青海国の魔術師

青海国の花嫁(1)

青海国の三真珠から時代を遡ること約300年、セーナル遺伝子の元と噂されるライアル王がまだ世継ぎの君だった頃の物語。
伝説と歴史の交差する狭間における真実は、埃にまみれた書庫の中に眠っている。


 青海国は弱小国家だ。
 西大陸と南大陸の中間に位置する島国で、数十年前までは大陸間を往来する交易船のお陰で小さいなりに栄えていたのだが、南大陸で魔術師排斥が始まって以来、交易はひどく衰退してしまった。それというのも海には凶暴な怪物がひしめいており、魔術師なしで遠洋を航海するのは危険極まりないからだ。怪物除けの香木などというものも、一応、あるにはあるのだが、とんでもなく高価な上に一度だけしか使えないとあって、商人達も手を出しかねているのだ。いちかばちかで魔術師なしに大陸間交易に乗り出したところで、危険は怪物だけではない。今では年に三、四隻の船しか大陸間の中継地たる青海国に寄港することはなくなっていた。
 ゆえに、青海国の港はさびれ、往年の活気はなくなっていた。

 王城の廊下をぱたぱたと少女が走っていた。十二歳になったばかりの、世継ぎの王子の娘である。名前をリーシャル、古代の言葉で「海神の贈り物」を意味する元気な少女だ。他国との交流もほとんどないせいか、王族としての自覚はなく、また青海国には王はいても貴族と呼ばれる階層が存在しないために、礼儀作法をとやかく言われることもなく自由気ままに生活している。今もそのままではとても「お姫様」には見えぬざんばら髪に膝丈の胴衣を着ただけの姿でつい先ほどまで港の子供達と遊んでいたであろうことを思わせた。
「父上、とんでもないことになったよ!」
 扉が開け放たれたままの世継ぎの執務室に飛び込むなり、リーシャルは声を弾ませ告げた。そこでは彼女の父親である銀髪の青年が机の上の書類と睨み合っていた。彼はここ数年病がちになった国王に代わり政務を執っている。国王と違い、やたら丈夫な世継ぎは若くして結婚をしたために、まだ三十歳にもなっていなかった。
「廊下は走るな、と言ったはずだが?」
 書類から目を離さず、青年は言う。世継ぎの君は仕事熱心で知られていた。
「ごめん。でも、決まったんだよ」
「何がだ?」
「父上の縁談」
「そうか」
 青年は他人事のような顔のまま、書類を読み続ける。
「…あのさぁ、相手が誰か、興味ないの?」
 リーシャルは呆れ顔で父親の顔を横からのぞき込んだ。
「特にない」
 本気でそう思っているらしい父親の態度にあーあとわざとらしく溜息をつく。
「こんなんだから、父上、実は女嫌いだのなんだの陰口たたかれるんだよね」
 私に弟も妹もいないのはそれが事実だからかもとの挑戦的な無礼極まりない言葉に世継ぎはようやく書類から目を離した。
「知らせに来たのならば、さっさと言え」
「興味ないって言ったくせに」
「お前は教えたいんだろうが」
 娘は素直に頷いた。
「うん。ルシアド帝国の皇女様だって。第五皇女のエシュール・ミルファ・ネイ・ルシアドール様」
 ルシアド帝国とは南大陸で随一の勢力を誇る強国である。そんな皇家と縁戚関係ができるなど、青海国の民は夢にも思っていなかっただろう。それ以前に、この島国の民が帝国の存在自体を知っているかどうかも疑わしい。
「ルシアド帝国相手では、断るわけにもいかんな…」
 形のよい眉を寄せて青年はつぶやいた。
「え、なんで?どーして、断る必要があるの?」
 少女は皆目分からないと目を丸くした。
「考えてみろ、リーシャル。王族間の縁談というのは、まず互いの国益になるものを探すわけだ」
 うんうんとリーシャルは頷いた。そのために、顔も覚えていない母親は五つも年下の「少年」のもとに嫁いだのだ。西大陸出身で万事派手好きの母親は質素倹約を徹底する青海国の王家になじめず、リーシャルが生まれた後に手切れ金をたっぷりはずんで離縁し、実家に戻って行った。その後、どこか別の大貴族の元に嫁いだらしいが、詳しいことはリーシャルには知らされなかったし、リーシャルも知りたいとは思わなかった。
「帝国は魔術師排斥が最もひどいところだろう。今後しばらくは交易にも手を出さないはず。その帝国がこの青海国と手を結ぶ必要があると思うか?しかも私がこぶつきやもめである上に我が王家には富も名声も何も誇るものなどない。血筋に至っては海賊上がりだぞ」
 青海国はもともと海賊達の本拠地であった島々からなる。その海賊達をまとめ上げた人物が青海国の初代国王だ。リーシャルの母親もそれが最初から気にくわなかったらしい。西大陸では何かと血筋を重んじる傾向があるのだ。
「使者が南大陸に縁組探しに出かけてたったの三ヶ月余りだ。それが、いきなり皇女で決まりということは、何がなんでも片付けようとしている帝国側の意図があるということだ。こんな弱小国ではたてつくわけにいかないからな。そして、そんな弱小国に押し付けねば片付かない皇女とはどんな人間だと思う?」
「…他に押しつけようがない人間?」
 とんでもなく高飛車な女とかだったら嫌だなとリーシャルは顔をしかめた。
「そういうことだ。まあ、どんな人間だろうとルシアド帝国の皇女ならば、なにかの役に立つだろう。王家に箔もつくしな。いざとなれば、幽閉でもなんでもしてやる」
 青年はこともなげに恐ろしい台詞を吐いた。
「そんなことが帝国にばれたらまずいんじゃ…」
「こんな辺境にまで帝国の目はとどかん。他国の人間が来たら、すぐに分かるなんて国はうちぐらいのものだぞ?」
 確かに…。
 思わず頷いてしまう。
 青海国の王城は港を見下ろす位置にあり、他国の船が入ればすぐにわかるし、こっそりと上陸しようにも見知らぬ人間を島民が見かければすぐに知らせが来るだろう。
「というわけで、この話は終わりだ。その手に握っているのは東大島の高波に関する報告書じゃないのか?」
「あ、忘れてた」
 リーシャルは家令から預かっていた書簡を父親に渡すと、その背後にある書棚に向かった。南大陸に関する書物を読んでおこうと考えたのである。
 それから数時間の間、侍女頭が夕食に呼びに来るまで、親子は黙々とそれぞれの作業に熱中していた。


