■リボンの誓い
孟徳を庇って怪我をした花を、孟徳はしばしば見舞いに訪れる。最初の頃は、花の容態を一番に気にしていたが、花の状態が落ち着いた頃から、他のことにも話題が及ぶようになった。その日、孟徳が口にしたのは、花が着ていた制服についてだった。刺客に襲われたあの日、花は普段のままに制服を着ていたのだ。花の皮膚を切り裂いた刃は、花の着ていた制服も一緒に切り裂いていた。
「花ちゃんの服、ダメにしちゃったね」
「孟徳さん、そんなに気にしないで下さい」
「でも、君にとって、大切なものだったでしょ」
「それは…」
憧れていた高校の制服でもあり、花が元の世界にいたという確かな証しでもあった。だが、花は選んだのだ。この世界に、孟徳の側にいるということを。不安そうに揺らめく孟徳の瞳を見て、花は殊更に明るく続けた。
「確かにダメになっちゃいましたけど、その、私の世界にいても、そろそろ着られなくなるんです」
高校の制服を着るのは、学校を卒業するまでの3年間の期間限定だ。卒業後に着てはいけないという決まりはないが、一般的には憚られるものである。こちらに来てどのくらい経ったのか正確なところはわからないが、二回目の春を迎えた時が、その時期だと思っている。そして、その春はもうすぐそこまで来ているのだ。
「それに、こちらの衣装にも早く慣れたいと思ってますから、少しずつ慣らすのにちょうどいいかなって」
ふわりと笑った花に、孟徳の表情が活き活きとしたものに変わった。
「本当?それじゃあ、すぐに用意させなくちゃね」
「あの、孟徳さん」
「なに?なにか着たい色とか意匠とかある?」
「そうじゃなくて、ですね。まだ当分は、寝てるだけですから、簡単な寝間着でいいですよ」
「うん、わかってる」
軽くうなずく孟徳に、花はなんとなく不安を覚えた。
「まだ自分でうまく着れないんですから、本当に簡単なものでないと困ります」
こちらの衣装についてそれほど詳しくないが、それでも豪華なものほど着るのに複雑な手順が必要なことは、花にもわかる。宴に出たとき、少しばかり華やかな衣装が用意されたが、自分では着付けができなくて、結局侍女の手により着せてもらった経緯があるからだ。怪我をした今、慣れない衣装では更に着付けるのが難しいであろうことは容易に察せられる。孟徳はそのために侍女を付けているのだから彼女たちに任せればいいと簡単に言ってくれるけれど、他人の手を借りて着替えをするというのはどうにも恥ずかしくて気後れしてしまうのだ。
(せめて浴衣くらい着れるようにしておけばよかったなあ)
彩とかなと揃いの浴衣を着て夏祭りに出かけた時、花は母親に着付けてもらった。対して、かなは自分で着たといっていた。「彼氏と浴衣で出かけたとき困るでしょ」と笑っていたのを呆れ顔で聞いていたが、今になって思えばかなは堅実なんだと思う。
「さてと、花ちゃんからのお願いも聞いたことだし、俺もそろそろ戻らないとね」
「すみません。孟徳さん、忙しいのに」
「花ちゃんのことが心配で俺が勝手に来てるだけだから花ちゃんが謝ることじゃないよ。でも、君ときたら、すぐ動き出すんだもんな。無理して傷が悪化しやしないかと、そっちの方が心配だよ」
「うう、すみません」
孟徳の心配も無理からぬことなので、花は申し訳なさでいっぱいだった。医術がそれほど発展していないこちらでは、花の怪我はまだ予断を許さないし、完治まで相当の日数を必要とする。
「じゃあ、今度こそ行くね」
「はい、孟徳さん。お仕事頑張ってくださいね」
穏やかで上機嫌な風を纏って、孟徳は部屋から出て行った。

