうとおり、狭い馬車の中で孔明と差しで計画を練るというのは正直かなり疲れる。しかし、それは自分が望んだこと。戦のない平和な国作りのために、最小限の戦力で最大限の効果を得るのに必要な作戦を立案をするのが、軍師の仕事なのだ。戦いの始まる前までに作戦を立てるためには、どうしても移動中に最新の情報と照らし合わせながら詰めるしかない。
「確かにたいへんですけど、でも、それで晏而さんたちが無事ですむなら、頑張れます」
青州兵たちのために頑張れるといった花に、一同、大感激。わっという歓声が花を囲んでいる。
「はいはい、そのためにも、キミにはもうひとがんばりしてもらわないとね。今のままじゃ、詰めが甘い。」
「うう。頑張ります」
痛いところを指摘され、花は小さくうなだれた。
「ま、そうはいっても、適度な休憩は必要だ。根を詰めるばかりじゃ、いい案も浮かんでこないだろうしね」
孔明は、花に手を貸して、馬車から降りた。

「あ、草のいい香り」
一足、地面について、花は大きく息を吸い込んだ。長時間、同じ姿勢で馬車に揺られていたこともあり、身体を伸ばせるだけでもありがたかったが、外気の風が思いの外気持ちよくて、花は何度も深呼吸した。一面に広がる緑に吸い込まれそうな心地よさに疲れが解れていくのがわかる。
「水場はあっち。晏而も言ったけど、周りは青州兵が見張ってるから、軽く散歩するくらいは大丈夫だ」
「え、いいんですか」
休憩中、じっとしていなくてもよいと言われて、花は嬉しそうに孔明を見上げた。孔明としては、できれば花には馬車の中で大人しくしていて欲しいところだが、草原の気持ちよい風にあたりたいと身体全体で訴えている花の気持ちを汲み取っての判断だった。軍師と扇がれていても、花自身は、闊達な十代の少女にすぎない。
「くどいようだけど、散歩はこの近辺だけ。馬車が見える範囲に限定だからね」
「はいっ」
元気いっぱいに返事して、花は早々に草原の中を歩き始めた。

馬車の中で一面の緑を見たときから、花にはやってみたいことがあった。
「このくらいなら、大丈夫かな」
さすがに孔明達の目の前では、ちょっと恥ずかしいので、馬車が見えるギリギリまで離れてから、念のためあたりに人がいないことを確認する。遠目に青州兵がみえるが、あの位置からでは、花がなにをしているかまではわからないはずだ。
花は、ポケットから果物ナイフを取り出すと、まわりの草をばっさり刈り込んだ。特に意識しなくても、簡単に草は足下にたまっていく。なにしろ草しかないのだから、大して時間のかからないうちに、花の足下にこんもりと緑の山ができあがった。両手に抱えてちょうどいいくらいの山が3つできたところで、花はナイフを仕舞った。
「誰も、みてないよね」
もう一度、花は周りを見渡し、少なくとも自分の視界の中に誰もいないことを確認する。
「よしっ」
花は草の山をひとつ抱えると、大きく息を吸い込み、止めたところで、ばさりと草の山を頭上からかぶった。緑のシャワーが花を見舞う。草原の香りが、より近く花を包み込んだ。
「うーん、いい香り」
森林浴ならぬ、草原浴とでもいおうか。草の茎が花の服に遠慮なく取り付いているが、そんなことはお構いなしに、爽やかな香りを花は満喫した。同時に懐かしい思い出も蘇ってくる。最初に彼らと行動を共にしたとき、満足に道具もなかったから、寝具は草を適当に束ねたものを使っていた。たまに干し草のこともあったけれど、ほとんどはあたりの荒れ地から刈ってきた雑草を束ねたものだった。青い草の香りと、子どもの亮と、一緒に過ごした懐かしい時間は、花の大切な思い出だ。

「あのときは、毎朝、服から葉っぱを取るのが大変だったのよね」
「それは、今も変わらないと思うけど?」
ふいに掛けられた声に、花はビックリして、呆れた顔の孔明と対面することになった。
「し、ししょっ。な、なんで」
慌てて自分にまとわりついている草をぱたぱたと叩いたが、刈りたての草がそう簡単に落ちるものではない。
「確かに、散歩してもいいとは言ったけど、あんまり離れるな、とも言ったよね。なのに、勝手に見えなくなるし」
「ちゃんと、馬車が見える範囲にいますっ」
思わず花は反論したが、孔明はそう言う問題ではないといった。一瞬ではあったが、花の姿が草原に消えたとき、どれほど心配したことか。消えた方向に駆けつけてみれば、緑の香りをまとって幸せそうに笑っている花がいた。
「あーあ、こんなに葉っぱをつけちゃって」
孔明の声に、花はがっくりうなだれた。
(だから、わざわざ離れたとこまで来たのに)
孔明は、花の頭に付いている草をぽんぽんと払った。花より背の低かったあの頃には、出来なかったことだ。
「ま、この香りが懐かしいっていうのは認めるけどね」
先ほどより少し和らいだ孔明の声に花の表情が嬉しそうに反応した。
「あ、わかります?」
「毎朝、服の間に草が入って取れないって大騒ぎしてたよね」
「だって、動く度にすごくくすぐったいんですよ」
口を尖らせた花に、孔明は再び手を伸ばし、襟元からのぞいていた草を引き抜いた。
「きゃあ!なに、するんですか」
「取れないと、くすぐったいんでしょ」
「それとこれは、別ですっ」
花のむくれた顔と声が返ってきた。

孔明の手から、引き抜かれた草を取り上げると、花はまとわりついてる草を落とすべく、ぱたぱたと服を叩いた。しかし、その程度で全てが落ちないことは、とっくに経験済みである。それでも叩かずにはいられない。
花の、何度も何度も、服の間からのぞく草の先端を払う姿は、あの頃と少しも変わっていない。変わったのは、花の側にいるのが子どもの亮から大人の孔明になったことだ。たったそれだけのことだが、両者の間には歴然とした開きがある。守られていた子どもが、守る側の大人になったのだ。その証拠に、あの頃は、朝日で伸びた影でしか追いつけなかった背丈が、昼間の陽光の中でも見下ろせるまでになった。
「花」
「あと、もう少しですっ」
あの頃と同じように、一生懸命に草を払っている花に、孔明は笑いを禁じ得ない。
「ボクは、気にしないよ」
「私は気にしますっ」
変わらぬやり取りが交わされる。
「そんなに気になるなら、」
ぱさり、と薄衣が花に掛けられた。草原の香りに代わって孔明の香りが花を包みこんだ。
「取り敢えず、それに着替えて、草を取ったら返してくれればいい」
「師匠」
ありがとうございます、と礼をいう花に、孔明は視線を合わせて言った。
「こういうときは、名前で呼んでほしいなあ」
「りょ、亮くん?」
とっさのことに、大人の孔明ではなく、子どもの亮を呼んだ花に、孔明はこらえきれず吹き出した。どちらも自分には違いないけれど、花の中で緑の思い出に結びついているのは、子どもだった自分。あの頃の自分が、ちゃんと花の中で存在していることが無性に嬉しかった。
「じゃ、戻ろうか」
孔明は花の小さな手を包み込むように取り込んだ。
「し、師匠!」
とたんに頬を赤らめた花に、「亮くん、でしょ」と切り返す。
憧れの女性に手を引かれていた少年は、太陽を背にして、今、愛しい少女と同じ未来を見つめ、歩き出した。
2010.05.31
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