青海国の魔術師

青海国の花嫁(2)

 王子の執務室にその生き物…「皇女」はいた。
 ライアルが黙々と書類に目を通すのを横でじっと見ている。
 世継ぎの君の手伝いをしている書記官は猿が書類の上にインクをこぼすのではと気が気でなかった。書類は木の繊維から作られた紙だが、原料の豊富な南大陸ではともかく、この島国ではそこそこに貴重品だ。
 懸命に書記官は仕事に集中しようとするのだが、それがなかなかできない。猿以外に皇女の護衛騎士だという若者も部屋の隅に控えているし、ついでに、侍女の一人も、果物の入った篭を持って待機している。
 そのうち、退屈になってきたのか、白い生き物が部屋の中をちょろちょろと動き始めた。姫君、と護衛騎士がたしなめても無駄である。ついには、遊んでくれとばかりに王子の腕をつかんでゆすり始めた。
「姫君」
 書類を置いて、王子はじっと生き物を見詰めた。
「女性は物静かな方が魅力的ですよ」
 めったに見せぬ愛想のよい笑顔で言った。猿は恥じらうように腕から離れた。
 書記官はその場に硬直していた。
 仕事となれば愛想をふりまくことも辞さない世継ぎだが、それを目にするたびにその人なりをよく知る彼はいたたまれぬ気持ちになる。
 この詐欺師、と世継ぎの君に向かって心のなかで呟くこともしばしある。多分、王城で働く人間の大半がそう思ったことはあるだろう。
 世継ぎの君の言葉が本音ではないことはよく分かっている。そうしている方がご婦人方に受けがいいのも分かっている。だが、理性ではわかっていても、感情がついていかないのだ。
 なにしろ相手が相手だ。
「ちょっと、失礼しますっ」
 裏返った声で言うと、書記官はよろめくように執務室を出た。
 この空間にいることが彼にはもう耐えられなかった。
「美しい姫君が近くにいらっしゃるので、緊張したのでしょう。どうか、お許しを」
 歯の浮くような台詞が彼に追い打ちをかけた。
 ひぃぃ〜っ。
 声にならぬ叫びを上げ、全身総毛立った書記官は後も見ずに一目散に走り去った。


 まずは、ここを調べなくちゃね。
 青海国の姫君は腕組みをして港に係留された帝国の小型軍艦に目を据えていた。
 本当に力のある魔術師なら、人間を猿に変えることもできるかもしれないが、そんな魔術師はめったにいないはずだった。
 数十年前に南大陸に現れ、強大な魔力を用いて人々を支配した「魔王」と呼ばれた魔術師ならばできたかもしれない。だが、今はもう倒されて存在していないし、同じくらい魔力を持った魔術師がいれば、おとなしく迫害を受けたりしていないはずだ。いるとしても、世間に出てこないで隠遁している魔術師がわざわざ皇女に呪いをかけるとは思えない。
 大体、皇女を猿に変えて何の利益があるというのだ。
 あの猿が皇女でないことはほぼ間違いない。
 リーシャルは本物の皇女を見つけ出すつもりでいた。
 本人が来ていないということはさすがにないだろうから、皇女は侍女達に紛れて城に入ったのではないかとリーシャルは推測している。宿に泊まっていないことはすでに確認した。
 しかし、この軍艦内にとどまっているという可能性も捨てきれないし、確かに皇女が来ているという証拠をリーシャルは手に入れたかった。
「ねー、シャル、行こうよ〜」
 リーシャルが呼び集めた子供達が催促した。
「僕、早く乗ってみたい」
「うん、それじゃ、お願いに行こうか」
 リーシャルはぞろぞろと子供達を引き連れて軍艦に向かった。
 無邪気な子供のふりして軍艦に乗船させてもらい、くまなく探し回ろうという魂胆である。お願いして乗せてもらえなければ、王女であることを利用させてもらうつもりだ。
 この青海国では権威をふりかざしたところで、実が伴わなければ鼻であしらわれるが、大陸ではそうでない。
 軍艦の近くにたむろしている水夫にまず目をやる。