 青海国で大型船が寄港できる港があるのは王都だけだ。その港が久しぶりに活気を取り戻していた。それというのも世継ぎの君の花嫁を一目見ようと近隣の人々が港に押し寄せて来たからだ。
 世継ぎの君の花嫁、ルシアド帝国の第五皇女を乗せた船は青海国ではお目にかかれない最新式の軍艦であった。機動性を重視した小型艦は無骨な護衛艦に守られて、まるで可憐な姫君そのものに見える。船首像は「怪物よけ」の香木でつくられているのだろう、海神の使者とされる人魚を模したものであった。
「これが持参金の一部に含まれていればいいが」
 そんな父親のつぶやきをリーシャルは確かに耳にした。
 「怪物よけ」の香木でできた船首像は一度の航海にしか使えないが、中を削り出せば、怪物を一度くらいなら追い払うことのできる「粉」に加工できるはずだ。青海国の人間は海神の庇護を受けているとされ、怪物に遭遇する回数は少ないのだが、備えはあるに越したことがない。
「皇女様は父上より七つ年下の二十一歳なんでしょ。…南大陸では『行き遅れ』と言われる年だよね」
「西大陸でもそうだ」
 ついでに青海国でも二十歳までにはほとんどの娘が嫁いでいる。
「皇女様ならいくらでも嫁ぎ先はありそうなのに」
「本人が嫁ぎたがらなかったらしいが」
 父娘はのんびりと港の様子を伺っていた。差配をふるっているのは、しっかり者の王妃でてきぱきと荷運び人夫達に指示を与えている。王妃は政務に携わることはないが、王城を切り回すのになくてはならない人物だ。
「深窓の姫君に、こういうことできるかなぁ」
「期待はせぬほうがいいだろう。でしゃばるよりは、大人しく奥に引っ込んでいてくれた方がいい」
「あれ?」
 護衛艦が帆をあげるのが見えた。今、入港したばかりなのにと、あっけにとられているうちに、逃げるように護衛艦は去って行った。おそらく、補給したのは水だけだっただろう。
「よし、持参金だ」
 青年が満足そうに頷く。
「父上、そんなこと言っている場合じゃないような気がするんだけど」
 一体、なんなのだ、あの態度は。
 まさに逃げ帰るというにふさわしい。まさか青海国の人間に取って食われることを恐れているわけでもあるまい。
「大量に食料補給を頼まれるよりはましだろうが?」
 王子のくせに、というより、弱小貧乏国の王子だからこその言葉である。
「それじゃ、迎えに行くか」
 周囲の動揺にかまわず、世継ぎの君はすたすたと歩き出す。リーシャルは慌てて後に続いた。

