■虹の彼方に
孔明の弟子として、蜀に仕える花の一日は忙しい。できることは限られていたが、孔明や玄徳が仕事をしやすいように心を配りつつ、花は花なりに頑張っているつもりだ。雑用の中からでも学ぶべきことはたくさんある。むしろ、ふと目にする何気ない情報からの方が多次元的に物事を考える練習になると、孔明は花に敢えて雑用的な仕事を任せている節があった。孔明や玄徳が決裁した竹簡を各部署に配って回るのもそんな仕事のひとつである。決して狭くはない城中を小走りに回りつつ、花は他の文官や武官の様子も同時に見て回っていた。
「あと、この竹簡を配れば終わりだよね」
孔明から命じられたその竹簡を配り終えれば休憩に入っていいと言われていたこともあり、彼の執務室から一番遠いその部屋まで竹簡を届けたあとは、ゆっくり引き返した。折しも、新緑の香る回廊を歩くのは、文字とにらめっこしているだけの時間より楽しかったし、更に、今日は、雨上がりの恩恵で、大きくて鮮やかな虹が出ていた。美しい虹を見ながら長い回廊を歩いていると、自然に口ずさんでしまうメロディがある。
「Somewhere over the rainbow
Skies are blue
And the dreams that you dare to dream
Really do come true」
英語の勉強を兼ねて、かなと彩と3人で観に行った懐かしい映画のテーマソングだ。音楽だけは、母親が好きでよく歌ってくれたので覚えているが、肝心要の英語の歌詞は結局覚えきれなくて、好きなフレーズだけ繰り返して歌を繋いでいた。

「それ、キミの故郷の歌?」
ふいに声を掛けられ、スキップ半分で回廊を歩いていた花は、声の主に気が付いて息を呑んだ。
「ふえっ。し、ししょ…ま、まさか、聞いて…」
「うん」
悪びれもせずに頷く孔明に、花は一人赤くなり、続いて青ざめた。よりによって、一番聞かれたくない相手に、鼻歌を聞かれてしまった。仕事中に歌うとは仕事を舐めている、と怒られるより、呆れられた?おっかなびっくりで見上げた孔明は、特に変わったようには見えないけれど、彼のポーカーフェイスに油断していると痛い目に遭うのは経験済みだ。
「変わったメロディだね。それに歌詞も」
「そうですね。もとが外国の歌ですし」
孔明の興味が、単に珍しい曲にあると思った花は、軽く相づちを打った。
「外国?キミの故郷じゃなくて?」
「はい。私の国では、外国の映画の方が有名、というか人気があって、さっきの曲も、子ども向けの定番で」
孔明の聞きたいことが何であるかはわからないが、ここは押し切って逃げようと、花は、映画「オズの魔法使い」の話に絡めて「虹の彼方に」の歌について、一気に話たてた。
「だから、その、歌みたいに、信じた夢が現実になればいいなあって思ったんです!」
力を込めて話し終えた花を孔明は、面白そうに見下ろしている。
「えーっと、師匠?」
「キミは、本当にその歌が好きなんだね」
穏やかな声に、花はぽっと頬を赤らめた。
「母が大好きだった歌だから、私も自然に覚えたっていうか」
「お母さんが?」
ふと、孔明の声に陰りが差したのを感じて、花は慌てて言った。
「別に母が恋しくてとかそんなんじゃないです。単に私が、虹を見て歌いたくなったというか、本当に、それだけですから!」
「うん、そうだね」
花の言葉に嘘はない。それに、歌っているときの花は本当に幸せそうで、故郷や母を懐かしんでいるようには見えなかった。それでも、何かひっかかるものがあるのは、花が本音を話していないと孔明にはわかってしまうからだ。だが、花の本音を聞き出すのは、今は無理だと孔明は諦めた。物事には何事にもタイミングというものがある。
「竹簡を届けたら休憩にしていいと言ったのはボクだし、休憩時間に花が歌うのは自由だからね」
互いに本音を隠して、その場はお開きとなった。

