■翼をください
呉と蜀の同盟を機に、公瑾と共にあることを望んだ花は、玄徳たちのの帰還に同行せず、呉に残った。公瑾としては、一刻も早く花と婚儀を挙げ正式に妻として迎えたいところだが、内外共に問題が山積みで、それが一段落付くまで慶事はお預け状態である。うやむやのままなし崩しに迎えるというのは、呉でも屈指の名家である誇りが許さなかった。
今、花は大喬や小喬と同様に、呉の宮殿の一室で生活していた。多忙な公瑾が留守の間にできるだけ呉の生活に馴染むべく、花嫁修業兼官吏見習いといったところであろうか。日常の細やかなところは、大喬や小喬から学び、表向きのことは子敬に教えを請うた。覚えることはたくさんあったので、退屈している暇などなく、花はかつてないほど勉強の日々を送っていた。

「花ちゃーん、公瑾から、定期便が届いたよ」
公瑾は、2日と空けず、こまめに手紙を寄越す。その返事を書くのも花には勉強の一環だった。達筆な公瑾の手紙を解読するのは、こちらの文字に慣れていない花には、かなりレベルが高い。そう頻繁に大喬や小喬に聞くのも恥ずかしく、自力で返事を書くのにかなりの時間を要していた。
(今夜も徹夜、かな)
愛しい人からの手紙は嬉しいが、ちょっぴり自分の学力の低さを嘆きたくあった。
「いい加減、公瑾も帰ってくればいいのに」
「そうだよね。手紙を書く暇があるなら、そのぶん、ひとつでも仕事を片付けてさー」
そういう考え方もあるのか、と苦笑しながら、花は竹簡を開いた。ため息がでるほどに達筆な文字が流れている。
「ねえねえ、何て書いてある?」
「えっと、たぶん、琵琶の…音合せ?」
達筆すぎる文字は、花にはすぐ読むことができない。これは、本当に徹夜だわと呟きながら、ひとまず竹簡を巻き戻した。
「ふふ、じゃあ、花ちゃん、お返事頑張ってねー」
花の事情を知る大喬と小喬は、それ以上長居をすることなく、引き上げていった。

ひとりになった花は、ゆるゆると公瑾からの竹簡を広げてみた。直接に話をするなら、公瑾が遠回しに言っていることでも理解できるのだが、こと文字になると、彼の意図していることがいまひとつわからなくて、花はいつも悩んでしまう。
「会いたいなあ」
会って、彼の口から直に聞きたい。そうしたら、すぐわかるのに。
「琵琶を合わせるって、何か聞かせてくれるのかな」
すぐに読み取れたのは、その箇所だけで、前後がよくわからないため、結局意味不明である。
「まさか、私に弾け、とか…」
勉強は他の人にお願いしているが、琵琶だけは公瑾が教えていた。といっても、まだほんのさわりだけで、ようやく爪を付けて音を出せるようになったところだ。ふたりで合奏とか、それこそいつになることやらわからない。
「ちょっと、練習しておいた方がいいかも」
どうせ今日は、もう勉強に身が入りそうになかったので、気分を変えて琵琶を触ってみることにした。

花は自分用にと公瑾が贈ってくれた琵琶を取り出すと、教えてもらったことを口の中で繰り返しながら、つま弾いてみた。横ななめにいだき、左指で柱と柱の中間を押さえ、軽く爪で弾く。
ポン、と軽い音が響いた。中指と薬指を一緒にして、二本の指で押さえるようにすると、出る音色が安定する。が、ここまでが花の限界である。音は出せても曲は弾けない。もっとも、楽譜をみたところで、西洋音楽の五線紙とはあまりにかけ離れているので、今の花には理解できなかった。
「同じ音は、取り敢えず出てるのよね」
ポン、ポン、ポン、ポンと4つの音色が繰り返えされる。弦の間隔を変えれば、もっと色々な音が出せるのだが、花が安定して弾けるのは、この4音だけだ。同じ間隔で、四拍子に似た音階を繰り返していると、花の記憶から呼び出された旋律があった。
「今、わたしの、願いごとが、叶うならば、翼が、欲しい」
同じ和声の繰り返しで構成されている、伴奏の音階が、うまく琵琶の4音と一致していた。メロディは弾けなくても伴奏があれば、歌は歌える。
「この大空に、翼を広げ、飛んでゆきたいよ。悲しみのない、自由な空へ、翼、はためかせ、往きたい」
時々、詰まりながらも、どうにか花は試行錯誤で、音を拾い、歌い上げた。