 水夫では駄目だ。もっと上の人間を捜さなくては。
「…それにしても、いい船だよね〜」
「うん、すっげぇ、かっこいい」
 男の子達は目をきらきらさせて軍艦に見入っている。
 いかにも船足が速く、小回りが効きそうだ。大陸の海軍では大型艦が主流だというから、これは珍しい艦なのだろう。
「うちにもこんなのがあればな〜」
「な、そうだったら、おれ、乗せててくれる?」
 おれもおれもと男の子達が口々に言う。
「乗せる、乗せる。後十年も経ったらね」
 人材に不足はない。
「やっぱ、資金だよね、問題は」
「おう、この船はな、最高級の木材使ってんだ。目ん玉が飛び出るような値打ちもんだぜ」
 突然、後ろから聞こえた太い声にわっとリーシャルは飛び上がった。
 海の熊、と思わずリーシャルは口の中で呟いた。
 立っていたのはいかにも船乗りらしい、よく日焼けした体格のよい髭男だった。
「さすがに青海国の人間は子供でも船を見る目があるな」
 言って、熊男はさらにどこどこ産の木材でマストに使われているのは伝説のなんとかという巨木で船大工はどこの誰でなどという説明を始め、リーシャルは子供達とともにあっけにとられて見上げていた。
「たわけ」
 声と共に熊男の後頭部に手刀が入った。
「そんな説明を誰が聞きたがる。お前のような船偏愛者はそうおらん」
 冷然とした言葉を発したのは女騎士だった。女性にしては長身ですらりとした肢体を軍服で包んでいる。年齢は二十代半ば程だろうか。
 皇女につけられた護衛騎士は五名、侍女は十名だ。その処遇をどうしようかしらと衝撃からいち早く立ち直った祖母が頭を悩ましていた。はっきり言って、雇う余裕がないのだ。
「おねーさん、皇女様の護衛騎士の一人?」
 女騎士はちらりと一瞥をくれると、小さく笑った。
「そうだとも言えるが、違うとも言える」
 ひょっとして皇女様本人だろうかとリーシャルは身構えた。
「魂伐鬼とか鮮血魔と呼ばれるこの船の斬り込み隊長だ」
 熊男が仕返しとばかりに説明した。その腹に鋭い角度でひじ鉄がくわえられた。
「私は皇女直属部隊の隊長だ。今は護衛を兼任しておる。この男は一応、艦長だ。でかい図体しているが白兵戦では一切役に立たぬ」
 だから、さっきからやられ放題なんだと腹を押さえて苦しんでいる男を見ながらリーシャルは頷いた。
「かっこいいね、女騎士って。帝国では多いの?」
「他国に比べると多いな。現皇帝は後宮警護に宦官を置くのを嫌い、女騎士を配置しているんだ」
「『かんがん』って何?」
 理解できぬ単語に首を傾げ、リーシャルは尋ねた。西大陸の言語を基本とした青海国の言葉にはそれに該当する単語がなく、女騎士は帝国語で伝えたのだ。
「それはな、去…」
 大きな手が女騎士の口を塞いだ。
「どうしてお前はそういう微妙な問題を平気で口にするんだ!」
 何やら熊男が焦っている。
「…事実を述べて何が悪い」
 うっとうしげに手を振り払い、女騎士が言う。
「少しは気を遣えってんだ。こんなチビ達にそういう残酷なことを教えるな」
 がしっと肩に手を置いて、真剣な顔で熊男が訴える。
「…残酷なのか?」
 女騎士は眉根を寄せた。
「残酷極まりないぞ!」
 まだ納得のいかぬ顔をしていたが、その必死の形相に、女騎士は一歩譲ってやる気になったようだ。
「そういうことなので、大人になったら教えてやる。今は男の職業の一種だと思っていればいい」
 子供達に向き直り、女騎士が言う。
 後で父上に聞こうと思いながら、リーシャルはその場では頷いておいた。
「ねぇ、艦長さん。この船、乗ってみたい」
 回りくどいことはせずに、リーシャルは直接、聞いてみた。
「そうだろう、そうだろう、こんなべっぴん、滅多にいないからな。これほどの器量よしなら、男は誰でも乗りたがる」
 これ以上ないくらいに、でれでれした顔で熊男が言う。
「…変態め」
