■さあ、仕事だよ
「おわらないっ」
雪崩落ちそうな竹簡が散乱する、ほこりっぽい部屋に花の声だけが響く。
「なんで!?私、サボってないよね。なのに、なんで終わらないのー」
今、花がいるのは、孔明の私室である。

「そういえば、師匠って、ほとんどこの部屋しか使ってないですよね」
それは、執務中、ほんの少しだけ好奇心に勝った心から出た言葉だった。
「そうだっけ?」
「そうですよ。少なくとも、私、師匠がこの部屋以外で寝てる姿、みたことがありません」
花には、どんなに忙しくても自室で寝ろと煩い孔明だが、当の孔明は、執務室の奥で仮眠を取るだけで済ませていることが多い。それだけ仕事が忙しいということもあるが、たまの休日でも孔明が自室に戻ることはほとんどない。
「仕事が忙しいのはわかりますけど、でも、たまにはちゃんと自分の部屋で寝た方がいいですよ?」
「それは、無理」
「えー、どうして、ですか?」
「どうしてだと思う?」
軽く問われた花は、その時のノリで、「竹簡に占領されて、居場所がない、とか?」と小首を傾げた。
「へえ、よくわかったね」
「えっ」
花の元居た世界でも、学者などと言われている人の部屋は、本が主で人が従という話が冗談交じりで話されることがあるが、どうやら孔明もその類の人間らしかった。全く思っていなかったといえば嘘になるが、本人にさらりと言われると、返って真実味が増すというものだ。
「まさか、ドアを開けると竹簡が雪崩落ちてくるとか」
「どあ?」
「あ、部屋の戸です。それから、まさか、窓も竹簡で詰まって開けられない…んですね…」
ギャグ漫画の世界さながらの部屋が、どうも孔明の現実らしいと知り、花は考えた。ここまで聞いて、果たして他人事ですましてよいものだろうか。
「あの、師匠」
「なに?」
「やっぱり、弟子としては、その、師匠の健康管理にも気を配った方がいいんでしょうか」
「あれ、心配してくれるんだ」
「当たり前です!そんな竹簡だらけの部屋、絶対、身体によくありません」
ひとり力んでいる花に、孔明の口端が少しだけ緩んでいる。それは、何か謎かけをしているようでもあり、ただ単に花の反応を面白がっているようにも見えた。
(これって、ものすごーく遠回しに、掃除しろって言ってるのかなあ)
孔明が、わざと答えを言わずに、花の行動をみていることはこれまでで学習済みだ。
「わかりました。明日のお休み、私が師匠の部屋を掃除します」
花は、考えた末に、そう申し出た。
「きっちり掃除して、師匠をお布団で眠れるようにしてみせます!」
ぐっと力を込めて花は孔明を見上げた。その瞳は、師匠の言いたいことをちゃんと先読みしたでしょうと訴えていた。
「…じゃ、お願いしようかな」
少しの間をおいて、孔明は、部屋の掃除のことを了承した。

そして、翌日、花は、案内された孔明の部屋で、現実に打ちのめされた。しかし、自分から申し出たことでもあり、衝撃に頬を引きつらせながらも「がんばります!」と、腕をまくり上げ、竹簡の整理に取りかかったのであった。
花はお休みをもらっていたが、孔明は今日も仕事がたまっているらしく、部屋に連れてきただけで、また執務室へ戻っていった。なので、孔明の部屋には、花ひとりである。勢いに任せて掃除を始めたものの、まるで終わりの見えない竹簡の山に、気力の方がさきに萎えてしまいそうだった。
「あーあ、どこからか小人さんが出てきて、手伝ってくれないかなあ」
そうそうおとぎ話の世界のように、都合のよいことが起こるはずもないが、一人で黙々とするより、誰かが一緒にしていてくれると考えた方が気分的に楽になる。
「白雪姫も、そうだったのかな」
唐突に、子供の頃みた、ディズニーの「白雪姫」の映画のワンシーンが頭をよぎった。7人の小人と一緒に、楽しく部屋の掃除をしていた白雪姫。生きて、自分を必要としてくれている小人達の役に立つことが嬉しくて、白雪姫は本当に楽しそうに掃除をしていたと思う。
「さあ、仕事だよ、さあ、仕事だよ。お仕事にあわせて…」
思い出したシーンが、そのまま歌になって花の口を付いて出た。映画を見たあとで、白雪姫のように掃除がしたくて、母親にねだって箒を持たせてもらい、歌いながらお手伝いしたことも思い出した。
「どんな部屋の、お掃除でも……ほらほら、すぐおわる」
現実には、そう簡単に終わりそうになかったが、楽しい思い出と一緒に歌ったことで、花は元気を取り戻した。同じするなら、前向きに明るく、花は歌にあわせて、ひとつひとつ、竹簡を片付けていった。