翌日、花が目を覚ますと、孟徳から付けられた侍女が、着付けが簡単そうな衣装をいくつか持って現れた。
「丞相より、こちらをご用意するよう言いつかって参りました」
「ありがとうございます」
布団の上に広げられた衣装は、薄絹で作られた上等なもので、いかにも孟徳が選んだらしい上品な品だった。簡単な物でいいと言った花の気持ちを汲んではくれたようだが、寝間着と言うにはかなり贅沢な衣装に思える。まだ傷の癒えない花に負担がかからないよう少しでも軽いものをと選んだ結果なのだろうけれど、嬉しい反面、申し訳なく思ってしまう。そうなると、自分にできることは、少しでも早くよくなることだ。花は傷に障らぬよう侍女に手伝ってもらい、その衣装に着替えた。着付けをしてもらいながら、着方も聞いた。着付けにはいくつかの紐を使うけれど、普段着のように帯できっちり締めるわけではないので、こちらの着物に慣れるにはちょうどいいようだ。
「はやくひとりで着られるように頑張りますね」
「花様はまだご病人なのですから、今はまだ私にお任せ下さいませ。それより、こちらの衣装はいかが致しましょうか」
侍女は、花の枕元に置いてある制服を示して尋ねた。これまでは制服を着てきたから手元に置いていたが、今後、こちらの衣装を着るのであれば必要のない物である。
「えっと」
名残惜しむように花は制服に手を伸ばした。手放すのだと思うと、チクリと胸が痛む。白いブラウスは血糊のあとがうっすら残り、あまつさえ切り裂かれているためもはや着ることは叶わないが、きちんと襞の揃えられたスカートは無事だった。そして、その上に重ねられている、くたびれきった赤いリボン。花は、リボンだけ手にとってゆっくり伸ばしてみた。
「これだけでいいです。あとは、仕舞ってください」
「承知致しました」
侍女が制服を持って部屋を出て行くと、花はほうっと溜息をひとつ吐いた。

今、花の手元には制服の赤いリボンだけが残されている。ブラウスの襟から蝶蝶結びにしていたそのリボンは、長いこと同じ位置で結ばれたため、結び目に当たる部分が掠れていた。すぐに切れることはないだろうけれど、このまま結び続けていれば遠からず擦り切れてしまうことだろう。
たかがリボン、されどリボン。
花は、無意識に布団の上で「リボン」と指で綴っていた。何度も書いているうちに、ふと疑問がよぎる。
「リボンって、日本語だっけ」
なけなしの英語の知識から、それっぽい綴りを思い出してみた。
ローマ字では、ribon。
英語なら、母音のあとに子音があるから、子音をふたつ重ねて、ribbon?
これで合っているような気がするけれど、何か物足りないというか、ちょっと遊び心を加えてみて、rebon。
「reって、繰り返しで語頭に使う単語だったよね。だったら、リ・ボン、リ・ボーン」
ふと閃いた響きを綴りに合わせてみる。
リ・ボーンでreborn。reとbornだから、誕生を繰り返す、繰り返す生命、生まれ変わる。
そこまで考えて、花はリボンを結んでみた。結んで、またほどいて、花の手の中で、リボンは何度も形を変える。細胞が再生され、花の傷が癒えていく。ライフサイクルの短い細胞が生まれ変わり、新たに花の血肉となる。けれども、形を変えたリボンが「リボン」であることに変わりがないように、細胞が生まれ変わっても花は花であり続ける。
「孟徳さんが孟徳さんでいられるよう、私も私であり続けたい。ううん、あり続けなくちゃいけないんだ」
そう考えると、今、自分の手の中に残されたリボンも意味のある物に思えてきた。結び続ければ、いずれ擦り切れてしまうだろうけれど、それまでにはこの世界に馴染むようになりたい。そして、擦り切れてしまってもリボンがリボンであるように、自分も孟徳が、孟徳であり続けられるような「花」であり続けよう。

リボンを結べば、毎日が誕生日。この世界で生まれ変わっても、花は花であり続ける。

2011.5.08
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