「私、女だけど」
 女騎士とリーシャルがそれぞれにぼそりと呟いたが熊男は聞いちゃいなかった。
「なあ、ファル、勝手に子供を乗せたりしたら皇女は怒ると思うか?」
「あの方なら気にせぬだろう。軍艦として用がなくなれば漁船に回せばいいなどとおっしゃっているからな」
「なにーっ!この麗しい貴婦人を魚臭野郎どもの餌食にさせろってのかっ!?許さんぞっ」
「漁船になんかならないよ。この船で漁できるわけないじゃん」
「では、焚き物だな」
「何〜っ」
「乗りたければ乗るがいい、船長が許可したと言えば、皆、ため息ついて許してくれるぞ」
 お前という奴はなんてひどいことを言うんだとまくしたてる熊男を無視して、女騎士はほらあそこだと縄梯子の下がる場所を指し示した。
「そんじゃ、お言葉に甘えて〜」
 面白い二人組だと思いながら、リーシャルはすぐに行動に移った。
 港町で育った子供達は慣れたもので、するすると縄梯子を登って甲板に出た。
「なんだ、おまえら?」
 強面の水夫に凄まれたくらいで、びびるリーシャルではない。
「船長さんが乗ってもいいよ、って言ったんだよ」
 にっこりと笑顔で言うと、いかつい顔の水夫ははぁとため息をついた。
 女騎士の予想通りだ。
「操船術は天下一品なんだがなぁ」
 そうぼやいた後に、男は周囲の水夫達に向かって野太い声を張り上げた。
「このチビどもは船長の客だ!丁重に扱え!」
 またかよと言う声とともに、うぃーっすと返事が届く。
「では、突入〜!」
 きゃっきゃっと笑いながら子供達が散らばって行く。
 その子供達の後をリーシャルはゆっくりと追った。。ちょろちょろと子供達は言い含められた通り、あちこちの船室に入り込んでいく。
「わ、なんだお前ら」
「船長のお客〜」
 などとすっとぼけて言い返す声が聞こえて来る。
 さて、とリーシャルはまず船長室がありそうな場所を目指した。皇女がいるのならば、一番いい部屋である船長室か、または特別に造られた貴賓室だろう。
 しかし、船長室はあったが、皇女のいそうな、また、いたような気配はなかった。
 …船長室使ってて、荷物はもう全て片づけたってことかな?
 そんなことを考えながら歩いていると、ぎゃあ〜っと聞き苦しい男の悲鳴が聞こた。何事かと思っていると、すさまじい足音を立てて、顔面蒼白の逞しい水夫が狭苦しい通路にあちこちぶつかりながら走り抜けて行った。
 その駆けて来た方角の一番奥に、扉が開きっぱなしで揺れている船室がある。
 好奇心に従ってリーシャルはその船室に向かった。
「まったく度胸のない…」
 ぶつぶつと呟く声がする。
 黒髪をゆるい三つ編みにして背中に垂らした人物が戸口に背を向けて立っている。
「あの〜」
「はい?」
 振り向いた人物の手には大きな頭蓋骨が握られていた。明らかに人のものではない。
「あ、竜魚の頭」
 嵐の後などにたまに浜に打ち上げられているものだ。魔よけとかで他国の人間にが売れるらしい。
「おや、珍しくかわいいお客さんですね」
 頭蓋骨を布で磨きながら、にっこりと笑う。
 リーシャルは眉を寄せた。
 声は男の人だとは思うんだけど…。
 その人物は細くて綺麗な指をしており、体は華奢、顔だちも中性的だった。
 何も労働をしない貴族の女性はほっそりした美しい手を誇りにするという。
 ひょっとしたら、皇女様かもしれない。
「おにーさんは…」
「はい?」
「おにーさんだよね?」
「はい、そうですよ」
 まかり間違ってもおじさんではありません、とにこにこしたままその人は言う。
「綺麗な指だね」
「大切な商売道具ですから手入れは欠かさないんです」
「何するの?」
「人の体を縫い合わせるんです。意外と難しいんですよ」
 怖い台詞を笑顔でさらりと言う。
 この人が男で、皇女じゃなくてよかったとリーシャルはほっとした。
「えーと、お医者さん?