孔明と別れてから、ひとり休憩に入った花は、まだ胸の動機が収まらなかった。
「本当にびっくりした〜」
ほうっと大きなため息をついて廊下から中庭に続く階段に腰掛けた。この時間なら、ちょうど芙蓉姫が午前の稽古を終わらせて戻ってくる頃合いである。数日に一度、どちらともなくここで待ち合わせて話をするのが習慣になっていた。
「お待たせ」
「あ、芙蓉姫、お疲れ様」
「花こそ、あの孔明と一緒に仕事じゃ、疲れるでしょ。今日みたいな日は、特に」
「へ?」
「だって、あれだけ見事な虹がかかってたのに、孔明殿ってば、執務室にかじりつきだったんでしょ?」
きょとんとしている花に、芙蓉は軽くため息をついた。
「ふ・つ・う、それだけの吉兆、恋人と見るくらいの機転をきかすべきでしょうが」
あの雲長ですら、鍛錬の合間に虹を仰ぎ見る時間を設けたというのに、となかなかに手厳しい。
「花は、見たのよね、あの虹?」
「それは、まあ…」
滅多と見れない見事な虹を見たのがうれしくて、思わず歌が口を付いて出たところを孔明に見つかったのは失敗だった。
「で、どんな歌だったの?」
それは芙蓉の純粋な好奇心だった。厳密には違うらしいが、花の国の歌というのには興味がある。
花は、孔明に話したのと同じ事を芙蓉に話した。
「ふーん」
そっけない反応に、花は、やっぱり外国のおとぎ話なんて興味ないよね、と力なく笑った。
「でも、それ、違うでしょ」
花の思いとは裏腹に、芙蓉はスパーンと切り返してきた。
「え、なにが?」
「花が、つい口ずさんでしまうくらいに、お母さんが歌ってた歌と」
芙蓉の冷静な指摘に絶句した花は、返事を聞かなくともそうとわかるほどに赤面した。こうなると、完全に芙蓉のペースで、花はそれ以上誤魔化すことができず、母親が好きで歌っていた方の「虹の彼方に」を聞かせるハメになった。
「夜ごとにみる夢は 虹の橋のデートの夢」
ほんのり頬を上気させたまま、花は、母が好きだった歌を歌い始めた。オリジナルの「Over the rainbow」とは以て異なる、ポップアップなその歌の内容は、芙蓉にもじゅうぶん理解できるものだった。よほどひねくれた心の持ち主でもない限り、それが恋の歌ではないと否定するのは難しい。
「お星さま お願い 私の小さな夢
お星さま きっとね 一度でいいから聞いてよ」
そして、花が今歌っている歌には、より具体的な願いが込められていた。
「私の好きな人と デートしたいの虹の橋」
真っ赤になって歌っている花を、芙蓉は心底かわいいと思った。詰まるところ、虹を見て乙女らしい祈りを込めていたということだ。それでも、さすがにそのまま歌うのは恥ずかしくて、当たり障りのない方の歌を口ずさんでいたのだろう。
「それ、孔明殿には、絶対」
「い、言えないよ〜」
ぶんぶんと大きく首を振って、花は丸めた膝に顔を埋めてしまった。鬱積していた想いと一緒に心の雫も溢れ出てしまったらしい。
「だって、師匠は、すごくたくさん仕事があって、いつも忙しくて」
孔明が誰よりたくさん仕事を抱えていることは、周知の事実であり、花もその手助けがしたいのであって、今、この時期に私的な時間を自分に割いて欲しいなどと言えるはずもなかった。そんな状況ゆえに、つい口をついて出てしまった歌だが、だからこそ、絶対、孔明に真実を知られてはならない。あくまで虹に託した、儚い夢なのだ。

ふわり、と暖かい腕が花の身体に回された。
「ゴメンね、芙蓉姫」
泣き顔を見せたら、もっと心配させてしまうと、花はくぐもった声のまま、顔が上げられなかった。
「私、ちょっと、今、ヘンだから」
でも、芙蓉姫に聞いてもらってスッキリしたから、すぐ、元気になるから、もうちょっとだけ、待って。
花の思いが伝わったのか、軽くぽんぽんと肩を叩かれ、コツンと頭のてっぺんを着けられた。あたかもそれは、花が落ち込んだ時に、孔明がしてくれたのと同じような優しい触れ合いで…。
芙蓉姫にしては何かが違うと感じ、花は、少しだけ顔を上げた。その瞬間、穏やかな目をした孔明と、もろに顔を合わせることになった。
「し、師匠!」
なぜ、ここに孔明がいるのか。芙蓉姫は、どこ?そもそも、いつから!?
瞬時にして、複数の疑問が沸き上がり、花は恥ずかしさのあまりその場を離れようと立ち上がり掛けたが、孔明に腰を引っ張られて、そのままストンと今度は彼の膝の上に抱えられた。横抱きに不安定なその位置で、花は為す術もなく、孔明と額を付き合わせている。それだけで、花は、孔明があの歌の真実を知ってしまったことを悟った。
「花、ボクにいうことがあるでしょ」
「うっ…その、」
少しの沈黙のあと、花は小さく「嘘をついてゴメンナサイ」と呟き、孔明の背にそっと手を回した。不安定な体勢が少しだけ緩和されたが、孔明はそれだけでは足りないと、花に口づけた。孔明に求められるまま口づけを交わし、身体から完全に力が抜けてしまった花を孔明は優しく抱き留めた。それでも、まだ孔明には疑問が残っている。
「ねえ、花」
花の名前を呼ぶ声は、どこまでも優しい。
「デートって、なに?」
しかし、その質問は、どこまでも容赦がなかった。
「キミが教えてくれないならそれでもいいけど、その代わり、ボクに都合の良いように解釈させてもらうからね」
花を見上げている孔明の瞳は、かわいい恋人に対して貪欲な男の色を宿していた。

■使用曲
TVドラマ「オズの魔法使い」より、「虹の彼方に」です。
訳詞:水島哲/作曲:H.アーレン/編曲:山本直純/歌:シェリー
オリジナルはいうまでもなく、映画「オズの魔法使い」の「Over the Rainbow」です。が、恋する花ちゃんには、ジュディー・ガーランドより、シェリー版のイメージが浮かんじゃったんですね。たぶん、花ちゃんは生まれてない頃の番組だけど、そこは、お母さんから聞いたって事で。
2010.06.08
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