この世界へ来てから、初めて歌った気がする。音楽は、公瑾の琵琶で触れることはあっても、それは花の全く知らない曲ばかりで、聴くだけのものだった。優しい音色は、花を幸せに包み込んでくれるが、音と一体になって楽しむことはできなかった。ここでの音楽は、公瑾から受け取るだけ。それはそれで幸せだと思うが、寄り添って生きるなら、自分からもできる何かが欲しいと思っていた。
「今、富とか、名誉ならば、いらないけど、翼は、欲しい」
記憶の底から溢れ出てきた歌は、止まることを知らず、花は歌い続けた。

自然と手が動き、琵琶と曲とが馴染んだ頃、花は、ひんやりした空気を感じて、歌うのを止めた。いつの間にか、日が暮れていたので気温が下がってきたというのもあるだろうが、どうもそれだけではない。突き刺すような冷たい視線が花を射ている。
「公瑾さん?」
初めて会った時のような、冷たい瞳をした公瑾が、いつの間にか部屋に立っていた。

久しぶりの想い人との逢瀬なのに、花はその場から動けなかった。琵琶を抱いたまま、まんじりともせず、花は公瑾を見つめた。
「そんなに、ここにいるのが厭なのですか。それが、あなたの本心ですか。」
大股に、花の元へやってきた公瑾の口調は視線以上に冷たかった。
言われている意味がわからなくて、花は、公瑾を見上げるばかりである。
「黙っているということは、そうなんですね」
公瑾の声は静かだが、明らかに怒気を含んでいた。
「ここから飛び出してどこへ行こうというのです?」
その時になって、ようやく花は、公瑾の言っている言葉が意味をなして入ってきた。翼が欲しいと思ったのは事実で、飛んで行きたい場所もある。だが、それは。
「公瑾さんのところへ行きたかったんです」
花は、まっすぐな視線を公瑾に返した。
「翼があれば、公瑾さんがどこにいても、例え、船に乗ってらしても、会いに行けますよね」
ふわりと、花は微笑んだ。
「自由に、いつでも、会いたいときに会いに行ける、翼が欲しかったんです」
「だから、翼が欲しかった、と?」
欲しかった、という言葉尻を捉えた公瑾に、花は素直に頷いた。
「はい」
公瑾の手が花の両肩に触れた。
「でも、今は、いりません。こうして、公瑾さんがいてくれるから」
花の肩に触れた公瑾の手から彼の温もりが伝わってくる。花は琵琶をつま弾いていた手を公瑾に重ねた。やっと会えたという喜びから自然に出た行為だった。触れ合うことで伝わる想いというのもあるのだということを花が知った瞬間でもあった。

言葉にしなくても、花の想いは公瑾に伝わったのだろう。彼はそのまま、花の横に彼女を包み込むようにして腰を下ろした。肩からだけでなく、身体全体から、公瑾の熱が伝わってきて、花は琵琶を抱えたまま身を縮こまらせている。触れられるのは嫌ではないが、異性からの抱擁にまるで免疫のない花は、ガチガチに緊張していた。
「どうしました?」
(ち、ちかすぎますっ)
花は心の中の叫びを、必死で押さえていた。
「予定していた時刻より少し早かったですが、今夜帰ることは竹簡でお知らせしていたはずですし」
すぐに理解できなかった竹簡の内容を今言われても、花には対処のしようがないではないか。
「あれって、そういう意味だったんですか」
「そうですよ」
にこやかに、公瑾は花の手から琵琶を取り上げた。
「私が合わせた琵琶の弦が緩まないうちに、あなたのもとへ」
言葉通りに、手にした琵琶を調律するのかと思ったが、床に立てかけただけで、公瑾は、更に花との距離を詰めた。公瑾がささやく度に花の耳元に息が掛かる。くすぐったくも心地よい暖かさが花の緊張を少しずつほぐしていった。
「先ほどの歌が、あなたの真実なら」
花の体重がしなやかに公瑾に掛かった時、花を抱く腕に力がこもった。
「今すぐ、飛んできていいのですよ」
柔らかな眼差しと優しい口づけに抗えず、花は公瑾の胸に深くその身を委ねるのだった。

■使用曲
赤い鳥から、「翼をください」です。
カノン進行の和声で歌える曲です。最初に思いついたのは別の曲でしたが、公瑾なら、こっちよね、ということで。もしも、相手が仲謀なら「愛は勝つ」かな。
2010.06.06
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