「はい。正確には皇女専属医として雇われております」
「…皇女様が縫わなくちゃならないような怪我するの?」
「とんでもございません。私の仕事は皇女様の命により、できるだけ跡を残さぬように護衛の方々を治療することです」
 護衛は女性が多いですから細心の注意を払うのですよと続ける。
「それなのに隊長殿と来たら、傷跡が残ろうがかまわぬと私の努力を無に帰するような行動ばかりで」
 と愚痴をこぼし始める。
 だが、それをおとなしく聞いてやるほど、リーシャルは寛大ではない。
「皇女様はお城にいるんでしょ?おにーさんは、こんなとこにいていいの?」
「いいんです。ついてくるなと言われていますから」
「なんで?」
「私の趣味は普通の人には理解されないからだそうです」
「…趣味って、それ?」
 頭蓋骨をさして尋ねる。
「ええ。素晴らしい骨格だと思いませんか?西大陸に住むという竜はもっと素晴らしい骨格を持っているのでしょうね」
 うっとりした表情で医者は頭蓋骨を見つめている。
 熊男も変だったけど…このおにーさんもかなり変…。
 で、皇女様はこの人達を雇っているんだよね…。
 うーんとリーシャルは唸った。
 やっぱり、皇女様は猿ってことにしておいた方がいいのかなぁ?
 そんでもって、そんなに結婚したくないなら持参金を置いていけば、この縁談は無かったことにしてやるって交渉をもちかけた方がいいのかもしれない。
 それこそ、父上の思うツボって感じだけど。
「シャルー!あっちに、おねーさんいたよ〜」
 若いおねーさんを捜すように子供達には言ってあるのだ。
 恍惚とした表情でその辺に飾ってある動物の骨の説明を勝手に続ける医者を残し、リーシャルはそろそろと部屋を逃げ出した。
「こっち、こっち」
 リーシャルがよく利用する料理屋の三男が腕を引っ張る。
「厨房でね、おねーさんたちが料理の練習してたの」
 さすがに料理屋の息子だ。船の中の厨房がどのようなものか気になったのだろう。
「料理?」
「うん。このままじゃ嫁のもらい手がないから、料理くらいできるようにならないといけないんだって料理長のおじちゃんが言ってた」
 しまった。
 リーシャルは一瞬足を止めかけた。
 私も料理できないや。
 持参金なしで嫁に行くには、やはり、王侯貴族以外の相手をみつけねばならないだろう。大商人の嫁ならば、自分で料理しなくてもいいだろうが、それ以外の場合は、多少なりと家事ができなくてはいけない。
 掃除はできる。洗濯もやってできないことはないだろう。裁縫は…網の修繕ならできる…。
 まずい。このままじゃ、王位を継ぐ羽目になる!
 その事態を防ぐためには、家事を身につけねばならないだろうが、それにはまだ時間的に余裕がある。
 まずは、弟妹に生まれてもらわなくては!
 そのためには、皇女がどんな人間だろうと目をつぶろう。
 決意も新たにリーシャルは厨房を目指した。

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