花に自分の私室の掃除を任せた孔明は、複雑な胸中をかかえて仕事をこなしていた。正直、花の昨夜の申し出には驚かされた。それが、純粋に花の好意から出たものであることはわかっている。否、わかっているからこそ、余計に不安になるのだ。花は、男の私室に入るという意味をまるで理解していない。孔明は、幾度かため息を吐いた後、その日は夕暮れ時に仕事を切り上げた。
花の性格から考えて、掃除が終われば報告に来るはずだが、とても一日で片付くものではないことは、孔明が一番よく知っている。となると、片付かない部屋で掃除を続けている可能性が非常に高い。案の定、孔明が私室の回廊へ戻ってくると、そこには、まだ人の気配がしていた。やはり、という思いとともに、黄昏時を過ぎても、異性の部屋に残っている花に、この世界の常識を少し言い聞かしておかなければと改めて思う。

部屋に近付くにつれ、確かに花の声が聞こえてくるのだが、それは、いつもの話し声とは明らかに違っていた。高く、低く、少し幼さの残る声が不思議な旋律を辿っている。
「???」
それが、花の世界の歌だということに、しばらくして孔明は気が付いた。こちらの世界の歌と、あまりにも違うのですぐにはそうだと思わなかったのである。花の声色からして、故郷を懐かしんで歌っているのとも違うようだ。孔明は、足音を忍ばせて、部屋に入っていった。

