■Sound of Music
雲長とともに過去の世界から戻ってきてからというもの、二人の時間が合えば、花は雲長から乗馬を習うようになった。花は、軍師として玄徳軍に居る以上、戦場に出たときのことを考えて一人で乗れる方がいいと考えて始めたが、雲長は、万が一のことがあったとき、花がひとりでも脱出できるようにとの思いから教えていた。孔明が正式に玄徳軍に仕官してからかなり戦局は安定してきたものの、まだまだ不安要素は多く、選択肢は多いに越したことはない。
乗馬の練習は、主に兵士の朝練が終わってから始めていたが、その日は珍しく、前日の夕刻に雲長から明日の予定を尋ねられ、早朝に行うことになった。
「そろそろひとりでも乗れるようになったことだし、たまには朝駆けもいいだろう」
淡々と誘われ、花は特に急ぎの仕事もなかったので、ふたつ返事で了承した。

いつも練習に訪れているその丘は、日の出前の朝靄に包まれていた。軽く鐙足でひとまわりしたところで、花は馬から一旦下りた。走ることも大切だが、乗り降りを速やかにできるようになることも重要な練習のひとつだった。
「わあ、太陽があんなに近い」
折しも、丘の稜線から日が昇ろうとしていた。日の出に合わせて緑の地平線がより色鮮やかに浮かび上がってくる。少し冷たい風が、軽く汗ばんだ肌に心地よかった。早朝の風は、爽やかな草原の香りを乗せて通り抜け、自然の心地よさが花の心を軽く撫でていった。それは、不思議な開放感をもたらし、気が付けば、花は両手を広げて草原の丘を走っていた。
「すごーい、気持ちいい」
息を弾ませ、くるりと振り向けば、雲長が赤兎の手綱を引きしめている姿が目に映った。
「雲長さーん」
花が呼びかけると、雲長はほんの少しだけ顔を上げてこちらを向いたが、特になにかをするでなく、そのまま佇んでいた。雲長は、遠目に花の姿を確認し、見守っているだけの姿勢を崩さない。それだけのことだが、花には不思議な安心感があった。

太陽が完全に登り切り、力強い風が花の髪を梳かしていった。何気なく、頭に手をやり髪を撫でつけ、風をやり過ごしたとき、不意に花の脳裏に浮かんだシーンがある。それは丘の上の心地よい開放感と相まって、ひとつの歌という形で現れた。

「The hills are alive
 With the sound of music,
 With songs they have sung,
 For a thousand years.」

息抜きの合間に、緑の丘でのびのび歌う映画のヒロインと花は同調していた。普段の花なら、あり得ないことだが、それほどに早朝の丘は、花の心を大らかに開放してくれたのだ。

花の歌声は、雲長にも届いていた。はじめは、なにを歌っているのだろうと訝ったが、やがてそれが古いミュージカル映画の曲であることに気が付いた。どんな映画かまでは覚えていないが、確かに聞いたことのあるメロディだった。おぼろげになっていく自分の記憶の奥底に、まだ残っていた思い出をくみ出されたような感覚に、雲長は、ただ花の歌を聞いていた。

「My heart will be blessed
 With the sound of music
 And I'll sing once more.」

気の済むまで思い切り歌った花は、再び息を弾ませて丘を下った。丘のふもとには、雲長が相変わらず赤兎の手綱を握ったまま木の幹に寄りかかって立っている。たぶん、花の歌が聞こえていたはずだが、彼は何事もなかったかのように、花が戻ってくるのを待っていた。寡黙な雲長のそんな心遣いが、花に元の世界との絆を繋ぎ、決意を新たにさせてくれた。
「雲長さん」
花は、弾んだ息の中から、雲長を見上げて言った。
「もう、いいのか」
雲長の問いに、花はにっこり笑って応えた。
「私、絶対に、諦めません」
「ああ、それでいい」
雲長の返事に、花は少しだけ寂しそうな色を浮かべたが、すぐに顔を上げて、馬にまたがった。
「戻りましょうね」
背筋をピンと伸ばして、花は手綱を引いた。
「そうだな」
花の背を追いながら、雲長もまた赤兎にまたがり、共に朝日の輝く丘を後にしたのだった。

■使用曲
映画「サウンド オブ ミュージック」より、Sound of Music。
オープニングで、マリアがのびのびと歌っているシーンそのまんまです。
2010.06.11
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