 何やら蒼白な顔をして侍従長が花嫁一行を世継ぎの君の前に案内して来た。彼は口をぱくつかせて、王子に何か言いかけたが、言葉が出ないらしく、そうしているうちに皇女を乗せた輿が到着した。
 緑の瞳が印象的な侍女とおぼしき黒髪の少女が恭しく世継ぎに礼をして、垂布越しに皇女に声をかけた。護衛の騎士と思われる颯爽とした黒髪の若者が輿の横に立った。帝国軍の黒い軍服をまとったそのすらりとした姿は女心を騒がせるに十分だが、ごつい漁師を見慣れたリーシャルから見ると、細すぎて頼りなく、こんなので軍人が務まるのか不思議だった。まあ、皇族の側に置くには見栄えが重視されるのかもしれない。
 こーゆーお付きの騎士に囲まれて育てば、目が肥えてしまって、なかなか嫁がなくなるかもとリーシャルは一人頷いた。自分の父親も容姿は捨てたものではないが、なにせこぶつきだ。おまけに性格もよろしくないと実の娘は容赦ない評価を下していた。
 侍女が垂布をあげ、若者が手を差し延べた。
 そうか、世の中のお姫様ってこういう扱いを受けるものなんだ。
 リーシャルは初めて見る光景に一種の感動を覚えていた。輿など乗ったこともないし、乗るならば船で、その船にだって人の手を借りずに縄ばしごでよじ登る。祖母である王妃にしたって、至って気さくな人柄で自分一人でできることに人の手を煩わせたりしない。それというのももともと商人の娘だからだ。
 次の瞬間、リーシャルは…そして王子を除く出迎えの一行の全員がその場に凍り付いた。
 若者が差し延べた手に、そっと伸ばされたのは、白くしなやかで細い…しっぽだった。その生き物は上手に若者の手にしっぽをからませると、優雅な動きで若者の肩に飛び乗った。猿に似てなくもないが、頭の形は猫に近い。そしてその大きな耳には、皇家の紋章をかたどった耳飾りがついていた…。
「ようこそ、青海国へ。私が青海国の王子、ライアル・クァラートゥ・ドリーンです。王城まで私が案内させていただきます」
 凍てついた空気のなか、しごく落ち着き払って、青海国の世継ぎは歓迎の挨拶を述べた。