まる一日、花が精力的に整理しても竹簡の山は、まだ半分以上窓辺に高く積み上がったままであった。辛うじて成果と言えるのは、寝台の上になだれていた山を移動させたことだろうか。しかし、取り敢えず、「師匠に自分の寝台で寝てもらう」という最低限の目的は果たせそうである。軽く口ずさんで幾度となく繰り返した歌を、もう一度と息を吸い込んだとき、ふと背後に人の気配を感じて、花は振り返った。
「し、師匠!」
歌うはずであった息を慌てて飲み込み、軽くむせた。
孔明がそこにいるという驚きよりも、歌を聞かれたという恥ずかしさの方が、先にきていた。部屋の入口に静かに立っている孔明の様子からして、絶対、花が歌っているのを聞いていたはずだ。
(い、いつから?)
恥ずかしさを身体一杯に表している花に、孔明は彼女が予想していたであろう、くすっとした笑みを浮かべて尋ねた。
「言ったことの責任は取れそうかな」
絶対、歌っていたことを聞かれると構えていた花は、まるで違う質問をされ、肩透かしをくらっていた。同時に、孔明のいうところの「責任」について、心当たりを考えなければならない始末である。
「えーっと、だいたい、なんとか」
取り敢えず、当たり障りのない返事をして、昨夜から今朝にかけての孔明との会話を一生懸命思い出してみる。
「うん、うん、確かに」
竹簡が移動し、寝られるようになっている寝台をチラリと目端に映して孔明は笑った。
「まさか、ここまでやるとはね」
半分呆れた感のある声に、花はぷうっと頬を膨らませた。
「あまりにも竹簡の量が多すぎるんです。寝台を探すのだってひと苦労だったんですよ」
口を尖らせた花の顔は、どこまでも幼い。
「…どうして、そこまで必死になれるんだろうね」
「だって、約束しましたから。その、師匠がお布団で眠れるようにって」
その時には、花は、昨夜、孔明に言い切った言葉を思い出していた。幸いにして、寝台から竹簡を除くことには成功していたので、これなら、約束は守ったと言えそうだと花はひとりごちていた。
「だからといって」
しかし、孔明の反応は違った。花が記憶しているなかでも、かなり渋い顔をしている。
「こんな時間まですることはないだろう」
「はあ?」
せっかく頑張って掃除をしたのに、なぜに不機嫌な反応しか返ってこないのか。手放しで褒めて欲しいとまでは思わないが、礼の一言くらいいってしかるべきではないのだろうか。それとも、この世界では、弟子が師匠の部屋を掃除するのは当たり前すぎるとか?
ぐるぐると出口のない方向へ花の考えが向かい始めたのを感じ取り、孔明は、すっと花の髪に手を伸ばした。ピクリと花が反応し、孔明に視線を戻した。
「ほらね?」
くすりと、いつもの笑みを浮かべた孔明に花はわけもわからず棒立ちしている。髪の毛が孔明の手を滑り落ちるとひどく安堵した様子に、孔明は苦笑を禁じ得なかった。
「なにが、おかしいんですか」
「ホント、なにも考えてなかったのがキミらしいと改めて思ったとこだよ」
ますますわからないと、恨めしそうに見上げる花に、孔明は自らに言い聞かせるように堅い口調で返した。
「こんな時間まで、男の部屋にいるのは、キミの世界では普通なの?」
尋ねられている意味が最初はわからなくてポカンとしていた花だったが、やがて孔明の言う所の意味を察して瞬時に紅くなった。
「で、でも、し、師匠」
「孔明」
「孔明、さん」
消え入りそうな声で返した花は、ぐいっと手首をつかまれ、引き寄せられて、頬に軽く口づけを受けた。心臓がドクンと大きく波打つのがわかり、花の体温は一気に上昇した。
「本当に、考えなしのお莫迦さんだよ、キミは」
しかし、孔明は、すれ違い様に、吐息混じりに耳元でそうささやくと、そのまま花の身体を部屋の入口へ押し出した。
「今日はありがとう。疲れただろうから、早くお休み」
振り向いた花が目にした孔明の顔は、いつもの師匠の顔だった。その顔に安堵したのも束の間、もうすぐ部屋の扉が閉められてしまう。
「あ、あの、私」
言おうか、どうしようか、一瞬だけ迷ったが、まだ火照りの冷めやらぬまま、花はぐっと気合いを入れて言った。
「次のお休みも、掃除しに来ますから!」
そして、さらに朱色に濃く染まった顔を上げて「孔明さん」と、最後に呼びかけた。
「うん、期待してるよ」
「はいっ」
扉は閉まり、花は、恥ずかしさと幸せで一杯の想いを抱えてパタパタと掛け去って行った。

花の足音が遠ざかり、完全に聞こえなくなると、孔明は、ほうっと片付いた寝台に腰を下ろした。
「本当に、わかっていってるかどうか怪しいもんだけど」
手を伸ばせば、まだ届く範囲に竹簡がある。
「この竹簡が片付くまでは、待つよ」
待つのには慣れているからね、と孔明は、その夜、花の片付けてくれた寝台で眠りについた。

■使用曲
ディズニー映画「白雪姫」から、Whistle While You Work(口笛ふいて働こう)
最近の訳は「口笛ふいて働こう」で統一されてるみたいですが、私が子供の頃聞いたレコードでは「さあ、仕事だよ」のタイトルで歌われていたので、そちらを使わせていただきました。
2010.06.02
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