 ざわざわと小さな広間には動揺が広まっていた。
 不幸な事故、と護衛の騎士は説明した。皇女は、先日、魔術師の呪いを受け、このような姿に変身してしまったのだという。
 思考が凍結している国王夫妻、および廷臣に代わって、世継ぎの君は何事もなかったかのようにさくさくと歓迎式を進行させた。ちなみに、歓迎式の後、病弱な国王をはじめ王妃を含む多数の人間が頭痛で寝込むはめになった。
 皇女を用意された部屋へ送り届けると、王子はてきぱきと機能が麻痺している王城の侍従や侍女達に指示を下した。
「皇女は朝食は部屋で取られるそうだ。果物がいいらしい。侍女と護衛の分も一緒に用意するようにとのことだ」
「あ、あの『皇女様』がしゃべったんですか?」
 恐る恐る侍従長が質問した。
「いや。護衛が通訳した。それから、彼女は動物扱いされると機嫌を損ねるそうだ。丁重に接するように」
 皆、王子の正気を疑った。衝撃のあまり、どこかおかしくなったのではないだろうかと。そんな皆の心配をよそに王子は指示を終えると仕事をするべく自室に引き上げた。
「父上!」
 父親にくっついて部屋に入るなり、リーシャルは声を張り上げた。
「そんなに大声をださなくとも、年寄りではないのだから聞こえているぞ」
 いつものごとく、王子は落ち着いた口調である。
「なんなのあれ!?いくら弱小国だからって、馬鹿にしてるっ」
「そう怒るな。先方には先方の事情がある」
「事情ー?猿の事情なんて知ったこっちゃないよ」
 城の人々が恐ろしくて口にできない単語をいともたやすく口にしてリーシャルは椅子の上に膝をかかえて座り込んだ。
 皇女だろうがなんだろうが、猿は猿、あるいはそれい類した生物だ。
「俺は気にしてないぞ?」
「気にしなよ、少しは。あんな動物を義母上なんて呼べないよ、私」
「心が狭いな、おまえも」
 書類をめくりながら平然と父親は言う。
「そう言う問題じゃないよ。後継ぎどーすんのさ。私は王になんかならないからねっ、面倒くさい」
 あまりに平然としている父親にリーシャルは食ってかかった。やれやれと言いたげな顔で青年は息を吐いた。
「落ち着け、シャル。お前の弟なら妾でも作って生んでもらえば済む」
「そーゆー甲斐性があれば、今頃、弟妹がごろごろしてると思うけど。面倒くさいって今の今まで再婚話も乗り気じゃなかったくせに」
 年の割に大人びた部分のある少女は容赦なく指摘する。
「じゃあ、お前が早く結婚して子供を産んで王位を押しつければいいだろう。こういうのもなんだが、私は長生きするぞ。何の問題がある?姿がどうであれ帝国の皇女だぞ?表立って文句を言うやつはおるまい」
 見ろこれをと持参金リストを突きつける。
 皇女の嫁入りにふさわしい品揃えだ。婚礼をあげるや否や換金して国庫につぎ込むことは目に見えている。
 要するに、この男が再婚する気になったのは、国庫の困窮を見かねてのことだったんだなとリーシャルは目を半開きにして父親を見据えた。使者には持参金がどっさりつく嫁を探せと言い含めたに違いない。
 持参金をどっさりつけないと貰い手のいない人間も問題だが、持参金目当てに結婚する人間にも大いに問題がある。
「こよなく猿を愛した男と墓碑銘に刻まれてもいいんだ」
「おおいに結構。国を潰した男と刻まれるより、遙かにましだ。そうそう、おまえにつけてやれる持参金はないから、頑張って自分で相手を獲得するんだぞ」
「そんなことわかってる。確認するけど、父上は猿が妻でもかまわないんだね?」
「あれはあれでかわいいもんだぞ?うるさくないし、ドレスだのなんだの費用がかからんで済む」
 読めた、とリーシャルは心のなかで呟いた。
「…父上、真偽はともかく、皇女は猿だって事にしておいた方が出費がかさまずに済むと思っているんでしょ」
 ライアルは素知らぬ顔で書類をめくっている。
 相手があれではとてもでないが派手な結婚式などできやしない。出したくもない招待状を交流のある国に出し、もてなしたくない客をもてなす必要もないわけだ。
 ここまで父親が実利を追求する人間だとは思わなかった。
「なんか娘に釈明することはないの?」
「貧乏はつらい」
「自分の性格の悪さを貧乏のせいにしないでよね」
 ひょいとリーシャルは立ち上がった。
「嫁に逃げられた男が今度は猿を嫁にもらったって噂が流れるだろうね。何しても私はかまわないけど、お祖父様に心労かけるのはやめた方がいいよ」
 捨て台詞を吐いて部屋を出る。
 善良なる国王は人の良さが取り柄であり、人を疑うということを知らない。今回の事件に対する説明をそのまま信じたことだろう。
 父は祖父の分まで根性の悪さを引き受けて生まれてきたに違いない、とリーシャルは常日頃思うのだが、その父の娘であることを考えると実に憂鬱な気分になった。
「あー、やだやだ。泳ぎに行こっと」
 憂さ晴らしは身体を動かすに限る、と青海国の姫君は城を飛び出していった。

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